群青のマグメル~情報収集と感想

ウェブコミック配信サイト『少年ジャンプ+』で連載中の『群青のマグメル』を非公式に応援するブログです。

ファミリーゲーム第1話感想 ~バトルロイヤルのお膳立ては十分

ROUND1 50P

『ファミリーゲーム』は第年秒先生が初めて日本の集英社から直接の依頼を受けて執筆した作品となります。なのでもし今後中文版が発表されたとしても、オリジナルは日本語版の方と考えた方がいいでしょう。登場人物も最初から日本人として設定されているようです。現代中国を舞台にすると緩和されたばかりとはいえ一人っ子政策のせいで少数民族や特殊な事情がないと兄弟がいる設定にできないんですよね。ちなみに第年秒先生は四兄弟が主役格の漫画として、舞台が中国唐代の『広武威衛局』という作品も以前執筆しています。

これはジャンプ+編集部からの依頼ということでジャンプ+の色に合わせたデスゲーム風のバトルロイヤルもの(但し死人は出ない)ですね。短編などでは実験性の高い作品を描くこともある第年秒先生ですが今回はエンタメ方向に振り切った作品になりそうです。全5話の短期集中連載、しかも連日更新ということもあって疾走感の溢れる内容が期待できます。

 

「三月お兄ちゃんをお姉ちゃんに… 女の子にしてください!」

願いを叶える力をめぐるバトルロイヤルものとは言っても、相手は家族でしかも全て人形を奪うだけでいいということで気軽に読めても緊張感には欠けそうと思うやいなや、四乃のとんでもない爆弾発言です。しかも両親も三月を女の子にする願いを宣言してしまいます。もしかしたら母親はあえて三月に発破をかけていると取れなくもないのですが、父親と四乃は間違いなく本気です。これはもう是が非でも主人公である三月が勝ち抜くしかないと読者にも納得できる一方で、バカバカしくて笑えてしまうというエンタメとしてよく出来たネタです。冒頭から一貫している三月の強い「男」になりたいという思いがこれ以上なく本気で実現するべき「願い」として『ファミリーゲーム』の中心となりました。

全5話ということでバトルロイヤルものとして必須の登場人物の人柄、願い、異能を含む技能の全てが第1話のうちにテンポよく描写されています。長編の場合はこれらの要素を解明していくことも面白さの1つになりますが、『ファミリーゲーム』は主要人物が全員家族ということもありますし、手の内がわかった上での駆け引きに絞るのは正解でしょう。

この回で三月の次に描写が多いのは初めにバトルする相手となりそうな四乃です。一見ロリロリしくて内気とおもいきや、いきなり三月の恥ずかしい動画をネットに拡散させたりとネジの飛んだことをしでかし、その後もイイ性格なのをうかがわせながら終いにはあの発言です。授受時は魔法少女風の演出でごまかしていましたが、人間を獣にしてその主人になるという異能も相当にエグいです。ラスト5ページはその禍々しさが余すことなく表現されています。他者を傀儡にするという異能は子役として普段から不特定多数のファンの上に立つ四乃だからこそといった感じですね。余談ですが、26Pの背の低い四乃が人形を取るために椅子を取ってきてスリッパを脱いで裸足になり、スカートから生脚を覗かせつつ椅子の上に立つという描写がどことなくフェテッシュです。ことさら強調されていないのに妙にロリータさと生脚が印象に残ります。

 

