群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

鬼の話 ~群青のマグメルにおける境界線

本日7月4日は『群青のマグメル』第4巻の発売日です。

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というわけで『群青のマグメル』にまつわる小話をひとつ。鬼の話です。

牙牙格双魄、魉衣、魂寺、これらは本来の中文版でのクー・ヤガ・クラン、ミュフェ、デュケの名前です。全員「鬼」という文字が名前の中に入っています。彼ら聖国真類という種族には名前以外にも「鬼」を意識していると思われる描写が多く存在しています。その点について私見を述べつつ、中国における「鬼」が表すものについても紹介してみようと思います。

本題に入る前に、中文版での名前の話題ということでクーの幻想構造の名前についても触れておきます。「喰い現貯める者」は中文版では「真实收割者」といい、直訳すれば真実収穫者となります。しかし收割者とは現代中国語においては専ら「Reaper」つまり魂の収穫者たる「死神」の訳語として用いられる言葉です。そのため真实收割者の意味とは文字のままに捉えるよりも、魂と真実の収穫者、あるいは真なる死神と解釈するのが適当でしょう。

では本題に戻ります。まず「鬼」という漢字の成り立ちについては、下の部分が「人」の体を、上の部分が異形の頭部を表す象形文字とされています。それが指しているのが化物なのか仮面をかぶった巫師なのかについては意見が別れていますが、いずれにしろ通常の「人」と区別して表記する必要のあるものなのは確かです。人のようでありながらも人とは見なされず、異界と繋がる存在、それが「鬼」という漢字が持つ根源的な意味となります。

①妖怪としての鬼

もちろん鬼という漢字は中国伝来のものですが、日本人がこの字から真っ先に連想するオニという妖怪は日本で生まれたものです。まず、漢字が伝来する以前からオニという神秘的な存在の概念が古代の日本にはあったようです。オニという音の由来には諸説ありますが、目に見えない存在を指す「隠(おぬ)」から来ていたとするのが一般的です。そして中国での鬼という漢字には妖怪や不可思議な存在の全般を指す使い方があり、オニの音に鬼の字が当てられることになりました。その後に、時代の変遷とともに言葉のイメージが変化していき、平安時代には現在想像されるような頭に1本か2本の牛の角を持ち虎の皮の下穿きをつけているという姿が定着したと言われています。これは当時盛んだった陰陽道丑寅の方角(東北)を鬼門、つまり鬼の通り道としていたことから、鬼と牛や虎が結びつけて考えられるようになったためです。

中国にも伝統的な半獣半人の妖怪や角の生えた妖怪、鬼の字が入った妖怪は数多くいますが、やはりの日本のオニとは成立過程もイメージも異なります。ただ近年は漫画やアニメを通じて日本のオニを知り、「鬼」にオニの概念も重ねられる中国人はかなり増えたようです。頭部に角が1本生えていてそれ以外は人類とよく似ているという聖国真類の特徴は、日本の妖怪としての鬼を意識したものだと考えていいでしょう。加えていうならばデュケの上着は横縞ですね。

②異民族としての鬼

異民族を化物や獣の名で呼び表すことは世界各地で見られます。そして異民族・他部族を指して鬼と呼称していた例は中国にも日本にも存在します。
日本人の私が聖国真類を見ると、中国と言うか大陸のアジア的な民族の印象を強く受けます。

まず聖国真類の民族衣装の立襟で右前の合わせ(正面から見た左側)を飾りボタンと紐で固定するという特徴は、中国の西方や北方の民族でよく見られるものです。日本人がこうした服装として真っ先に思いつく旗袍、いわゆるチャイナドレスも元来は中国北方の少数民族である満洲族の民族衣装が基になったものです。

顔立ちも、漢民族として設定されているヨウや東アジア系の民族であるらしい未神明阿弥額勒迦(神明阿アミル)と比べると、彫りが深く目鼻立ちがしっかりしています。どちらかと言うと、現実に存在する西洋人の名前が設定されているエミリアやその父やルシス(路西斯・ルシウス)に近い系統であるように思えます。中国の西方部の民族は、古代から漢民族の王朝だけでなく中央アジア西アジアとも交流があり、コーカソイドの特徴も色濃く出た容姿を持っています。

またミュフェの現実構造の「忠愛の鬼兵」の首から上に頭がなく胴体に顔があるという特徴は、中国神話において黄帝に首をはねられた後も胴体を顔に変えて反抗を続けた巨人の神祇である刑天(形天)から着想を得たのではないかという中国の方の考察をウェブ上で拝見しました。

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「刑天」(2017年7月4日 (火) 閲覧)『ウィキペディア中文版』より

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E5%A4%A9

刑天とは早い段階で漢民族の神話に敵役として組み込まれた神祇であるものの、元々は漢民族支配に抵抗する異民族や彼らの神を示していたと言われています。西南方に縁があるとされていることから、一説には西域人と関連のある存在だとされることもあります。忠愛の鬼兵のぱっと見の印象など『群青のマグメル』の最近過ぎる他作品から影響を受けていると思しい部分にはヒヤリとするところもありますが、こうした古代中国からの要素を感じ取れる要素も見つかるのはなかなか興味深いです。

