群青のマグメル~情報収集と感想

ウェブコミック配信サイト『少年ジャンプ+』で連載中の『群青のマグメル』を非公式に応援するブログです。

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ウェブコミック配信サイトの少年ジャンプ+で中国人漫画家第年秒先生が連載中の『群青のマグメル(原題:拾又之国)』を非公式に応援するブログです。
隔週連載の感想は毎回できるだけ更新の翌日までに投稿するのを目標とし、その他何か情報が書くべきことがあった場合は不定記に投稿します。
『5秒童話』や『長安督武司』など第年秒先生作の他の漫画の感想もできれば書いていきたいです。
基本的に情報解禁日時は日本に合わせますが、ウェブ上でわかる範囲で中国での情報をお届けすることもあります。

画像等の引用について

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群青のマグメル第46話感想 ~ネズミの命

第46話 秘儀 20P

神明阿一族の内情に切り込んでいく回です。ヨウの神明阿一族の建造物への侵入シークエンスは、前回倒した壱八獄中隊の隊長を利用するだけでなく、ロープで体を操作するアイディアや不自然な動きをカバーするための酒など小技に気が利いていて唸らされます。ヨウが探そうとしていたパスとは通行証のことではなく通行権を持つ人間自体のことだったのですね。本当にリアルかどうかはともかくリアリティを感じられる描写が積み重ねられ、緊張感が伝わってきます。

潜入中のヨウはいわゆる「ネズミ」そのものなのですが、その最中にほど近くでルシスがネズミを嬲り殺しているというのはなかなか背筋の寒くなる演出です。命というものの素晴らしさを讃えつつも、命の構造への好奇心のために生物を苦しめるのになんの感慨も抱いていない様子には真性のサイコを感じます。生命の抽象的で形而上学的な面には興味があっても、意思を持つ個々の具体的な生命体には関心がないのがよくわかる口振りです。ルシスはもともと神明阿関係者の中では軽妙なキャラ性でかなり目立つ人物でしたが、ここに来てその軽さに寒々しい軽薄さが加わり、より興味深い人物となってきました。命を含めた全てを構造したいという願いにも剥き出しのエゴを感じます。神明阿が一族全体として聖心を狙う動機である500年前に与えられた「責任」についての詳細はまだわかりませんが、ルシス個人の動機には生命を自らの手で理解し構造できるようになることにその一端がありそうです。拾因の言うように聖心が暴かれることで世界が滅び命が死に絶えたとしても、ルシスの欲望にとっては全ての再構造の場としてむしろ好ましいのかもしれません。それは一族の目指す「世界の永久の掌握」を歪んだ形で叶える方法のようにも思えます。まるでラスボスの野望です。

そんなルシスの欲望や行動に不愉快さを明確に示すのがアミルです。もともと計画の具体的な立案や部下と信頼関係を築いている描写など職務面での真面目さの伝わる人物でしたが、価値観そのものも思いのほかまともであるようです。分別のある大人として描かれている人物だと感じられます。特に『群青のマグメル』という作品で重要なテーマのひとつである「夢と欲望の相克」について、アミルが理知的な持論を述べたことには驚かされました。そんな彼が聖心を暴き神の座を奪う計画に加わっている動機とは何なのでしょう。一族の関係者としての責任以外にも何か個人的な理由があるのでしょうか。

そしてルシスとアミルの関係とは何なのでしょうか。少なくとも日本語版では名前を呼び捨てにし合える関係ではあるようです。相手の核心に近い部分の欠点を理解し合い、釘を刺し合うことさえもある程度許容し合える仲でもあるようです。親しさがあるのかどうかは微妙なところですが、かなり対等に近い立場であることはうかがえます。アミルが一族の「若様」であるのなら、ルシスはあえて手元に置いた食えない副官であるのかもしれません。しかし中文版では実はアミルと確実に判別できる人物が「若様」と呼ばれている場面は存在しないのです。「若様」の左の手の平にある神明阿直系の家紋がアミルの手の平に確認できる場面も存在しません。一方でルシスは彼の顔が確認できる場面ではいつも手袋をしているのです。疑惑は膨らむばかりです。謎は確証を持てないが故に人を惹きつけてやまないのだと強く感ざるをえません。