その他

  • 家族のコスチュームはそれぞれ異能の内容を反映したものになってるだけでなく、四兄弟には胸の部分に生まれた順番もデザインされています。わかりやすいのは第三子の三月の3S(3秒)と第四子の四乃の左胸の4つのつぼみですが、第一子の一も谷間の1つの穴、第二子の二海も両胸に2つのエンブレムがあります。
  • 三月の異能が時間停止だということで、異能の授受の35Pと同じ見開きの34Pに父親が男をやめるなどと言いながら石仮面を持っているという『ジョジョの奇妙な冒険』のディオのパロディがあります。それぞれ「ザ・ワールド」ネタと「おれは人間をやめるぞ!ジョジョ──ッ!!」ネタですね。
  • 個人的には変身後のコスチュームも含めて一番外見が好みなのは母親の遥です。可愛い目の絵柄なのに上手く加齢が表現されていてなおかつ妖艶さも感じさせます。変身前のトップスが横縞でゆったりした長袖なのも巨乳さを強調しつつあえて隠すという芸の細かいポイントです。変身後は一転して上半身がタイトなノースリーブになるのもいいですね。下半身は裾のたっぷりしたロングスカートで念動力による浮遊感を表現しつつ脚のチラリズムも目に楽しいです。

群青のマグメル 第22話振り返り感想 ~解明された謎と新たな謎

第22話 幻想の閉幕 26P

原題:在空想消失之前(直訳:空想の消失する前に)

ダーナの繭編の最終話です。クーとヨウの過去が明かされ、今まですっきりとは理解できなかった事柄の多くが納得できるようになります。

まずは前回のヨウとクーの対峙を受けての2人の対決があります。クーのミサイルの構造による攻撃が左下へ向かう読者の目線移動と一致して、勢いに乗って描写されます。それに対するヨウの巨大な遍く左手が目線移動と完全に正対した方向での迎撃体制に入ることで、勢いが滞ることなく正面対決への期待が高められて次の見開きへと移ります。その後のコマでカメラの位置が変わっても双方の進行方向は維持されたままスピード感と緊張感のある演出が続きますが、ヨウはミサイルとの激突をあえて避け、遍く左手を縮小させて喰い現貯める者を直接攻撃することでその無力化に成功します。ヨウの全力とは力押しではなく、頭の回転の速さと特異な構造を制御しきる技量だということがよく表れています。

ここでヨウはクーの背後から遍く左手で反撃を図るのですが、先ほどとは正反対に遍く左手の左下へ向かう勢いに乗った正拳が、生身のクーの掌に真っ向から受け止められてしまいます。ヨウが全力を出せていないのは間違いないとはいえ、トン単位の威力を出す遍く左手を余裕で受け止めるのですからクーの身体能力は計り知れません。遠隔攻撃が得意というと日本の能力バトルものでは接近戦に弱く設定されがちですが、クーの場合は単純なパワーだけなら遠近ともに隙がありませんね。この短い激突で搦手に優れるヨウとストレートに戦闘力の高いクーという両者の特性が端的に表されています。

そしてマスクが外れてヨウがクーの正体に思い至り、因縁が明らかになった上での絶望的な第二ラウンドを読者が予想してページをめくっていくと、クーがヨウの手当をしているという意外な展開が待ち受けています。読者もゼロとエミリアの驚きに思わず共感してしまいます。ですが2人を納得させるためのヨウからの説明があり、クー視点でのヨウに振り回された過去の告白もあって、読者にもダーナの繭編でのクーの行動や動機がすんなり飲み込めるようになります。また繭事件での要救助者を連合国が見捨てたことを匂わせて人間同士での不協和を見せてから、エリンであるクーが生存者の居場所をヨウに教え結果的に救助の手助けとなることで、人間対エリンという単純な対立関係は一面的なものにすぎないことが明示されます。これらの描写によりクーの仲間入りが読者にも抵抗なく受け入れられます。

クーとヨウの関係は『群青のマグメル』の今後のストーリーで重要な焦点となっていきそうですが、この時点でのクーの仲間入りの意味として大きいのはヨウと対等な視点を持つ仲間が初めて表れたことです。幼少期をはじめとした過去がかなり解明されたことも含めて、ヨウの歳相応で人間らしい面の描写がぐっと増えていきます。回想での幼いヨウとクーがとても子供らしくて可愛いのも素晴らしいですね。

