群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第25話振り返り感想 ~人がマグメルに抱く夢

第25話 父娘のロマン 20P

原題:再加几千如何?(直訳:あと何千でどうかな?)

扉絵のエミリアのキグルミの07は、第1話でエミリアとヨウの乗ったスカイホエールが07号だったことによる小ネタでしょう。ゼロの構造物は06までなので、ヒロイン対決をする2人で番号がかぶらないようになっています。
ヨウはけろりと強盗団を壊滅させますが、これだけ常人離れした強さなのに1000エクス(15000円前後)節約できたことに一喜一憂する姿は妙に小市民的で笑えてしまいます。その後も延々と値切りと譲歩が繰り返されるのですが、ヨウのこうした守銭奴振りもクーの冷静なツッコミやフォローが入ることで初期と比べると格段に面白く受け入れられるようになり、きちんとギャグとして昇華されています。正直に言うと初期のキャラが掴みきれていないうちの守銭奴ネタは、強いヨウに対して対等の立場からツッコミを入れられる相手がいなかったこともあって日本人の自分には引いてしまうところがあったのですが(中国では守銭奴ネタは定番中の定番らしいので向こうではむしろ良いツカミになっているのでしょう)、ネタとしての完成度が上がることで行動が変わらないままでも印象は全く違ったものとなっています。ヨウという人物像の一貫性は保たれつつも、読者からは格段に感情移入をしやすいキャラクターと感じられるようになりました。
また、エリンなのにも関わらずヨウ以上に「まともな人間」らしい行動を取るクーとの対比も面白いです。クーにとっても人間がマグメルに夢を抱くことそのものは好ましく感じられるようで、ロマンを語るトトに惜しげもなく高価な希少品を渡します。マグメル深部に侵攻する人間とは敵対する立場にあり人間を下賤な生物だと「考えて」はいても、下賤な生物だと「感じて」いるわけではないことがうかがえる細やかな描写です。これに限らずクーの行動は基本的に育ちの良さを感じさせるというか、まともに教育されたことが伝わるものが多いですね。戦闘種族という性質上もしかしたら肉親は既に他界しているのかもしれませんが、それでも社会の中できちんと育まれたのであろうことがよくわかります。逆説的ではありますが、クーが聖国真類という己の種族とマグメルで果たすべき役割に強い自負心を持っていることにも強く納得させられます。
この場面では普段はヨウ以外にはいつも毒舌なゼロも他人を褒めていて、珍しく好感が持てる描写となっています。ちなみに中文版ではトトの夢に感心するクーとゼロに対してトトの払った労力への値切りに後ろめたく思うヨウといった印象があり、ヨウの現実主義者さが強調されています。
余談とはなりますが、中文版によるとトトのいう七聖教の出てくる漫画の作者は白送命となっています。第27・28話に出てくる漫画家のムダジの名前は中文版では白送死なのでおそらく同一人物でしょう。誤植なのかペンネームを変えたなどの設定があるのかは現時点では判断できませんね。

群青のマグメル第24話振り返り感想 ~向かう先は

第24話 1000エクスでどうかな? 20P

原題:1000界币如何?

一徒たちはマグメル深部に向かうため神明阿一族の配下に加わり、読者への説明を兼ねた講習を受けています。探検漫画の醍醐味である世界観設定の蘊蓄、特に強さのランク分けにはやはり少年漫画としてワクワクさせられるものがあります。低級・中級では分類があくまで目安と明言されているのも、何が起きるかわからないサバイバル感の強いこの作品としてはリアリティをより高めてくれていいですね。それらに対して絶対的なランクである超級の別格感が浮き彫りになります。また超級に対抗しうる構造者という存在の特別感をより引き立ててもいます。

ランク分けでは超級危険生物の代表として恐ろしげに描かれていたクーですが、ヨウ達のパートではコメディ的な会話をしたり、早速自分の能力を活用してまでゲームを楽しんでいたりと親しみの持てる描写が続きます。この作品は第一印象からの変化でキャラクターに魅力や深みを出すのが上手いですね。クーが当たり前のようにラジウムに向かうヘリコプターの外にくっついているのも絵的に笑えてしまうだけでなく、彼の立場を端的に表していて興味深いです。

ちなみにラジウムでゼロが言いている「聖国真類みたいな顔」は原文では「エリンみたいな顔」です。嫌味であることをわかりやすくする翻訳ではありますが、ゼロの持つイラストからの飛躍が大きくなりすぎて冗談としての意図は若干伝わりにくくなりました。