外見的特徴だけでなく、私が本質的に中国の西方の民族の要素を感じるのは、中国にとって西方が古代から現代に至るまで「未知なる探険の地」としてある種の蔑視と裏腹の憧れを持って意識され続けて来たという点です。日本でも有名な伝奇小説「西遊記」は、妖怪・仙人・神々・如来など数多の神秘的な存在が跋扈し(漢民族の)人知を超えた探険の地である西方というイメージをこれ以上なくよく示すものです。またその基となった「大唐西域記」は唐代の訳経僧の玄奘が天竺へ赴いて仏教経典を唐に持ち帰った実際の旅を記した地誌であり、仏教の伝播の経路としての「聖性」も西域を語る上で欠かすことは出来ません。

同じく西域を扱い日本でも有名な中国文学に王維の「送元二使安西」という漢詩があります。西域へ使者として赴くことなった友との別れの名残惜しさをうたったもので、永遠の別れへの覚悟とも取れる響きがあるところに、当時の西域への単に物理的な距離とどまらない遠さが偲べます。

「西域」とは狭義には現在の新疆周辺を指す言葉ですが、広義には中央アジア西アジア、場合によっては地中海周辺のヨーロッパを指すことさえあります。このあたりの事情は、日本においては南蛮という言葉が、室町時代以降に九州そして東南アジアを経由してつながりを持つようになった西洋を指す言葉へと、冒険浪漫的なニュアンスを伴いつつ変遷していったことと似ているかもしれません。

西域は近代の19世紀から20世紀初頭にかけても、探険の地としての注目を世界中から集めました。近代において先進国が世界各地で植民地と覇権を巡って争う中、厳しい自然環境などによって久しく空白地帯となっていた中央アジア周辺は、最後の大規模な闘争の場として多数の勢力が秘密裏にあるいは公然と暗躍する地へと変貌を遂げたのです。またこうした探険による発見には学術上唯一無二となる報告も多数存在し、より一層世界中からの注目を高めることとなりました。地理学分野ではさまよえる湖ロプノールが、文化人類学分野では敦煌文書が特に有名です。日本からも世界に乗り遅れまいと、学術目的の探検隊が幾度も西域に旅立っています。ただし、当時の先進国による研究とは、植民地化を第一目的としないものであっても、地元住民を自分たちとは異なる「管理すべき対象」と見なしていた点で覇権争いと同様の意識の上に成り立っていた側面を考慮する必要のあるものです。

西域に対する中国人の複雑な感情を日本人でも理解しやすくしてくる言葉が「シルクロード」です。陸のシルクロード、特にオアシスの道が広義の西域とほぼ一致するだけでなく、シルクロードという言葉の持つ古代から現代へと続く浪漫、探険と発見、異郷への旅情といったイメージは、中国人が西域に抱く感情にある程度重なるところがあります。

ちなみにシルクロード最盛期の唐代を舞台にした武侠漫画『長安督武司』は中国における第年秒先生の代表作であり、西域人やその他の外番人(外国人)の描写が多数あります。特に興味深いのが、武侠作品においてはともすれば都合の良い敵役として描かれがちな西域人が副主人公、しかも主人公が所属することになる長安督武司という組織の司長を任じられた人格者として設定されていることです。基本的には少年漫画らしく複雑さを避けて派手さを重視したデフォルメの効いた描写がなされているのですが、彼が西アジア系かつ唐代の胡人のイメージをほぼ踏襲している点からペルシア(波斯)系交易民であるソグド人と推測できることやキリスト教徒らしいことなど、シルクロード好きならばたまらない描写も随所に盛り込まれています。唐とキリスト教とは意外な組み合わせと感じる方も多いかもしれませんが、ネストリウス派キリスト教つまり景教とは当時に西域人によってもたらされていた宗教であり唐代三夷教にも数えられています。こうした西域に対する知識の深さは流石本場の中国人作家ならではの強みです。

③死者としての鬼

以上長々と枝葉の部分を述べてきましたが、中国において最も一般的かつ本質的な「鬼」の意味とは、死者の魂、即ち幽霊のことです。人の姿をしながらも彼岸にありて此岸の者を誘う存在、それが鬼なのです。

拾因が世界を超えた先の異界で見つけたのは、おそらくもう死んでしまった「彼」と同じ姿をした子供の聖国真類です。まさしく過去の亡霊を見る思いがしたことでしょう。そして子供はその身に死神の構造を宿していました。

一方でクーにとっての拾因とは、初めて見た人類であり、つまりは境界を侵して入り込む異人そのものなのです。さらに言えば、その時の拾因は生者と呼べる状態だったのでしょうか?もし黒い瞳のヨウが自分を拾因として複製しそれに世界を超えさせる際に死亡したとするならば、拾因の魂とはどこにあるもので、そして生者の魂と呼んで良いものなのでしょうか?