また拾因を信じきってその行動に疑問を持たないヨウに対して、クーの拾因をより客観的で否定的に考える視点が入ることも重要です。拾因はヨウにさえ明かせない目的を持って行動しており、多少は正体の推察ができるようになった現在でも謎のほうが多い人物です。今回でクーの素性が明らかになったかわりに、クーの視点で明確化した拾因の謎が今後の展開を牽引してく要素の1つになります。ヨウとクーの会話で拾因が現実構造上での幻想構造の効果の永続を試みていたと中文版では明らかになったことも、今後の布石となることが予想されます。また拾因の目的の1つに贖罪があるという情報も出てきますが、ダーナの繭の市街地での出現に関与したという疑惑が事実なら一般人の死者を大量に出すことを想定していたということになり、拾因が「誰」に贖罪するために「誰」を犠牲にするつもりかということは気に留めておいたほうが良さそうです。

ダーナの繭編の最後のページでは訳知り気に拾人館の面々を見つめる人物が何度かの登場をします。この謎の人物はこれまでの話の流れとヨウを知っていそうな人物ということで拾因かとミスリードさせられますが、神明阿アミルという正体とヨウとは直接の面識がないという事実がわかってから読むと、別の謎が生じてきます。神明阿アミルが語っている「相変わらず」勘の鋭い「拾人館」の人物が誰なのかということです。おそらく黒い瞳のヨウ、つまり拾因のことではないかと思うのですが、だとすれば神明阿アミルはいつ、どこで、拾人館を営んでいた頃の拾因を知ることが出来たのでしょうか。

群青のマグメル 第21話振り返り感想 ~ヨウの強さ

第21話 未完の過去 20P

原題:最后的空想(直訳:最後の空想)

この回ではヨウが善戦はしつつも事前のダメージのせいで一方的に追い詰められ、クーの戦闘能力の高さが読者に印象付けられます。喰い現貯める者は現実構造なら構造が起こした現象からでも吸収ができるということで、まさに現実構造者の天敵ですね。大量の銃火器やミサイルの構造物も現実構造者との戦いで収集していったのだと考えると相当に場数も踏んでいることがうかがえます。おそらく相手は黒獄小隊でしょうか。

ただこの回で本当に重要なのはそんな勝ち目のなさそうな相手でも諦めず活路を見出そうとするヨウの姿勢のほうですね。最後の構造もただ力を振り絞っただけでなく、作戦を立てた上で立ち向かったことが次回わかります。流石にこの場合はクーが本気だったら対抗しようがありませんでしたが、普段ならばどんな相手でも勝てはしなくとも死にはしないだろうと思わせてくれるいい意味での往生際の悪さが単に優れた構造者であることにとどまらないヨウの最大の強さです。

戦闘能力といえば第29話から本格登場となる黒獄小隊のあの3人もこの回で登場してその実力の一端を見せています。ヨウが相当に傷めつけたとはいえ、通常の軍隊では歯のたたない双生タイタン相手に余裕の態度さえ取って三重合構という能力で圧倒したようです。神明阿一族がこの先ヨウたちの前に立ちはだかるであろうことを考えると、この3人はなかなかの強敵となりそうです。

この回のヨウ対クーは命の掛かったバトルと読者に見せかけて実は違うわけですが、違うと知って失った分の緊張感を差し引いても、2人の事情がわかった今に読んだ方が素直に駆け引きが楽しめますね。何せ初めて読んだ時はバトル自体は迫力を持って描かれているのに、いかにも因縁のある敵であるはずのクーの事情がよくわからずにもどかしい部分があったものです。それも次回のオチを知ればすぐに腑に落ちる点ではあるのですが。

この回は次回のオチに向けての説明や布石の意訳が多いのですが、意訳が上手く機能している回だと思います。「ヨウ(又)」の呼び方などのどうしても中文版のニュアンスが伝えにくい部分を別の形で補えています。この回で明らかになった「喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)」というクーの能力名もよく考えてあるアレンジですね。アイルランド神話用語と能力の性質がきちんと織り込んであってこだわりを感じます。元の中文版ではクー・ヤガ・クランの名前が牙牙格双魄で能力名が真实收割者です。こちらも「双魄」(魂魄がふたつ?)の部分や「真実の収穫者」(現実構造を収穫する能力だがあえて真実という言葉を使っている?また「收割者」とは一般に魂の収穫者である死神のことを指す)という意味の能力であることが深読みできそうで、色々と考察したくなる名称です。