何処かへ向かう謎の巨大生物(オーグゴーン)のシーンはスケール感の雄大さが興味をそそり、次回への強い引きとなっています。本作でたびたび使われるカメラが徐々に引いていくことでスケールを出す手法がここでも効果的に働いています。

また細かい点ですが、5話でヨウが閃光弾を暴発させた技のネタバラシをちゃんとしてくれるのは、ミステリー要素が強い本作でこの先の話が展開していく方向を信頼する上で意外と重要な部分です。

群青のマグメル第23話振り返り感想 ~仲間とシンパシー

第23話 幕間の日常 20P

原題:小日常和世界王(直訳:小さな日常と世界の王)

前回で仲間入りしたクーですが、人類よりも精強な聖国真類にもかかわらず早々にいじられキャラ兼ツッコミキャラと化していて親しみが湧きます。
ヨウにエリンから人間の姿に変わったことへのツッコミを放棄されただけでなく、民族的な服装から今風に格好いい服装に着替えれば今度はヨウたちからはツッコまれるどころかいかにもカッコつけたポーズでかぶせボケを返されてしまうのです。「姿の変わった我に何か無いのか?」という言葉にはヨウの反応を心待ちにしていたことがにじみ出ていて可愛げがあります。ちなみに中文版でこの台詞に使われている「吐槽」はスラングにツッコミを意味する言葉です。まともに会話をしてくれるエミリアに内心しっかり反応しているのも面白いですね。
それにしてもクーの「人間文化」への精通ぶりと馴染みの早さには目をみはるものがあります。探検家から奪った資料とやらには相当に人間の俗な生活に関する情報が含まれいたようで、もしかしたら息抜きのために持ち込まれていたエンタメ系の物品なのかもしれません。クーも人間の子供のように少年漫画を読んで育ったかもしれないと思ってみると余計に親しみが湧いてきます。

今回は息抜き回ということでヨウ定番の守銭奴ギャグやマイペース過ぎるボケで満たされている回なのですが、クーの加入によって掛け合いのテンポが良くなったので初期の頃よりも楽しんで読めます。
今回を第一部のストーリー構成から見ると、最初の5話から成る導入部、クーとエリンの紹介が主題となる前半部に続き、神明阿アミルやその一族の紹介が主題となる後半部の第1話めとなります。後半部では影だけが見え隠れしていた「一族」の輪郭が徐々にはっきりしていくと同時に、一族が覆い隠していたマグメルの真の姿も明らかになっていくのです。
ところで第33・34話は本来2部の前置きとなる部分だったはずなのですが、休載で話が区切られた印象が強くなった影響もあって、第一部と第二部のどちらでもないいわゆる断章とでもした方が私が感想を書く分には扱いやすいですね。
話題は戻って、マグメルの真の姿を知りたがるエミリアですが、ヨウは彼女に家族のいることを理由に深入りを避ける忠告をするという気遣いをみせます。そしてクーはヨウの伝わりづらい思いやりをきちんと察しています。この後の話でも、一見偉ぶったような物言いをするにも関わらず、クーにはヨウの精神状態を理解して思いやる描写が多いのです。幼少期の体格から見てヨウとクーはほぼ同年代なのでしょうが、話が進むにつれ大人ぶりたがっている少年といった印象の強くなるヨウに対して、クーは青さが目立つものの聖国真類の基準では成人体ということで既に一人前として扱われていることがうかがえるようになります。ゼロもヨウのことを理解してはしてはいるのでしょうが、ゼロ自身がどういった人物には謎が多く、大人であるのか子供であるのかさえ私にはまだ判断が付きかねています。

『群青のマグメル』4/25から中国での連載再開が決定 日本での再開発表も間近

追記

2017/04/25:少年ジャンプ+で『群青のマグメル』の連載が再開しました

 

『群青のマグメル』(原題:『拾又之国』)が中国で4月25日に発売される漫画雑誌『翻漫画』の第1号にて連載を再開することが、3月18日に翻翻動漫文化芸術有限公司の微博の公式アカウントで発表されました。

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その告知へのリンクはこちらとなります。(微博の閲覧には微博アカウントが必要です)

また、日本の集英社側からの告知はまだ出ていませんが、作者の第年秒先生の微博アカウントの投稿によると『少年ジャンプ+』での連載再開も決定しているそうです。その内容からは再開時期の調整が日中の両社で既にほぼ完了し、日本でも近いうちに連載再開の公式な発表が行われることがうかがえます。

