群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第63話感想 ~現状の戦力の確認

natalie.mu

第63話 河渡り 24P

マグメルでの冒険の難関突破を通じて、ヨウたち一行の戦力をはじめとした現状の確認をする回です。

心躍る危険

まずは原皇によって大転生の河に生息する生物の危険性が説明されます。リアリティを感じられるもっともらしさとファンタジー的な外連のバランスが取れていてなかなか面白い世界観解説です。特に河の魚の変異毒に強い肉体を持つクエスタクリーチャーなどなら対抗できても、それより戦闘能力があろうとエリンやヨウたちでは無理だというのは、バトルの枠を超えた場所でのサバイバル感があってワクワクします。

また、ここに限らず今回は捌くべき情報量の多い回なのですが、絵での解説にも力を入れ、情報量の疎密に変化をつけることで、説明がスムーズに飲み込めるようになっていて展開が素直に楽しめます。さらに、毎度のことながら説明を聞くヨウが「拾因に聞いていないかい?」と言われているのが可笑しいです。同じようなことはクーにも言われていましたね。確かに拾因は大事なことをヨウに伝えていなかったりましたが、細かい知識はヨウの注意力や記憶力不足で覚えていないのが大半な気がします。サバイバル能力には隙が無い分こういうところに人間味がありますし、笑えます。

未だ傷は癒えず

原皇が端末としているゼロだけでなく、ヨウの構造の能力でも手負いの現状では河の正面突破が難しいことが確認されます。一時は完全に会得した幻想構造だけでなく現実構造さえも満足に扱えず、通常なら問題なく突破できたはずのこの河にもきちんと本腰を入れて取り掛からなければならない状態です。その上で、常人のトトも連れている現状だからこそ、冷静さを保つためにあえてリラックスしようと努めているヨウが面白いですね。メタ的に見ても、マグメルのストーリーが陰鬱一色にならないためにはヨウに適度に明るくしていてもらう必要があるのですが、ゼロの死というシリアスな根底がないがしろにされているように見えてしまっても台無しですし、おちゃらけて振る舞うのはあえてだと念を押すことで上手くバランスが取られていると感じました。配慮のある描写が確認できたことで、これから待ち受けるだろう描写の難しそうな展開に対しても自然と信頼感が持てます。

知恵ある性悪たち

戦闘力の物足りない現状のパーティで河を突破するために、ヨウと原皇は息の合った連携を見せます。この時にいちいち細かい確認をせずともお互いの手を把握しながら動いているのが、2人が同格の知恵の持ち主であることを示していて興味深いです。それにトトが置いてきぼりにされかけつつどうにか付いていかされていて、読者とヨウたちとの距離感の一面も端的に表れているようでなおさらに面白いです。

ヨウを囮にして背後から原皇が攻撃を仕掛け、雷覇龍魔を飛び立たせて河の生物を追い払うという作戦自体は理に適っていて、これまでの冷静な雰囲気に則ったものです。雷覇龍魔のクエスタクリーチャーとしての威厳のある力強さの演出も的確です。そこにアクション面でもサプライズ面でも思わぬ動きをつけてくれるのが、原皇によるオーバーキルな巣の卵への爆弾攻撃です。単なる作戦遂行以上に18Pでの「こういう偉そうな奴を屈服させるのが楽しいんだよねぇ」という欲望を満たす気が満々で、実にいい顔をしています。さすがのヨウも引き気味です。共闘中とはいえ裏切るつもりなのを読者は知っているので、100%悪役ムーブメントな過激さにはある種の爽快感さえ覚えてしまいますね。この先原皇がやはり敵となるのか、それとも本当の意味で何らかの協力がもたらされるのか、興味は尽きません。

他方で、現状まさしく敵である神明阿一族がマグメル深部侵攻のための戦力を整えている様子も確認でき、そちらも目が離せません。少ないページ数ながら、思い切った見開きの迫力で表される部隊の規模と、ルシスとアミルの存在感は、ヨウたちの冒険に確かな影を落とそうとしています。マグメル深部にも人間の暴力の気配が確実に迫っているのです。