群青のマグメル 第20話振り返り感想 ~キャラクターの能力の個性

第20話 現と幻 20P

原題:空想之幻(直訳:空想の幻)

ダーナの繭編ラストバトルのヨウ対クーです。このバトルでのクーには変なこじつけが出来そうな描写もあるのですが、とりあえずそれ抜きでの感想です。

第7話で拾人館を急襲した異形のエリンの正体が人型の幻想構造だったと判明し、その本体かつ特別性が何度も強調された聖国真類だということで、クーの敵としての格の高さが十分示されます。しかもエミリアを人質に取られた上に目の前で危害を加えられた(加えるふりをされた)ことで撤退はできずこの場で立ち向かうしかないと明確になり、ラストバトルのお膳立が完全に整えられた状態となります。

ちなみに第20~22話でヨウが「エミリア」と口に出して言う部分のほとんどが中文版では「客人(お客さん)」となっており、ヨウが個人的な知り合いを助けようとしたというよりも拾人者として救助対象者を助けに来たという印象が強いです。前回ヨウが拾人者をしている動機を話したことを受けて、ヨウが自分の仕事に文字通り命懸けのプロ意識を持っていることを示す場面ですね。読者としては救助対象者がよく知っているエミリアである方が盛り上がりますが、ヨウは仮に全く知らない人が対象者でも必死に助けようとしたのでしょう。

 クーの幻想構造である喰い現貯める者はゼロによると一応は独立しての戦闘もできるそうですがヨウのような実力者と戦えるほどではなく、基本的には銃火器などの構造を出現させる際の仲介として利用されています。クーは能力上あまり動かずに遠距離から敵を攻撃できますが、動かずに敵を圧倒するというのは中国でも武侠ものを中心として伝統的な強者の描写であるそうです。日本においては山田風太郎をはじめとする忍術ものが能力バトル漫画に大きな影響を与えていると言われるように、中国では武侠ものの伝統である気功で触れずに相手を吹き飛ばす、法力による怪光線、御剣術といって氣で空中に多数の剣を浮かせて飛ばす攻撃法などの魅せ方が今時のバトルものでも取り入れられていると言います。クーの能力はこうした伝統的で派手な魅せ方と現代中国で定番のミリタリー要素の両方が、日本の少年漫画的な能力バトルに組み合わされています。

対してヨウは銃火器系の現実構造はあまり持たず、香港アクション映画風の体術や頭脳面での活躍が中心で技巧派な印象がありますね。今回も一旦はクーの大火力に追いつめられますが、因果限界を遮蔽物として利用して背後から燃料車構造で攻撃を図るという機転を発揮してくれます。

追想フラグメントの感想 ~命を賭ける 賭ける自分の命がある

2016/07/09 少々追加と修正

『追想フラグメント』は中国では『二想』という題で2013年の7月に発表されました。
日本語版ではカラー漫画から白黒漫画になり、設定の細部が変更されるなど、他の第年秒先生の作品の日本語版と同様にアレンジが加えられています。
『二想』は中国でもカラー漫画として公式配信されています。
http://www.buka.cn/detail/104026

中文版だと
主人公の名前は
梢(こずえ/きへん)二想(にそう)ではなく
稍(シャオ・shāo/のぎへん(意味は少しの時間))二想(アルシャン・èr xiǎng)*1
ヒロインの名前は
月(ゆえ)ではなく
念儿(ニェンアル・niàn ér)です。
二人の名前は「想」と「念」、発音が対になっています。

『二想』という題には主人公の二想が二つの想い・人格を持っていると言う意味があるのはもちろんですが、私はこのストーリーが二想と月(念儿)の二人の想いの話であるという意味にも受け取ることができるのではないかとも思います。