また、今回は長らく謎として展開を牽引している神明阿の聖心を暴く手段のうち、完全構造力を大量に収集して使用する方法という部分に回答がもたらされました。神明阿の合構という技術がここで活かされたのはなるほどと思わされました。基本は3人が限界とされる合構を10人で行えることにも流石は神明阿直系の構造者という特別感があって良いですね。やはりエンタメではここぞという場面で原則破りがあると盛り上がります。アススをはじめとした当主たちがコールドスリープしていたのは各世代で集め尽くした完全構造力を合構するためというのも予想外かつ納得のいく理由です。アミルとルシスの命令でカーフェが手に入れた完全構造力は別の場面で使うことになるようで、そちらも楽しみです。さらに、拾因もやはり完全構造力を手に入れていたことが明らかになりました。何をするために手に入れたのか、それはもう使ってしまったのか、気になることは増えるばかりです。

今回のラストでヨウは神明阿の秘儀のさなかに切り込むことを決めるのですが、真正面から飛び込むだけではネズミとして殺されて終わるだろうことはヨウ自身が誰よりも承知しているはずです。ヨウのことですから何か奇策を用意しているのでしょう。この点については素直に次回を楽しみに待ちたいと思います。

群青のマグメル第45話感想 ~心動かされる相手

第45話 合構 20P

前半は戦闘パートというよりも戦闘仕立てでの神明阿の構造者たちの解説パートですね。

壱八獄中隊の構造者は人類の中での精鋭なのは間違いありませんが、3人がかりでもヨウの足元にも及びません。相手になれるのは黒獄以上の実力者だけのようで、神明阿一族が巨大組織ではあってもこと戦闘に限るならヨウたちにも勝算が見いだせないわけではなさそうです。

合構についての説明は、今までの描写から推測しつつも言葉として確認しておきたかった内容を簡潔に抑えていて、バトルものとしてワクワクします。また、説明の回想でヨウ・ゼロ・クーの3人が火鍋子を囲んでいるですのが、こういうちょっとした日常描写にいい味わいが出ているのがみんなキャラが立っていることの強みです。ビルの屋上で鍋をやっているというだけでもなんだか楽しそうなのですが、クーだけが二段重ねのブロックらしきものの上に座っているのが余計に面白いです。クーは高いところが好きですからね。あるいは聖国真類には食事中に地べたに座るのを好まない習慣があるのかもしれません。

ヨウは壱八獄中隊の構造者を手早く格好良く倒すのですが、その後にやるのがよりによって財布のかっぱらいです。ヒドイです。正義を自分の都合のいいように解釈して利用しているのがさらにヒドイです。間違ってもコイツは正義の味方じゃないな。ただ、ヨウは社会正義・一般常識からは完全に外れた人物ではあっても、ヤクザなりの仁義というか無頼漢なりの筋というかがあるのは今までもちゃんと描写されています。常にどこかしら逸脱しつつも情があるところがピーキーな魅力であり、そんな人物を主人公としているのが『群青のマグメル』という作品の面白味です。またヨウの人物像を考える上で踏まえておきたいのが後悔に満ちた拾因の姿です。拾因はほぼ間違いなくゼロとクーを、あるいはビックトー親子とティトールをも失ったヨウなのです。飄々とし何にも縛られないようにふるまいながらも、血の繋がらない家族を失ったことでどれだけ彼の心が揺さぶられ、そして避けられぬ死に臨む決断に至ったのか、それは現在のところただ想像することしかできません。それでもなおさら、私は拾因がそう望んだようにヨウがヨウ自身として幸せになることを願いたくなってしまうのです。

そして後半は神明阿アススとトトの対話パートです。

トトは実の父と共有した夢を大切にするだけでなく、その夢に基づいて見ず知らずの相手の幸せにさえ喜びそのために行動できる心を持っています。トトはマグメルで幾度となく危険に巻き込まれ、人間から強盗にあう描写さえ何度もあり、彼女の言葉は決して世間知らずな綺麗事ではないのです。

