群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第68話感想 ~受け継ぐもの

natalie.mu

第68話 交渉 24P

原皇ティトールと聖国真類の強者会との同盟に向けた交渉が行われます。ともすれば退屈になりがちな場面ですが、各人の意見と立場がはっきり示されたことと同盟成立の条件が1話で明確になったことで複雑な状況がわかりやすく整理され、密度のある舌戦の緊張感が楽しめます。

扉絵の人間の女性はちょっと見覚えがありませんね。今後重要となる人物の先行登場でしょうか。もしくはさり気なく登場していた人物を、本編でまた出る前に再登場させたのかもしれません。

同盟の条件

同盟締結のため強者会の6人の出した条件のうち、4人の分は表向きでもティトールが検討を受け入れられるものでした。この中で個人的に面白かったのは宣誓を石碑に刻み各部族にも送るという条件です。第年秒先生のセンスもあって聖国真類の文化からは大陸のアジア的な要素を感じることが多く、この条件からも実際に中国周辺の多くの地域で多くの民族が多くの言語とともに残した石碑の数々を思い起こさせられます。中華圏では古来から歴史を記録し受け継ぐことを重視する傾向が強いとされています。

同盟の障害となるのは残り2人の分の条件です。ティトールは聖心祭での強者会のメンバー入れ替えの大会でクーを支援することを提案し、そこまでは私も予想していました。しかしクーを利用することにヨウが反対したというのは意外です。リアリストなヨウではありますが、現在はゼロを助けるために行動しているからこそ親しい相手を危険な目に合わせたくないようです。とはいえ強者会入りはクー自身の望みでもありますし、黒獄小隊の乱入もほぼ確実ですが、自力で1人は蹴落として欲しいところです。同盟締結の点からは、絶対反対の立場を取るトワと入れ替わりになれば交渉が前進しそうです。さらにヨウは残り1人のラーストの出した条件と原皇の面子を折り合わせる方法を考えており、ここが知恵の見せ所となるのでしょう。能力の封印に抜け道があることは今回の手枷とイヤホンの件で示されていますし、主人公の活躍にふさわしい面白いアイディアを期待します。

150年前の遺恨

ラーストの出した条件にしろ、カイン・サイ・ナイルの出した条件にしろ、焦点は150年前にフォウル国が聖国真類を裏切ったというある事件に置かれています。フォウル国が聖心に侵攻しようとのことですが、神明阿ウェイドとティトールが接触したというのですから神明阿一族も絡んだ事件のはずで、具体的に何が起きたのかがとても気になります。当時の指導者だった先代とティトールの関係にも興味がそそられます。黒い瞳のヨウとともにいたティトールが原皇の地位になさそうなことから私は今までティトールが原皇なのは生まれついての世襲ではないと考えていたのですが、強者会との会話のニュアンスからするに王朝交代のようなものは起こっておらず先代とティトールは血縁だと考えたほうが自然なように思えてきました。だとすると6Pの回想でティトールが抱えていた首は先代である父か祖父、あるいは後継者となるはずだった兄のもので、150年前の事件の直後の可能性が高いのではないでしょうか。ティトールの年齢は中文版では200~300歳なので、人間でいう10代前半と思しい回想の外見的にも妥当なはずです。23部族が22部族になったというのも、ティトールの一族が彼女を残して全滅して部族とは呼べなくなったことを指していそうです。黒い瞳のヨウの世界でティトールが最年長のエリンのひとりなのは、長寿だった彼女の一族の年長者がみんな死亡してしまったからでしょう。もちろん原皇は世襲でなく、先代の失策によりティトールの一族が滅亡したため彼女が簒奪者となった可能性も残されています。どちらにせよ黒い瞳のヨウの世界とこの世界のティトールの、負の面も含めたフォウル国を受け継いだかどうかの立場の違いには、150年前の事件の影響の仕方の違いが関わっているのかもしれません。

種族、一族、家族

現在種族としての最強は聖国真類ですが、個としての最強はティトールだといいます。そんな彼女が聖国真類に感じている嫉妬とは、聖国真類が一族として存続していることそのものに対するもののように思えます。聖国真類がおめでたい風習を維持できること、弱肉強食の世で自分たちの価値観を信じられること、それらを語るティトールはただ妬んでいるというより寂しげでさえあります。一族唯一の生き残りかもしれず原皇として孤高にあるティトールと、祭を前に賑やかに飾り付けられた里の様子や久しぶりの人間を面白げに見つめる人々の様子はひどく対照的です。