長安督武司以降の第年秒先生の作品としては珍しくアクション要素は殆どありませんが、その代わり心情表現や構図などの静的な演出に力が入っていますね。雰囲気もしっとりとしていてノスタルジックです。2Pの1コマ目は子供の二想に距離を置いて客観的に見せる構図で、このコマのモノローグも中文版では二想が自分をより客観的に説明する文体で、子供の二想に寄り添うというより眺めるような視点での演出がされることでノスタルジックな空気感が高められています。

中文版だと医者が説明したX型人格分裂症の副人格の一般的な出現回数は4回で、もしそれ以上があっても出現時間は殆ど無いということでした。だから最初の考察*2では二想の5回目は特別なことだという前提にしていたのですが、読み直してみると19Pの二想は出現時間は長くても2分程度だろうと感じつつも自分に最後の5回目があることを私が覚えていたより強く確信していました。なので4回目での中断というのはさほど重要でなく、回数で引っかかりを覚えないように9Pでの回数の修正があったのかもしれません。

そしてむしろ重要なのは頭痛の描写の方ではないかと考えを変えました。以下がその描写について抜き出したものです。

  • (月が二想の頻繁な頭痛を話題にしながらこの後の大事件の到来を予告する・3P)
  • 二想が1回目の出現終了の直前に頭痛を起こす・5P
  • 二想の両親が発症の直前にひどい頭痛を起こしていたと証言する・8P
  • (二想が3回目開始時に交代時には頭痛が起きると確信する・16P)
  • 二想が5回目の途中で頭痛を起こすが交代はせず、部下の胖哥から一想は脳のダメージのせいで頻繁に頭痛を起こしていると教えられて何かを思い付く・23P

  ※()内は日本語版では省略された描写

頭痛に関する言及は中文版では5回あり、いずれもX型人格分裂症の症状と頭痛が不可分のものであると印象に残るように描写されています。そして副人格である二想は完治されるべき病気(中文版では病毒)そのものだと周囲からみなされており、病気の症状の描写こそが二想の存在の描写でもあると読み替えることが出来ます。つまり二想は一想の脳に更に深刻なダメージを与えて頭痛をはじめとした症状が決して完治できないようにすることで、逆説的に病気である自分も消えないようにできるかもしれないと賭けて飛び降りたと考えてもいいのではないでしょうか。

飛び降りは一瞬文字通りの自殺行為に見えますが、二想が一想を道連れにしようとしたと考えるよりも、自分が存在し続けて月に会うために飛び降りたと読んだほうが2人の再会時の会話との繋がりが良くなります。ただ、もし失敗して「死んで」しまったとしても完治されて「最初からいないのと同じ」にされるよりはいいという意地はあったのかもしれません。また二想の決断は中文版では飛び降りる25Pで

来! 念儿!

(直訳:来い! 月ちゃん!)と呼びかけたり、ラストシーンの30Pで

念儿 你愿意认输吗?

(直訳:月ちゃん 負けを認めたくなった?)と問いかけたり日本語版より積極的な印象が強いです。
ちなみに31Pは中文版では二想の問いかけに対して月が

我愿意

(直訳:喜んで)と返答し、二想の想いに月が初めて向い合って応えるシーンで、こちらも印象が日本語版とは少し異なります。

全体的なストーリーについては、X型人格分裂症の現実離れ具合からも、月が最初の時点で二想について正確に把握しすぎている上に1、2年後の引っ越し*3を前提にしたような発言をしていることからも、二想と月の関係はある種の寓話的なものとして表現されていると考えるべきでしょう。ストーリーからテーマだけを切り離して語るのはあまり好きではないですが、どれだけ悪に染まっても少年の頃に持っていた純真な想いを完全に消し去ることは出来ないとかその手の話ですね。月の顔が描写されないのも具体性を超えた男性にとっての永遠の初恋の少女を象徴しているからだと思います。例えば具体的に顔を描いてしまうと白髪*4の老婆になった月の顔も描写しなくてはいけなくなり、寓意性が薄れてしまいます。