そんなトトに対して、神明阿アススはトトのように良い人間だった妻を殺害した過去を告白します。アススの妻は性格や表情の印象だけでなくいわゆるアホ毛までトトと印象が重なるように造形されています。アススは特別な人間ではあっても血の繋がらない家族にすぎない妻を殺しても何ら心動かされることはなかったと語ります。強さを得た対価に心が動かなくなり、血の繋がる家族としか繋がり得ないとも。そしてそれらは彼の中では真実なのでしょう。ただ、そんなことを初対面のトトに告白してしまったのは、妻の面影のある女性と出会って彼の中の何かが揺らいだからに他ならないのではないでしょうか。

ヨウ、トト、神明阿アスス、この3者の「家族」に対する思いがどう絡み合っていくのかが、今から楽しみです。

それにしても神明阿アミルと神明阿アススは顔が全く似ていませんね。アミルの小さな瞳孔が実線で囲まれた目と、アススの眉頭の太いカマボコ型の眉と彫りの深い目鼻立ちは、特に違いが大きいように感じます。

実は『群青のマグメル』にはアススと同じ瞳と眉を持った人物がもう1人登場しています。

左の手の甲に神明阿直系の家紋を刻んでいるアススに対し、左の手の平に神明阿直系の家紋を刻んでいる彼が本当は誰なのか、私ももう一度詳しく考えてみる必要がありそうです。

 

今回ちょっとだけ気になってしまったのが神明阿アススの台詞の「動かぬ心~対価なのだろうなぁ」です。文脈上絶対勘違いしようがないとはいえ、ここの文字だけを見た場合は逆の意味に捉えられかねないと思います。

あと書き忘れの追加を。前回トトが脱臼したのは左腕となっていましたが、前回暴漢に引っ張られたのも今回痛がって抑えていたのも右腕であり、誤植でしょう。

群青のマグメル第44話感想 ~殺る気

第44話 潜入 20P

扉絵は並んで進むヨウたち5人と遠くの後ろ姿の神明阿アミルという構図がいずれ訪れる激突を予感させるものになっていて、新編の開幕にふさわしいものになっています。白系のスーツと床に落ちた黒い影の対比もバッチリ決まり、クールな中にも力強い印象があります。アオリ文の「我行我素」もいい味を出してますね。中国語の四文字熟語には欧文系の厨二感とはまた違った厨二感があっていいものです。意味は「自分のやり方を貫く・我が道を行く」となります。

扉絵を見る限りではミュフェはクーに付き添って人界にやって来るようです。デュケは性格から考えてもマグメルに残ってそちらの現状を伝える役割となりそうです。

今回は潜入編の導入ということで嵐の前の静けさを感じさせる回ではあるのですが、ヒリヒリとする不穏感の強さに期待が煽られます。

まず海底からの侵入という刺激的なシチュエーションを静謐かつ空間的なレイアウトによる演出が見事に盛り立てています。その最中にヨウが察知した深い闇の向こうにある何か、それがこの先の展開にどう関わってくるのか今から楽しみになります。距離的にはだいぶ離れていますが、島の地下に建造物があることと併せて考えると、もしかしたら巨大海底遺跡があるかもしれないと言った想像が膨らみワクワクします。

また静かな中にも当たり前のように暴力がひしめき殺意さえもありふれている空気感の描写が緊張を高めてくれます。トトがガラの悪い探検家チームに取り囲まれる場面はコミカルな演出をされてはいるものの結構シャレになっていない危険さです。それに周囲が取り立てて騒ぎ立てる訳でもない様子も、カタギの人間ではない探検家という存在を改めて感じさせてくれます。そして一転して探検家たちが直前まで弱者と思い込んでいた老人に文字通り瞬殺され、むき出しの惨事が突きつけられます。私は前回素性が判明したばかりの神明阿の上祖がいきなり探検家に混じっているとは想定していなかったこともあり、この不意打ちにはいろいろな意味で驚かされました。地位のある老人ということでてっきり腰の重いキャラだと思っていたのですが想像以上に行動派ですね。弱い老人の演技をする茶目っ気やトトに対して友好的に接する点と大勢の探検家の四肢を飛び散らせて平然としている点の落差が思考の読めなさを生んでいて、次の行動が気になるキャラです。