『群青のマグメル』が第34話で一旦連載を休止すると中国で発表された時点では、集英社からの短期集中連載の依頼とアシスタント体制などの執筆環境の見直しが主な理由でした。その解決のために第年秒先生は翻翻動漫文化芸術有限公司の後押しと集英社の協力を受けて来日したのですが、集英社との直接の打ち合わせによる『群青のマグメル』の連載に関する合意形成は予想外に難航し、結果的に休載の長期化が引き起こされてしまったようです。その経緯については以前のこちらの記事でもまとめさせていただきました。

現在は打ち合わせについては一応の区切りがついているはずですが、執筆環境の見直しの点にはまだ解決しきれていない部分が残っているようです。第年秒先生は日本と中国での歩調を合わせた連載のために二国間の行き来を繰り返しており、日本語によるコミュニケーションに不自由があることも伴って当分は安定的な執筆環境を整えることができないようです。さらに『群青のマグメル』の執筆そのもの以外のためにも多くの時間を捻出する必要があります。中国での再開時期は掲載誌『漫画行』のリニューアルにより新創刊される漫画雑誌『翻漫画』の目玉企画として創刊号に合わせる形で決定されたものの、先生によると2月時点での予定としてはしばらくは月一での掲載になるだろうとのことです。

 

第年秒先生にとって日本の漫画雑誌、特に『ジャンプ』で活躍をすることは幼い頃からの夢であったそうです。その夢こそが日本と中国における漫画を取り巻く環境の違いに直面し、一年以上の連載中断を余儀なくされれながらも、両国においての連載再開にまでこぎつけることのできた原動力なのでしょう。

まだまだ連載完結までの道のりは遠く、再開後の第1話さえ掲載されていない時点ではあります。それでもただの読者の私にとってさえ『群青のマグメル』の連載再開は心から喜ばしい一報でした。第年秒先生には再開後こそが本当の正念場となるでしょうが、これからも読者として応援を続けていきたいです。

『群青のマグメル』連載継続決定へ

追記
2017/03/21:中国で4/25から連載が再開されると発表されました

2017/04/25:少年ジャンプ+で『群青のマグメル』の連載が再開しました

 

中国の翻翻動漫文化芸術有限公司の漫画行では3/25発売の第6号に、日本の集英社少年ジャンプ+では6/24に掲載された第34話以来連載を中断中の『群青のマグメル(原題:拾又之国)』ですが、ここ最近作者の第年秒先生が微博の個人アカウントにて連載継続の決定について言及する投稿をしています。

その内容について触れる前に、そもそも連載継続が危ぶまれる状況だったのかという点も含めて、第年秒先生及び『群青のマグメル』の休載が現在にまで至っている経緯について私がわかる範囲でまとめさせていただきます。なお公式に発表されたわけでない情報を私が勝手に解釈した内容が多分に含まれるため、信憑性に問題が多いことは予めご了承ください。

まず現在の『群青のマグメル』の休載は中国での国産漫画産業の未発達によるアシスタントの不足と、集英社少年ジャンプ+編集部から直接の依頼を受けた作品である『ファミリーゲーム』の執筆が重なり制作スケジュールに無理が生じてしまったことに端を発したものです。

『ファミリーゲーム』の執筆については『拾又之国』の休載もあり無事に完了して8/1から8/5の短期集中連載も完結しましたが、実は作業の大部分が日本で行われていたようです。おそらく4月末から5月後半にかけての1ヶ月足らずで第2話から第5話までが執筆されたと思われます。これは日本の週刊連載漫画と比べても遜色のない作業スピードです。実現できたのは来日によって集英社との打ち合わせが行いやすくなったためでもあったでしょうが、第年秒先生によると日本人のアシスタントの手際の良さに依るところが大きいということです。第年秒先生は言葉が満足に通じないにも関わらずアシスタントが的確に作業を行ってくれることを微博で幾度も賞賛しています。