越えてはならない境界を越え、人のようで人でない存在、「鬼」。本当の鬼とは一体誰なのか、それを教えてくれるのはただこの先の展開だけです。

 

おまけ

日本語版でのクーの構造名「喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)」もきちんと考えられたものになっています。喰い現貯める者という漢字での表記が現実構造を吸収して蓄えるという幻想構造の性質を表しているだけでなく、そのまま読んでも「くいあらためるもの」という意味のある言葉になります。ルビもクラウドが「喰らう」と「クラウドストレージ」にかかっていて、「ボルグ」がアイルランド語で「膨張・腹」を意味します。モチーフも「ゲイ・ボルグ」と持ち主の「クー・クラン(クー・フーリン)」そして「マグ・メル」とアイルランド神話で一貫されています。完全な余談かつ私の勝手な思い込みですが、この宝具名もとい構造名だけ出来が頭抜けているので、翻訳スタッフの中にTYPE-MOONFateシリーズのクー・フーリンのファンがいる気がします。ちなみに「宝具」という言葉はどんな辞書にも載っていません。2004年発売の『Fate/stay night』とそのシリーズでの使用が有名ですが、単に財宝である道具という意味を超えて、戦闘で使用される超自然的な存在としての宝具の用法を広めたのは、2002年に刊行が始まった高橋弥七郎先生の『灼眼のシャナ』とされています。そして『灼眼のシャナ』での宝具とは、中国の伝承において仙人が使う摩訶不思議な道具の総称である「宝貝(パオペエ・たからがい)」などを基に考えられたと言われています。一周回って中国に戻ってくるのが面白いですね。ちなみに仏教の儀式で使う道具であり時として魔物を調伏する道具ともなる法具(ほうぐ)が宝具と表記されていることもありますが、誤変換です。

群青のマグメル第40話感想 ~魂は複製されうるのか

第40話 完全 20P

追記 原題:神明的力量 (直訳:神の力量)

『群青のマグメル』第4巻が7/4(火)に発売されます

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今回は各勢力から「目標」とされていた何かが「完全構造力」というものだと判明しました。前回で完全構造力を巡る争いの導入に一区切りつけたことで、改めて現状の整理と争いの本格化に向けた布石の提示が行われています。

文字の多い説明回なので、絵での説明や凝ったアングルのコマも多くして、頭と締めをギャグで挟むことで退屈させないように気を配られています。なのですがそのギャグが単に構成上必要というだけでなくかなりかっ飛ばしたものになっています。

ヨウはいつもながらヒッデェことをしますね。クーとのギャグ会話は一方的にヨウが振り回してばかりなのですが、ガキっぽく甘えるヨウと怒りながらも許容しているクーという信頼関係が読者にはわかっているのでギャグとして成立しています。クーが故郷でも交友関係をちゃんと築けているのを踏まえるとなおさら2人の関係は興味深いですね。デュケは現時点では貴重な自分から力になってくれそうな大人(それでもおそらく青年の範疇)ということで、面白い立ち位置です。数値的なスペックではクーやミュフェに軍配が上がりそうですが、デュケの他者への接し方には好感が持てて信頼したくなります。

ヨウがクーだけでなくミュフェやデュケとも友好的に接触できたことで、聖国真類全体とも協調路線を取れそうなのも嬉しいポイントです。本来であれば、特に常識的そうなデュケは人類に深入りするのは避けたいはずですが、ヨウが初手の爆弾発言によって主導権を握ったことでそこを完全に有耶無耶にできています。方向性はどうあれクーが人類と親密にしていたこともこれ以上なく伝わっています。

キャラ描写でいえば黒獄小隊の夕国が飛行する舟から足をプラプラさせている様子も、少しわがままで気まぐれっぽい性格が見て取れていいですね。一コマ気の利いた女性の仕草の描写があるだけでも話全体が随分と華やぎます。言葉に棘があるのも悪役女性キャラとしては立派な華です。

本題の完全構造力については、その性質自体が明らかになる一方で、使用に関する謎も浮かび上がりました。

まず性質については、拒絶する力を中和できる「受絶する力」を持つというのが重要です。「目標」が神明阿一族の第8大隊の後始末のため探していた目標だというのは前回で判明していました。そしてヨウが調べようとしていた探検家をマグメル深部に送り込むための拒絶する力を回避する方法、それを実現するべく奪われたものなのだとも今回で判明しました。

しかしクーの知る限りでは量などの問題でそうした利用は不可能なはずだと言うことです。神明阿一族がどうやってこの実用上の問題をクリアし、ヨウたちがどうやって阻止しようとするかが、次の展開の焦点となりそうです。マグメル各地で拒絶する力が強まったのは完全構造力が人類の手に渡った余波なのか、それとも完全構造力が大量発生させられてしまう予兆なのか、そういった点も気になります。

また、永遠の現実や生命すら構造できるという完全構造力の性質は先々の展開で間違いなく話の軸となる部分です。「永遠」の「現実」「構造」という言葉は、第31話であの拾因が言及していた内容とも一致します。数々の状況証拠から黒い瞳のヨウが完全構造力を手に入れ聖心に接触したのは確定的なのですが、具体的に何をしたのかはまだほとんどわかっていません。

具体的な行動でありえるものとして、第一に実は並行世界間や時間軸の移動はなく、黒い瞳のヨウが戦争終結後に完全構造力によって金の瞳のヨウたちをつくっただという案を考えてみました。しかし隠蔽したにしてもマグメルとの戦争やエリンが一般人に全く知られていない点や有名人であるオーフィスが2回出現することになってしまう点などの齟齬が多く、間違った考えだと断定してもいいでしょう。やはり並行世界間の移動は存在したと仮定したほうが矛盾の少ない案を考えやすいです。

