群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第35話感想 ~金の瞳のヨウの再始動

第35話 7か月後 22P

追記 原題:空想阴影 (直訳:空想陰影)

扉絵

読者にとっては久々の連載再開です。作中でもタイトルが7ヶ月後となっていることで時間経過があった示唆されていて、扉絵で登場人物たちの現状が軽く紹介されることで本編がどういったものになっているかへの期待が高まります。特に主人公であるヨウがシルエットしか出されていないことで内容への興味を強く惹かれます。一方でしばらくは出番がないのかもしれないクーとエミリアはここで比較的詳細に現状が説明されています。クーは故郷に帰ってもモバイル機器のような構造物を操作していて、人類の文明・文化びいきをやめるつもりはないことがうかがえてうれしいです。クーと仲が良さそうにしているボブカットの女性と体格のいい青年は、第34話の世界でもクーと同行していた2人ですね。この3人の関係も含めて、聖国真類の詳しい事情について触れる展開がこの先にありそうです。
田伝親父は主要キャラクターではないのですが、特に中文版では表紙や扉絵で出番が多めです。作中では貴重な完全一般人ということで作者のお気に入りなのでしょう。

神明阿一族の動き

冒頭4P分を贅沢に使っての大気圏外からのマグメルへの突入シークエンスは派手さはないながらもSFマインドに溢れ、探検漫画らしい未知への挑戦といった気分を高めてくれます。突入したのがマグメルでもこれほどの深部は初挑戦となる元ダーナの繭探検隊の4人だというのがより一層冒険感を高めています。マグメルが第二どころか第一の故郷と言っていいヨウでは、良くも悪くもこの冒険感は出せないでしょう。深部の拒絶する力の強さを目の当たりにし、いつも笑顔を貼り付けている一徒さえもマグメルの恐ろしさを再確認します。この作品はサバイバル感の強い漫画であり、強いことや余裕があることそのものよりもそれが剥がされかける時に見せる姿に魅力を感じることが多く、一徒のこの不安と探究心の間で揺れる表情にもなかなか惹きつけられるものがあります。危険生物や拒絶する力などマグメルの危険性が改めて確認されますが、彼らが重芯華を回避するために出現させた構造物は台座の部分は「ペ」のような紋章がついていることからキミアイオンが、アームの少なくとも1本は「Y」のような紋章がついていることからボルゲーネフが担当しているとわかり、彼らが構造者として成長したことも描写されています。マイナーチェンジした衣装も以前より洗練されたものとなっています。
暗闇で話し合っているアミルとルシスにはいかにも黒幕然とした雰囲気があって良いです。やはり悪役が悪巧みをするのは必然性はなくとも暗い場所であるべきですよね。第一部終盤と比べて作画が良くなっているので、アミルがかなり色男になっていて大物らしい魅力も上がっています。

「いつも通り」のヨウ

11P目とかなり焦らして主人公のヨウが再登場します。第32話ではかなり落ち込んでいましたが、7ヶ月後では「いつも通り」の姿を見せてくれ、読者を安心させてくれます。確定的なヒントは数多く出されていたとはいえ、第33・34話が少なくとも第32話の半年後ではないこともはっきりします。
そして静的な演出の続いた前半部と対照的にダイナミックな構図の連続する動的な遭難・救助パートへ移行します。
いきなり最悪に最初からクライマックスなムダジたちの様子はかわいそうながらもコミカルで、読者には危険生物の迫力さえもアトラクションのように楽しめてしまいます。続いて危険生物が撃破されてヨウに似たシルエットが見えることで読者は安心しきってしまうのですが、見開きをまたぐとムダジの仲間の体が無残にちぎれ飛んでいます。頭を撃って自決しようとしていたムダジも頭が飛んだどころではない死に方をした仲間を見て何もできなくなってしまいます。この落差により絶望を生む流れがお手本のように素晴らしくよくできていて痺れます。ヨウと誤認した人影が人間を狙うエリンたちだとわかるという仕掛けにも映像的な演出が冴え渡っています。エリンたちが危険生物を撃破したのもムダジたちを確保するために過ぎません。
救助のためマグメルに来たヨウが飛ばされた岩をさいの目切りにして避けるシーンでは、岩の1つ1つで遠近感が強調され迫力がある画面となっているだけでなく、直線による構成にグラフィカルな美しささえ感じられます。ヨウのクールで技巧的な印象が凝縮された場面です。岩を飛ばしたスケルガーゴンは第一部の第1話にも登場した危険生物で、今回が第二部の第1話であるという繋がりによる再登場でしょうか。
ムダジ救助の依頼人に続いてトトも原皇に操られた状態で登場し、いよいよ原皇さえもヨウを直接狙って動き出してきます。原皇の思惑の詳細が明らかになるのはまだ先でしょうが、トトとヨウ・拾因の昔の接触はこの一幕で早速明らかにされそうですね。しかし、ここでヨウが時間を取らされるといよいよムダジの安否が絶望的なものになってしまいます。ムダジたちを襲撃したエリンは原皇の命令を受けたフォウル国の一員だと思われるので、人質にでもとってもらえていることを祈るしかありません。