第年秒先生が『ファミリーゲーム』の作業完了を発表した時点では、私はすぐに今までのように『拾又之国』の執筆が再開されるものと考えていました。しかし集英社が第年秒先生に直接依頼をして顔を合わせての打ち合わせまで行われたことや、中国では執筆環境を整えるのが困難だと明確になったことなどから、この時には既に集英社にとって第年秒先生は中国で編集された作品をただ翻訳して発表の場を提供するだけでは済ませられない漫画家へ変化していたようです。ビザなどの関係で何度か帰国しているものの、第年秒先生は現在も日本に滞在して集英社での打ち合わせを繰り返しています。翻翻動漫文化芸術有限公司との関係も続いていますが、日本では制作環境の協力なども含めて集英社に所属する漫画家に近い立場となっているのがうかがえます。それにより『群青のマグメル』をはじめとした漫画の執筆について集英社の意向を反映する必要が生じたのが現在の休載の直接的な原因のようです。この頃の翻翻動漫文化芸術有限公司によるインタビューでも日本での打ち合わせのため連載に穴を開けているがその分以上の埋め合わせをするつもりであると語っています。なおこのインタビューの閲覧には微博アカウントが必要となるようです。

第年秒先生は集英社での打ち合わせが必ずしもスムーズに進んでいない悩みを度々微博に投稿していました。それだけなら漫画家のつぶやきとしてよくあるものですし具体的な内容が明かされることもなかったのですが、『群青のマグメル』の連載継続の可否も含めての議論が行われていたであろうことはどことなく察せるものでした。私は第年秒先生は才能のある漫画家だと信じていますし直接コンタクトをとるからには集英社もそう感じたのでしょうが、『群青のマグメル』が中国ではさておき日本では商業的に成功していると言い難いのは事実です。むしろ第年秒先生が現在の立場になった時点で即座に打ち切りとならなかったのは集英社が事情を酌んでくれたためであり、連載中断が長引くのを見守るのは不安が募ることではありましたが、読者としては喜ばしく思うべきことなのでしょう。また逆説的に当時の『群青のマグメル』の置かれた状況の難しさを物語っていたとはいえ、第年秒先生が自分の意志では未完のまま終わらせるつもりはないと断言する内容を度々投稿していたのも希望を繋げてくれる事柄でした。

『群青のマグメル』の休載については日本側からの情報発信が殆ど無く、中国語がわからない方は私以上に不安となっていたでしょうが、以上のことは確定的な情報ではありませんし、闇雲に騒ぎ立てると第年秒先生に不都合が及ぶ可能性がある内容ですので、まとめるのは控えさせていただいていました。
確定的といっていい情報が発表されたのは第年秒先生の微博の個人アカウント上で11/19のことでした。

『群青のマグメル』連載継続決定へ

再び連載を継続することが可能になったと言い切った投稿であり、それまでの投稿の継続するつもり、継続できるかもしれないといったトーンとは明らかに異なるものです。さらに(第年秒先生にとって)外国人のアシスタントとのコミュニケーションについての思案も言及されていて、原稿作業が具体的なものとなりつつあるのがうかがえます。また私が直接確認できたわけではないのですが、中国の掲示板によると11/18発売の漫画行第21号で第年秒先生が

《拾又之国》在抽空画了!

『群青のマグメル』を描くスケジュールを取っていた、つまり現在は『群青のマグメル』を描くスケジュールが取れるようになったという意味のコメントを発表していたそうです。11/22の現在も微博の投稿の訂正などはありませんし、雑誌とタイミングを合わせて発表したことを考えれば、『群青のマグメル』の連載継続は確定事項として扱えるものといえるでしょう。

ただ時期については語ることができないという発言が微博のコメント欄でされており、日本での正式な連載再開の発表にまでたどり着くのは相当に先のこととなる可能性が高いです。また集英社での仕事と思われる新企画も並行して動いているようで『群青のマグメル』の再開まではまだまだ慌てずに待つ必要は有りそうです。それでも現在は一時期と比べると希望の持てる状況になっているのは確かです。

 

追記

漫画行2016年第21号を個人輸入して第年秒先生のコメントを確認しました。

漫画行第21号

 

作者コメント:第年秒

 

ファミリーゲーム第5話感想 ~愛と勇気の異能力バトルそしてコメディ

ROUND5 25P

今回は初めから中盤まで三月が異能を活かして奮戦する様子が手早く丁寧に描写されています。前回終了時点では、残り1話であることと三月の目的が家族の争いを「止める」ことであったため、正直に言ってもうバトルがなくてもしかたがないと考えていたのでこれは嬉しい誤算です。人形を奪えば異能も奪えるという点は意外でしたが、異能の源が人形であるのは説明されていましたし、前回の三月が捨てた人形を再び掴んだ時に異能とコスチュームが戻ってきたこともこの展開の前振りになっています。また異能とコスチュームがセットになっている設定も異能を「身に着けた」ことを視覚的に納得させてくれます。これには頻繁な異能の切り替えをわかりやすくしてくれる効果もあります。