聖国真類はティトールの言う通り鼻持ちならず更に堅苦しくて交渉には苦労させられそうな相手です。ティトールが表向きながらヨウたちの味方なこともあり、ムカつくという彼女の感想は大いに頷け真類をやり込める手口にも期待したくなってしまいます。とはいえその傲慢さは事前の情報やクーの性格から予想できる範囲ですし、何よりも里にはいきいきと暮らす人々の営みがあります。飲み物を取りに行った先での生活感も印象的です。両者の納得の行く形でこの同盟の交渉が成立することを願いたくなります。もし今回は決裂したとしても、最終的には人類も含めていい落とし所が見つかって欲しいものです。それは黒い瞳のヨウの叶わなかった夢であり、現在のヨウが受け継ぎ、そして彼自身が叶えたい夢でもあるのです。

群青のマグメル第67話感想 ~悪役の生き方

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第67話 遺言 24P

黒獄小隊と原皇の本体の動向がメインとなる回です。主人公のヨウは社会的に善良な人間ではありませんし、聖国真類も完全に潔白な勢力というわけではありませんが、三大勢力の内の悪役としての役割を担う二勢力の掘り下げがあります。

任務の失敗

聖国真類と原皇の同盟成立を阻止するという任務を受け、カーフェ率いる黒獄小隊14名はヨウの暗殺を図りますが、早々に失敗します。聖国真類が人間如きを迎えに行くとは予想できなかったためであり、ヨウとクーの信頼、さらに連絡を繋いだ原皇と、現在のヨウの人間(とエリンの)関係が彼らの大きな力になっているのがうかがえます。8対2~3人という頭数の差もさることながら、名指しでクーが暗殺不可能な理由に挙げられていることは、そこから彼らの力量の格をおおよそ把握できて興味深いです。あと単純に嬉しいです。

死に臨んで笑う

カーフェたちは再度任務に挑むのですが、作戦内容は200人以上の構造者のいる聖心城の聖心祭に突入するという絶望的なものです。それをピクニックという言葉で表し任務はついでという言い方をするのが、カーフェらしく意地の悪い遊び心で面白いです。

全滅が必至だと確認され遺言を残そうという話になった時さえ湿っぽさは全く無く、やけになった面もあるとはいえ隊員全員で笑って前向きになっていることが、刹那的で享楽的に戦いへ挑む彼らの価値観を示しています。遺言というかたちで一気にキャラ立てが行われ、描写の手際の良さに唸らされます。どのセリフも表情も、簡潔ながら端的に彼らひとりひとりの生き生きとしたキャラ性を伝えてきます。リーたち3人、フェルミオン、隊長も話題にのぼり、黒獄小隊19名全員に言及があるのが丁寧でいいですね。各人の遺言単体では黒曜のものがあるある感があって面白かったです。主人公側の男2人が色めいた話では淡白すぎる分、悪役に親しみの湧く俗っぽさがあると妙に印象に残ります。ですが続くバールの遺言は俗っぽさの極みと言うべきか、むしろ開き直った度胸を認めるべきか、とにかくとんでもないオチがつきました。ボーガンの遺言自体もベッタベタさにクスリときたのですが、それが仲間内の残酷な真実の前フリに使われると思ってもみませんでした。しかしそれさえもがギャグとして扱われ、2人の取っ組み合いが隊員たちの賑やかな喧嘩に発展していき、結局はみんなで楽しくなっているように見えます。間違っても身近にはいてほしくない連中ですが、悪役なりに仲間意識があったり楽しそうにしているところを見ると、読者としては愛着が持てて面白いです。

部下たちを眺めながら、カーフェは笑みを浮かべつつも禍々しくそして真剣にマグメルの統一という願いを言い残します。いつも人を小馬鹿にした態度のカーフェですがこの願いは本気のもののようです。何か裏付けとなる過去はあるのかないのか、あったとして描写されるのかどうかはともかく、悪役にも悪役なりの信念があるのはいいですね。任務の性質や、これまでの行動や、目の前の無関係のエリンの集落を聖心祭に突入する際の供物にしようとしているなどことから、カーフェが黒獄小隊副隊長として死ぬことからは免れないでしょうが、最期まで彼なりの信念は貫いてほしいです。部下たちともども派手に殺して派手に散ってくれることを期待します。

華の散り際

原皇は端末としたゼロの体でヨウたちと同行していますが、裏では本体で神明阿の第四要塞へ進軍しています。マグメル統一の野望を改めて示し、完全構造力で何かを企み、原皇が少なくとも今はまだ毒の華のような美しさとともにヨウたちを欺く敵であることが確認されます。ここで注目しておきたいのが「三大勢力のうち二つが滅んでこの戦争は終わる」という原皇の独白です。敵の野望はくじかれるべきものであることを考えると、話の展開上クーたち聖国真類が生き残るのは間違いないとしても、それが残り2つの勢力の滅亡を意味するとは限らないという気がします。原皇でないティトールは第33・34話のヨウにとって紛れもない仲間だったようで、それを知る現在のヨウも一応は仲間になったティトールをできれば死なせたくはないでしょう。彼女は負ければ滅ぶと考えているようですが、それでも生き延びさせられたり裏切る機会を逃してしまったりする可能性はあります。一方で完全に敵である神明阿一族は、散ってこその悪の華を感じさせる勢力ですし、多くの当主や幹部を亡くし人界への支配力を失うことは避けられないはずです。ただ、だからこそ見苦しくとも生きていかねばならない者もいるのかもしれません。