一方でヨウは神明阿の役付きの構造者からパスを奪うため、招待を受けただけの探検家も含めて片端から構造者を昏倒させていきます。少年漫画の主人公らしからぬダーティな手段ではありますが、乱闘を当然のこととする空気感とスマートに事を運べるわけではないという状況の提示が、反則の優越よりも生命に肉薄するスリリングさを際立たせているのが興味深いです。ヨウの挑発を受けた役付きの構造者たちが反抗分子の報告よりも売られた喧嘩を買うことを優先するあたりのチンピラ感もなかなかの暴力性です。ラストのコマは四者のポージングも構図も格好良く仕上がっていてドキドキさせられます。元より無法の側に身を置いていたとは言え、日常を送っていた拾人館にしばしの別れを告げたヨウが、人間同士の陰謀と暴力の世界に踏み込もうとしている一瞬が切り取られたコマです。

今回は潜入ということでヨウの衣装替えも行われているのですが、空気感に合わせて装備も今までのイメージを大きく崩さないままよりリアル調のものになっているのが面白いです。上半身の黒い服・帽子・手袋という服装にマスクが加わることで、拾因やあちらのヨウを彷彿とさせる取り合わせになっているのにもニヤリとさせられます。

群青のマグメル第43話感想 ~線引の決め方

第43話 1ダースと少しの安息 20P

ヨウのゼロとの世界旅行での会話を通じて、共に旅をした拾因へのヨウの思いが形になって表されます。ヨウの初めての友達であり師であったという拾因。別れを予感させる陰を纏っていたという拾因。ヨウにとっても思いを言葉にすることで改めて自らの気持ちを探りつつ自覚していくところがあるように思えます。

そして拾因の死に気持ちの整理をつけた上で、拾因の生きた意味である彼の願いを受け継いでいくと明言します。実際に世界を見て回りつつ発した「世界を救う」という言葉にはヨウの決意の重さを感じます。思いを決めた時の、成すことと成せないことを定めた時の、爽やかさと淡い寂寥感のあるシーンです。ここでこれほどヨウが線引をきちんと出来ているからには、実体を持った拾因との再会はもう無いものと思った方がいいでしょう。

また、ヨウは人類の統治者である神明阿一族への敵対を決断したからには、ゼロと別れてこれまでの生活を続けることを諦めるつもりだったようです。あるいは生きぬくことそのものを。かつての拾因も同じ決断をしたのかもしれません。しかしここではゼロの方がヨウを諦めませんでした。ゼロの発言はご主人様に付き従いたいと見えるのか少爷(坊っちゃん)を守りたいと見えるのかで読者にとってニュアンスが随分と変わってきますね。ゼロとしては自分は大人でヨウを守れるつもりのようです。ですがヨウと読者にはそう言われるほどにゼロの幼気さがしみてしまいます。だからこそヨウはゼロを守り共に生きぬくことへの決意を新たにするのです。大勝負に臨んでのこの前向きな決意には、かつて避けられなったはずの破滅的な結末とは全く異なる結末へたどり着くことへの希望を強く感じました。

一方でクーは任務失敗の罰により男女3人素っ裸でバラエティ番組の熱湯風呂氷風呂めいたものに入れられつつ、ヨウは自分に利用されているだけだという笑撃の発言を繰り出します。逆では?という点は置いておくとしても、この期に及んでもクーがヨウときちんと一線を引けていると考えているらしいことに微笑ましくなってしまいます。傍から見ると不適切な馴れ合いという段階さえ明らかに超えているのですが、クーの性格を考えるにミュフェを誤魔化しただけでなく半ば以上本気で言ってるのでしょう。クーにとってヨウとの接触で自分は既に十分に得をしているのだから、自分達の行く末にまでは巻き込みたくはないというのはまだ変わらないようです。その上で情報を得るためというお題目を唱えつつ、ヨウの神明阿への潜入に加わるつもりなのが面白いですね。罰が終わってから人界へ向かうとするとやや遅れての合流となるのでしょうか。

マグメル深部の聖国真類の社会の一端が描写されていますが、居住地の規模的にも上層部の合議の様子からも、ステレオタイプな未開の部族ではない国家然とした印象を受けます。むしろ発展し巨大化した組織にありがちな腰の重さが心配になってしまうほどです。任務を失敗した者に罰を与えつつも必要以上の問責はせず、成果については労いの言葉を述べるということからも、治世は現在のところ大きな滞り無く行われているようです。族長を含めた強者会の6人は、多少外見がリファインされてはいますが第32話で車座になっていたあの6人でしょう。