演出面では冒頭と最後の大樹の上から月が海を眺めるシーンの構図が素晴らしいのはもちろんですが、私が一番惹きつけられたのは二想が大樹の切り株を眺める中盤の場面です。11Pはほとんど動きや台詞が無いページで二想の大げさな感情表現もないのですが、構図やコマ運びの上手さと中文版では沈んだ色使いとで月と遊んだ大樹が既に無くなっていることの思いがけなさと過ぎた年月の大きさを知った焦りが見事に表現されています。特に2コマ目は手前に切り株がアップで配置されて広さの強調された空間にぽつんと取り残された二想の寄る辺なさが心に残ります。大樹からの眺めは二想と月の想いのシンボルとなるものであり、この場面でそれが消失していることは2人の想いの消失さえも予感させるものです。だからこそ最後に別の樹で二想がこの眺めをそのままに復活させることが、長い年月を経て表面上は変わってしまった二想と月であっても2人の想いだけはそのままに再び通い合うことを導くのです。29Pの台詞も中文版だと風景より月が美しいというより、この風景の中に月がいてこそ最高に美しい眺めになるといったニュアンスです。

『追想フラグメント』は第年秒先生の異色作のようでありながら、一方で幼馴染との別れと再会、自分の知らない自分、入れ替わりといった先生の好むモチーフもきっちりと取り入れられています。そしてバトル漫画でも十分に活かされている先生の心情演出の上手さに気が付くきっかけともなりうる作品であり、先生の魅力を様々な角度から確認できます。

以下に全体の流れと関係なく私が注目した点を箇条書きにしました。

  • 中国では日本の学校制服に当たるものが学校指定のジャージとなります*5。7Pなどで二想が着ているのがそれで、中校服を着ているのを見て二想は自分が中学生になったとわかったのです。
  • 二想から何度も胸を揉まれている人は胖哥(でっかい兄貴の意*6)と呼ばれていて、近所の不良少年のボスであったようです。7Pの二想が顔を怪我をしているのは誰かに殴られたためだと示唆されており、胖哥をはじめとしてこの頃から既に一想の交友関係は不良化しつつありました。
  • 24Pで胖哥が照れているのはこれから自分の両親を頼むとも言われたのをプロポーズと勘違いしたからです。二想には可哀想ですが、一想は一想でヤクザとして成り上がったり胖哥のような舎弟がいたりと読者から見る分には面白そうな人生を送っていますね。

*1:中国語のerの発音はェ゛ァー(そり舌)の方が近いのですがやや人名にはそぐわないので慣習的な表記であるアルの方にしました。

*2:以下に簡易感想時の時の文をそのまま載せます。「4回目は最後の希望だと思って人質まで取った。二想の5回目は4回目が脳の銃撃で中断されたことも重なって発生したイレギュラー。6回目の発生に賭けて5回目を再び中断させるために飛び降りた。」

*3:隣の家の引っ越しは2回目の出現の2年前ですが、二想は中文版では1回目と2回目は3、4年程度時間が飛んだと感じています。また両親は隣の家の月の話をされた時に若干訝しげな反応をし、隣の家が引っ越したとは言っても月については触れていません。そして月は二想の近くにいたことが描写されているので、実は月は引っ越しておらず隣の家の人間でもない可能性があります。

*4:白黒版だとややわかりにくですがカラー版だと最後は月も明確に白髪になっています。

*5:近年はおしゃれな制服を採用する学校も出つつあるようです。

*6:中国語ではドラえもんジャイアンは胖虎と訳されます。

群青のマグメル 第19話振り返り感想 ~ヨウと「家族」

第19話 邂逅 20P

原題:空想的问候(直訳:空想的な訪問)