何はともあれ、先のことを考える前にまず目の前の戦いを片付ける必要があります。原皇は残り10キロと迫った第四要塞を見据えて微笑むのですが、背後の空間から静かに神明阿ウェイドが浮上しています。演出が完全にホラーのそれで、不気味さに息を呑むとともに、恐ろしさから伝わる強さにも興味が惹きつけられます。拾因より条件は厳しそうですが、どうやらウェイドも空間の接続に係る幻想構造を持つようです。第59話で「美しく生き美しく死ぬ」と言っていたウェイドと、150年前に因縁があるらしい原皇とが、どんなバトルを繰り広げるのかが楽しみです。

群青のマグメル第66話感想 ~造物主とまがい物

natalie.mu

第66話 懐かしさ 24P

クーたち聖国真類に原皇が同盟の意思を持っていることが伝わりました。ゼロが現在原皇の端末となっていることやその印を隠さず示し、ヨウも事態の成り行きのおおよそは伝え、展開がテンポよく前進しています。

造物主と被造物

神明阿がマグメルの意識を擬神として具現化したという事実は、原皇の考えからしてもクーの反応からしても、対神明阿の同盟結成の鍵となる重大事項として扱うべき問題だと明らかになりました。マグメルの意識とは、原皇にとっては推論としてのみ知識に留めていたものですが、聖国真類にとっては自明の存在であるだけでなく造物主つまり神として崇めるべきもののようです。

幻想を現実に具現化する構造の能力、その源がマグメルであることは度々示唆されてきました。マグメルが生命を含めたあらゆるものの構造者となりうることも、ダーナの繭の事例などから明らかになっています。伝承や信仰が事実をそのまま反映しているとは限りませんが、話の構成上この場面でわざわざ造物主についての言及があったからには真実の少なくとも一端がすくい上げられている可能性は高いと思えます。マグメルの意識によって世界が構造された可能性があることやそれに人為が関与しうることが、同じ舞台や人物が多重に存在する世界の謎を、あるいはどちらかがオリジナルでどちらかがコピーだという可能性があるのかを、解き明かす要となることを期待したいです。

造物主と構造者

また、構造者という異能者の存在がストーリーの根幹をなす『群青のマグメル』の世界観描写の面からも、造物主という言葉には惹きつけらるものがあります。まず聖国真類の信仰が示されたことでメインキャラクターであるクーへの理解が深まり、ますますエリンたちの思想や文化、それを育んだマグメルという土地への興味が掻きたてられました。こういう未知の理解へのワクワク感は探検・冒険ものの、特にファンタジー要素を含んだ少年漫画の醍醐味でしょう。

エリンとは対立する人類である神明阿一族の信仰も注目したいポイントです。造物主が完全な幻想ではなく具体性を持つ存在なだけに、彼らの現状の神への定義は聖国真類とも一致しているようですが、聖心へのアプローチは侵攻という正反対ものとなっています。重役であるルシスは生命の構造に並々ならぬ興味を抱き、神明阿アミルは神の座を奪おうとしていることを明言しており、一族としての方向性には不明瞭な部分があるもののただの現世利益の追求以上の思惑を感じ取らずにはいられません。もしかしたら「マグメルに愛された人間(聖洲眷顧之人)」ではあるにしろ被造物であり造物主のまがい物に過ぎない構造者が真の造物主となるために、生命の構造を成し遂げることが不可欠だと考えている可能性もあります。

若様と黒獄小隊隊長

アミルとルシスの2人が若様と黒獄小隊隊長であることは間違いないでしょう。しかし神明阿と明確に名乗ったのはアミルの方のみながら上祖たちと共通する顔の特徴を持っているのはルシスの方であることなど、2人の関係にはまだ多くのミスリードが残されているようです。神明阿ウェイドがすれ違う際に呟いた「やはり現実は幻想よりも劇的だな」という言葉へのアミルの意味ありげな反応も、彼の本当の出自とそれに関わる複雑な感情を示唆しているように感じます。この神明阿ウェイドは上祖たちの中でひとりだけ再生死果を口にしなかった人物であり、アススとはまた違った意味で一癖ある言動をしています。第4堅龍要塞へは対ティトールの時間稼ぎに赴くということですが、リーたちや一徒たち懐かしい顔ぶれも揃っているだけに、興味深いバトルが期待できます。ひとりだけという話題では、黒獄小隊19名の最後の1名は第2要塞のフェルミオンという人物だと考えていいようです。彼がひとりだけそこで任に就いているのは第4要塞の3人や第5要塞の14人と違い擬態の幻想構造による後方支援などを担当しているためでしょうか。見た目も他の黒獄小隊隊員よりも戦闘向きでない研究者的な印象があります。

