群青のマグメル ~情報収集と感想

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『屍者の13月』第9話感想 ~罪の所在

第9話 千年の恨みを断つ 32P

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白小小が黒山村の大人たちを皆殺しにしてしまい、白小小自身も村の子供たちから親の仇として刺し貫かれました。

村人たちの罪

白小小が大量虐殺を行ってしまったことは残念ですが、彼女の経緯を考えれば彼女自身の意思で殺戮を止めることは不可能です。だから白小小の未来のためにもできれば高皓光に止めてほしかったです。

高皓光は村人を獣と感じる心を改め、自分に他人を断罪する資格がないと気付いて、一旦は村人を救おうと思ってくれました。しかしいざ白小小と向き合うと何もできず、みすみす村人の殺害を許してしまいます。白小小と出会い命を助けたのも高皓光ですし、この場で唯一白小小を止められたのも高皓光です。それだけに悔いの残る展開となりました。

高皓光が決断から逃げたことで正しい道がなくなり、この惨劇を招いてしまったことを姜明子も責めています。高皓光の行動に期待していただけに、なおさら失望が大きいようです。ここで姜明子が高皓光に対して思った「避けなかったのはわざとか? それとも無意識か? いや──… その両方か──…」「決断することから逃げた時点で その先に正しき道などない!!!!」「いいだろう… ならば自分の運命に向き合えるように 傍観者の立場で最後まで見届けるがいい」という日本語版の独白は、中間部分が捉え方の難しい文章です。しかし中文版だと「内心的冲突,令你逃避了这如何都是错的选择。」です。高皓光が内心の葛藤のあまりに、白小小の操作能力を避けずに体の自由を奪わせて、選択から逃げてしまったことを咎める独白だとわかります。また眼前ではかつて同じく逃げた人間たちが最悪の末路をたどっています。道義的に正しい選択が明らかな場合でも、知人や身内への情が絡むと正しい方を選べないことは珍しくありません。高皓光は、村人は罪人ながらも大部分が死なねばならない程ではなく、無実の人間がいる可能性もあることに気付きながらも、何もすることができませんでした。

罪人の運命

姜明子の狙いはあくまで高皓光の成長です。最終的に不屍王を打倒し屍者を根絶することが全てで、そのためには手段を選ばないつもりのようです。また高位の仙人である姜明子は彼独特の価値観を持っており、それに従い高皓光や村人たちを安易に救うことを避けたのでしょう。

この惨劇の原因は白小小を助けた高皓光や高皓光を空中移動させた姜明子にもあるといえなくもないですが、姜明子の術はあくまで対象をどこか危険な場所に連れて行くというものです。場所の選択は自動的で、姜明子が三眼を優先度の高い敵に位置付けたタイミングも、高皓光を移動させてから同月令による通信が回復するまでの狭間です。最初から意図的に黒山村へ連れて行こうとしたわけではありません。こうした諸々もひっくるめて「運命に操られている」ということなのでしょう。運命・宿命により高皓光が不屍王を打倒するための道筋が整っているのですから、見ようによってはメタ的な設定です。黒山村で虐殺を目撃することは高皓光にとって必須の成長イベントにあたるようです。一方で、姜明子は人間を操る残酷な運命から抜け出したがっています。

しかし運命により同月令から選ばれたとはいえ、高皓光はつい最近まで全く自覚がなかった上に、まだ12歳です。それを鑑みれば、いきなり数百人の死の責任を背負わせることはあまりにも酷です。12歳の主人公が活躍するオカルトバトル漫画のリアリティだと、連載開始すぐにここまでドロドロした展開になることはなかなかありません。あえて狙ったのでしょうが難しいバランスです。

無罪の子どもたち

白小小は両親や先祖の仇を取りました。しかし阿毛の叫びにより、自らも子供たちにとっての両親の仇となってしまったことに気付きます。阿毛たちは間違いなく村人であり、かつ現在の生贄事件においては無罪でもある存在です。村の大人たちと子供たちがきれいに区分されすぎていて、中間の若者や歩きのおぼつかないような乳幼児などがいないのは少々形式的に感じます。しかし対比をわかりやすくするためには仕方のない部分かもしれません。

子どもたちの怒りを目の当たりにし、白小小は我に返ります。このときの白小小の回想はどの時期のものなのか明確ではありませんが、おそらく村が平和だった時のものだけでなく、ここ1年のものも含まれているはずです。子どもたちの外見が全く変わっていませんし、阿毛はつい先程も白小小に遊んでもらおうとしていました。村の大人たちが白家を生贄として迫害するようになった中、何も知らずになついてくれる子どもたちは白小小にとってかけがえのない存在だったはずです。第6話でも白小小は子どもたちのことを気にかけていました。