第二に金の瞳のヨウの世界そのものを完全構造力によってつくったという案も思いつきました。しかし説明を読む限りでは世界をつくるには世界と同じ量の完全構造力が必要となってしまうので、これは今のところ不適当です。

第三にさしあたって矛盾の少ない案として立ててみたのが、ヨウが拾因として認識している人物とは実は黒い瞳のヨウが完全構造力でつくった自分のコピーの現実構造だというものです。この場合彼は聖心の拒絶する力を回避しつつ接触して目的(並行世界間移動?)を果たすために完全構造力の受絶する力を利用したことになります。その際に黒い瞳のヨウの「あの鍵」もコピーされていれば、「あの鍵」が3本存在することも説明できます。「あの鍵」にも受絶の力があるのなら終盤で金の瞳のヨウが聖心に接近する時などに役立つのかもしれません。またメタ的な視点ではありますが、夢限境界で(拒絶する力によって?)死亡してたのが黒い瞳のヨウだとすれば、拾因の再登場が期待できます。ただしその場合、黒い瞳のヨウはお決まりの魂による再登場さえ望むべくもない状況であり、本当の意味で死亡していることになります。

群青のマグメル第39話感想 ~破滅の回避

2017/06/16 写植の追加について追記

第39話 失敗 20P

追記 原題:未神之狗 (直訳:神明阿の狗/未だ神ならぬ者の狗)

本題の感想の前にまずクーの服の模様について。今回の7ヶ月前のクーの服の模様を見る限り、作画ミスなのか替えの服を持っていたのかはともかく、時期によるクーの服の模様の違いというのは第年秒先生が特に注意を払っている部分ではないようです。つまり伏線ではなさそうだということで、今までこの部分に関して私が書いた内容は的はずれであったようです。

閑話休題

今回は前半の「目標」を巡る3勢力の激突から後半のクーのヨウとの回想と決意に至るまで、緩急がついていながらも緊張感のある流れが滞ることのない完成度の高い1話となっています。状況の提示は前回でほぼ終えている分ドラマの密度を上げることに注力されていて、読んでいて純粋にとてもワクワクできました。

3勢力の激突は既に目標を手に入れた上での敵の掃討を狙う黒獄小隊の副隊長たち、目標を奪おうとし続ける原皇の配下、危険を察知し即座の撤退を決断したクーたちという対比が明快でのめり込みやすく、バトルシーンというよりアクションシーンと言うべき内容ながらも手に汗握って読みました。見開きの使い方も非常に効果的で、間延びせずに最大限の迫力を出しています。

黒獄小隊の隊員が核構造を使用したことから、構造力による黒い渦に包まれたあるいは渦のそのものである目標とは、第35話で神明阿アミルとルシスが言及していた目標と同一の物だとわかりました。黒獄小隊の隊員たち4人は有能さも然ることながら、特に副隊長のにじみ出る性格の悪さが悪役として格好良く魅力的です。副隊長の皮肉のきいた挑発はセンスが良く、翻訳者がかなり気を使って言葉を選んだのを感じます。4人の口調もやり過ぎにならない程度に個性的でいい塩梅でした。隊員同士の会話は短い中にもユーモアがあってこれからのキャラクターの深まりが楽しみです。副隊長の幻想構造は害をなすものの透過を機能として持つようですね。他の3人は現実構造者であるようなので姿を消す(気配を消すことまで含めたいわゆる隠身・隠形に近い概念?)機能も彼のものでしょう(追記:中文版の台詞では、姿形と構造力の隠伏と明言されていました)。総合すると完璧なシェルターの幻想というような能力でしょうか。

また、クーの側も状況の把握の早さ、次善の選択の的確さがきちんと描写されています。激しいバトルを見せていた前回よりもむしろ今回のほうが彼の能力の高さが印象付けられました。目標を奪われ同胞の1人を殺されてと任務は完全に失敗に終わってしまっていますが、最後にヨウとの連絡を考えたことは話の全体を考える上では希望の持てる行動であり、後味の悪さを残さないストーリー構成です。

核構造を回避してからの、クーのヨウとの会話の回想はまさに『群青のマグメル』のストーリーにおける白眉のシーンともいうべき出来栄えです。的確に情感を持って仕上げられた港の風景、吹く風や流れる空気を想像させる長い髪のたなびき、何よりも友への別れの言葉の切なさ。そういった全てがいやが上にも詩情を掻き立てます。「ここでの日々は 我にとってもそこそこ楽しかった」と言っているあたりまでは背を向けていてまだ少し格好つけようとしている分、振り向いてヨウと目を合わせての「我の敵にならないでくれ」とそれに続く言葉が何の飾り気もない彼の本心であることが際立ち、胸に迫るものがあります。そしてヨウたちと離れ一人になったと思ってからの、端正に伏られた目元からこぼれ落ちるような悲しみとヨウに生きていて欲しいという祈り。

あの「彼ら」が別れたのも海の見える場所でのことでした。あの彼も黒い瞳のヨウを見送る際には生き延びてくれることを願ったのかもしれません。しかしそれを願った彼自身がおそらく死んでしまったことを私たちは知っています。彼らは殺し合ったのでしょうか?それとも殺し合うことさえできずに、彼は他の人間たちの手にかかって殺されてしまったのでしょうか?どちらにせよ友の生を願ったはずの彼の死が、願われた友が死に臨んだ一因となったのであろうことは皮肉としか言い表すことができません。