2017/05/08 翻訳について追記

翻漫画創刊号(4/25発売)を個人輸入して中文版について確認しました。

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中文版の原文と日本語訳を比較したところ、全体的には良い翻訳がなされていると思います。
特に原文で「一緒に覗きをした」(やはり原皇の発想はオープンスケベ)となっているのが「一緒に裸踊りをマスターした」になっていたり、ムダジパートのコミカルな前半部でギャグが足されていたりするのは上手いアレンジです。
それでも少し気になるのが蛍火の「まだ目的地まで8キロある」という発言に対するキミアイオンの返答が原文と日本語訳で正反対の内容となっている点です。
日本語訳では

思ったよりも簡単だったわね 大気圏に入ってからは操作は全部オートだったし

となっていますが、中文版では

结果比想象中要好,毕竟在进入大气层后,一切操作只能靠手动了。

となっていて、これを直訳すると
「(でも)思ったより上手くいったわよ 結局大気圏突入後は手動で操作するしかなかったもの」
となります。
話の大筋に影響は無いので深刻な問題ではありませんが、原文の方が自力で困難を切り抜けた4人の実力が読者に伝わったのではないかと思います。
ただ、意図的な改変だと考えるには改変する意味がなさすぎるので、「手动(手動)」と「自动(自動)」を見間違えるなどして起きた事故なのかもしれません。もしそうでも単純なケアレスミスを防ぐためのチェック機構が機能していないのかもしれないということは少々不安ではあります。

群青のマグメル第27話振り返り感想 ~三つ巴とはぐれもの

第27話 世界の均衡 20P

原題:离结局还早!(直訳:決着にはまだ早いのに!)