それだけに子どもの手を血に染めるかたちでの決着には割り切れないものを感じます。ただ子供たちは紛れもなく親を自らの手で殺害した犯人を討ったのですし、清朝末の価値観からすれば問題は少ないのかもしれません。1年に渡り追い詰められた結果とはいえ、必要以上に村人を殺害してしまった白小小とは違う、救いのある未来が待っていてほしいです。

罪の発端の所在

しかし子どもがこの狭い村で1年間何一つ事情を知らなかったとは驚きです。子どもが1人でも知ればあっという間に全員に知れ渡りますし、大人たちは子供たちの前でよほど何事もないように振る舞っていたのでしょう。普通だったら子どもたちにも白家の罪を吹き込むはずです。流石に無理筋で白家に生贄を強いている自覚があり、後ろめたさで口を閉ざしていたのかもしれません。

さらにいえば白家の罪は童謡として伝承されていたはずです。しかし当の子どもたちが白家の罪を意識していません。千年の間に童謡はすっかり廃れていたようですし、事件のこともほとんどの村人にとって知識として一応知るだけのものになっていた可能性はあります。それでも村長が自分の家族を安全圏に置くためにも、大部分の村人に自分たちは無関係だから見て見ぬ振りをすれば安全だと思わせるためにも、白家はうってつけの生贄だったのでしょう。

今回の冒頭で高皓光は千年前の事件がなかったら、この悲劇の連鎖はなかったと考えます。しかし白大と無関係な2つの村でも生贄にされてしまった人間がいます。先祖の悪い噂に限らず、つけ込まれる隙のない真に潔白な人間など存在しません。三眼の性格からして、どの時代のどの地域で活動したとしても、無造作な搾取によって幾度人間の内部対立を引き起こそうが食人そのものには何の反省もしないでしょう。

あるいは人の悪性がこの事件の元凶といえなくもありませんが、生き物が生まれ持った悪性を制御して生きていくためには制度や環境の整備が欠かせません。屍者が人間を食べることは自然の摂理だと嘯く屍者がおり、摂理の中で強いられた因果応報によって大量虐殺が生み出されるのなら、その摂理を変えるしかありません。屍者を根絶するためには、第1話で師匠が言っていたように、屍者を生み出すという不屍王を倒す必要があります。

ただこの手の敵に知能のある作品では、敵の事情が明らかになるにつれ皆殺しを回避する方向へ動くようになる場合も多いです。思わず同情してしまう法屍者もいるかもしれません。何にせよ最終的にうまい落とし所は見つけてほしいです。

『屍者の13月』第8話感想 ~死の呪縛

第8話 千年の神通力 32P

2020/08/13 三眼と白小小の会話に関する内容を修正

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とうとう1906年の黒山村の事件で新たな死者が出てしまいました。しかも高皓光たちの目の前で白小小が村人を何人も殺害してしまいました。

屍者との契約

黒山村でもその隣村でも、誰かが三眼に生贄を捧げると約束したせいで村人全員が逃げ場を失ってしまいました。日本語版だと改変されていますが、中文版だと第6話でも村長が「更何况上尸大人神通广大,供养他的村子有三个,这一年来就没听说哪个人能活着逃离的!」(直訳:まして大屍仙さまの神通力は広大だ。お祀りしている3つの村で、この一年生きて逃げられた人間なぞ聞いたこともない!)と語っています。今回も中文版では白小小の父親が大屍仙さまの神通力からは身を隠せないと語っています。しかも第5話で村長が語ったところによれば、白小小の父親が希望を持っていた法師は高皓光たちが来る以前にも数人が殺されてしまいました。

おそらく黒山村では村長を中心に約束が交わされたのでしょう。中文版だとよりわかりやすいのですが、第7話で三眼は周囲のいくつかの村には法屍者の存在に気づいた年寄りがいて、家族を巻き添えにしないため、わざわざ自分に声をかけてきたと言っています。第5話で村長は村を外敵から守るためともっともらしいことを言っていましたが、第7話で三眼が語ったことを参考にすれば自分の身内だけを守ろうとする身勝手さをうかがわせていたはずです。ただ、村に閉じ込められたままでは安心も何もあったものではありません。村長も動乱の世が終わった辺りで三眼が法師に退治されることを期待していた可能性はあります。第6話で村長は白小小の次の生贄についてのろくな考えがなかったせいで高皓光にやり込められてしまい、長期的な展望があったようには見えません。しかし村長も黒山村も三眼から見限られ、三眼が白小小に力を授けたために村長も黒山村も滅びようとしています。