他方で神明阿一族が装置の中から目覚めさせた老人たちの描写もあります。500年前の神明阿一族の上祖だという彼らがどう展開に関わってくるのかはまだ読めませんが、いかにも中華の老人キャラ風な只者ではない雰囲気を纏っていて気分が盛り上がります。首領格らしい1人以外も顔の個性がしっかり描き分けられているのが逆に共通して目が死んでいる点を際立たせていておどろおどろしいです。

私が今回出た情報で一番気になっているのが拾因の明かした聖心を暴けば世界が滅ぶという言葉です。もちろんこれはヨウの一番の敵が神明阿一族だと確定させこの先の展開の指針を示す上で重要です。原皇の役割をヨウVS神明阿一族の構図にちょっかいを出す第三者ポジションと見なせることになり完全な三つ巴よりは勢力関係が把握しやすくもなりました。しかしむしろ私が引っかかっているのは、拾因の言葉が実際に世界が滅んだのを見たことがあるような迫真性を持っている点です。拾因の世界がやはり誰かが聖心を暴いたせいで滅んでいるのなら、「世界の敵」である拾因はそれにどう関わっているのでしょうか?

群青のマグメル第42話感想 ~拾人者の歩む道

2017/08/27 翻訳について下部に追記

第42話 出会い 24P

追記 原題:又零之刻 (直訳:ヨウとゼロの時間・軌跡)

 

『群青のマグメル』第4巻が7/4(火)に発売されました

www.shonenjump.com

 

 ゼロの過去は「超能力者・超人の悲哀もの」として必要な要素が的確かつ王道的に押さえられていて、短いながらも胸に迫る描写となっています。揺るぎない表現力と積み重ねられたゼロというキャクターに対する愛着とが、定石的であるが故のストレートな切れ味を高めています。6P1コマ目の天井と設備の描く曲線の悪夢的な効果と7P1コマ目の表情が示す闇はとりわけ強い印象を残します。また読者にとっては当然となりつつあった構造者というものがやはり異端の存在であることが再提示されます。

こうした酷薄で弱肉強食な『群青のマグメル』の空気感の中で活きるのがヨウの空気の読まなさです。どんな状況でもどんな出自の相手でも普段と何の変わりもなく接せるという常人離れしたヨウのマイペースさは、単に身体能力や構造力が高いこと以上に今回だけでなく今までも多くの相手の救いとなってきました。こうした資質こそが優れた拾人者の能力でもあるのでしょう。ヨウを慕い続けたゼロとの想いが理解できるようになった時に、私たちもヨウという人物の魅力を改めて感じることが出来ます。そしてヨウに拾われたことがゼロへの救いであったように、ヨウにとってもゼロを拾ったことは拾人者へ進むことを決意させる最終的なきっかけとなり人生の転機となったのです。ヨウの初めての拾人者としての仕事の相手こそがゼロでした。

その一方で改めて描写されているのが、ヨウの強さと価値観の恐ろしささえ抱かせるほどの人並み外れぶりです。ゼロに死を感じさせた強大な怪物を本能的に従わさせる程に強力で、無情な大人を一切の呵責無く打ち倒す、そんな12歳前後の少年であったヨウ。普通ならばやっと小学校を卒業したかどうかの年齢らしい顔立ちの幼さと、敵と見なした相手へ向ける態度と眼差しの冷淡なまでの老成。今回の乾ききった眼差しと「人を人として扱わない奴は… もう人とは呼べないね」という台詞で思い出されるのが、第4話でクリクスの兄と対峙した時の姿です。その時にヨウは皮肉にもクリクスの兄から「本当に人間か!?」と毒づかれてもいました。今回は意図的に殺害するほどには激怒していないでしょうが、ヨウは彼が必要だと判断した時には我を忘れずとも人を殺す判断ができます。できてしまうのです。ヨウは拾因に出会う前には既に人を殺したことがあったのかもしれません。いつもは明るく振る舞うヨウだけに、ふと覗かせる深淵には心から肝が冷える心地がします。そして物悲しくもさせられます。ただ、ヨウへ向けられる「人間離れ」しているという評価とは、逆説的に彼が紛れもなく人間だということを物語ってもいます。本当の怪物にはわざわざ人間でないと見なす必要などありません。拾因が最後に拾った人間こそが、最後の拾人者としての仕事の相手こそがヨウでした。