こうしたシリアスを全てぶち壊すのが現在のヨウのマイペースさです。できるのはわかっていましたが、剣に乗って飛んでいるのは改めて見るとすっげえシュールです。からかってやるなよクーは真剣なんだからさ、真剣なほどからかいたくなる気持ちもわかるけどさ、と言いたくなる感じのコメディ的な会話で心が温まります。ここで手渡され、激怒しつつもなんだかんだクーが受け取ったイヤホンが現在もクーとヨウを繋げ続けています。この繋がりによってヨウとクーの敵対に至る未来へのルートは回避できたとみて間違いないでしょう。しかしクー生存ルートが確定したとみていいものかどうか、油断していると痛い目に遭わされそうな作風だけに不安が残ります。

『群青のマグメル』の設定は複雑で一見とっつきづらく思えますが、それも登場人物のドラマを引き立てるためには必要な背景です。私も別に複雑な設定自体が好きなわけではないのですが、それを解きほぐすことで見えてくる彼らの心情とぶつかり合いには惹きつけられてやみません。あの世界とは、ヨウとクーに起こり得るかもしれない未来であり、「彼ら」には既に起きてしまった過去なのです。

ところで核構造を回避する際にクーと密着したミュフェが風圧を表現する線に紛れる形でさりげなく頬を染めているのが可愛らしかったのですが、19Pの1コマ目のクーの頬の斜線も汚れと紛らわしくしてはありますがタッチの違いを見る限りでは実は赤面の表現であるようです。クーは可愛い。

 

写植の追加について

2017/06/16の未明に読み返してみたところ、06/15の夕方には存在しなかった写植が6・7Pの3箇所で追加されていました。

具体的には「三重合構(デルタラクト)!!!」「触れられざる隣人(フラスコネスト!!)」「核構造(アトムラクト)!」という構造名に関する部分です。

能力名は能力バトルでは重要な部分なので気をつけて欲しいところです。

変更後と変更前のスクリーンショットです。

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群青のマグメル第38話までのまとめ

2つの世界と3本(?)の鍵

前提:偽造不可能な黒い鍵とオーフィスがマグメルに隠した小切手入り宝箱の存在

前提

2つの世界

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黒い瞳のヨウの世界は、黒髪(?)のゼロが宝箱を開けた世界。

金の瞳のヨウの世界は、原皇が宝箱を開けた世界。

黒い瞳のヨウの世界に存在する1本の鍵

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キーヘッドに紐付き。

金の瞳のヨウの世界に存在する3本(?)の鍵

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原皇が拾因の死体の近くで手に入れヨウに渡した鍵。

 キーヘッドに紐付き。

オーフィスの遺品でトトが持つ鍵。

 キーヘッドに紐なし。

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ヨウがゼロに渡した鍵。

 キーヘッドに紐付き。

ヨウがルシスと初めて顔を合わせた時点で既に持っていて、古い友人が詳細を教えずに託した鍵なので、原皇から渡されたのとは別物。

古い友人は当時行方不明の人物なので拾因のことである可能性が高いが、その場合拾因の鍵が何故か2本存在することになる。

黒い瞳のヨウ=拾因ならばトトの鍵と拾因の鍵が1本ずつ存在することは説明できるが、拾因の鍵が2本存在する、または別の事情によってそう見える理由は説明できない。

また、ゼロの予感通りにこの鍵が使用される時は来るのか。

それはどんな状況で、鍵の使用によって何が起きるのか。

仮説

  1. 3つ以上の並行世界が存在して拾因も2人以上存在し、鍵も3本以上存在する。
  2. 3つ以上の並行世界が存在し、拾因は複数の存在が重なり合うなどして1人だが、鍵は並行世界の数だけ存在する。
  3. 並行世界の数は2つで、ヨウが拾因から託されゼロに渡した鍵は拾因の卓越した技巧による現実構造である。
  4. 実は鍵は2本しか存在しない。何らかの叙述トリックが使われている。

2つの世界と登場人物

2つの世界と登場人物

第38話までの相関図

相関図

引用

2つの世界と3本(?)の鍵

1 36話 7P    
2 33話 3P    
3 25話 11P    
4 33話 4P    
5 36話 8P    
7 33話 7P    
8 36話 7P    
10 26話 24P    
11 26話 24P    
12 36話 9P    
13 10.5話 2P 単行本第2巻(kobo版) 69P
14 10.5話 20P 単行本第2巻(kobo版) 87P
16 8話 4P 単行本第2巻(kobo版) 9P
17 8話 5P 単行本第2巻(kobo版) 10P

 