ですが、結局のところこれらはただの推測です。三眼と黒山村の約束にまつわる新たな情報は今回ほとんど出ていません。おそらく現在の白小小にとっては、誰が直接交渉し、誰が村の皆殺しを避けるために大人しくしていただけだったのか、そういった区別は一切意味のない精神状態に追い込まれているのでしょう。

屍者の呪縛

白小小は受け取った神通力の新たな主になるために、自らの口で三眼へ自害するよう伝えます。そして新たな主になるよう自ら誘導した三眼は、二度と蘇らないことを覚悟の上で自害します。誘導を受けた上とはいえ、自分自身で他者を害する覚悟を決めた白小小の凛々しさには惹きつけられました。一方、「自害しろ」と言われた三眼は強い衝撃を受けたようです。三眼は自分でそう導いたものの、思いのほか鋭い態度で自分の死を突きつけられハッとさせられたのでしょうか。もしくは計画通りにことが進んで歓喜したのでしょうか。いずれにせよ白小小の決意は三眼を圧倒しました。しかし口では負けたといいつつも、満更でもない様子で滅んでいく三眼の姿には美学があります。法屍者は不死だからこそ、目先の生死よりも美学を優先する者がいるのでしょう。このやり取りはどちらも格好良かったです。なお日本語版では前回の三眼の発言が責任逃れをしたような印象になっているため三眼の誘導との間で食い違いが生じ、つじつまを合わせるなら三眼があえて憎まれ口を叩いて誘導したと解釈するしかない状況です。一見ロマンティックで白小小を思いやっているように見えながらも、ナルシシスティックで大量殺人が白小小にもたらす悪影響を考えない矛盾した選択です。そうした矛盾がかけがえのない個性となるキャラも多いですが、良くも悪くも先を見越した計画を立てない三眼のキャラとは合致しません。しかし中文版の前回ではきちんと三眼が自分を消滅させるように言葉で促しています。高慢で場当たり的な選択ながらも、モットーを守ることに対する信念を感じます。

しかし三眼が信じる美学や摂理とは、弱肉強食や復讐の連鎖を前提とした邪悪なものです。三眼は自分が直接人間を加虐することにこそ消極的ですが、囲い込んだ人間たちがお互いを追いつめ合うことも当然だと思っています。3つの村の様子は神通力でずっと監視されており、自分の食らう生贄が強制的に選び出された人間であることも三眼は漏れなく把握していました。ここで白小小に力を貸したことも、あくまで恩人である白大の子孫を食べてしまった借りを白家に返すためです。復讐に導かれたことによって白小小という女性の将来がどうなってしまうかは全く想像できていません。第6話でも語っていたように三眼は苗木を植えてどれが一番大きく育つか見守るのが趣味なのです。同じく長く見守った白家にもそれに似た感情を持っているようですが、反面それが三眼の持てる愛着の限界でもあります。愛着の対象である木も自分も村から離れることはできません。

三眼は西暦525年では屍疫で村人から搾取し、村を出た白大も傀儡で追い続けていた姑息な法屍者です。この時に自害したのも姜明子からの拷問を受けるのを恐れてのことです。

西暦1906年でも隣村の逃げようとした村人を一家全員殺害しました。さらに高皓光たちが小小を助けようとした際は激怒し、村人全員を人質に高皓光たちを連行するよう小小へ命令しています。元人間の法屍者ながら、三眼という自称以外の本名などを忘れてしまった点からうかがえるように、人間らしい情緒は消え去っています。自分自身がシュミレーションゲームのプレイヤーのような超越的な地位にあることを疑わず、強大な力で場当たり的に行動し、周囲を搾取しながらもそれが摂理とうそぶく。持てる愛着も遠くから見守るか相手の本来の生を壊すほどに自分の側に巻き込むか。自分から人間に譲ってやるかたちでは死ねるが、強大な仙人に主導権を握られるかたちでは死にたくない。そんな自己中心性を感じます。

また、小小も神通力を手に入れたときこそ格好良さを感じましたが、その力で手近な人間を殺してしまったことが残念です。村長をまだ殺していない点からしても本当に手当たり次第な印象です。三眼に加えて村長ら首謀者を殺害しただけならやむを得ない面は大きいですし、村を出て皓光たちの仲間になる展開にも期待が持てたはずでした。

先祖の呪縛

 白小小は三眼の狙い通りに千年前の先祖の白大と自分を重ねました。

冒頭の白小小が父親と母親の会話を覗き見ているシーンは一瞬三眼から授けられた記憶かと勘違いしそうになりましたが、そうすると三眼は父親の記憶を持ったまま母親を食べてさらには白小小まで食べようとしたことになるので違いますね。あくまで、白小小は父親や母親を追い詰めた先祖の借り、つまり白大の罪が本当かどうかを確かめたかったという心情を説明するために挿入された回想シーンです。