群青のマグメル第62話感想 ~脅威に包囲されながら生きる

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第62話 境界線 24P

扉絵は第二部になってから本編ではまだ一度も再登場していないエミリアです。第一部ではレギュラーだっただけに、忘れられてはいないことがここで一応示されたのは嬉しいですね。本編での再登場にも期待を持ちたいです。もしかしたら出番が少ないことをラストで茶化される役回りになってしまうかもしれませんが、むしろストーリーにしっかり関わるかたちで出番が来るとなると酷い目に合わされそうですし、現状それなりに平穏な日常を遅れているのならそれはそれでいいのかもしれません。

今回の本編では、人界とマグメルの軋轢の脅威に包囲されつつある状況ながらも、ホームドラマめくほどにまともな日常を送る聖国真類のクーと、久々に冒険の傍らにある日常を取り戻した人類のヨウの様子が描かれます。

爆発するリアル

クーのパートでは初っ端から同郷の少女からお誘いを受けるという爆発的にリア充なイベントが発生します。眼福です。その後もオタク化をたしなめられたり人の良さに立身出世を悲観視されたりしつつも、そうした点さえミュフェには可愛げとして受け取ってもらえているようでプラス材料です。ふくよかなお母様からクーちゃん呼ばわりの子供扱いされていること、そんなお母様に反抗期まがいの口答えをすること、それを女友達にツッコまれること、まさしく青い春の真っ最中です。お母様からミュフェの子作りが応援されているように、聖国真類としてのクーは身体的にも立場的にも大人の仲間入りをしたとみなされてはいるのですが、だからこそケツの青い若造といった感じが際立ちます。ミュフェのお誘いを完全スルーするのも、大人らしく受け流しているというより反応できないガキっぽさのように思えます。こうしたクーの交友関係はなんとも羨ましいばかりです。

故郷でのクーの様子には、彼が聖国真類としての誇りを高く抱いていることを深く納得させられます。誇りの高さとは愛着の強さです。彼が人類に理解を示すのも、仲間や家族を大切に思うのを前提にした上でのことなのです。おそらく黒い瞳のヨウと知り合いのクーもそうだったのでしょう。それ故にあの時彼らは互いに目を逸らさなければなりませんでした。

真類の頂点と同盟

聖心祭に対する現在のクーの口ぶりから判断して、クーはそこで自分の実力を発揮して真類の頂点に立つつもりのようです。もしかしたら聖心祭では武芸大会のような催しがあり、その結果に応じて強者会のメンバーや族長が決定されるのかもしれません。そうでなくとも力を見せることが地位を得るのに直接つながっていることは間違いなさそうです。ならば族長とはいかずとも重役に就けるだけの結果をクーが示せば、ヨウの目指す原皇と真類との同盟計画がぐんと進めやすくなるはずです。ミュフェの言う通り実力以外の部分で不安は残りますが、ミュフェや場合によってはヨウの後押しがあれば十分に現実的な案にできそうです。

冒険の傍ら

ヨウのパートでは、久々にまともに冒険をしている探検家らしい探検家が出てきます。ヨウたちがたまたま結果的に彼らを助け、駐屯地に送り届けまではしないものの、久々に拾人者らしい働きをします。ヨウの超人性がまともにヒーロー的に発揮されてそう評価してもらえるのも久々のことで、なかなか感慨深くなる場面でした。しかし常人でありながら同行することになったトトはどうしてもこの超人性に現実離れを感じてしまうらしく、この騒動の最中テンションが現実逃避気味の妙なことになっているのが可哀そうですがおかしいです。

ねじ伏せて手懐けた危険生物を足にして、ダイジェスト風味ながらも小さな超常に溢れた5日間の旅の様子が描かれます。これほどの深部に来るのが初めてのトトにとってこれは言うまでもなく冒険の旅であり、常に脅威と驚異の両方を味わっているようです。トトのリアクションは読んでいて楽しい上に読み手の冒険への没入感を高めてくれます。ズームアウトしつつ姿を現す大転生の河のスケールの雄大さにはこちらまで息を呑みました。巨大魚の影と雲の塊のレイアウトが素晴らしいです。ただ、この旅はエリンである原皇はもちろんヨウにも居眠りがてらにこなせるもので、「険きを冒す」とは到底呼べるものではなさそうです。ヨウにとっては自分以外の冒険者の傍らにある日常を再確認することでむしろ癒しを感じているようにも見えます。