2つの世界と登場人物

ヨウ(左) 33話 12P    
ヨウ(右) 28話 1P    
拾因 30話 20P    
ゼロ(左) 33話 5P    
ゼロ(右) 7話 2P 単行本第1巻(kobo版) 171P
クー(左) 34話 17P    
クー(右) 37話 17P    
クラウドボルグ 20話 8P 単行本第3巻(kobo版) 93P
聖国真類3人(左) 34話 19P    
聖国真類3人(右) 34話 11P    
ミュフェ(左) 34話 19P    
ミュフェ(右) 38話 9P    
聖国真類6人 32話 17P    
デュケ 37話 19P    
エミリア 1話 48P 単行本第1巻(kobo版) 51P
オーフィス(左) 33話 16P    
オーフィス(右) 26話 24P    
トト(左) 33話 16P    
トト(右) 25話 10P    
ティトール(左) 33話 16P    
ティトール(右) 36話 12P    
神明阿アミル 31話 19P    
リー長官 29話 20P    
黒獄小隊隊員(左) 29話 20P    
黒獄小隊隊員(右) 29話 20P    
一徒 13話 10P 単行本第2巻(kobo版) 139P
ボルゲーネフ 13話 10P 単行本第2巻(kobo版) 139P
キミアイオン 13話 10P 単行本第2巻(kobo版) 139P
蛍火 27話 3P    
?(神明阿配下) 38話 20P    

 

第38話までの相関図

イン ヨウ 31話 14P    
ゼロ 2話 15P 単行本第1巻(kobo版) 92P
拾因 29話 20P    
クー・ヤガ・クラン 31話 14P    
ミュフェ 38話 9P    
デュケ 37話 19P    
クーン 37話 19P    
聖国真類集合 32話 17P    
聖国真類の瞳孔 22話 19P 単行本第3巻(kobo版) 144P
神明阿アミル 31話 19P    
神明阿一族の紋章 6話 15P 単行本第1巻(kobo版) 162P
一徒 13話 10P 単行本第2巻(kobo版) 139P
ボルゲーネフ 13話 10P 単行本第2巻(kobo版) 139P
キミアイオン 13話 10P 単行本第2巻(kobo版) 139P
蛍火 27話 3P    
ルシス 10.5話 16P 単行本第2巻(kobo版) 83P
リー長官 29話 20P    
黒獄小隊隊員(上) 29話 20P    
黒獄小隊隊員(下) 29話 20P    
黒獄小隊隊員集合 31話 7P    
エミリア・チェスター 1話 48P 単行本第1巻(kobo版) 51P
極星社社章 1話 20P 単行本第1巻(kobo版) 23P
トト・ビックトー 25話 10P    
原皇 ティトール 36話 12P    
原皇の紋章 26話 1P    
フォウル国集合 29話 6-7P    

群青のマグメル第38話感想 ~乱戦を制するのは

第38話 構造戦 20P

追記 原題:第三方登场 (直訳:第三者の登場)

前回からクーンという聖国真類が構造の能力によって理解しようとしている何かを巡ってのバトル回です。基本的には2対5、ラストはより多くの頭数が加わってのバトルということで、相当な乱戦となっています。

ミュフェの構造者としての力も読者に対して初めて披露されます。ミュフェは現実構造者ということですが、これまでに人間が出現させたリアル系の現実構造とは異なり、エリンらしいケレン味のある現実構造を出現させます。デザインはいわゆる巨大ロボットのようであるだけでなく、角や瞳孔など聖国真類(というかクー?)のモチーフの装飾が施され武器も山刀風と独特のものであり、民族特有の呪術人形のような趣きがあって面白いです。一から聖国真類が製造した物を元にしているのか、人類が製造して聖国真類が鹵獲・改造した物を元にしているのかは定かではありませんが、聖国真類が高い技術力を持っていることもうかがえます。また、今回ミュフェが構造するのは巨大人型兵器や刃の大量に付いた盾など無骨な物ばかりですが、彼女の紋章であるらしい蝶々のマークは女性的かつ繊細でギャップに可愛らしさがあります。

クーの方は久々の手加減無用での殺し合いということで相当にテンションが高く張り切っています。前回の仲間の女の子にオタク扱いされ押し倒されかけていた姿とは全く違う戦士としての面を存分に見せてくれます。バトルにおいては流石戦闘種族といった高揚ぶりで、これと比べるとダーナの繭でヨウと闘った時はヨウの調子に合わせながらきちんと抑えていたんだと今更ながらに思いました。大量のミサイル類や火器類の構造による破壊力やそれを可能とする構造力の技量も非常に高く、いずれの敵対勢力からも名指しでマークされているだけのことはあります。ただ、エリン同士の闘いだと身体耐久力のこともあって重火器だけでは決め手となりにくいようです。今回転霊類を殺害したのも至近距離からの首の切断によるものでした。なんだかんだでクーも小回りを効かすことはできるのですが、力を誇示したがることもあって大味な攻撃を好むところは詰めの甘さを招きがちです。ヨウがいればこのあたりを補い合えるので上手くいくんですけどね。
そしてエリン同士のバトルもクライマックスか、と思われたところで乱戦を利用して目標物を手中に収めたのは人間である神明阿一族配下の構造者たちです。初めて読んだ時は違和感がありつつも流してしまったのですが、読み返すと4P目の唇に傷のある含み笑いの口元と6P目の聖国真類を舐めたような目線で批評しつつ隙をうかがう両眼が彼らのリーダー格のものであるとわかり、背筋をゾクゾクさせてくれます。感知力が高い描写をされているクーにも気付かれなかった点から、彼ら4人の中に気配を消す機能を含んだ幻想構造の構造者がいそうです。