千年前に白大が三眼に復讐を頼んだ経緯は、後味の悪い昔話としてはある程度納得行くものです。しかし小小が西暦1906年時点での個々人の罪を精査せず、村人たち全員の殺害を決めてしまったことにはやるせない気持ちになります。千年前の村人が悪人だったから現在の村人もすべて悪であるという理論は暴論です。しかし、千年前に白家が村の悪人だったから現在の白家は村のために借りを返さねばならない、先にそう強要してきたのは村長たちです。異を唱えなかった人も含めて、小小が村人を皆殺しにしたいと思ったのは当然です。ですが思うことと実行することはやはり別です。まだ村長が生き残ってしまっていますが、できれば自分の未来のためにも白小小にはこれ以上罪を犯してほしくありません。村人たち白小小の手を汚さないかたちで罰を受けてほしいです。

死んだ知識の呪縛

高皓光が小小のために「君にそんなことしてほしくない……」と涙してくれたことは嬉しかったです。しかし村人を全員この世から消したいほど怒りを感じていることには複雑な思いがします。

皓光は村に着き早々村人と揉めてしまいましたし、西暦525年と西暦1906年の事件の真相を知ってなおさら黒山村全体に反感を持ってしまったようです。ただ今回村長をぶん殴った時はこちらも胸がすっとしました。

しかしいくら醜悪な村人が目立って騒ぎ立てている状況とはいっても、既に犠牲者が出てしまっています。皓光には小小を止めることに専念してほしいです。黄二果は皓光が小小を止めてくれることを期待していますし、自分も生きたまま止めてもらえたら嬉しいです。この混迷を極めた状況で、黄二果が比較的まともな言動を保ってくれていることはかなりありがたいです。今回の護符を渡しながらの会話は、第4話で護符の残り枚数について相談していた時のセリフと繋がっています。皓光が法屍者に立ち向かうつもりだったときのことを覚えてくれています。皓光がちゃんと小小を止めてくれて、間接的に三眼に一泡吹かせることになる展開を期待したいです。

姜明子はこれを修行と捉えているためか助太刀する気はないようです。ただ介入するとしても強力な護符や呪具を埋めるのがせいぜいでしょうし、皓光がやる気を出さなければ手助けのしようがないところはあります。なにより第5話での今の時系列にあたる部分の様子を見るに、この件に関しては不介入を貫くようです。第1話の描写と漫画的なお約束からすると、過去から未来の過程に介入できるのは同月令でその未来の結果を確認するまでのタイミングに限られるはずです。しかし確定的な描写はないので、同月令で見た未来に合わせる形での介入ができる可能性もあります。

お話のようにはいかない

こうした周囲の反応を見るに、皓光が前のめりの正義感で村人を憎んでいることはやはり未熟さの表れなのでしょう。中文版では村人に対して「只是现在… 以人的立场,你们当中的大多数人… 还不该死。」(直訳:ただ今は… 人としての立場から言えば、お前らの大多数は… それでも死ぬべきじゃない)と言えたように本来は助けるべき相手なのはわかっているのですが、本心ではそう思えずにいます。

第6話の村長との口喧嘩はほぼ売り言葉に買い言葉です。家畜という言葉で村の皆殺しを恐れて大人しくしていた村の人間、まして女性までを憎むのなら、小小を助ける大義名分がなくなってしまいます。

第5話から始まるこの口論の最初と最後に言った卑怯者と弱者に関する内容についてはもっともです。師匠の教えだといいますし、小小も感謝していました。しかし第5話では、殴られた小小を見て激情に駆られて村長を殴り、改めて自分の正当性を主張したのではなく、まず村長にお説教をして自分の正当性を主張し、その上で殴っています。小小を見るに見かねたというよりも、自分は他人を処罰する資格があると考えてしまい、村長に上から目線のお説教をしてしまった印象です。実際にそうだったのでしょう。皓光は正義感を持っているにしても方向が教本でも読んだように頭でっかちです。しかし現在は自分の資格について疑わざるを得ない厳しい現実に直面しています。

皓光は12歳と考えればむしろ立派です。ですが『屍者の13月』の世界は、12歳前後の子供が活躍するお約束的なバトルファンジーの世界とは少々異なっています。世界の緻密さはお約束的なカキワリの段階にとどまっているのに、人間の悪意はやたらにドロドロしています。ある意味メタフィクション的な世界観といえるのかもしれません。

だとするなら皓光のキャラも、単に主人公的なキャラというよりは、主人公的な属性をパロディ化したキャラのなのかもしれません。お約束的なフィクションの世界なら説教で相手の心を動かす主人公はごく普通ですが、ドロドロした世界ならそう上手くはいきません。