最初の難関

大転生の河はこの旅の最初の難関であり、その内側が真のマグメルになるという物物しさにもそれにふさわしい魅力を感じます。超空間移動プレートといういかにもハッタリの利いた言葉にも興味が激しく惹きつけられてしまいます。まさか本当に空間を超えて移動するプレートなのでしょうか!?今回は軽く流されてしまいましたが、わざわざトトが関心を持った描写がなされている以上、後の詳しい説明を期待したいところです。
そして旅の功労者である小鉄を原皇が一方的に尊い犠牲へと変える形で大転生の河の脅威が描かれます。改めて原皇は酷すぎる女です。名前を呼んで労を認めたとしてもその相手に手厚くするとかの発想は全く無いようですね。本当にイイ性格をしている原皇ですが、トトとの凸凹ぶりが面白くてこの性悪ささえもが楽しめてしまいます。二人の会話を横目に見つつ若干的の外れたことを考えているヨウのローテンションなボケも味わい深いです。このボケは発想の面白さからもたくましさからもヨウがとりあえず立ち直りつつあることがうかがえてホッとできました。なおかつゼロのことを気にさせることで根底の軸がずれていないことが示されてもいて、非常にうまい描写だと感じます。大転生の河という脅威に囲まれた先で暮らす聖国真類たちに接触するには難関を超えていく必要がありますが、今のヨウならば心配はいらないでしょう。

群青のマグメル第61話感想 ~自分のものであり自分のものでない記憶

natalie.mu

第61話 野望 24P

扉絵はいかにもデキる女風なトトです。もちろん探検家であるトトも本当の一般人に比べればデキる方の人間ではあります。ですが、普段はこういうキメた感じの印象がないだけに扉絵ならではのイメージ画像と言った感じでギャップが楽しいです。

これまでの展開で神明阿への対抗と聖国真類との同盟という方向性が定まり、今回はその具体化に向けた動きが始まりました。

ヨウとトトと原皇、同舟する

まず扉絵から引き続いてのトトたちの場面です。真っ先にヨウの体調を気遣うところが優しいトトらしいです。ヨウは無事な風を装うものの、原皇曰く全治まで一、二ヶ月はかかり足の神経も繋がっていないそうなので、聖国真類との同盟の交渉のパートではヨウの直接的な戦闘はあまり期待しないほうが良さそうですね。交渉に横槍を入れようとしている黒獄小隊との戦闘は避けられそうにありませんが、補助的な役割に回ることになるのでしょう。

この3人の会話では知り合ったばかりながらも呼吸のあった掛け合いをするトトと原皇が楽しいです。大富豪の遺産を受け継いだお嬢様ながらも逞しくてお調子者で人のいいトトと、おそらく世襲でない成り上がりの女皇らしいティトールの凸凹ぶりにはずいぶんと雰囲気が明るくなりました。ヨウも積極的に会話に加われるほどではないにしろ久しぶりに幾分か和めています。

記憶の中の彼女たち

第52話でヨウに流れ込んできたこのヨウでないヨウの記憶、おそらくは第33・34話の黒い瞳のヨウの記憶の中でもトトはこういう性格をしており、そのことからヨウは奇妙な懐かしさと戸惑いの両方を感じているようです。一方でティトールについては眼の前の彼女の腹の内が読みきれないことから、記憶の中の彼女との近さについては一旦考えるのを保留としています。わからないことを考え込むよりも目的を実現する方に注力するというのはヨウらしいですね。ただ、読者としてはヨウの知識の範囲がいまいち明確に示されていないこともあってもどかしい思いもあります。とりあえずこのヨウの反応から第33・34話の出来事が別のヨウの記憶であることははっきりしたものの、何故別のヨウが存在するのかという部分にはまだ仮説を立てることしか出来ません。ティトールの違いについても、記憶の中のティトールの本心が示されていないのでピンとこない部分がありますが、とりあえず最年長のエリンながら特別な地位にはついていなかったらしい記憶の中のティトールと、22のエリンの部族の原皇として君臨するこのティトールとでは、抱く野望において大きな差がありそうかなとは思います。

女皇様の高笑い

このティトールはヨウに対しては聖国真類との同盟に賛同したふりをしますが、真の目的はやはりというかこの世の全てを手に入れることにあるそうです。正直私としてもティトールが素直に仲間になったとは思えなかったので、マグメル深部での高笑いの悪女らしさには待ってましたと手を叩きたくなりました。早々に腹の内が割れたことでこの先で仕掛けるつもりの裏切りイベントがむしろ心待ちにできます。これを前振りに、裏切るつもりがいつの間にか本当の仲間意識が湧いてしまうといった可能性もちょっと期待したいです。イメージ画像の一糸も纏わずに地球をその豊かな胸に抱える姿も実にグッドです。私としては肋骨の真下の柔らかな肉の流れが的確な線で絶妙に描写されているところがたまりません。これまではオープンすぎて艶にかけるきらいのあった原皇ですが、大人の騙し合いが全面に出たことで俄然色香が増してきました。特別な能力の構造者だからという理由に過ぎないかもしれないにしろ、拾因のことを特別に意識しているようなのも面白いです。