感情の真偽

ティトールと神明阿ウェイドは150年前に戦ったことがあるようですが、クーの言葉からすると150年前にはフォウル国と聖国真類の間でも衝突があったようで、この時に多勢力の関係する相当に大規模な武力衝突が起きていたことは間違いないでしょう。口ぶりからして聖国真類との戦闘には関与しなかったようであるものの原皇として同盟を持ちかけている以上ティトールはフォウル国の責任を負う立場なのですが、それでも審議なしには拒否できないという理由でヨウたちも含めてクーに聖国真類の領域へ向かうことを認められます。

この場面ではクーが規律に従っているようでその実以外と建前を利用しているところとその自覚がなさそうなところが彼らしくて面白いです。普段のふてぶてしさの薄れたヨウに自分まで調子を崩してしまったりする無器用な優しさもまた彼らしさです。ヨウの方はクーたちと会話するうちに何時も通りにイジれるようになったりと精神的にだいぶ回復できているようです。ここで興味深いのはヨウを一番和ませているのがミュフェの気の強さに元気だったゼロを連想したことにある点です。現状ゼロは亡くなってはいないにしても生きているとはいい難く、そんな状態で元気な他人に面影を重ねて嬉しくなってしまうことは危ういごまかしをはらんでいます。ただ、そうすることで救われる感情が存在することはどこかで確かに実感できるものなのでもあるのです。

ヨウはクーとミュフェとの3人でおしゃべりすることで、クーとゼロとの3人でおしゃべりするような懐かしさを味わっています。そんなヨウを見るトトとティトールも、付き合いの短さに見合わない奇妙な懐かしさに囚われます。2人にはその理由を知るすべはありませんが、読者としてそれが黒い瞳のヨウたちの失われた光景であることを知っている私には、懐かしさだけでなくひどく物寂しくなる思いが胸に迫りました。しっとりと琵琶を爪弾くティトールの美しさは、そっけない風を装い認め難く思いながらも、自らを包む感情の特別さを誰よりも知る彼女の胸の内を静かに力強く物語っています。ティトールが拾因に特別の関心があるのも、この仲間としての懐かしさと温かさに複雑な感情を呼び覚まされるゆえのことのようです。普段はエキセントリックで高飛車なだけにこうした一面がふと覗くと印象に残ります。もっともこの顔こそが本物で原皇としての顔が外面的な偽りなのかといえば、それもまた違うのでしょう。女皇様らしさも紛れもない彼女の魅力であるように、他者を攻撃する闇のある顔や感情も彼女自身が培ってきたものだからです。

その時々で浮かび上がる表裏は入れ替われど、つくりあげる者にとって、どの感情が真でどの感情が偽だとはそうそう言えるものではないのだと思います。

群青のマグメル第65話感想 ~違う自分たち

natalie.mu

第65話 親友 24P

今まで小出しにされてきた伏線的な要素に一定の方向性が与えられる情報整理が中心の回です。ラストでは思わぬピンチやファンには嬉しいストーリーの進展もあり、バトルは無くとも静と動のメリハリが楽しめます。

2人のヨウと3本の鍵

描写から推察はできても確信は持てなかったあの黒い鍵はいつもの世界に3本あるのではという疑惑が解明され、確定事項として扱えるようになりました。持ち主も、①いつものヨウ、②いつものトト、③第53話や第58話などで登場した「アイツ」、の3人だと確認されました。この種の作品だとどうしても信頼できない語り手の問題を考えずにはいられないのですが、ヨウは違う自分の記憶が再生されたことで概ね真実を把握したようですし、読者に明かしていない情報は多いものの独白で示した事柄については今のところミスリードではないと考えていいはずです。

ヨウたちと念動結晶の性質

鍵の持ち主の謎で焦点となるのが「アイツ」の正体です。第10.5話のヨウは、服装が同一である点やルシスと初対面の時から既に鍵を手にしている点から、いつものヨウではなく「アイツ」であるヨウと同一の個体である可能性が高いと思われます。だとするといつもの世界に少なくとも現在はいつものヨウと「アイツ」の2人のヨウが存在することになります。感知できた宝箱は1つだけであり、並行世界の存在までは感知できないと考えられるからです。第10.5話の出来事も別個体のヨウの出来事でありながら、別世界でなくいつもの世界で起きたのかも知れませんね。「アイツ」が最初からいつもの世界で生まれた個体なのか、あるいは別の並行世界から転移してきたのか、いずれにせよこの先の展開に深く関わってくることは間違いありません。