しかし皓光は一生懸命ではあるのです。かなり意地の悪い世界観の作品ですが、少年漫画のキャラらしい性格の長所を失わず、道を切り開いていってほしいです。

『屍者の13月』第7話感想 ~西暦525年と西暦1906年の経緯

第7話 千年の借り 24P

2020/08/13 三眼と白小小の会話に関する内容を修正

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西暦525年に起きた屍疫事件と西暦1906年に起きた生贄事件の顛末について、法屍者である三眼が語りました。正直に言って、なぜ作中の皆が三眼の語る内容を素直に受け取っているのかよくわかりませんが、話の流れからしてとりあえず真実と思っておいたほうがいいのでしょう。

内容が込み入っていることもあって感想が長くなってしまいました。

生贄にされた両親

三眼が語った内容を受けて白小小が両親を回想するシーンは素晴らしいです。第年秒先生はモノクロ漫画でも叙情的な演出がうまいですし、それにカラー漫画の情感が加わり、相乗効果は抜群です。家族を村の犠牲にするように迫られた女性の悲痛さが真に迫って伝わってきました。今話の最後で白小小は三眼に魂を売る選択をしてしまいましたが、心情的には確かに仕方がないと思ってしまう部分があります。

屍疫事件の経緯

しかし白小小の決断の背景となる事件の推移は相当にこんがらがっています。西暦525年に起きた事件と西暦1906年に起きた事件がそれぞれ複雑な上に、2つの事件が絡み合ってさえいます。

まず前回から続く西暦525年の屍疫事件の説明では、白大の死体と丹を利用して、三眼が代わりに敵討ち行ったという顛末が明かされました。法屍者が村のそばで活動していたことをろくに把握していなかったらしい村人からすれば、白大が法屍者となって蘇り、復讐で200人余りの村人のうちの97人を殺害した、といった成り行きに思えたのではないでしょうか。白大は人体実験の失敗どころか故意の大量殺人の汚名を着せられてもおかしくない状況です。しかし隣村に嫁いだ白大の妹によって白氏の名は存続しましたし、子孫は黒山村に移住してさえいます。屍者が現れた恐怖で生贄探しが始まるまでは白小小一家も村人と家族のように暮らしていたそうですし、復讐の連鎖は一旦は途絶えたはずでした。

法屍者と村人の約束

三眼が西暦1906年の生贄事件を説明するところによれば、蘇ってから漫然と人間を食っていたら、人間の方から定期的に生贄を捧げる代わりに自分たちは助けてくれるよう交渉を持ちかけてきたそうです。しかし三眼は高皓光たちが生贄の白小小を救出しようとした時に怒り、白小小に高皓光たちを連れて戻ってこなければ村人全員の命で償ってもらうと告げています。また第6話で村長は三眼から逃れられた人間(中文版準拠)はいないと語っています。三眼にとって屍者が人間を食うのは自然の摂理であり当然のことなのです。

この回の説明からは三眼が相当な数の生贄を捧げられたことがわかりますが、黒山村で生贄にされたのはまだ白小小一家のみです。生贄を捧げた「近隣の村の連中」は黒山村だけでなく複数の村にまたがっています(中文版では第6話で3つの村と明記)。

都合のいい口実を見つけ、自分たちの安全を図りがてら邪魔者を排除するという卑怯な手で生贄を差し出してきたのは黒山村の住人だけではないのです。これを言った三眼も白小小一家が白大の子孫だったことをこの場に来るまで知らなかったので、村の事情を完全に把握しているわけではないようです。

なお第3話で

「恨みは必ず晴らしてやる なぜ人を喰らうのが悪い?」

「人だって命を喰らうじゃないか」

「屍者だけが悪者なんてひどい話だ」

(中文版だと2つ目のセリフは「人也会吃人呢」人だって人を食うぞ。)

と言っていたため、日本語版の

「白小小 お前の両親がオレに殺されたのは不幸な事故だ」

という今回のセリフを無責任発言と勘違いしてしまいました。しかし中文版をよく確認したところ、

「而你爹娘死于咱手,便是后果了,」

《日月同错》第七回 千年债偿 上-在线漫画-腾讯动漫官方网站

(そしてお前の両親がオレの手で死んだのは、まさに不幸な余波だ。)

というセリフであり、あくまで運命の因果について言及していただけでした。また、自分のことを棚に上げて村人だけを責めているように読めかねない日本語版の

「祖先の名誉を回復したいか? 死んだ両親の敵を取りたいか? 今まで受けた理不尽の仕返しをしたくないか?」

も、中文版では

「想要消灭咱为爹娘报仇吗? 想要为自己祖先所受的不公, 为自己家这一世受的不公报仇吗?」

《日月同错》第七回 千年债偿 上-在线漫画-腾讯动漫官方网站

(両親の仇を討つためオレを消滅させたいか? 自分の祖先が受けた不公平や、 自分の家がこの世で受けた不公平の復讐をしたいか?)

