群青のマグメル~情報収集と感想

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群青のマグメル第51話感想 ~繰り返す

第51話 零号です 26P

ヨウ・ゼロ対アススの激闘の決着のつく回です。大物食いにふさわしい力の入った戦闘描写の詰まった回なのですが、今回の本当の眼目は戦闘終了後の衝撃の展開の方にあります。

冒頭で拾因がヨウに語った命の限界の存在という概念は、ここしばらくの回で主題となっているだけでなく『群青のマグメル』の世界観の根底として繰り返し表され続けています。限界と摂理の絶対性が世界そのものと一体化していることと、それ故にその先に進むことを目指す者たち。彼らとは神明阿一族であり、「世界の敵」である拾因でもあります。しかし神明阿一族はおそらくいつかのどこかで世界と共に灰燼と化し、拾因はヨウに教えられる程に摂理を超える技を身につけたにも関わらず後悔を抱え続けそして死を迎えました。彼らは力こそ手に入れたものの本当の意味で摂理を超えることはできなかったのです。

この作品の主人公としてのヨウの役割のひとつに拾因の後継者であることが挙げられます。ヨウはおそらく自覚はなくとも拾因と同一存在の別個体であるだけでなく、自らの意志でも拾因の遺志を受け継ぐことを目指しています。

特に今回はヨウは知らないのでしょうがかつての拾因(の同一存在?)と同じく自らの現実構造を巨変させる幻想の能力を発揮することで、人類の頂点の一人である神明阿アススとの激闘を制しました。ヨウが得意とする鋼刃と篭手の両方を巨大化させての最強の斬撃には、これまでのヨウの構造の能力のすべてが活かされていて胸が熱くなるものがあります。立ち回りもよく練られていて、まずアススに鋼刃を防御させてから後ろに回り込んで篭手を放ち、あえて躱させて自分たちに向かわさせることで、素通りした篭手にアススの背後の鋼刃を持たせて斬撃を放つという一連の駆け引きはアイディアが詰まっています。

戦闘後の一転してのヨウとゼロの和やかな会話の瞬間でも、2人でのマグメル探険を持ちかけるヨウの言葉には、第33話冒頭での「彼ら」の様子を思い起こさせられます。かつて終わった探険が再び繰り返される予感にほろ苦い思いがするとともに、そのまま2人で邪魔をされずに探険が続くことを祈りたくなり切なくもさせられます。ここで人間との闘いで疲弊しきったヨウが、ほとんどの人間にとっては生死を賭けた鉄火場であるマグメルに憩いを求めようとするのがいつものことながらも興味深いですね。やはり人と関わる道を選びながらも、魂の一端の故郷はマグメルにあり続けるのでしょう。憩いの別天地とは楽園であり、楽園とは死後の世界であるとともに人の故郷でもあるのです。

そして本当に瞬きのほど間の平穏を破り、熱闘さえも平穏さえも前座として飲み込んで起きるのが「ヨウ」にとっての「ゼロ」の喪失の繰り返しです。打ち倒されつつも最後の力で思わぬ方向からの一撃必殺を狙うという自分たちの戦法をそのまま返してきたアススからヨウをかばうために、ゼロは撃たれ倒れます。直前までバトルの熱量は申し分ないもののアススという人物の役割がこれで終わるのはもったいないとは感じていましたが、期待の方向を大きく飛び越えて度肝を抜く働きです。第33・34話で黒い瞳のヨウと共にいたゼロの死亡の描写は覚悟していたとはいえ、こちらのゼロまでもが少なくとも一旦は死亡してしまうとは思ってもみませんでした。25P目の直接的な人体破壊描写の赤裸々さにはヨウばかりでなくこちらも当惑し呆然とさせられてしまうのですが、26P目の力を失った体がくずおれて浮遊するようでさえあるコマの生々しさに徐々に実感が追いついていき、決定的な一瞬はすでに過ぎ去ってしまったことをじわじわと納得させられることになります。戦う力に乏しい少女の死というものはどうしようもなく痛々しく、それを目の当たりしたヨウの喪失はどんな言葉を尽くそうとも表しきれるものではないでしょう。
繰り返し、繰り返し思い知らされる無力さとは運命であり、あるいは世界の摂理そのものなのかもしれません。しかしだからこそ拾因の運命を受け継ぐだけでなく乗り越えて、摂理を本当の意味で超えることが主人公であるヨウの役割だと私は考えたいです。拾因が回避できなかったゼロの死亡が、この後の展開でヨウの摂理を超える力により回避し直されるのは間違いないはずなのです。あるいはその方法に辿り着く瞬間が拾因の謎に触れる時なのかもしれません。世界の前進・後退という意味ありげなキーワードが拾因の口から出ている点は見逃せません。また第49話ですでに背面に随机(ランダム)という記載があることから推察できるように、6号の弾の種類がランダムだというギミックは作中での役割を持って設定されている可能性が高く、例えばゼロの死亡の回避後の発砲では別の種類の弾となっていることで運命が変わったことを示唆する…といった演出に期待してみたくなったりもします。ともあれ、繰り返しの強調とは破られるためにあるのだと、今はただ信じるばかりです。