またヨウによるといつものヨウの鍵か「アイツ」の鍵かのどちらかが完全構造力で複製された物だそうです。紐のついたこれらの鍵は第52話で黒髪のゼロからちぎれ飛んできた物のはずで、だとすると以前の持ち主は黒い瞳のヨウだった可能性が高いです。それをいつものヨウはインがくれたと言い(ますが実際は拾因の遺体の傍で拾った原皇から受け取り)、「アイツ」も第10.5話で古い友人からもらったと言っていました。拾因が黒い瞳のヨウと深い関係を持っていることは間違いないものの、完全に同一の個体なのか、聖心の力を借りるなどしてつくりだされた黒い瞳のヨウの複製なのか、それ以外なのかはまだ断言できません。完全構造力による複製というキーワードが、いつものヨウ・ゼロと「アイツ」であるヨウ・ゼロという全く同じ身体的特徴を持つ2組に関わるのかも謎です。文字通りの謎の鍵の素材である念動結晶の、分割された同一個体が引き合うという性質はいかにも示唆的です。

オーフィスのお題

話は逸れますが、引き合う念動結晶製の鍵と鍵穴なのでそれを知っていれば地図は必要ないという点、大きな念動結晶の大部分が鍵穴の中に仕込まれている点、希少な鉱物である念動結晶は宝と呼ぶにふさわしい点などからするに、あの宝箱の中身の小切手とは表向きかつ目眩ましの宝に過ぎないのではないでしょうか。第33話でオーフィスがヨウとゼロにろくなヒントも与えずに鍵だけを預けて歩行樹に置いた宝箱を探させたのも、鍵が念動結晶製であるのに気付き宝箱に隠した念動結晶を見つけることこそが裏かつ真のお題だったからという可能性が考えられます。あのヨウとゼロは自力で宝箱にたどり着き小切手を得ましたが、それではオーフィスの意図からするとバツではないにしろ三角だったのかもしれません。

過去のヨウ

ヨウは拾因との想い出の家を訪れ幼い頃の自分を振り返ります。かつてペットを一口も残さずペロッと食べたという内容がさらりと扱われるとんでもなさが、ヨウでないと成立しないギリギリのバランスで興味深いです。ヨウは一見全く意に介していないようですが、「…一口もくれないんだね」という拾因の言葉に対する反論で全て食べたことだけでなくプーちゃんに手を出したこと自体にまでわざわざ言及した点からするに、拾因が初めの言葉に続けてそのことをたしなめようとしているのを察して先に弁解しておきたくなった様子がうかがえます。留守にする自分の身代わりに寂しくないようにと拾因が残したプーちゃんを食べてしまったのがまずかったことくらいは、当時のヨウでも理解していたようです。ただ、ずっと放って置かれて拗ねるヨウに対して、拾因が叱るのをやめて謝った気持ちまではまだわからなかったでしょう。わからないなりに印象に残ったらしいその拾因の表情を、自分が保護者的な立場となっている現在のヨウは、懐かしく思い出しつつも身にしみて理解していたはずです。

主人公であるヨウ

今のヨウには守るべき家族も気の合う同行者もいますし、進んでみんなと食糧を分け合う気持ちもあります。そして頼りになる親友もいます。

追ってきた雷覇龍魔から家族の想い出の家を守るため主人公が立ち向かうという勇ましくも絶体絶命の場面で、颯爽と登場し危機を救うというライバル系キャラとして実に美味しい出番をクーがもらっての久々の2人の再会です。ただヨウ視点での再会の演出がドラマチックに決まっているだけに、深層心理的な部分や実際の行動ではともかく言葉の上ではクーの側は友達だと認めていないということを考えると、若干こそばゆいというか青春というか茶化したくなるところもなくはないのですが。

後でお互いにもう少し踏み込む機会があるのかどうかはさておき、この微笑ましい友情が続けられるかどうかは人界とマグメルの関係の行方にかかっています。そのためにまずヨウは聖国真類と原皇の同盟を成立させなくてはなりません。クーはもちろんミュフェとデュケも交渉の余地はありそうですが、それ以外の聖国真類はヨウに対して警戒心を露わにしています。体が傷ついている今、ここでの手腕が主人公としての見せ場になるだけに、ヨウにはその知恵と胆力を遺憾なく発揮してほしいです。