今回のように、残酷ではあっても正面対決を好むエリンに対し、人類が策略を仕掛けることで自らの悪辣さを顕にするという構図は『群青のマグメル』では度々強調されるものです。そのこともあって私は最終的なラスボスは原皇よりも神明阿アミルの方ではないかと思っているのですが、現時点では唯の空想ですね。また一勢力相手なら十二分に対抗できても、もう一勢力に背後をつかれてしまうという構図は、今の聖国真類が置かれている立場をそのまま表すものでもあります。黒い瞳のヨウのこともあり、クーたち聖国真類の行く末には不安感が高まりますが、それが読者の先の展開に対する興味を煽ってもくれます。
前回神明阿の動向を探ることを決めたヨウに対し、クーの方は神明阿から目標物を奪い返すことが当面の指針となりそうですが、この目標物とは何なのでしょうか。黒い渦巻きの描かれ方やフォウル国の配下は構造者が死ねば逃げるしかないと言われていることから、構造力関連の物なのは間違いないのですがそれ以上はまだ明確にはできません。もしかしたらこれが神明阿のいう拒絶する力を回避しつつ大勢の人類をマグメル深部へ送る方法と関係がある物で、第8大隊の後始末のための目標とも同一の物なのではとは考えていますが、確証はないですね。とりあえず、対神明阿という点でヨウとクーの早めの合流が期待できそうなのは嬉しいです。

群青のマグメル第37話感想 ~感情を抑えきる理性

第37話 不穏の火種 20P

前回は怒りの感情も交えてスケルガーゴンを攻撃したように見えたヨウでしたが、結局命は取らずに遠くへ追い払っただけで済ませました。どこか白けた顔をしているあたり攻撃をしてすぐに自分が八つ当たり紛いのことをしたと気が付いて、手を緩めざるをえなく感じたのでしょうね。命拾いしたスケルガーゴンさえも困惑気味で、むしろ特に思うところが無い時のヨウの方がサックリと始末していそうな雰囲気です。

事情を知らないトトの会話でも不機嫌さを引きずるようなことはせずに、努めてごく普通の態度で対応しています。今までのヨウを思い返してみても、感情を込めた行動を取ることはあっても、感情のみに振り回された行動を取ることはありませんでした。その分はじめは掴みどころのないように思えるのですが、一度取っ掛かりを見つけると思いの外ナイーブな心情が理解できるようになります。
同じく考えの読みにくい人物といえば拾因でしたが、ヨウとの会話の回想で少なくとも分別は見た目ほどには荒れ果てていないことがわかりました。特に自分とヨウが別の人間だと承知した上で幸せを願っていると提示されたことは彼を理解する上で大きな意味を持っています。しかし、だからこそ、拾因の端々での感情の覗かせ方が本当にヨウそのものだと感じてしまいました。彼の繊細さと踏み越えられなかったのであろう家族の死を思うに、理性が残っていることにホッとするよりも、悲嘆を内に抑えきれてしまうことに物悲しくなります。拾因は死ぬまでヨウ以外相手の前では仮面を被り続けたのでしょう。

拾因の現在の人間性について疑問を呈する文章をこの話を読む前に書ききっておいて本当に良かったです。拾因が人の道を踏み外す選択をしたのはほぼ間違いないとはいえ、彼のことを興味本位でわざと穿ち過ぎて見るようなまねは私にはもうできなくなってしまったからです。

拾因がオーフィスと接触することで探そうとした人物とはおそらくゼロのことですね。もしかしたらオーフィスとゼロの親族が拾因の世界で知り合いだったのかもしれませんが、背景の不透明さを鑑みるにオーフィスが高い地位を持つがゆえに知り得た何か特殊な事情がゼロにはあるのかもしれません。今回のゼロは読者と同じくヨウとトトに面識があったのを知らなかったということで、ショックを受けている様子が理解しやすくていつもより可愛く感じます。拾因の世界ではトトとほぼ同年代だったことを知っているせいで余計に幼く思えるということもあるかもしれません。ファミレスで皆で食事をしている姿にも親近感が湧きます。

また、一連の会話で神明阿一族の動向を探るという具体的な行動理由がヨウに生まれたことは『群青のマグメル』の展開全体での転機となりうるものです。第一部でのヨウは基本的に受け身な立場でしたし、「世界を救う」という目的もそれのみでは漠然としすぎていました。ヨウが自ら行動を起こすことでこの先どうなっていくのか、期待が高まらざるを得ません。
繊細なヨウパートから打って変わっての久々のクーの出番は、いつもながら印象が鮮やかです。オタク扱いされる掴みからしていい意味であざといと言う他ないです。ちらちら顔見せしていて今回が初の本格登場となる聖国真類の少女のミュフェとの絡みも青い春があまりにも青くて青くて甘酸っぱすぎです!中国で言う青梅竹馬ってやつですね!それにしても『群青のマグメル』の女性キャラはみんな肉食だなぁ。引きも派手なバトルを予感させるものでなかなかに盛り上がります。

一方でこの7ヶ月の間に成長に合わせて新調したのか、服の模様が大人の彼と同じく上に膨らむものとなっていたりと芸の細かい描写もされています。何もしなければ訪れる破綻は少しずつ近づいているのです。

群青のマグメル第31話の2P目の追記

第31話の感想の追記ですが量が多くなったので独立したページを作成しました。

この話の2P目の文字だけのページでは重要な事柄が多く示唆されているのですが、日本語訳は中文版との内容の差異が大きい箇所もあり、全文を引用して注釈をつけさせていただきました。

 