双生タイタンをダーナの繭の外に出すことに成功して激闘が終わります。双生タイタンを退けることは出来てもとどめを刺すことは出来ませんでしたが、ヨウたちの目的はあくまでも繭での救助活動であってエリンたちを殺すことではありません。双生タイタンと戦うことになった連合国軍には災難でしょうが、状況が状況ですし彼らもプロということでヨウたちはその点を割り切っているようです。

その場に残っていた3頭身のエリンのお頭もごく簡潔な描写で倒します。双生タイタンとのバトルをしっかりと盛り上がるように描写できたことで、このバトルの省略がいい意味での驚きと格好良さを生んでいます。あえてバトルが省かれたのが敵対するエリンの中で最も丁寧にキャラ描写をされたお頭だったこともこの場面のクールさを効果的に引き立てています。ダーナの繭編全体の構成を考えても今回をバトルにワンクッション置くための回にすることで、対雑兵エリンから対双生タイタン、対聖国真類とバトル相手がスケールアップする上での邪魔にならないようにし、かつバトルが連続しすぎてテンションがダレないようにするためのアクセントにもなっています。

バトル終了後は舞台を変える前の後始末の会話に移ります。そして4人の探検家との共同戦線の終了もごく淡白に決定します。ヨウだけ危険が大きい立場とはいえ一応は共に死線をくぐり抜けた仲ですが、あのボルゲーネフでさえも無駄に感情的になったりはせずに、5人全員が自分の損得を計算してプロらしく割り切った判断をします。

しかしここで一徒がヨウに彼の価値観について問いかけます。ここで問われている「人の命」について答えることとは、人命救助の仕事である拾人者をヨウが続けている動機について答えることです。ヨウの実力で損得だけを考えるなら探検家にでもなってマグメルの富を直接奪取するのが最も手っ取り早いはずです。それでも拾人者をしている動機についてヨウは上手く喋れていないことを自覚しつつもどうにか言葉を探っていきます。

ヨウはプロの冒険家が冒険の中で命を落とすこと自体には、夢に死ねるのなら幸せだろうとこれまでの態度通りのドライな答えを返します。ですが動機の核となる部分に言及するときには「家族」という言葉を使い、ヨウにしては珍しく「家族」というものには単純に割り切れない想いを抱えていることを露わにします。これまでもヨウは普通の家庭環境で育っていないことがほのめかされていて、魍魎の果編などの家族に関わる話で心情の一端を覗かせることもありました。しかし自分の心情についてヨウが語るのはこの場面が初めてであり、今回はここまでとことんドライさを強調した演出がなされていた落差もあって、派手な盛り上げをされていないにもかかわらずヨウの「家族」に対する思い入れが非常に印象に残る場面となっています。思い入れとは執着であり強さだけでなく弱みにもなりうるものです。それまで格好良さはあっても隙が感じられない分読者からは少し遠い存在だったヨウですが、この場面から随分と人間味が増して感情移入しやすくなりました。新たな面を見せることは一般には読者から見たそれまでのキャラクター性を壊してしまう危険性もありますが、ヨウの場合は正体不明の状態からの段階的な情報の明かし方が上手いのと、ドライな面も人間味を感じやすい面もどちらも紛れもない本心だという描き方をされていることで人物像の深まりを素直に感じられます。プロならば割り切れるけども一般人の家族は違うという理屈自体も読者にとって納得のしやすいものです。私が『群青のマグメル』に本格的に嵌ったのもこの一連の会話がきっかけでした。

ヨウはヨウの言葉にいまいち共感できないらしい一徒たちと別れて再びエミリアの救助活動に戻り、道中のつかの間の睡眠の中で彼の「家族」である拾因のことを思い浮かべます。初読時はわかりませんが、先ほどの会話での冒険家の無事を祈って待つ家族とは、マグメルで行方不明になったままの拾因との再開を夢見るヨウそのものでもあります。実の家族との繋がりをもたないヨウにとって拾因とは家族以外の何物でもなく、その死が判明した時の動揺を知ってから見返すとよりこの話の味わい深さが増します。また、今回「家族」と訳された言葉の元の語は「家人」であり、第8話で拾因自身が「守れなかった家族」に見せていた執着の強さとの繋がりも示唆されてます。「家族」という言葉は『群青のマグメル』全体で重要なキーワードとしてことあるごとに浮かび上がってきます。