群青のマグメル第64話感想 ~帰郷

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第64話 深部へ 24P

マグメルの本当の深部である超空間移動プレートの内側へと物語の舞台が移ります。トトにとっては未知への冒険であり、ヨウにとっては帰郷と言ってもいい道程です。

超級危険生物とのチェイス

まず大転生の河の生物を追い払うため、あえて雷覇龍魔との追いかけっこに挑むヨウたちのアクションが繰り広げられます。空間的なスケール感を強調した構図のコマが重ねられ、小型な飛雲龍のすばしこさが伝わりつつ、巨体でそれに追いすがれる速度を持つ雷覇龍魔の恐ろしさも印象付けられます。飛雲龍も現状のヨウたちも対抗しようにない巨大怪魚の不気味さをしっかり描写してから、それを雷覇龍魔が一撃のもとに下すことで破壊力を強調する描写の手際も流れるように見事です。この見開きでは雷覇龍魔VS怪魚の強大さと飛雲龍の小ささの対比が大迫力で決まっているだけでなく、うろたえているトトの常人らしさと対比される形でヨウの冷静に状況を俯瞰している非凡な格好良さが改めて確認されます。トトの方もそのあとのコマでの小鉄の前途に願うのが平和だという場面から、等身大な価値観と優しさの魅力を感じることができます。

現在の家族と過去の家族

雷覇龍魔に追われながらもヨウたちはマグメルの本当の深部に到着します。アクションの勢いはそのまま引き継いでいるからこそ、かつて暮らした地にたどり着いたことをヨウが呟く際の静かな緊張感が際立ち引き込まれる場面です。伝えている相手が原皇さえ抜けた完全に空っぽの肉体しか残されていないゼロだということで、なおさらに澄んだ物寂しさに満ちています。蘇生の可能性が残っているとはいえ、現状魂の存在や定義が不確かな世界観だからこその、肌触りが感じられるようなリアリティのあるやるせなさです。現在の家族でありながらいずこかには在ると言っていいのかさえわからないゼロに対し、過去の家族である拾因との思い出を語りかけずにいられなかったヨウの溢れる感情が胸に迫ります。肉体的なものにしろ形而上学的なものにしろ、魂の在り処がはっきりしてしまっていたらこの不安感は出ないのではないでしょうか。

そして今回の最後の場面でヨウは第8話などで出ていたあの家を発見し、ここが本当の意味で故郷であることを確認します。この機会に第8話などの思い出の詳細に改めて触れてくれ、拾因の過去と正体という謎が一端でも明かされることに少し期待してみたいです。

超空間移動プレート

マグメル大陸と超空間移動プレートという言葉の謎については、今回である程度説明されました。

超空間とはプレートの内側の空間が歪み外部の観測からは信じられないほどの広大な土地がそこに格納されていることを指すようです。五大陸を合わせた以上の面積だと言われてるというのですから物凄いスケールの大きさです。かつてマグメルが島だった頃からエリンたちが高度な文明を持っていたという設定にも納得できます。この空間の歪みという点から考えるに、もしかしたらマグメル新生とは外縁部の空間の圧縮が何らかの原因で弱まってしまったことで起きた現象なのかも知れないですね。真相が気になります。もしそうだとしたらその原因は完全な偶発なのか、あるいは人為が関与しているのか、そういったことを考えてみるのも楽しいです。

移動という部分は、プレート自体が移動するというより、説明の中で言及されている激しい地形の変化のことを指していると考えたほうが良さそうです。マグメルには神とも呼ぶべき意識が存在するだけに、内部では生物の新陳代謝にも似た変化が起き続けているようです。ちなみに日本語版では省略された説明ですが、中文版の第31話ではマグメルの拒絶する力とは人体が進入した異物を排除するのと同じものだと触れられていました。ただ、もしかしたら移動の意味については後でより詳しい説明があるかも知れないので、これはあくまで現状の情報に対する推論ですね。

トトのスレンダーボディ

そんなこんなで拒絶力の影響を受けたトトがいきなりすっぽんぽんにされます。常人であるトトには災難の連続です。同行者が全裸に全く反応を示さないメンツなのは不幸中の幸いと言うべきか、作中でのラッキー感がまるで無いせいでサービス感が出ずに脱がされ損でやはり不幸と言うべきか、極めて判断の難しい局面となりました。一糸纏わぬ姿の女性を目の当たりにしながら、素の状態で完全に無反応なヨウは相変わらず常人には理解不能な底知れなさを湛えていると言うしかないのでしょうか!?もしもこの場面で何か断言できるとするならば、これはいわゆるひとつのシュールギャグであるということだけなのかもしれません。第36話といい、原皇(巨乳)だけでなくトト(貧乳)もサービス要員(貧乳)として妙にインパクトのある場面で起用されている印象があります。

この時すっ飛んでいったスモールビックトーをヨウがキャッチしている描写がわざわざ入っているのは、もしかしたら後で活用する機会が来るからかも知れないですね。期待してみたいです。また、いくらこのメンツとはいえ全裸のままでは可哀そうなので、早くトトに新しい服を見つけてあげて欲しいです。そういう意味でもあの思い出の家にヨウたちが立ち寄ることを期待しておきたいですね。