 ヨウ

 もちろんヨウの名前で、5回出現しています。

中文版でも「又」という表記なのですが、漢民族にとって漢字一字の名前を敬称などもつけずに単独で呼び捨てにするのは、実の家族でさえ滅多に使わないほどの最上級の親密さを表す呼び方です。この場合は2人が師弟という親子に準じる関係であるためでしょうが、拾因にとってはヨウが自分と非常に近い存在であることから弟や息子のように感じてしまったためなのかもしれません。

拾因以外でヨウを呼び捨てにするのはクーのみです。流石のヨウも名だけを呼び捨てという特別な呼び方をされればすぐにクーを思い出せるため、中文版ではクーはマスクを外すコマまではこの呼び方をしません。クーの場合はヨウと親友だというだけでなく、漢民族の礼儀を理解しない「野蛮人」だという演出でもあるのでしょう。

ですが「野蛮人」のクーでさえも、中文版では喰い現貯める者を通じてという裏の読みうるコマ以外では、拾因のことは拾因という普通の呼び方をしています。

 

俺? 俺は拾因よろしくね

イン?それ俺のこと?
愛称なんて久しぶりだなぁ

上の文章の中文版を直訳すると「俺のことは拾因って呼ぶんだよ」、下は「なぜ阿因と呼ぶんだい?俺たちそんなに仲良くなったかな?」となります。

漢民族にとってはフルネームで呼び捨てにするのが最も一般的で当たり障りのない呼び方です。

日本語版のインという呼び方では愛称になりません。阿~という呼び方ならば、年下か同年代へ使うのが基本の愛称となります。年上の友人に使うこともありますが、師に対して使うことはまずありえません。ヨウとっての拾因は尊敬の対象というよりも、親しみを感じる友人や家族に近いものなのでしょう。もしかしたらヨウは拾因と自分の近さを本能的に察していたのかもしれません。

 

記憶力悪いねヨウは

 ヨウはマグメルの用語からクーの名前までなんでも忘れます。いわゆる話を進めるのに便利な設定というものです。ゼロがマグメルの設定を説明するのにも、作品として後で明かしたい設定を隠しておくのにも便利です。

ただ、とっさにクーの名前が出てこなかったのはともかくとして、第年秒先生のコメントによれば派手に言い間違えたのはわざとなのだそうです。ヨウはとらえどころのない冗談をよく言いますね。

 

これがダーナの繭
マグメルでも特別な場所さ

クスク諸島でダーナの繭が発生したのは拾因の故意によるものだという疑惑は晴れていません。繭がなければヨウとクーは再会できなかったかもしれないことは、拾因の計画の方向性を推察する上での重要な手がかりとなりそうです。

 

また負けたの?

幼いヨウとクーが喧嘩した時のコメントです。
拾因はヨウにエリンと接触しないように忠告していましたが、聖国真類の子供と出会ったことを告げられた後もしばし悩んでその相手と喧嘩し続けることを止めませんでした。相手がクーであることを察したのでしょうが、その時拾因の胸にはどんな想いが去来したのでしょうか。

 

ヨウは本当に逃げるのが上手だなぁ

幼いヨウとクーが喧嘩した時のコメントです。

拾因も黒い瞳のヨウも逃げ上手でした。しかし拾因の死体が発見されている以上、やむを得ない事情の故か自分の感情に従った故か、彼は最後まで逃げ続けることはできなかったのです。

 

もしあの人を見つけたら
その時は頼むよ

ヨウが人界に戻された後の行動についての指示だと思われます。あの人とはおそらくゼロもことでしょう。

 

あの父親と娘
面白いねぇ

中文版を直訳すると「あのオッサンと娘は?」となり、見知った顔を発見したときの言葉だと思われます。おそらくオーフィスとトトのことでしょう。ヨウが親子と出会ったことを忘れた理由に裏があるのかどうかはまだわかりません。

 

神名阿と原皇には関わるなよ

 この世界の拾因にとってはこの2つの勢力は邪魔者です。黒い瞳のヨウと、その世界のティトールとの関係はどうなったのでしょうか?そして別個体とは言え、なぜ2つの世界でティトールの立場は異なるのでしょうか?もしかしたら拾因が何か関与したのかもしれません。

 

これは喜びの顔さ

拾因はよく「~の顔」という表現を使います。仮面を被っているのであろう他人の前ではもちろんのこと、素顔で接しているはずのヨウの前でさえもよく使います。

拾因が白髪であることと合わせて考えると、家族を失った精神的ショックで上手く表情をつくることができなくなったのかもしれません。

 

現実構造の限界は
永遠の構造なんだよ

中文版を直訳すると「現実構造の極致とは永遠の現実なんだよ」となります。現実の物体だと思われていたものが実は現実構造だと発覚するといった展開がこの先にあるのかもしれません。

 

その剣 ヨウと相性が
いいみたいだね

中文版を直訳すると「その品物の持ち主 君を手助けできるかもね」となります。
日本語版ではヨウが危険生物の腹から脱出する際に手に入れた愛用の剣についての言及になっていますが、中文版では状況の特定が難しいです。

 

もう少しだよヨウ

修行中の師弟らしい会話です。

 

頼んだよ

あの約束……

拾因が願った「世界を救う」という約束が、現在のヨウにとっては一番の指針となっています。