です。三眼は第6話で語っていたように自称以外の自分の本名を忘れてしまい、人間だった時の記憶も残っていないようですが、自分が両親の仇として白小小から恨まれていることを理解できるくらいの人格は保っています。そして穏やかに長生きしたい三眼にとって、再生を助けた白大は重要な恩人です。白大から送られた生を白大の子孫のために使うのは「借りは必ず返す」という彼のモットーに沿った決断なのでしょう。

一方、第5話で黒山村の村長は三眼に生贄を捧げて村を外敵から守っていると自己正当化しており、村長自ら交渉したか、または交渉を知っていたことがうかがえます。こうした交渉の内容が他の村人たちにどの程度明かされていたのかが気になります。他の村でも交渉や村人同士の合意形成はどのように行われたのでしょうか。

戦乱の世

このような人食いの化け物は実在しませんが、戦乱の世で強力な武力を持つ犯罪者集団が村や町を支配し、擦り寄りに成功した者と犠牲になった者に分かれてしまうというのは現実でも多々あることです。清朝末も動乱期に当たります。おそらくこのエピソードから読み取れることは黒山村の住人が特別邪悪ということではなく、人間は動乱期にはしばしば醜くなってしまうものということであるはずです。

同じく戦乱の世である南北朝の白大の事件も大変痛ましいものですが、語る三眼自身が「よくある人間同士のいざこざ」で片付けています。実際にあの時代ならはずみの殺人も食人もよくありそうな事件です。それに対する報復だって規模はともかくありふれていたでしょう。

時代が変われば人間の価値観も変わるものですが、時代劇は作中の主人公たちと読者の目線が乖離しないように工夫する場合が多いです。しかしこのエピソードを読むにあたって、読者は主人公である高皓光と目線を合わせようとするよりも、西暦2020年で高皓光の日記を読んでいる少年の側に目線を置いたほうがいいのかもしれません。あくまで西暦525年の事件も西暦1906年の事件も所詮は過去の出来事と突き放して他人事として読むべきなのでしょうか。それを強調するように今回の扉絵には日記を読みながら慄いている西暦2020年の少年が描かれています。

村の理論

西暦1906年の村人は伝承と真実が異なることに驚き、先祖が嘘をついたとショックを受けています。しかし当時の黒山村はほとんど読み書きができない白大が努力して薬師にならねばならなかった程に教育から縁遠い地域でした。文字による正確な記録の引き継ぎは難しいはずです。むしろこれほど伝承の原型が残っていることが不思議です。ただし伝承の歪曲度に関わらず、それを口実に白小小一家を迫害したことは高皓光の言うとおりに卑怯な行為です。村人が動揺しているのは伝承というあやふやなものにすがって自分を納得させようとした反動ゆえなのでしょうか。この反動は白小小から最悪のかたちで表出してしまいました。

白小小は自分の両親を見殺しにさせられることさえ村の理論で納得しようとしてきた女性です。白小小が生贄の役目から逃げ帰ったと村長に勘違いされ、畜生と罵られて殴られた時、高皓光は村長たち村人を殴り、さらに対抗して家畜と罵り返しました。屍者に囲われて生きる姿が家畜そのものということです。しかし村長から畜生と罵られた白小小は実際には役目を放棄しておらず、むしろ屍者の命令に従って高皓光たちを連行していました。その際には背後から殴りかかる、おせっかいな性格を見越して自分の命を人質に脅す、などの様々な手段を採っています。高皓光は意識していないでしょうが村の理論を罵ることはそのまま白小小を罵ることにもなっていたのです。
そんな白小小が伝承の誤りを知ったことで村の理論の誤りに直面し、白家が背負ってきた「借り」を返してもらうことを決意してしまいます。両親の敵討ちだけならさておき、白家と村人という千年以上前の対立をそのまま今に持ち込もうとする三眼の思惑に乗ってしまうことは大変危険です。白家の復讐を村人全員に押し付けることになりかねないからです。