群青のマグメル第63話感想 ~現状の戦力の確認

natalie.mu

第63話 河渡り 24P

マグメルでの冒険の難関突破を通じて、ヨウたち一行の戦力をはじめとした現状の確認をする回です。

心躍る危険

まずは原皇によって大転生の河に生息する生物の危険性が説明されます。リアリティを感じられるもっともらしさとファンタジー的な外連のバランスが取れていてなかなか面白い世界観解説です。特に河の魚の変異毒に強い肉体を持つクエスタクリーチャーなどなら対抗できても、それより戦闘能力があろうとエリンやヨウたちでは無理だというのは、バトルの枠を超えた場所でのサバイバル感があってワクワクします。

また、ここに限らず今回は捌くべき情報量の多い回なのですが、絵での解説にも力を入れ、情報量の疎密に変化をつけることで、説明がスムーズに飲み込めるようになっていて展開が素直に楽しめます。さらに、毎度のことながら説明を聞くヨウが「拾因に聞いていないかい?」と言われているのが可笑しいです。同じようなことはクーにも言われていましたね。確かに拾因は大事なことをヨウに伝えていなかったりましたが、細かい知識はヨウの注意力や記憶力不足で覚えていないのが大半な気がします。サバイバル能力には隙が無い分こういうところに人間味がありますし、笑えます。

未だ傷は癒えず

原皇が端末としているゼロだけでなく、ヨウの構造の能力でも手負いの現状では河の正面突破が難しいことが確認されます。一時は完全に会得した幻想構造だけでなく現実構造さえも満足に扱えず、通常なら問題なく突破できたはずのこの河にもきちんと本腰を入れて取り掛からなければならない状態です。その上で、常人のトトも連れている現状だからこそ、冷静さを保つためにあえてリラックスしようと努めているヨウが面白いですね。メタ的に見ても、マグメルのストーリーが陰鬱一色にならないためにはヨウに適度に明るくしていてもらう必要があるのですが、ゼロの死というシリアスな根底がないがしろにされているように見えてしまっても台無しですし、おちゃらけて振る舞うのはあえてだと念を押すことで上手くバランスが取られていると感じました。配慮のある描写が確認できたことで、これから待ち受けるだろう描写の難しそうな展開に対しても自然と信頼感が持てます。

知恵ある性悪たち

戦闘力の物足りない現状のパーティで河を突破するために、ヨウと原皇は息の合った連携を見せます。この時にいちいち細かい確認をせずともお互いの手を把握しながら動いているのが、2人が同格の知恵の持ち主であることを示していて興味深いです。それにトトが置いてきぼりにされかけつつどうにか付いていかされていて、読者とヨウたちとの距離感の一面も端的に表れているようでなおさらに面白いです。

ヨウを囮にして背後から原皇が攻撃を仕掛け、雷覇龍魔を飛び立たせて河の生物を追い払うという作戦自体は理に適っていて、これまでの冷静な雰囲気に則ったものです。雷覇龍魔のクエスタクリーチャーとしての威厳のある力強さの演出も的確です。そこにアクション面でもサプライズ面でも思わぬ動きをつけてくれるのが、原皇によるオーバーキルな巣の卵への爆弾攻撃です。単なる作戦遂行以上に18Pでの「こういう偉そうな奴を屈服させるのが楽しいんだよねぇ」という欲望を満たす気が満々で、実にいい顔をしています。さすがのヨウも引き気味です。共闘中とはいえ裏切るつもりなのを読者は知っているので、100%悪役ムーブメントな過激さにはある種の爽快感さえ覚えてしまいますね。この先原皇がやはり敵となるのか、それとも本当の意味で何らかの協力がもたらされるのか、興味は尽きません。

他方で、現状まさしく敵である神明阿一族がマグメル深部侵攻のための戦力を整えている様子も確認でき、そちらも目が離せません。少ないページ数ながら、思い切った見開きの迫力で表される部隊の規模と、ルシスとアミルの存在感は、ヨウたちの冒険に確かな影を落とそうとしています。マグメル深部にも人間の暴力の気配が確実に迫っているのです。

群青のマグメル第62話感想 ~脅威に包囲されながら生きる

natalie.mu

第62話 境界線 24P

扉絵は第二部になってから本編ではまだ一度も再登場していないエミリアです。第一部ではレギュラーだっただけに、忘れられてはいないことがここで一応示されたのは嬉しいですね。本編での再登場にも期待を持ちたいです。もしかしたら出番が少ないことをラストで茶化される役回りになってしまうかもしれませんが、むしろストーリーにしっかり関わるかたちで出番が来るとなると酷い目に合わされそうですし、現状それなりに平穏な日常を遅れているのならそれはそれでいいのかもしれません。

今回の本編では、人界とマグメルの軋轢の脅威に包囲されつつある状況ながらも、ホームドラマめくほどにまともな日常を送る聖国真類のクーと、久々に冒険の傍らにある日常を取り戻した人類のヨウの様子が描かれます。