第3話の「力があっても 弱い僕じゃ意味が無い…」という独白を受けて、時間停止能力だけでなく新たな異能も上手く活用して勝ち抜いていくことで三月が頭脳的な部分も含めての強さを手に入れたことが示されます。倒された家族たちが皆まんざらでもなさそうな反応をしていることが、実は彼女たちも三月のことを心から思っていたのがうかがえていいですね。家族最後の女性である母親の人形を奪い、言葉と笑顔で三月が強い男になったことがはっきりと認められたところで異能力バトルものとしての決着がつきます。遥に向き合う三月が白いタキシードになっているのも、まだ七五三のような雰囲気を残しつつも一人前の男である結婚式の新郎を連想させるものになっていて面白いです。ただ、中国では新郎の衣装は白いタキシードが一般的というわけではないのでたぶん意図した効果ではないのだとは思いますが。遥とのバトルでは3分間のインターバルを入れるタイミングがわかりやすい3姉妹のバトルと違って時間停止を連続使用しているように見える場面がありますが、1回目がほんの一瞬しか止めていないことと2回目の停止での1秒目のカウントがすぐに来ているように見えることを考えると、合計で3秒止めるまではインターバルを入れなくても大丈夫なのでしょう。

バトルパートで興味深いのが、三月が強くなったことに一番複雑な感情を覗かせているのが明るいボケキャラに見える二海であることです。普段が表情豊かな二海だけに、あえて表情を隠す演出が切れ味よく働いています。二海は本当は三月をずっと守っていたかったんでしょうね。そんな二海の異能が三月の新たに得た異能の中では一番活用されているというのは皮肉なものです。力を奪われた二海が部屋着にスリッパという無防備な格好となり、スリッパさえもが脱げてしまったところを先程までの自分の力を身に着けた三月に救われるというのは二人の関係の変化を象徴的に表しています。

穏当にバトルパートが終わったことで、スムーズにコメディパートへ移行し『ファミリーゲーム』は当初の雰囲気を取り戻します。コメディパートの立役者にして最大の敵は同じ男の御堂でした。扉絵に引き続きドラゴンボールリスペクトのポーズでの瞬間移動をして漁夫の利をかっさらい、神に「ギャルのパンティおくれ―――っ!!!!!」よりヒドイ願いを叶えさせます。薄々気付いてはいましたがコスチュームもドラゴンボールリスペクトですね。

せっかく頑張った三月には可哀想ではありますが、なんだかんだ気にはなっていたので家族全員の性転換姿が見れたのは読者としてはおいしくはあります。それにしても三月は可愛く女性化していますし、女性陣も遥を筆頭にイケメン化しているのですが、はっきり言って御堂の女性化はキモいです。下手にセクシーさはあるのが余計にキモい。御堂の発言を鑑みるに、身も心も女性になりたいというよりは、男の心を持っているからこそ女性の体を手に入れてみたいタイプのようで、つまりは変態です。

結局三月たちの活躍や作者キャラの計画も虚しく漫画内漫画としては打ち切られてしまうというオチがつくのですが、それでも第1話で言われていたように三月たちの人生は続きます。そして続きがあるのは漫画内現実で生きる作者キャラ、また三月のモデルの彼にとっても同じことです。

モデルの彼は、主人公が両親に対峙し「もう逃げない」ことを決意したところで終わった漫画に励まされ、両親と向き合うというあったはずの漫画の続きを彼自身が「現実」のものにすべく家に帰ってきます。

作者キャラの老人はそれに気が付いて、希望を届けた三月たちを労うため元の性別に戻し、自分自身も再び希望を奮い立たせます。

遥・御堂夫妻はこの件で一悶着あったようですが、それでも凸凹の噛み合った仲良し夫婦であることに変わりないようです。御堂の野望は露と消え、誰の願いもかなわないというバトルロイヤルもののお約束の結末が訪れますがこの場合はそれがハッピーエンドです。

第5話の表紙で異能バトルに巻き込まれたのであろう飛行機を助けていた二海は、今は悠々と青空を翔けていく飛行機を眺めています。かつて自分の庇護を必要としていたものが、そして三月が自分の手元から飛び立っていくことを考えているのでしょうか。

