群青のマグメル ~情報収集と感想

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群青のマグメル 第11話振り返り感想 ~ゼロはただのクソガキなのか?

第11話 構造者の資質 20P

原題:空想世界的构造者(直訳:空想世界の構造者)

今回はこれまで断片的に出てきた構造者・構造の能力についての情報を整理し、詳しい説明をする回です。まず9人の探検家をなすすべもなく全滅させようとしていた3人のエリンをヨウが1人で簡単に倒してしまい、構造者の凄さを改めて読者に印象づけます。4Pと5Pの見開きは、4Pの最後のコマでジャンプしたヨウが、読者の5Pのページの上部へ移動する視線に合わせて5ページの右最下部から左上へ飛ぶという非常に考えられた表現となっています。電子書籍で1ページずつ見てしまうと伝わらない演出ですが、中国では紙媒体で連載していることもあり第年秒先生は見開き単位での演出を非常に上手く計算しています。そして最上部に達した視線が再び下に向かうとともに一徒たちを追い越し、その勢いのままエリンを倒すダイナミックなシーンへ続きます。倒した後は一転してヨウの素っ頓狂なあいさつとボルゲーネフのギャグ的な生存確認が挿入されて雰囲気が切り替わり、静的な構造能力の説明のシーンへと移ります。

構造能力の設定は複雑ですが、大雑把に言えば、構造力と呼ばれる力を操作して想像した物体を実体化させる能力であり現実にある物体なら訓練と才能次第とはなるが理論上何でも構造できる現実構造者と、訓練はほぼ必要なく現実を超えた物体を構造できるが特定の物体しか構造できない幻想構造者に2分されているということです。ヨウは現実構造物に幻想構造の効果を未完成とはいえ付加できますし、現実と幻想の完全な両立を目指していた拾因もおそらく同じことができたのでしょうが、これは通常ではありえない例外的なことと設定されています。

ここでの説明の中でゼロは何度も4人の探検家を子供扱いや未熟者扱いし、(生意気な)クソガキだと毒づかれてしまいます、たしかにゼロは童女の姿をしていますし、童女が大人ぶった口を利くことで逆に幼さが強調されるというのは第年秒先生の『殺し屋ドミノ』でもあったように定番の演出でもあります。しかし第10.5話の内容とこのタイミングで番外編を挿入した理由について考えると、ゼロは本当にただのクソガキなのだろうかという疑問が湧いてきてしまいます。さらにいえば中文版でのゼロのヨウへの呼び方である「少爷」とは「ご主人」よりも「お坊ちゃま」と訳すのが適当な言葉であり、ゼロはヨウのことを尊敬しているというよりもむしろ保護者として可愛がっていると解釈できるようにしているのではないかとさえ思えてきます。しかしもしゼロがただのクソガキでないとしても、第25話でのオーフィスのロマンやトトへの反応を見るに、少なくとも知識は現在のゼロ以外からの影響を受けていないと考えたほうが良さそうです。

 そして今回の最後の場面ではクーの初めての詳細な描写があります。クーは重要キャラだけあってなかなかもったいぶった登場の仕方をします。この前は味方の人間かと思われた人影が実はエリンだったが果たしてどうなる?という引きですね。この頃は絵柄が若干丸っこいこともあって、クーがなんだか幼い感じなのが今見ると面白いです。