設定の整理回です。
人間のある一族こと神明阿一族の下では元ダーナの繭探検隊の4人が修行しており彼らへの分析を通じて読者に対して構造の能力の詳細が改めて解説されます。能力のルールを明確化させることはこの先本格化してくのであろう能力バトルを盛り上げる上では必須の要素です。ここでの説明では一般的な能力の程度から大きく外れない現実構造者3人が基準とされることで、一徒とヨウが並外れた能力者であることもわかりやすくなっています。
マグメルをめぐる勢力について整理され、神明阿一族、エリンの部族連合フォウル国、聖国真類という3つの勢力があることが明らかになります。この回に初めて名前の出てきたフォウル国という存在により、マグメルのエリンたちにも一枚岩とはなれない複雑な思惑があると伝わります。そしてこの三つ巴の状態下で、ヨウの師であることしかこの時点ではわからない謎の人物拾因の暗躍がクーの視点から浮かび上がるのです。クーたち聖国真類からすれば拾因は宿敵の1人でしかありません。それでもヨウにとってかけがえのない人物であることは普段通りに振る舞おうとしても生じている違和感からクーには理解できてしまいます。ヨウは拾因のことを信じていますが、読者としてはクーの抱える不安感の方が共感しやすいですね。拾因の正体とは第33・34話の黒い瞳のヨウなのでしょうが、暗躍の具体的な内容は依然として謎に包まれています。ゼロやクーには被害の出るような計画を立ててはいないはずですが、それ以外の人間に対してはどうなろうと気にもとめていない節を感じます。もう一人の自分であるヨウをどうこの三つ巴の中に巻き込むつもりなのかという点にも、読者としては信じたい反面の疑念が募ってしまいます。ここの中文版で使われている「羁绊」という単語は、近年に日本語の「絆」という言葉の訳語として使われるようになったことでそのニュアンスが加わりつつありますが、元々は単に「束縛・拘束」という意味しか持たない言葉でした。拾因とヨウの間にあるものは絆なのでしょうか?それとも束縛でしかないのでしょうか?拾因がおそらく「贖罪」のために自らの決断で自分自身の命を捨てているということが、献身なのか裏のある計画の一環にすぎないのかを、現時点ではまだ判断することが出来ません。
気を取り直してクーは葬送鋼刃の原型の強化を終えたヨウをやや上から目線で挑発してみます。中文版ではクーは「稽古をつけてやろうか?」といった意味合いのことを言っていて、同じ挑発でも兄貴風の吹かせ方に若干の違いがあるところが興味深いです。それに乗っかるヨウを見ても、拾因が親代わりの年の離れた兄貴分なら、クーは年の近い張り合いたい兄貴分といった雰囲気なのが感じられます。最初は得体のしれなかったヨウですが、話が進むにつれ実は結構な弟気質であることがはっきりして、人を振り回すところさえもなんだか可愛く思えてきます。
ムダジのイラストによる読者サービスは、唐突なメタギャグがお色気サービス自体の唐突さもギャグにしているのが面白いですね。『5秒童話』の丁三言、何了了、そして孫又名までも登場しているのが第年秒ファンとしては嬉しいポイントです。18Pのトップレスシーンは日本語版でもさほどきわどいシーではないのですが、中文版では規制の違いためか胸のトップのあたりが大きく白くぼかされていることが本来は無いはずの隠さなくてはいけないものがあることを想像させる効果を生んでいて、逆にエロく感じてしまいました。
ムダジの七聖教の出てくる漫画をゼロは読んだことがあるので、名乗ったときにピンときたコマがインサートされているという小ネタがあります。

群青のマグメル第26話振り返り感想 ~敵の敵が味方になれるなら

第26話 日常の裏側 20P

原題:认识又如何?(直訳:ヨウをどう認識したのかな?)

クーは前回の引きでは手を貸さないと言っていましたが、すぐに戦う気になってくれてむしろ自分の方が手を出すなと言う立場になります。ちょっとツンデレっぽく見えますが、単純にすごく素直なだけなんでしょうね。結構クーはこういう台詞が多いです。クーが飛び出したおかげで被害がほとんど出なかったことは要塞都市にとって幸運です。ヨウだけで立ち向かっていたらおそらくオーグ―ゴーンが要塞都市の防御機構である程度ダメージを受けてから確実にとどめを刺す形になっていたでしょうから、少なくとも物的被害は今以上のものとなっていたはずです。現在のところ聖国真類は人類の一部と敵対的ではありますが、人類の敵の一部の敵でもありますので、うまく交渉できれば今回のクーとヨウのように共闘の余地があると期待したいです。
クーがオーグゴーンの拳に正面から龍息穿甲弾をぶつけずにまず側面から頭部を狙ったのは、第22話でヨウが龍息穿甲弾と遍く左手の正面対決を避けて喰い現貯める者の頭部を撃破した戦法を意識してのことでしょう。不完全燃焼からの再戦の申し出を断られたこともあってクーはここで自分がヨウと同じ戦法を成功させることで気を晴らしたかったのかもしれません。あの時は明らかにクー優勢ではありましたし、中文版ではヨウが茶化しつつも自分の負けだから再戦の必要はないと言ってもいるのですが、それでもクーには釈然としない部分が残っていたように思えます。クーが時々覗かせるヨウへのちょっとした対抗心には要領のいい弟に対する年の近い真面目な兄めいたものが感じられてなんだか微笑ましくなります。
クーの戦法はオーグゴーンと共にいる人間の行動を考慮していなかったために失敗しヨウの手助けを受けてしまうことになりますが、拳を真っ向から受けてもほとんどダメージを受けていないあたりはまさに聖国真類としての面目躍如といったところです。数十トンどころではない攻撃にも応えていない様子を見る限り、正面対決ならば万全な状態でも遍く左手では撃破は難しそうですね。それに続くオーグゴーンへの大量のミサイル類での攻撃でも凄まじい火力を見せてくれます。ちなみにこの時中文版ではオーグゴーンの皮膚組織の強固さについて言及していて、ただの力押しでなく至近距離で皮膚を破壊したあと距離をとって傷口を集中攻撃するという手順を取っていることがわかるようになっています。
このバトルは短く派手なものではありますが、クーが色々と頭を働かせながら戦っていることも十分に描写されていて見どころが多いです。
ヨウの側もいつもながらの判断力を見せ、ワンシーンで美味しいところを持っていってくれます。「急所は外した」は中文版を見る限りでは「急所は外せた」ではなく「急所を外されてしまった」の方の意味です。必要とあらば人間相手でも躊躇いもなく殺害に踏み切る割り切りの良さは初期からずっと続いてきましたが、それがこのシビアな世界観の中では頼りがいがあるものだともうすっかり読者にも信頼できるようになりました。それでいて時折年相応の少年らしさや人間らしさが垣間見えて、妙に切なくさせられるのがヨウという人物像の魅力です。