回想の中で子供のヨウと拾因はエリンの構造者について話しています。ここで今回のラストで対峙するクーとの敵対の因縁があるように見せかけつつも、実際は拾因からスルーされるような「子供の喧嘩」でしかないこともほのめかされています。また第8話では1つしか出せていない箱型の構造物が2つに増えていることでヨウの上達も描写されています。そして今読むと気になるのがこの時の拾因の内心ですね。拾因がヨウにエリンと接触しないように言いつつも、喧嘩の継続を許したのは相手がクーだと察してのことでしょう。黒い瞳のヨウが拾因と同一人物で、「家族」の1人であったあちらのクーが既に死んでしまったとするなら、拾因はどんな気持ちでもう1人の自分ともう1人のクーが友情を育んでいく様子を眺めていたのでしょうか。

群青のマグメル 第18話振り返り感想 ~それぞれの「らしさ」

第18話 決断 20P

原題:战士的空想(直訳:戦士の空想)

双生タイタンだけが相手でも窮地に陥っていたヨウたちの戦闘に実は爆発を生き延びていた3頭身のエリンのお頭までも加わり、絶体絶命の状況に追い込まれます。ここで一徒がヨウを即死級の攻撃から逃がすためにあえて攻防体の衝撃波を当てるという機転を利かせる場面があり、前回の動揺を挽回してきちんと頭の切れる探検家であるところを見せてくれます。単行本収録版では写植のスペースの関係か台詞が削られてしまいましたが、ヨウの「助かったよ…」という感謝に対し「どういたしまして」と返しつつも「恩に着れよ」と思っているところも食えない男である彼らしさを上手く表していて面白みがありました。この部分は少年ジャンプ+版のほうが中文版の台詞に近かったですね。

ただ即死は避けられたもの依然として正攻法では勝ち目のない状況にはかわりなく、これを切り抜けるためにヨウは一計を案じ、双生タイタンら相手に一対一での決闘を申し入れます。その後の連携の手際の良さから考えてこの直前の一徒と通信役のゼロにこっそり話しかけていた場面で、実は作戦についても耳打ちしていたとみるべきでしょう。この時にヨウがいかにも「少年漫画の漫画の主人公らしい」格好いいことを珍しく言って一徒たちが複雑な表情を見せるのですが、読者にはまるで一徒たちがヨウの覚悟に驚いているように見せつつも、本当はヨウの口の上手さに引きつつも感心しいる場面ということになります。

一騎打ちの提案はエリンの2人には利益のない提案のはずなのですが、戦士としての誇りを刺激する内容だったことで、双生タイタンは今までも理知的な性格を覗かせていた3頭身のエリンのお頭の忠告を振りきって提案に乗ってしまいます。圧倒的に優位な立場にあることでの油断もあったのでしょう。こうしたただの化物とは違う「人らしい」面が彼らの破滅を招いたのは皮肉な話です。

そしてヨウは全力の善戦で双生タイタンの注目を正面の自分だけに向けさせ、側面からの攻防体の奇襲を成功に導きます。瞬間移動可能な攻防体の性質と思わぬ方向からの攻防体の衝撃波という今回の前半で出てきた要素が上手く作戦に活かされいます。「少年漫画の主人公らしからぬ」卑怯さではありますがこうした機転こそがヨウらしさです。こんなヨウがいわゆる少年ジャンプの三大原則を宣言するギャグは彼が主流からやや逸れた人物像であることを浮き彫りにしつつも、苦戦を突破したことでの純粋な爽快感があります。作戦が上手く嵌り得意気になるヨウ、ヨウの魅力を再確認するゼロ、2人に若干引いている一徒という3人の個性が出た場面もユーモラスです。