暗躍する原皇

マグメル深部で原皇の本体は目標である因果限界が3つ発見されたという報告を部下から受けています。第36話で入手したヨウの構造力の解析結果を利用して拾因の因果限界を探すのを思いついたということは、2人が限りなく同一の存在である点については原皇も気が付いているようです。ただその仕組みなどのそれ以上の部分まではまだよくわかっていないように見えます。拾因が複数の因果限界を遺した理由もわからないようで、いかにもその解明がこの先の展開に関わってきそうです。因果限界の転送先が確認されていないのも実に意味ありげで、現状ではたとえば別の世界と繋がっている可能性さえも考えてしまえます。おそらくこうした点が複数のヨウと拾因の関係の鍵になり、扉の繋ぐ場所が明かされるときに謎にも新たな地平が開かれるのでしょう。

さらに原皇は神明阿の第4要塞を壊滅させる策を練ってもいます。今回の原皇によるマグメル深部の神明阿の要塞についての説明とそのコマの絵を見る限りでは、第4要塞とは第35話で黒獄小隊のリーが赴任していて新たに一徒たちも配備されたあの堅龍要塞のことのようです。激しい戦闘が起きるのはまず間違いなく、どちらが勝つにしろ久しぶりに彼らの出番がありそうです。ちなみに第3要塞は第29話でも出てきています。こうした要塞に駐屯する構造者の中には神明阿一族の血を引く者もいるとのことですが、若様でないとしたら神明阿アミルはどうなのでしょうね。とても気になります。黒獄小隊副隊長カーフェも神明阿の紋章のペンダントや性格を鑑みるに神明阿の血を引く可能性を考えたくなります。

記憶を超えた先へ

こうした説明も大切ですが、今回の本当のハイライトは原皇の拾った「いつもの」拾人者の服を見たことで自然に湧き上がったヨウの希望にこそあります。元からアウトロー的な立場にあるとはいえ、つい最近まではヨウとゼロにも彼らなりに拾人者としての「いつもの」生活がありました。現在は世界を救うため、衣装替えをしての神明阿への潜入やそれによるゼロの死などによって完全に日常から隔てられてしまってはいますが、それでもたどり着く場所に行き止まりの自己犠牲などでなく、あくまで元どおりに生きることとその先に進むことを選びたいというのは実にヨウらしいと感じました。ゼロと平和なマグメルでの冒険を楽しむというのは、かつて記憶の中のヨウが歩みながらももう二度と歩めなくなってしまった道でもあります。ヨウにとって、世界を救うこととは大上段に構えた正義などではなく、過去である未来の記憶を超えて生きていくために必要な手段なのではないでしょうか。雲、山脈、飛行生物、ヨウたちの乗る飛行機、それらが登る朝日に照らされ、ヨウの希望と決意にふさわしい静かな感動を伝えてきます。

そして飛行機から繋がるのが、今回のオチである飛行機の模型作りに勤しむオタク化した聖国真類です。こっちはこっちでかけがえのない日常を送ってはいるのですが、深刻さの落差に笑えてしまいます。どうやら完全に一から自作したらしい大量のオタク的な模型に囲まれつつ自分の世界に浸っている様子は、聖国真類としては惚れられている女からさえ小言を言われるのもやむなしといった感じです。原皇が神明阿の探検隊の島を襲った情報は既に聖国真類へ伝わっているかもしれませんが、これだけ他の文化も吸収できるクーならばヨウがいきなり原皇と共に現れても同盟を持ちかける余地はありそうです。最初から万全な協力体制とはいかないにしても、第43話で言っていたように情報を掠め取る名目で向こうから手助けしてくれる可能性もあります。聖国真類全体との同盟となるとかなり難しそうではありますが、取っ掛かりが全く無いわけではないだけに頑張って欲しいですね。

