群青のマグメル ~情報収集と感想

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群青のマグメル第72話感想 ~平等と特別

第72話 至宝 24P

神明阿ウェイドが復活しティトールと激しい戦闘を繰り広げます。未知の能力質を解説すると同時に目覚めたきっかけを明かすことで登場人物の掘り下げを行うという、ドラマ性の高いバトルものの醍醐味のような回です。ウェイドの再生までは予想していましたが、それに応えたうえで期待以上の密度の内容が展開されるのですから心底しびれてしまいます。

扉絵は今回のオチとともにスポット登場のヨウとクーです。西部劇風ですが人類とエリンの対決ということで本編の内容にちなんでいます。あるいはウェイドとティトールの関係は、別の世界も含めてヨウとクーの鏡写しとなるものなのかもしれません。

平凡と特別

おそらくは若い頃から神明阿一族の当主候補だったろうウェイドが何も知らない凡人と家庭を持ったという回想の出だしには興味を引きつけられました。その理由がただの気まぐれなのも突飛でありながらいかにもといった感じで面白いです。変わり者の祖母として平凡な一家の一員となっていた彼女が、家族一人一人に特別な感情を抱いていなかったという点も素直に納得がいきます。それゆえ、家族が反乱組織に襲撃された時に、家族全員を救う自信がなかったことから全員を平等に見捨てたというのも彼女らしい選択だと思いました。そもそも家族の身を特別に案じるなら、何の説明も対策もせずに神明阿一族の保護のない場所で平凡に生活させること自体がありえないのです。家族全員の死を目の当たりにした後さえ、残念だったの一言で済ませられると彼女自身考えていたようです。

しかし襲撃による危機で孫の1人が神明阿の血に目覚めており、手遅れになった後でそれに気が付いたウェイドの中にその孫に対する愛情が湧き上がってしまうという皮肉が待ち受けています。愛情を自覚するやいなや、その孫が自分に懐いていたことも、孫とのただ平凡と感じていた日々は平凡だからこそかけがえのないものだったことも、激しく特別な感情を伴ってウェイドの身を焦がすようになるのです。結局は血に目覚めた孫しか特別に思えず、他の孫たちや自ら生んだ子供たちそして夫に対しての思いはないままだとしても、いかにも神明阿一族の当主らしい歪んだ感情の発露だとしても、彼女の後悔は偽りのないものとして私の胸に迫りました。もし冷凍睡眠に入るまでに襲撃が起きず誰にも特別な感情が生まれないままだったら、もし襲撃のさなかに孫が血に目覚めたことに気付いて彼以外を区別して見捨てていたら、ウェイドは今よりも幸福だったのか不幸だったのか?そんな詮無いことを考えずにはいられません。

特別で同等

ウェイドは死という現実と絶望を目の当たりにし、不老不死の能力である丹の構造を会得します。

回想明け直後、物体同然に転がる頭部の上半分とそれを欠いた肉体が、回想から引き続くナレーションの進行とともに意志の宿らぬまま持ち上がっていく非現実感、瞬間的に再生を果たしたウェイドがそれらを切り裂くように一閃を放つ鋭さ、そして再開されたナレーションの語り口と対峙し見つめ合う2人の距離から生まれる静謐、絵と言葉の両方で存分に五宝真仙最後の宝である丹の能力が印象付けられました。若返りが丹の効果だと気付いていたらしい素振りから予想できましたが、ティトールも丹・仙丹についての知識を持っていたようですね。まあ神明阿一族、とりわけウェイドと因縁があるティトールならば人界の中華圏の文化に馴染みがあったり対策のため調べていたりしてもおかしくはないでしょう。

ウェイドとティトールは激突のつかの間語り合うのですが、150年を経て互いに王となってから再会した彼女たち以外には共有できない特別な思いのやり取りが刺激的です。決して蘇らなかった、あるいは自分以上に再生を望んだ相手だったのかもしれない孫を思い出しながら静かに人生に2周目がないことを告げるウェイドの涼やかさと、しなを作り構造力でハートを描いて再会を喜びつつ再びの殺害に舌なめずりするティトールの艶めかしさは好対照です。迫力の肉弾戦で一歩も譲らない様にもまさに真っ向から互角という言葉を送りたくなります。細かいところでは尾での牽制攻撃や角の立体感などティトールの異形性の描写が丁寧なのがファンタジーの魅力を感じられて嬉しいですね。最後に両者が展開した大技もスケール感にワクワクします。ウェイドの技は盾と剣の組み合わせによるものとして、ティトールの技は端末の幻想構造による龍の召喚でしょうか?次回以降の激突への期待が高まってしまいます。