群青のマグメル ~情報収集と感想

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群青のマグメル第48話感想 ~死を突きつける人間

第48話 敗走 20P

追記 原題:绝处 (直訳:死地)

今までは単純な戦闘能力では敵わない相手でも、あるいは知略で嵌め、あるいは試合に負けても勝負に勝つような形に持っていくことができていたヨウですが、今回は完全な敗北を喫します。勢いよく踏み切った左足に注意が向いたところで、それが切り落とされるというのは読者の反応がよく計算された演出です。6P1コマ目では跳躍中のヨウと壁の固定・踏み切りの穴、切り落とされた足、音もなく壁で急制動中のアミル、これらの位置関係が理解しやすく配置され、まだあっけにとられているヨウにも読者にも覆しようのない現状が突きつけられます。踏み切りのタイミングがわずかでもずれていたら、間違いなく首が落とされていた一撃です。ヨウの何が起きたのか一瞬把握できていない空白とそれに続く戸惑い、そして理解してからの焦りとなんとしても逃げ切るという覚悟、いずれの表情もありありとヨウの感情が伝わってきます。

第46話で神明阿アミルという人物像に興味が湧いてからの、この強さと恐ろしさの表現には心から痺れます。今までもクーに対抗不可能と判断させるなど間接的に実力が示されていましたが、一端でも直接的に示されるとやはり実感が全く違ってきます。初連載の『長安督武司』の初期から、第年秒先生はバトルでの敵役の魅力ある描写を得意としていますし、いよいよマグメルでもその手腕を発揮してきました。

一方、秘儀の妨害は失敗し左足は切断されと追いつめられたつつも、心は折れずに全力を尽くして生存を模索できるヨウは大したものです。切り落とされた足を愛刀の構造できちんと回収していて、再接合するつもりなのがうかがえるのも頼もしいです。やはりマグメルでは逆境に立ち向かう姿にこそ光るものを感じる登場人物が多いですね。アミルを振り切ってからの多数の壱八獄中隊による追撃も、潜入前の準備を活かして見事に乗り越えてくれます。ここで第44話の煙幕弾に関する会話の日本語版と中文版の違いについて触れておくと、日本語版で

「ゼロ 煙幕弾を隠して 連絡を待つんだ」

となっている部分はいかにも次のゼロとの連絡こそが隠した煙幕弾の使用の指示となりそうな発言なのに、その後直ぐに普通の連絡を取っていて違和感があったのですが、中文版では

「阿零, 带着烟幕弹躲起来,保持联络,等我信号。」

「煙幕弾を隠したら 連絡を取りつつ合図を待つんだ」なので、今回のような事態に備えて球体に収めた煙幕弾を隠し、いよいよ合図によって使用した、という流れがより伝わりやすいです。前回のヨウの煙幕弾は今回のと同種でも最初から手持ちの分だったようですね。ゼロの幻想構造による煙幕弹の投下は、地味な絵面になりそうなところを、遠近感を最大限に出した煙幕弹の配置、投下するゼロの構造、それに追いつこうとする遍く左手を一コマに収めることで迫力がありわかりやすい構図になっています。オペレーターに徹しがちなゼロには珍しい直接的な戦闘面への参加が、しっかりと盛り立てられています。それとは反対に壱八獄中隊の様子では煩雑さや混乱を強調した画作りとなっているなど、要素の多さを的確に活かした構図を、奇抜な絵面のためだけでなく、伝えるべき要素を伝えるために何種類も使いこなせている点こそが第年秒先生の資質なのでしょう。そして最後は神明阿アススらしき人影がヨウのさらなる追手となるところで次回へと続きます。酷く根に持つタイプだというアススが先に攻撃を仕掛けたヨウにどういう対応を取るのかが楽しみです。

また、ヨウやトトが見て驚いた「あれ」が何なのかも気になります。神明阿の当主たちは女性のみの構造を目的としていたのでなく、それと連動して何か別の物を構造することも目論んでいたとは興味深いですね。「あれ」とはヨウとトトが知っている物体のようです。構造された女性の正体も以前謎のままとなっています。ヨウは懐かしさを感じる理由をある程度理解しつつあるようですね。私としては、拾因と共通する感じがあるのではと今のところ考えています。

そして、さりげない描写ながらも私が気になったのは、ヨウの逃走路から原皇ティトールが端末をわざとどかした点です。明らかにヨウを手助けするための行動だと思われます。ティトールがヨウを気にしているのはヨウが拾因の後継者であるためなのでしょう。では彼女はなぜそれほどまで既に死亡した拾因に関心があるのでしょうか?こちらのティトールと拾因はどういう関係だったのでしょうか?