群青のマグメル第60話感想 ~行き先の確認

natalie.mu

第60話 それぞれの思惑 24P

今回はこの先の展開に向けての最終目標と中間目標の両方が明確に打ち出された回です。ヨウの聖心などに関する知識や体を渡そうとしたことの狙いの開示は一旦保留となりましたが、指針ははっきりしたのでとりあえず素直に現在の状況の進捗を楽しみにできるようになりました。謎の根幹の解明についてはストーリーの最終盤まで待つつもりでいるほうが良さそうですね。

ヨウの目的は、それをめぐる原皇との会話でわかりやすく整理されました。アクションはなくヨウも淡々としているシーンですが、脅しや駆け引きも含ませた原皇の言動には緊張感と迫力があって、思わず引き込まれます。原皇の適度にコミカルなリアクションも楽しいです。あえて道化を演じられるところには多部族連合の女皇らしい器の大きさも感じます。ヨウが多原国(これまでの日本語版の表記ではフォウル国)と聖国真類の同盟という両者の経緯を真面目に考えれば考えれるほどに困難な提案をしたときも、一旦は憤慨するもののすぐにおどけて受け入れてみた姿が印象的です。対して聖国真類は良くも悪くも硬そうなイメージが強いので交渉は簡単にはいかないかもしれませんが、さしあたってやるべきことを打ち出せたのは確かな一歩前進です。

ゼロの蘇生についてはヨウによると聖心の無限に近い完全構成力が必要ということですが、ただ量だけの問題ではないでしょうし、やはり聖心にはまだ隠された役割がありそうです。ゼロの蘇生にはもう1人のゼロからの理解と構造が必要になるだろうことを考えると、それに関わる役割なのでしょう。もしかしたら並行世界を繋ぐことができて、別の世界で生存しているゼロと接触できるようになるのかもしれません。あるいは聖心が暴かれれば世界が滅ぶということから、現在の世界そのものが生存するゼロのいる世界の現実構造であり、中枢である聖心に接触すればそれをコントロールできるようになる可能性も考えられます。この場合の世界の構造者とはマグメルの意識ということになるでしょうか。

今回マグメルの意識なるものが擬神構造の正体だと判明し、この存在を前にしたヨウと原皇が馴染みのある感覚を味わったことに納得がいきました。それが現在は人類である神明阿一族の手に落ちているということで、マグメル現住者のエリンたちの多原国にも聖国真類にも厳しい状況です。ただ、神明阿に完全服従しているわけではなさそうなので、働きかけ次第ではヨウやエリンたちの味方に付けられるか、せめて無力化はできるかもしれません。

神明阿たちの側では思いのほかアミルとルシスが「まともに」仲が良いらしいことに興味を惹かれました。いつもよくわからない冗談で振り回され、命との接し方や夢と欲望の考え方に相容れない部分があっても、アミルにとってルシスとは血縁者が亡くなって落ち込んでいる時には「お前のせいじゃない」と慰めたくなる相手であるようです。ルシスにとってもアミルは珍しく落ち込んだ時の本心を語れる相手のようです。ルシスは普段軽薄などほどに剽軽な分、ただ黙ってうつむいているということがこれ以上なく彼の悲嘆を表しています。前回のアミルに表情について私はルシスへ眉をひそめたのかもしれないと書きましたが、今回を見る限りでは全く違いますね。どれだけ悪感情的に捉えても複雑な思いがしたかもしれないくらいがせいぜいで、ルシスとともにアススの死を悼んだか、むしろいつも笑っている友人がめったに見せない涙を流したことで自分までつらくなってしまったか、といったことが正しいようです。この2人の関係はアススとリリに重なるようにもヨウとクーに重なるようにも思えますが、本当の姿についてはまだ謎です。ともにいる理由の核心に擬神構造へ聞きそびれた2つ目の質問の内容があるのは間違いないでしょうがそれもまだ推測さえ困難です。2人とも神明阿ではあるはずですが、全く似ていない兄弟なのか、親戚なのか、赤の他人なのかということも不明です。