爆発するリアル

クーのパートでは初っ端から同郷の少女からお誘いを受けるという爆発的にリア充なイベントが発生します。眼福です。その後もオタク化をたしなめられたり人の良さに立身出世を悲観視されたりしつつも、そうした点さえミュフェには可愛げとして受け取ってもらえているようでプラス材料です。ふくよかなお母様からクーちゃん呼ばわりの子供扱いされていること、そんなお母様に反抗期まがいの口答えをすること、それを女友達にツッコまれること、まさしく青い春の真っ最中です。お母様からミュフェの子作りが応援されているように、聖国真類としてのクーは身体的にも立場的にも大人の仲間入りをしたとみなされてはいるのですが、だからこそケツの青い若造といった感じが際立ちます。ミュフェのお誘いを完全スルーするのも、大人らしく受け流しているというより反応できないガキっぽさのように思えます。こうしたクーの交友関係はなんとも羨ましいばかりです。

故郷でのクーの様子には、彼が聖国真類としての誇りを高く抱いていることを深く納得させられます。誇りの高さとは愛着の強さです。彼が人類に理解を示すのも、仲間や家族を大切に思うのを前提にした上でのことなのです。おそらく黒い瞳のヨウと知り合いのクーもそうだったのでしょう。それ故にあの時彼らは互いに目を逸らさなければなりませんでした。

真類の頂点と同盟

聖心祭に対する現在のクーの口ぶりから判断して、クーはそこで自分の実力を発揮して真類の頂点に立つつもりのようです。もしかしたら聖心祭では武芸大会のような催しがあり、その結果に応じて強者会のメンバーや族長が決定されるのかもしれません。そうでなくとも力を見せることが地位を得るのに直接つながっていることは間違いなさそうです。ならば族長とはいかずとも重役に就けるだけの結果をクーが示せば、ヨウの目指す原皇と真類との同盟計画がぐんと進めやすくなるはずです。ミュフェの言う通り実力以外の部分で不安は残りますが、ミュフェや場合によってはヨウの後押しがあれば十分に現実的な案にできそうです。

冒険の傍ら

ヨウのパートでは、久々にまともに冒険をしている探検家らしい探検家が出てきます。ヨウたちがたまたま結果的に彼らを助け、駐屯地に送り届けまではしないものの、久々に拾人者らしい働きをします。ヨウの超人性がまともにヒーロー的に発揮されてそう評価してもらえるのも久々のことで、なかなか感慨深くなる場面でした。しかし常人でありながら同行することになったトトはどうしてもこの超人性に現実離れを感じてしまうらしく、この騒動の最中テンションが現実逃避気味の妙なことになっているのが可哀そうですがおかしいです。

ねじ伏せて手懐けた危険生物を足にして、ダイジェスト風味ながらも小さな超常に溢れた5日間の旅の様子が描かれます。これほどの深部に来るのが初めてのトトにとってこれは言うまでもなく冒険の旅であり、常に脅威と驚異の両方を味わっているようです。トトのリアクションは読んでいて楽しい上に読み手の冒険への没入感を高めてくれます。ズームアウトしつつ姿を現す大転生の河のスケールの雄大さにはこちらまで息を呑みました。巨大魚の影と雲の塊のレイアウトが素晴らしいです。ただ、この旅はエリンである原皇はもちろんヨウにも居眠りがてらにこなせるもので、「険きを冒す」とは到底呼べるものではなさそうです。ヨウにとっては自分以外の冒険者の傍らにある日常を再確認することでむしろ癒しを感じているようにも見えます。

最初の難関

大転生の河はこの旅の最初の難関であり、その内側が真のマグメルになるという物物しさにもそれにふさわしい魅力を感じます。超空間移動プレートといういかにもハッタリの利いた言葉にも興味が激しく惹きつけられてしまいます。まさか本当に空間を超えて移動するプレートなのでしょうか!?今回は軽く流されてしまいましたが、わざわざトトが関心を持った描写がなされている以上、後の詳しい説明を期待したいところです。
そして旅の功労者である小鉄を原皇が一方的に尊い犠牲へと変える形で大転生の河の脅威が描かれます。改めて原皇は酷すぎる女です。名前を呼んで労を認めたとしてもその相手に手厚くするとかの発想は全く無いようですね。本当にイイ性格をしている原皇ですが、トトとの凸凹ぶりが面白くてこの性悪ささえもが楽しめてしまいます。二人の会話を横目に見つつ若干的の外れたことを考えているヨウのローテンションなボケも味わい深いです。このボケは発想の面白さからもたくましさからもヨウがとりあえず立ち直りつつあることがうかがえてホッとできました。なおかつゼロのことを気にさせることで根底の軸がずれていないことが示されてもいて、非常にうまい描写だと感じます。大転生の河という脅威に囲まれた先で暮らす聖国真類たちに接触するには難関を超えていく必要がありますが、今のヨウならば心配はいらないでしょう。