群青のマグメル第25話振り返り感想 ~人がマグメルに抱く夢

第25話 父娘のロマン 20P

原題:再加几千如何?(直訳:あと何千でどうかな?)

扉絵のエミリアのキグルミの07は、第1話でエミリアとヨウの乗ったスカイホエールが07号だったことによる小ネタでしょう。ゼロの構造物は06までなので、ヒロイン対決をする2人で番号がかぶらないようになっています。
ヨウはけろりと強盗団を壊滅させますが、これだけ常人離れした強さなのに1000エクス(15000円前後)節約できたことに一喜一憂する姿は妙に小市民的で笑えてしまいます。その後も延々と値切りと譲歩が繰り返されるのですが、ヨウのこうした守銭奴振りもクーの冷静なツッコミやフォローが入ることで初期と比べると格段に面白く受け入れられるようになり、きちんとギャグとして昇華されています。正直に言うと初期のキャラが掴みきれていないうちの守銭奴ネタは、強いヨウに対して対等の立場からツッコミを入れられる相手がいなかったこともあって日本人の自分には引いてしまうところがあったのですが(中国では守銭奴ネタは定番中の定番らしいので向こうではむしろ良いツカミになっているのでしょう)、ネタとしての完成度が上がることで行動が変わらないままでも印象は全く違ったものとなっています。ヨウという人物像の一貫性は保たれつつも、読者からは格段に感情移入をしやすいキャラクターと感じられるようになりました。
また、エリンなのにも関わらずヨウ以上に「まともな人間」らしい行動を取るクーとの対比も面白いです。クーにとっても人間がマグメルに夢を抱くことそのものは好ましく感じられるようで、ロマンを語るトトに惜しげもなく高価な希少品を渡します。マグメル深部に侵攻する人間とは敵対する立場にあり人間を下賤な生物だと「考えて」はいても、下賤な生物だと「感じて」いるわけではないことがうかがえる細やかな描写です。これに限らずクーの行動は基本的に育ちの良さを感じさせるというか、まともに教育されたことが伝わるものが多いですね。戦闘種族という性質上もしかしたら肉親は既に他界しているのかもしれませんが、それでも社会の中できちんと育まれたのであろうことがよくわかります。逆説的ではありますが、クーが聖国真類という己の種族とマグメルで果たすべき役割に強い自負心を持っていることにも強く納得させられます。
この場面では普段はヨウ以外にはいつも毒舌なゼロも他人を褒めていて、珍しく好感が持てる描写となっています。ちなみに中文版ではトトの夢に感心するクーとゼロに対してトトの払った労力への値切りに後ろめたく思うヨウといった印象があり、ヨウの現実主義者さが強調されています。
余談とはなりますが、中文版によるとトトのいう七聖教の出てくる漫画の作者は白送命となっています。第27・28話に出てくる漫画家のムダジの名前は中文版では白送死なのでおそらく同一人物でしょう。誤植なのかペンネームを変えたなどの設定があるのかは現時点では判断できませんね。

群青のマグメル第24話振り返り感想 ~向かう先は

第24話 1000エクスでどうかな? 20P

原題:1000界币如何?