また、現状は若様にミスリードされているものの黒獄小隊の隊長である可能性が濃厚なアミルから副隊長のカーフェが指令を受けており、そちらの様子も面白いです。久々の登場での相変わらずの人を小馬鹿にしたような言動も、通信の時に背後でナタル・黒曜・夕国の3人がこっそりピースしていているのも楽しいですね。放射能で下痢が酷いというとんでもないことを笑い話にしているのも悪の組織の幹部らしい毒があって刺激的です。まぁ腕の立つ構造者なので本当に大したことないのかもしれませんが。最後のシーンの黒獄小隊大集合もいかにも悪の組織で見たい定番の場面を抑えてくれたといった感じでワクワクします。みんな個性的な格好をしつつも目玉に似た模様のある装備をしている人間が多いのが神明阿の関係者らしくて目を引きます。この14人に堅龍要塞にいるリーたち3人とアミルを足せば18人で、黒獄小隊は総勢19人なので、残りの1人がこの原皇と聖国真類の同盟を阻止する任務から除くとアミルが言っていた人物だと思われます。この人物には後々特別な役割が与えられそうです。特別な役割のありそうな1人といえば、神明阿の先祖たちの中で218代目だけが再生死果を食べなかったことも気になります。第46話で顔を確認する限りでは、前回「美しく生き 美しく死ぬ」と言っていた人物がこの218代目です。この時は若返りに前向きだったように見えるので、彼もアススが亡くなったことでルシスと同じく何らかの心境の変化が起きたのかもしれません。

「群青のマグメル」テレビアニメ化決定!

本日2018年4月29日、「群青のマグメル」のテレビアニメ化が各社ニュースサイトで発表されました。ニュースサイトには第年秒先生のコメントと直筆のイラストが寄せられています。

natalie.mu

 

news.livedoor.com


少年ジャンププラスのサイト内にも「群青のマグメル」のアニメ化告知ページが開設されています。

www.shonenjump.com


同日、中国でも杭州白馬湖で開催中の中国国际动漫节(中国国際アニメ漫画祭)にて、「群青のマグメル」のテレビアニメ化の発表会が行われました。この発表会の告知は中国の微博では4月23日にあり、本場では一足早くアニメ化が話題となっていたようです。

www.cicaf.com


原作の画像を使用したものでアニメのカットなどは含まれていませんが、中国国际动漫节でのPR映像のお披露目の模様も公開されています。

https://weibo.com/tv/v/Gej5ooquC

追記

中国でも「群青のマグメル(拾又之国)」のアニメ化発表会がニュースサイトで取り上げられています。下の記事の写真で真ん中あたりにいる青い半袖のTシャツの男性が第年秒先生です。

《拾又之国》动画启动, 翻翻动漫再展实力

群青のマグメル第59話感想 ~成果実りゆく

第59話 再生 24P

対アスス戦をはじめとした神明阿の施設への潜入エピソードが終了し、そのさなかに死亡したゼロの蘇生を目指す新エピソードが始まろうとしています。今回はそのインターバルとなる話であり、これまでに起きた出来事の結果が整理されるとともに、これから果たすべき行動を決定するための情報が開示されてもいます。

まず確認しておきたいのがヨウたちの敵である神明阿一族の動向です。前回構造した若返りのための果実は、ルシスが利用するためのものではなく先祖の当主たちを若返らせるためのものだったのですね。若返りというのは、年齢の時空的な巻戻りを意味するものではなく、身体の発揮できる機能の外見も含めた活性化を示すものと考えるべきでした。服用すれば全盛期の力を取り戻す引き換えに寿命が一年縮んでしまうという点からも、少なくとも現在のルシスたちが必要とするものではないでしょう。つまりこの果実を構造したのは当主たちのためだということになります。もちろん当主たちの力を、未だに具体性の見えない部分のある計画を果たすためにルシスが有効利用しようとしているのは間違いなく、その点からは擬神との対話というリスクに踏み込んだのも合理的な側面のある行動だと言えるでしょう。しかし私としては、擬神の構造に成功した後は自分に勝る権力を持つ当主たちの動きをすぐに封じるような完全に自己中心的な人物像をルシスに想定していただけに、彼が一定以上に当主たちを慮った行動を取ったことには驚きました。上祖アススの死を感じ取って涙を流したことからもうかがえる通り、ルシスにも他の生物とは違い当主たちとは心が繋がる余地があるようです。ルシスが神明阿の若様だとするのなら、これは同じ血と強さを持つことになるアススの「血の繋がる者としか繋がることが出来ない」という性質と共通しているのかも知れません。