人食いのおべんちゃら

今回のエピソードは1人の屍者によって西暦525年の屍疫事件と西暦1906年の生贄事件が引き起こされ、たまたま屍疫事件がモチーフになった童謡が伝承され、たまたま童謡が迫害の口実に利用され、たまたま白家最後の生き残りである白小小が生贄にされた時に三眼が事態に気付く、という偶然が重なったものです。この偶然の重なりが天命ということなのでしょう。しかし現在の白小小の背中を押してしまったのは天命などでなく三眼です。三眼は525年でも1906年でも事件の直接の元凶でありながら、事件を収める気はまるでなく、むしろモットーを遵守するあまりに自分を含めて犠牲を拡大しようとしています。両親を生贄にされた白小小が村人への憎悪を燃やすのは当然ですが、高皓光までが元凶である三眼そっちのけで村人と対立しかかっていた点が気がかりです。

『屍者の13月』第6話感想 ~屍者は語る

第6話 千年の極悪 42P

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西暦1906年の伝承と西暦525年の事実が食い違う事情を法屍者である三眼が語りました。

語られる真相

三眼によれば、実は西暦525年の村人たちは正体不明の屍疫に追い詰められるあまりに白大の家族を惨殺して食らってしまったそうです。時代を考えれば十分にあり得ることです。内容の残虐性もさることながら、サイコホラー的な演出にも抜群の迫力があります。村人が殺害を思い立ったシーンなど思わず息を飲みました。

生き延びた白大は三眼の瀕死の体と丹薬を利用して何かしようとしています。しかしそのことがかえって後世まで彼の名を貶めているデマを膨らませてしまうのでしょう。

白大は主人公である高皓光の遥か過去の人間です。これから凄惨な暴力の連鎖の果てに亡くなったとしても、自分としてはその悲劇を「お話」として割り切って味わうことができます。ただし彼の顛末が、主人公である高皓光や白小小の未来にに及ぼそうとしている影響については、心が寒くなるものがあります。

おしゃべりな屍者

三眼が自分から謎の事情について詳しく語りだしたことは少々残念です。メタ視点からは西暦1906年の伝承と西暦525年の事実の食い違いという謎を知ってはいても、作中の人物は誰もその謎の存在自体を知りようがない状態だったのですからなおさらです。自分としてはできれば高皓光の活躍によって謎に迫ってほしかったです。せめて白小小の歌っていた童謡に実はヒントがあるなどして、メタ視点からでもいいので謎解きを楽しみたいところがありました。

しかしこの後に高皓光の大活躍が待っているのでしたら話は別です。三眼が村の悲劇について語りだしたのは、高皓光たちや白小小を含む村人の悪意をじわじわと育てるためでしょう。大きくなる苗木を見るのが趣味というのはそうした彼の性根を示しているようです。このまま三眼の思い通りになるのは癪なので、どうにか高皓光の活躍でやり込めてほしいです。それに三眼は自分が姜明子と互角に戦ったように語るなど話に脚色を加えていますし、まだ本当の真実はわかりません。

死の因果

白大が村人たちで人体実験を行い死なせたというデマは、1000年以上先の子孫である白小小たちが迫害される原因になってしまいました。デマが伝承される一方、三眼が現れるまで村人は自分の家も含めて家族のように暮らしてきたと白小小は語ります。だからあくまでデマは生贄を選ぶための口実として再認識されたのだと考えられます。白大の家族が少しのきっかけから惨殺されたのと同じです。

ただ、先祖が罪を犯したのだから自分たちは罪を償わなければならないと白小小が一貫して言い続けていたことは、この局面では大変危険です。白小小は村のためにもそう思い込もうと努めてきたのでしょう。歴史や血族関係を重んじる文化的な背景もあります。しかし加害者被害者関係が逆転した現状では、先祖の因果応報という考え方は三眼が村人たちを弄ぶ格好の口実にされかねません。

私はたとえ本当に先祖が罪を犯していたとしても、白小小の一家に村人が生贄の役目を押し付けたことはやはり卑怯だと思います。だから逆に、先祖が罪を犯していようが村人をその点で罪に問うことは理不尽であるはずです。もちろん村人たちの卑怯な行いは咎められるべきです。白小小もこの村にはとても置いていけませんし、身の振り方を考える必要があります。しかしそれは元凶であり実際の仇でもある三眼を倒した後で改めて考えるべきことでしょう。

そうすると、三眼に立ち向かおうとしている高皓光が村人から縛られてしまい、何もできずにいる現状が本当にもどかしいです。今この場で村人の神経を逆撫でし続けることはどう考えても不利になるばかりですが、ただ法術が使えるだけの子供だった高皓光に多くを望むのは酷ですし、正義感自体はまっとうなものだけに、難しい問題です。