三月に執着し他人を下僕にすることを厭わなかった四乃は二人の友達と登下校しているようです。もしかしたら二人は新しい友達かも知れません。

乱暴者で三月にとっては悪魔そのものだった一はフェンス越しにグラウンドを見守っています。そのグラウンドの中には三月がいます。

三月は、第1話ではただ他人事としてサッカーを観戦することしかできなかった三月は、試合に加わり仲間たちとプレーを楽しんでいます。体も幾分かは逞しくなったようです。そして希望を失わないことこそが強さであると覚えている限り、これからも強くなっていくのでしょう。

 

  • 19P下段のコマの目は右から御堂、三月、遥、二海、一、四乃です。
  • 日本で公開することを前提としてつくられたので当然といえば当然なのですが、『ファミリーゲーム』の日本語台詞はかなり良く出来ていると思います。少なくとも読んでいて首を傾げるような部分はありませんでした。もし中文版が発表された時に異なる部分があったとしても、日本語版の中で矛盾がないので問題無いでしょう。
  • 『ファミリーゲーム』は技巧に優れた第年秒先生の実力が遺憾なく発揮された作品で、読み返す度に理解の深まっていく面白さがあります。キャラクターやテーマに対してのめり込み過ぎ無い適度な距離感を保った視点も魅力的です。日本でメジャーな少年漫画家になるにはもっと味付けのわかりやすい作風の方が良いのかもしれませんが、できればこの持ち味を殺さずに頑張っていって欲しいです。

ファミリーゲーム第4話感想 ~神の真実と主人公の再起

ROUND4 19P

挫折した三月は自ら人形を捨てようとしたところを神である作者キャラに止められ、彼がバトルロイヤルものにジャンルを変更した理由の真実を教えられます。

三月にモデルの彼を説明する際に動物園のエピソードを前置きにしたのは上手い導入です。三月の個性を端的に表したこのギャグがモデルの彼にも当てはまると示されることで、今までの三月に対する読者の感情移入がスムーズに彼にも向います。なおかつ亀の部分で差異を出すことで漫画内漫画である三月たちの世界と、漫画内現実である作者キャラやモデルの彼の世界ではリアリティレベルに違いがあることもさりげなく納得させられます。これよって彼の「リアルな」いじめと家庭崩壊の描写が相応の重みを持って読者の胸に迫ってきます。家の中でさえ居場所をなくしながらベランダで身を縮めて漫画を読む姿はまさに悲痛の一言です。

そして三月は作者キャラに諦めないで欲しいと語りかけられ、自分の家族を守るために立ち上がることを決意します。家族のことを回想するシーンの叙情的な雰囲気づくりの上手さは流石で、多少ヤンデレだろうが乱暴だろうが性転換願望があろうがかけがえのないものであることの疑いのなさが静かに染み入ってきます。戦場と化した街に戻った時、当初の強い男になる願いを叶えて「もらう」という目的は三月の頭からは完全に消えているのですが、挫折を乗り越えた三月は既に自分の力で強い男になっているといってもいいのではないでしょうか。

テーマ的には今回の燃えるラストシーンでほぼ完成していますが、ストーリー的には次回の最終回こそが一番大切です。愛と勇気の異能力バトルであることについてはもはや(!?)のような疑いをつける余地などありませんが、コメディが取り戻せるかどうかは三月の動きに全てがかかっています。なんだかんだと言って家族全員が三月のことを気にかけているのでどうにかはできるはずだと思うのですが、いかんせん増ページがあったとしても残り一話なので着地が気になります。

『ファミリーゲーム』が漫画内漫画を扱った作品なのは、メタネタを扱いたかったからというよりも、「もうひとりの自分」を扱うためにもうひとつの世界を生じさせる仕組みが必要だったからという印象があります。争いに立ち向かわずに「家族」を失ってしまった「もうひとりの自分」を知り、自分自身の「家族」を守るために争いに立ち向かうというテーマは、テイストこそ異なりますが第年秒先生のあの作品とも共通するもののように思えます。ここでこのテーマが再確認できたことは今後の第年秒先生の作品全体を見ていく上で興味深いです。

作者キャラの本当の姿が老人なのは彼が安西先生…ではなく、いわゆる作者の分身としての漫画家キャラとは違って、『ファミリーゲーム』の漫画内現実で生きる「登場人物」の1人だということを強調するためでしょう。また彼がこの一家にとっての祖父的な存在だということでもあるのかもしれません。そう思うと今回は祖父が孫の人生相談にのっている話という風にも見えます。服装は完全に「漫画の神様」である手塚治虫先生のリスペクトですね。