一方で、もしそうだとすると俄然興味深くなるのがこの場面で涙を流すルシスと物憂げな顔をするアミルの温度差です。普通に考えれば、アミルもルシスほどあからさまではないにしろアススの死を悲しんでいるという表情なのでしょう。しかしアミルには実は神明阿の直系の血族でない可能性があり、上祖様であるという理由だけではあまり交流のないアススの死に対して大きな感傷を抱けないのかも知れません。それだけでなく、直系の血族である可能性の高いルシスとは常に行動を共にしつつも複雑な感情を覗かせていることを考えると、上祖様「には」死に対して涙できる様子を見せることで血族とそれ以外への心の断絶を改めてあらわにしたルシスへと、思わず眉をひそめてしまった表情だと考えることもできます。ただ、これは我ながらだいぶ穿ちすぎた見方だとは思います。

ヨウたちの側では、ひとまずヨウが生命の危機を脱しゼロの体も原皇によって保持されることで、今までの切迫した状況からようやく現状を整理しつつ次の行動に備える余裕が出てくるようになりました。ヨウの左足が接合され治癒しつつあることにもホッとできます。ここで命のないゼロの体の保持に原皇の端末化の能力を利用すること自体は、憑依の存在するオカルトものの定番の展開だけに予想できてはいたのですが、そこからゼロの記憶を読んでヨウの治療へと繋げてきた部分には素直に唸らされました。かつてヨウが救えなかったクリクスのためのもののはずだったマグメル外縁6区のエポナの涙が、この局面でヨウを救うために利用されるという因果の結実にはなんとも皮肉なものを感じます。ヨウがクリクスの両親の探検家バッチを掛けていった彼らの墓に生える植物が成長して花を開かせているという描写もあり、時の移り変わりには物寂しくなる思いもあります。

ここで原皇がヨウを助けたことの第一目的は、もちろんあの島で感じた馴染みのある気配の正体をヨウの記憶を読んで突き止めるためです。ただ17Pでふいに拾因が原皇の頭をよぎったことからも、拾因の後継者であるヨウ自身への興味のために利害とは別の部分でも命を救いたくなった部分も少なからずあるのでしょう。原皇はゼロの体を人質に取れることもあって自分が優位な立場からの話を進めようとするのですが、ヨウが狙いを察して自分から体を差し出すことを提案して原皇のペースを崩すという駆け引きが面白いです。いくら怪我をしていて恩もある弱い立場にいるからと言って、自分の体を好きにさせるようなリスクを利を得る宛もなしにヨウが良しとするとは思えないので、この交渉については何らかの考えがあると思っていいようです。読者にとっては、ここで原皇がヨウの記憶を覗いて第三者的な立場で整理してくれば、まだ不明瞭な部分の多いヨウの知識の範囲がはっきりすることも期待できます。

一連の会話では、原皇の端末になっているゼロが少女らしい体つきや顔立ちとは裏腹な大人びた表情と言動によって小悪魔的な魅力を発していて、ヨウとの会話に蠱惑的な雰囲気をさりげなく漂わせているのがシックにアブノーマルなこの作品らしい危うさがあって痺れますね。飛行機の外のトトも、理由もわからずさんざん連れ回された挙げ句に下女のように食事を作らされ、やけっぱちな明るさで適当な歌を口ずさんでいる様子が妙に可愛らしいです。トトの親しみやすさとバイタリティにはいい意味で彼女がお嬢様なことを忘れさせられてしまいます。ただ、女性陣を差し置いて今回一番印象に残ったのは、13Pの窓の外を眺めるゼロに気が付いた時のヨウの表情です。不安と僅かな期待が入り混じり、どこか迷子の心細さを含んだような微妙な感情の表れた一瞬が精緻に切り取られています。一転してのゼロが原皇の端末とされていることに気が付いた時の怒りも、激しい感情を大げさに類型化されたものとしてではなく、静かに観察しつつどこか突き放してさえいるように描写しているのが印象的です。

また、冒頭では久しぶりとなるクーたち聖国真類の様子も見ることができて嬉しかったです。律儀に罰を受けたためにこのエピソードでは合流できなかったクーの生真面目さが自然に微笑ましく感じられるのも、ゼロの蘇生が確信できたこのタイミングでの再登場ならではでしょう。相変わらずのミュフェと罰でしなびてしまったデュケの様子も面白いです。