一徒たちはマグメル深部に向かうため神明阿一族の配下に加わり、読者への説明を兼ねた講習を受けています。探検漫画の醍醐味である世界観設定の蘊蓄、特に強さのランク分けにはやはり少年漫画としてワクワクさせられるものがあります。低級・中級では分類があくまで目安と明言されているのも、何が起きるかわからないサバイバル感の強いこの作品としてはリアリティをより高めてくれていいですね。それらに対して絶対的なランクである超級の別格感が浮き彫りになります。また超級に対抗しうる構造者という存在の特別感をより引き立ててもいます。

ランク分けでは超級危険生物の代表として恐ろしげに描かれていたクーですが、ヨウ達のパートではコメディ的な会話をしたり、早速自分の能力を活用してまでゲームを楽しんでいたりと親しみの持てる描写が続きます。この作品は第一印象からの変化でキャラクターに魅力や深みを出すのが上手いですね。クーが当たり前のようにラジウムに向かうヘリコプターの外にくっついているのも絵的に笑えてしまうだけでなく、彼の立場を端的に表していて興味深いです。

ちなみにラジウムでゼロが言いている「聖国真類みたいな顔」は原文では「エリンみたいな顔」です。嫌味であることをわかりやすくする翻訳ではありますが、ゼロの持つイラストからの飛躍が大きくなりすぎて冗談としての意図は若干伝わりにくくなりました。

何処かへ向かう謎の巨大生物(オーグゴーン)のシーンはスケール感の雄大さが興味をそそり、次回への強い引きとなっています。本作でたびたび使われるカメラが徐々に引いていくことでスケールを出す手法がここでも効果的に働いています。

また細かい点ですが、5話でヨウが閃光弾を暴発させた技のネタバラシをちゃんとしてくれるのは、ミステリー要素が強い本作でこの先の話が展開していく方向を信頼する上で意外と重要な部分です。

群青のマグメル第23話振り返り感想 ~仲間とシンパシー

第23話 幕間の日常 20P

原題:小日常和世界王(直訳:小さな日常と世界の王)

前回で仲間入りしたクーですが、人類よりも精強な聖国真類にもかかわらず早々にいじられキャラ兼ツッコミキャラと化していて親しみが湧きます。
ヨウにエリンから人間の姿に変わったことへのツッコミを放棄されただけでなく、民族的な服装から今風に格好いい服装に着替えれば今度はヨウたちからはツッコまれるどころかいかにもカッコつけたポーズでかぶせボケを返されてしまうのです。「姿の変わった我に何か無いのか?」という言葉にはヨウの反応を心待ちにしていたことがにじみ出ていて可愛げがあります。ちなみに中文版でこの台詞に使われている「吐槽」はスラングにツッコミを意味する言葉です。まともに会話をしてくれるエミリアに内心しっかり反応しているのも面白いですね。
それにしてもクーの「人間文化」への精通ぶりと馴染みの早さには目をみはるものがあります。探検家から奪った資料とやらには相当に人間の俗な生活に関する情報が含まれいたようで、もしかしたら息抜きのために持ち込まれていたエンタメ系の物品なのかもしれません。クーも人間の子供のように少年漫画を読んで育ったかもしれないと思ってみると余計に親しみが湧いてきます。