『屍者の13月』第5話感想 ~気が長い話

第5話 千年一会 26P

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西暦525年の白大は姜明子から丹薬を受け取りました。白大は村人を治療するために苦労して薬草を集めていましたが、それを亡くなった友人を埋葬する際の獣避けのために惜しげもなく使うほど素直な男です(おそらく薬草はまた集め直すつもりなのでしょう)。白大が伝承にあるような悪巧みを考えられたとは思えません。まだ隠された事情があるはずです。丹薬を渡した直後の姜明子のセリフはこの話の最後で1906年の同月令と繋がった瞬間のセリフと一致していました。法屍者を確認した後に意味ありげな反応をしていたことを併せて考えると、1906年の伝承と525年の事実が食い違うなんらかの事情に触れたのでしょう。しかも表情からしてそれは好ましい事情ではなさそうです。

西暦525年の白小小は村に帰ってきました。子供との会話からすると白小小は薬の処方ができるようです。南北朝時代に100人近い村人が息絶えた程度の話が1000年以上に渡って伝承されている一方で、その子孫が白姓を名乗って村に住み続けており、さらに薬師としての仕事まで受け継いでいることになります。この地域は最近までよほど何の波乱もなく平和だったのでしょう。

そのせいか村長たちの行動は完全に意味不明です。前回の白小小のセリフによれば、去年に現れた法屍者は村人全員の命を要求し、まず白小小の父母が生贄となったとのことです。ですが村長も他の村人も白小小の一家を犠牲にすればそれで他の村人全員が助かると思い込んでいるようにしか見えない行動をとっています。高皓光が言うように次の法屍者の訪問で即座に村が全滅してもおかしくない状況ですが、村長は法屍者が信義に厚くて村を守っていると主張します。あるいは無理にでもそう思い込むことで自分自身に正常性バイアスをかけようとしているのでしょうか。

村の大人たち皆がおかしくなったという結果は示されていますが、経緯や個々人の感情がよくわからないので私には彼らを非難しかねるところがあります。3人を縛ったのは村人ですが、そもそも法屍者に引き渡せば父母同様に殺されるだろうことをわかっていながらも高皓光と黄二果を村に連れて来ようとしたのは白小小です。しかし若い女性である白小小が目の前で殴られて高皓光が激怒したのは当然であり、この青い正義感が前向きな方向に生かされることを期待したいです。

それにしても情報量が多くて展開の進展に時間がかかるせいか、登場人物たちは皆やたらと腰が重いですね。皆とろとろ歩いていたり座りこんでいたりしています。

『屍者の13月』第4話感想 ~伝承と事実の食い違い

第4話 千年の裏表 40P

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西暦525年の姜明子のエピソードと西暦1906年の高皓光のエピソードが並行して描写されます。2人もキャラの立った行動をしています。姜明子は性悪な反面強力な法力を持っていますし、高皓光はまだ未熟ですが屍者に立ち向かおうとする勇敢さがあります。

西暦1906年に言い伝えられている話と西暦525年の事実には大きな食い違いがあります。

言い伝えによれば黒山村では生きたまま体の欠損する病が発生したそうです。そして薬売りが村人を騙して屍者の血を飲ませたため、97名が亡くなったとのことです。その薬売りは高皓光が出会った女性である白小小の遠い祖先です。

西暦525年ではその薬売りである白大は村人を助けようとしています。疫病の正体は屍者の法術である屍疫です。姜明子の協力が取り付けられたのですから、普通に考えれば問題なく村人の治療が行えていたはずです(補足すると、屍疫の原因となる”蚕”とは虫の蚕そのものでなく蚕が桑の葉を食べるように端から徐々に領域を侵していく*1蚕食から取られています)。

伝承と事実のこの食い違いの原因はなんなのでしょうか?気になる謎が出てきたことで先の展開に興味が湧きます。

『屍者の13月』第3話感想 ~家を離れて

第3話 千年のデマ 40P

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引き続いてページ数のある第3話です。『屍者の13月』は中国では『日月同错』というタイトルで30~40P前後を毎週連載しているのですが、日本では隔週連載でもページ数は据え置きのままのようです。

セットアップを兼ねた第1話、設定説明の第2話に続き、高皓光が初めて本格的に事件解決に当たることになる第3話です。法屍者の関与した事件に巻き込まれたらしい女性と徐州府の山村で出会いました。どうやら彼女は村の生贄として捧げられていたようです。暗く地味な女性ですが、幸の薄そうな佇まいに少しそそられるところがあります。

井戸の底から常屍者を操っていた法屍者は、西暦525年でも常屍者を操り姜明子と敵対したようです。当時の姜明子がどんな行動を取り、西暦1906年ではどんな影響が出ているのかが気になります。

中国では毎週このページ数で更新しているだけあって話の進行はのんびりしています。その分キャラのやり取りが多いのですが、まだ掛け合いが硬いですね。ひとりでも上手くキャラが立つと掛け合いが面白くなって連鎖的に周りのキャラも立っていくので、これからの新キャラやキャラ描写に期待したいです。