群青のマグメル第58話感想 ~他者の理解

第58話 壁 26P

ヨウは拾因から渡された完全構成力を使用してゼロの蘇生を試みますが、修復は表面的なものにとどまり息を吹き返させることは叶いませんでした。ここで立ちはだかるのが、他者を理解することは誰にもできないという現実です。もちろん今回で問題にされているのは構造の能力の対象としての他人への理解なのですが、先のエピソードにおいて描写され続けた他者の感情が理解できないというアススの苦悩により、その困難さは読者にとっても非常に説得力のあるものとして受け取ることができるようになっています。他者の全ての細胞の構造を理解することは、アスス程ではないにしても、人間が他者の感情を完全に理解することのように困難なのです。

他者からの理解によるゼロの蘇生が不可能ということならば、残る可能性は自分自身からの理解にしかありません。言葉だけ見れば突飛なようですが、自分の理解という構造者としての技術をヨウが実現していることは、既に作中で幾度もほのめかされています。現実と幻想を両立した構造が可能なのも、第53話で新たな能力に覚醒したのも、限りなく同一存在ながら別個体の自分を理解しその能力も理解したためなのでしょう。ゼロも同一存在ながら別個体の自分から理解してもらえれば、完全な身体の構造による蘇生が可能となるはずです。20P上段のコマの表情を見る限り、原皇との会話の中でヨウはそれに気が付けたようです。

そして今回、今まで存在の示唆されていた3人目のヨウらしき人物が確認されただけでなく、3人目のゼロらしい人物も新たに登場しました。ヨウらしき男性の方は第53話5~7Pで登場した男性と同一人物と思われますが、彼らの正体はまだ謎だと言うことしかできません。第53話の「同時刻――― 遥かのマグメル深部――」という表現も、ひとつの世界における遠隔地での同時刻とも、並行する別世界における同時刻とも捉えることができます。自分の理解という技術を知らないようであること、黒髪であること、因果限界が小ぶりで六角形であることなどの点から、とりあえずは実はあの拾因が生きていた姿だということではなさそうです。服装の点では、第10.5話におけるヨウ・ゼロと全く同じであることが大変気になります。これまで私は第10.5話のヨウ・ゼロはいつものヨウ・ゼロと同個体だという前提で考えていましたが、ここが覆るかもしれないとなると、根本的に一から考え直さなくてはいけなくなりそうです。現在のところ立てられる仮説ついては後日まとめ直してみます。

話題は少々本筋から外れてしまいますが、『群青のマグメル』の死の扱いで興味深いのが全ての細胞の死を阻止すれば一旦死亡が確定した後でも蘇生は可能だと示されている点です。心身二元論が浸透している多くの日本の創作物だと、ここは体は回復しても魂は戻らないという方向で完全な蘇生を目指す展開になるところではないでしょうか。しかし感情と物的構造の両方についての言及はあるものの、生命をあくまで物理的な身体に宿るものとして扱っているところに中国的な、ひいては第年秒先生の漫画らしい「もの」の捉え方を感じます。第年秒先生の中国における代表作である『長安督武司』でも、肉体から切り離せる形で人格を司る魂が存在するというより、人格は記憶から生まれ記憶は身体に宿るという描き方がなされていました。もちろんこれはこれである種の創作上のハッタリではあります。ですが、物質を土台とし地に足を着けたハッタリを創作の根底に置いていることには、現在の『群青のマグメル』では神や擬神といった観念的と言ってもいい領域の話題が取り扱われているだけに、身体感覚での理解を拒絶しない安心感があります。

本筋の話での他の話題では、ルシスの正体については、もう完全に神明阿一族の「若様(少爷)」だと断定してしまっても良い状況だと言えるでしょう。目的も人を若返らせる恵みを手に入れることだと判明しました。アミルが協力していることを考えると本当の願いは別にあるのかも知れませんが、若返りを願うというのはたとえば自らの恒久的な支配を目論むラスボスなどに定番のものであり、いい意味で理解しやすいです。この場面はほぼ会話のみで構成されていますが、精神と体が明らかにダメージを受けていながらも平然と笑みを絶やさないルシスの不気味さや、アミルの派手ではなくとも鋭さのある動きにより、緊張感をもって仕上げられています。また、擬神に瞳が入ることで、それまでの禍々しいだけの印象からキャラ性や人物性に近い可愛らしさのようなものを感じられるようになったことが面白いですね。ルシスの神を拝む動作が、西洋的な掌を組むものでなく東洋的な掌を合わせるものなのも、神明阿一族の文化の混交を感じられて興味深いです。