群青のマグメル第53話感想 ~人のかたち
第53話 代償 24P
追記 原題:巨变手装 (直訳:神の見えざる手)
前回でヨウが自身や世界の真実に関わる記憶に触れ、今回も前半部ではその理解を深めていくものの、読者に対しての詳細の開示は一旦保留とされます。そして常軌を逸した方向へと突き進んでいく状況の露呈こそが、内容の中心となります。
神明阿アススが生きていた上に十八獄中隊の増援が到着するという絶体絶命の状況を限界を超えた能力の覚醒によって一変させる、それ自体は定石と言っていい展開のはずなのですが、描写の鋭さによりむしろ深まる負の感情の方にこの作品の核心が置かれています。まずヨウの伸ばした手から、マグメル深部の何者かの伸ばした手、多数の手のイメージへと続くことで、このヨウの新たな手装の幻想構造であり黒い瞳のヨウのものとして既に提示されている神の見えざる手の覚醒へと読者の期待が収束します。構造物の能力に頼らずとも構造者としての鍛錬により身につけ発揮できるヨウの身体能力も、この時点ではまだ状況を好転させてくれそうなものに映り得ます。
ですが13P目で今回初めて描写される現在のヨウの瞳の絶望と神明阿一族に対する宣言の直截な暴力性により、熱量は禍々しさで塗りつぶされそのまま増大していきます。怯えさえ感じさせる十八獄中隊の一斉攻撃を避け、再び巨大な拳を現すやいなやヨウは隊員の1人をあっさりと肉塊へ変えてしまうのです。驚愕の表情を浮かべたままかたちを失い四散する人体の包み隠しようのない残虐性は、通常ならば少年漫画の主人公にはあまりにもふさわしからぬ生々しい痛みに溢れた描写です。殺した相手がただの群衆の1人としてではなく、各個人の個性の感じられるチームの一員としてデザインされている人物であるのだからなおさらです。直前の場面ではゼロに対しては死んだことを理解しつつもその体をひたすら丁寧に扱おうとしており、その死のもたらす言い表しようのない悲痛が、彼にとって正反対の立場にある者の肉体への正反対な対応となって表れています。そして巨大な拳という馴染んだモチーフに続いて姿を現すのが、30倍に巨大化したヨウの全身なのです。構図の遠近感、隊員の死体を文字通りにゴミとしているかのようなスケール感、目の逸らしようのないヨウの「現実」がそこにあります。巨大化させた鋼刃を、巨大化させた手装ではなく巨大化した自身の手に持ち、血涙を流しながらアススたち神明阿一族をその目で見据えるヨウ。主人公があらゆる意味で尋常ではなくあまつさえ巨大化しているという無茶苦茶にも程がある状況なのですが、それでも計算の行き届いた熱量の上げ方とモチーフの積み重ね方により、異常性の表す痛みが上滑りを感じることなしにまっすぐに響いてきます。人を人として扱わない人を人と見なすことは出来ないという、これまで幾度も繰り返されてきたヨウの怒りもまっすぐに示されます。そう述べるヨウ自身が明らかに人としてのかたちを超えたものと成り果てながらも。
展開の躍動の他方で、今回新たに示された情報も大変に興味を惹かれるものです。ヨウの激闘と同時刻にマグメル深部で特訓していた人影、彼の姿かたちはヨウや拾因と非常に近いもののように思えます。そして摂理を超えた構造の理解を介して現在のヨウと繋がりつつも、自分を理解されるような感覚を味わった理由については具体的な心当たりがないようです。彼は金の瞳のヨウと、ヨウに構造の能力を指導し時間の流れの狂った夢限境界で死亡した拾因に続く、3人目の「ヨウ」なのかもしれません。あの黒い鍵が2本でなく3本存在する謎と関わっている可能性もあります。あるいは彼が実は生きていた黒い瞳のヨウであることもありえます。さらに、彼の居る「遥かのマグメル深部」とは金の瞳のヨウの世界と同一の世界にあるのでしょうか?それとも別の世界にあるのでしょうか?いずれにしろ『群青のマグメル』の世界は黒い瞳のヨウの世界と金の瞳のヨウの世界という単純な2つの並行世界からは出来ていない可能性があります。人影だけでなく共に特訓し会話していた人物の正体も気になるところです。
また、摂理を超える手段、そのために理解する必要のある存在についての情報が示されました。一見簡単そうだということと第51話では他人の理解は不可能だとわざわざ触れられていることから、私がまず思いついたの自分自身の理解でした。複数の個体の同一存在が何らかの理由で存在する『群青のマグメル』の世界ならば、自分自身を理解すれば他の自分を理解することもできてそれによって通常の摂理を超えられるのではないかという仮説です。現実と幻想の両立も、現実構造者の自分と幻想構造者の自分が理解し合い能力を共有できれば可能になるかもしれません。ただ、並行世界間で能力の素質は変わり得るのか、基本的には現実構造者であるヨウの扱える幻想構造の種類が2つと決まっているのは何故なのかといった疑問も残り、謎の本当の解明にはやはり新たな情報を待たなくてはいけないようです。