今回は息抜き回ということでヨウ定番の守銭奴ギャグやマイペース過ぎるボケで満たされている回なのですが、クーの加入によって掛け合いのテンポが良くなったので初期の頃よりも楽しんで読めます。
今回を第一部のストーリー構成から見ると、最初の5話から成る導入部、クーとエリンの紹介が主題となる前半部に続き、神明阿アミルやその一族の紹介が主題となる後半部の第1話めとなります。後半部では影だけが見え隠れしていた「一族」の輪郭が徐々にはっきりしていくと同時に、一族が覆い隠していたマグメルの真の姿も明らかになっていくのです。
ところで第33・34話は本来2部の前置きとなる部分だったはずなのですが、休載で話が区切られた印象が強くなった影響もあって、第一部と第二部のどちらでもないいわゆる断章とでもした方が私が感想を書く分には扱いやすいですね。
話題は戻って、マグメルの真の姿を知りたがるエミリアですが、ヨウは彼女に家族のいることを理由に深入りを避ける忠告をするという気遣いをみせます。そしてクーはヨウの伝わりづらい思いやりをきちんと察しています。この後の話でも、一見偉ぶったような物言いをするにも関わらず、クーにはヨウの精神状態を理解して思いやる描写が多いのです。幼少期の体格から見てヨウとクーはほぼ同年代なのでしょうが、話が進むにつれ大人ぶりたがっている少年といった印象の強くなるヨウに対して、クーは青さが目立つものの聖国真類の基準では成人体ということで既に一人前として扱われていることがうかがえるようになります。ゼロもヨウのことを理解してはしてはいるのでしょうが、ゼロ自身がどういった人物には謎が多く、大人であるのか子供であるのかさえ私にはまだ判断が付きかねています。

『群青のマグメル』4/25から中国での連載再開が決定 日本での再開発表も間近

追記

2017/04/25:少年ジャンプ+で『群青のマグメル』の連載が再開しました

 

『群青のマグメル』(原題:『拾又之国』)が中国で4月25日に発売される漫画雑誌『翻漫画』の第1号にて連載を再開することが、3月18日に翻翻動漫文化芸術有限公司の微博の公式アカウントで発表されました。

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その告知へのリンクはこちらとなります。(微博の閲覧には微博アカウントが必要です)

また、日本の集英社側からの告知はまだ出ていませんが、作者の第年秒先生の微博アカウントの投稿によると『少年ジャンプ+』での連載再開も決定しているそうです。その内容からは再開時期の調整が日中の両社で既にほぼ完了し、日本でも近いうちに連載再開の公式な発表が行われることがうかがえます。

『群青のマグメル』が第34話で一旦連載を休止すると中国で発表された時点では、集英社からの短期集中連載の依頼とアシスタント体制などの執筆環境の見直しが主な理由でした。その解決のために第年秒先生は翻翻動漫文化芸術有限公司の後押しと集英社の協力を受けて来日したのですが、集英社との直接の打ち合わせによる『群青のマグメル』の連載に関する合意形成は予想外に難航し、結果的に休載の長期化が引き起こされてしまったようです。その経緯については以前のこちらの記事でもまとめさせていただきました。

現在は打ち合わせについては一応の区切りがついているはずですが、執筆環境の見直しの点にはまだ解決しきれていない部分が残っているようです。第年秒先生は日本と中国での歩調を合わせた連載のために二国間の行き来を繰り返しており、日本語によるコミュニケーションに不自由があることも伴って当分は安定的な執筆環境を整えることができないようです。さらに『群青のマグメル』の執筆そのもの以外のためにも多くの時間を捻出する必要があります。中国での再開時期は掲載誌『漫画行』のリニューアルにより新創刊される漫画雑誌『翻漫画』の目玉企画として創刊号に合わせる形で決定されたものの、先生によると2月時点での予定としてはしばらくは月一での掲載になるだろうとのことです。

 

第年秒先生にとって日本の漫画雑誌、特に『ジャンプ』で活躍をすることは幼い頃からの夢であったそうです。その夢こそが日本と中国における漫画を取り巻く環境の違いに直面し、一年以上の連載中断を余儀なくされれながらも、両国においての連載再開にまでこぎつけることのできた原動力なのでしょう。

まだまだ連載完結までの道のりは遠く、再開後の第1話さえ掲載されていない時点ではあります。それでもただの読者の私にとってさえ『群青のマグメル』の連載再開は心から喜ばしい一報でした。第年秒先生には再開後こそが本当の正念場となるでしょうが、これからも読者として応援を続けていきたいです。