群青のマグメル ~情報収集と感想

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群青のマグメル第50話感想 ~摂理の外そして内

第50話 乱戦 20P

追記 原題:神迹 (直訳:神威の現れ)

尋常の生命の範疇を、そして摂理を超えた擬神構造が前回で神明阿一族の手によって誕生し、常人にとっての脅威ではあろうと摂理の内の生命である怪物たちがそれに怯えて逃げ惑う場面で今回の話の幕が開きます。その怪物たちの王である原皇もまた摂理の内の存在であり、突然の擬神構造の出現に動揺し、珍しく真剣に焦っています。原皇がヨウと同じく既知感を覚えて確認しようとしているということで、擬神構造の正体がなおさらに気になってきます。単なる謎の物体が無造作に提示されるのではなく、こうした取っ掛かりを持たせることで、読者の先の展開に対する興味が牽引されます。

同じく摂理を超える計画の中枢であり正体の不透明な存在であるルシスとの戦闘も並行して進み、こちらでも原皇は焦燥を感じさせられています。短い戦闘描写ながらもここでのルシスのキャラの立ちっぷりは素晴らしいですね。三日月型の構造物を背後にしてのキメキメのポーズの厨二感、構造物の威力、軽く舌を出しての挑発の食えなさ、いずれも強烈な読み応えがあります。ルシスの正体の推察において黒獄小隊の隊長という役職だと原皇が当たりをつけたことから、ここで作品として意味のない言葉を出すとは考えにくいというややメタ的な読み方が前提ではありますが、アミルとルシスの関係は神明阿一族の若様と側近中の側近である黒獄小隊隊長なのだと見てほぼ間違いないでしょう。しかし、原皇自身が推察に確証を持ってはいないように、正体不明の隊長とはルシスなのか、2人のどちらがどちらの立場なのかという点にはまだ疑問の余地が残されています。常人には対抗不可能とされる超級危険生物を端末とした原皇を手玉に取り、魔をはらんだ微笑みを浮かべ挑発するルシス、彼の正体とは何なのでしょうか。また、この場面では挑発を受けた原皇の側も凄みのある反応を見せ、やれっぱなしで終わることに甘んじない意地を感じさせてくれます。原皇という肩書にふさわしくゾクゾクさせてくれる刺激的な台詞と表情です。両者ともに心憎いほどに魅力的で、バトル要素のある作品では対峙する敵キャラの面白さがそのまま作品の面白さに結びつくということを再認識させてくれます。

一方ヨウ・ゼロとアススの戦闘では、ヨウたちは格上の相手に対して自分たちのできることを最大限に活かして必至に食い下がってます。ここでヨウが主人公らしい意地を見せてくれたことは素直に嬉しいですね。危機的状況を新技で打破するという展開にはやはり非常に燃えるものがあります。しかも摂理を超えた野望を抱く一族の上祖を、摂理を超えた構造で迎え撃つというのだからなおさらです。ゼロの6号もやはり完全には壊れてはおらず、この戦闘でしっかりギミックを発揮して活躍してくれるようで楽しみです。三日月型の構造物と一体となって突っ込んでくるアススをヨウたちはどう撃退してくれるのでしょうか。

こうした超人たちの迫力ある戦闘に挟まれつつ対照的な内容となっているのが常人であり尋常の生命に過ぎないトトの描写です。前振りをした切り札である念動結晶を投入し、その薀蓄もきちんとそれらしく考えられたものであり、続いての亡き父との思い出や夢、決意もしっかりと思いが伝わるように仕上げられているにも関わらず、トトの実力では危険ランクの低そうな生物に対してさえ全く歯が立たないのです。コミカルな演出がされているのでそこまで重くはならないのですが、念動結晶にまるで威力がないさまが絶妙な間で何コマも割いて念入りに描写されている流れには、おかしくもありつつ妙に悲しいという諦念にも似た複雑な感情が呼び起こされます。ノーダメージの危険生物さえもリアクションに困っているコマが何というかポイント高いですね。

この場面では、『群青のマグメル』では機転や悪知恵も含めての実力とはその場の気合や気迫だけでは覆しようがないというこれまで幾度も提示されてきた世界観の根底を改めて確認させられることになります。冷血で酷薄で、そして現実的です。それゆえに摂理を超えうる超人たちの特異性が映えますし、戦闘の緊張感に繋がる要素でもあります。とはいえ少年漫画としてはもう少し幻想を見せていくれてもいいのではないかという気分にならなくはないです。ただ、この点は『長安督武司』をはじめとする他の第年秒作品でも繰り返し描写されるテーマであり、作者の熱のこもった思い入れの深さを感じずにはいられない部分なのです。努力では立ち向かいようのない才能の差という現実と挫折、力のために力を求めることへの疑問、それらの問題に対する執拗な拘泥は、第年秒作品ファンとしてはヒリつく刺激を楽しめる持ち味の1つだと感じています。少年漫画としては深みというよりエグみに受け取られかねない部分だけに、今後どう扱っていくのかいう点にはハラハラするものも感じなくはないのですが。もっとも、トトは別に強さに執着しているキャラではないですし、原皇に利用される形とはいえ命を拾った以上は戦闘以外の部分で役割を持てて、最後には後味のよい締めくくりを迎えられるはずです。第年秒先生は癖の強い要素もその場のインパクト狙いだけでなく全体のバランスを考えて組み込める作家ですので、その点は信頼しています。

翻訳について追記

今回の原皇が感じている「ある種の懐かしさ」の説明も、第48話と同様中文版では「熟悉的存在(馴染みのある存在)」です。

何故か 懐かしさを感じるそれに

「なんだ?」

「一体何が現れた?」

 の部分は

某种,熟悉的存在?

「怎么回事?」

「出现了什么?」

 なので、

 ある種の 馴染みのある存在だろうか?

 「どういうこと?」

 「何が現れた?」

となり、現れた物体の正体だけでなくその原因も含めた現象そのものが気になっている感じでしょうか。

ちなみに、この4Pの最下段のコマは日本語では妙に白っぽい風景だけのコマとなっていますが、中文版では

之前从未听说未神明阿除了当家一级之外,

还有这种绝对实力者,

难道他是……

 最上位の当主の他にも神明阿に

 まだこんな絶対的実力者がいるとは聞いていない

 もしや奴こそが

という内容の説明が被さっています。日本語版では最後の一句のみが次のページに移って残されています。

ルシスが実は若様であり現在か次期の当主である可能性が高く、黒獄小隊隊長である可能性の高いアミルが神明阿一族の直系ではないかもしれないことを考えると、なかなかに作者からの示唆に富んだモノローグです。