最後の場面でヨウは5年前にゼロと出会ったときと同じように2人でこの先へと続く道を進んでいきます。ヨウにとっては5年前だけでなくそのさらに5年前、拾因と出会って共に歩むことになった時を思い起こさせられるような道のりであるのかもしれません。ゼロにとっては5年前よりもむしろ一時的に先取りした5年後と本当の5年後が気になる道のりであるようです。そして2人に未来があるならば、ヨウが主人公として彼の素質を十二分に発揮していけるのならば、この先も「5年後」は何度でも訪れて何度でも共に踏み越えていけるはずです。

 

今回少々勿体無いのが日本語版だとゼロのヨウへの呼び方が「ご主人」になってることで「主様」からの変化があまり意味のないものになってしまっていることです。中文版での呼び方は「少爷(坊ちゃん・ボンボン)」なので、単なる主従関係・隷属関係から開放されたことがはっきりしてるはずです。お金持ちっぽくて好ましいというヨウの言い分もよりしっくりきますね。

 

翻訳について

中文版の『拾又之国』の第42話を確認しました。

ゼロが虐待を受けた「主様」は中文版では「主人」です。中国語の「主人」は物体・家畜の所有主という意味合いが強く、作中でもゼロが「财产(財産)」扱いされていることが幾度か明言されています。

ゼロが忠誠を誓うべきとされた「未来の主」である神明阿一族を表すのは中文版では「未来的主人」・「真正的主人」です。

そして中文版ではゼロが「新主人」と見なしたヨウにそれを断わられ「少爷」と呼ぶように提案されることで主人・所有主がいなくなり、「零号」でなく「阿零」と呼ばれて1人の人間としての自由を手に入れるという流れになっています。それが日本語版ではヨウが「ご主人」と呼ばれていることで伝わりにくくなっているのは残念です。

また、中文版で「找到你…… 然后…… 就一直守护你哟……。」、日本語版で「君をみつけて… ずっと守ってって…」となっている台詞は中文版の第31話の「若遇到那个人,就一直守护下去。」を受けたものだとわかりました。

この第31話の台詞は日本語版では「もしあの人を見つけたら その時は頼むよ」となっています。しかし第43話の「もしあの人にあったら ずっと守ってやってくれないか」と元になる中文はおそらく同じでしょう。

前に出た台詞を伏線として活かすという面ではやや問題がありますが、新しい訳の方がより適切なニュアンスなので仕方がない面が大きいと思います。今となっては第31話での翻訳が悔やまれるばかりです。

群青のマグメル第41話感想 ~未来へ向かうために

第41話 バカンス 20P

追記 原題:去度个假吧 (直訳:休暇を過ごしに行きましょう)

2017/07/18 微修正

『群青のマグメル』第4巻が7/4(火)に発売されました

www.shonenjump.com

 

第34話から休載の間もずっと心配させられていたクーたち聖国真類の未来が前回でひとまず希望を持てる状態になったことで、今回は展開の進行に一息ついてのバカンスとゼロの掘り下げへの導入の回です。

まずこれまでの展開への区切りとして一旦トトと別れるのですが、その際のトトの言葉は再開後からだけでなく今までの『群青のマグメル』のストーリー全体の総括になっています。

トトがここでマグメルの冒険へのロマンと希望を語ってくれたことには、改めて目を覚まさせられる思いがしました。最近の展開では神明阿をはじめとした欲望や陰謀絡みでの征服戦争のためのマグメル探検がクローズアップされ、私の関心もそちらへ向きがちでした。しかし未知への憧れと挑戦とはやはりロマンが溢れるものであり、少年漫画が追うべき夢の形でもあるのです。

また、今回の救助に感謝するだけでなく、ヨウの拾人者という生き方そのものを肯定する見方を示してくれたことにもジンとします。ヨウは人界ではどの権力の庇護も受けず、マグメルに関わるほとんどの人間が選ぶ探検家ではなく、ましてマグメルで生まれた原住者でもなく、どこからも独立して孤立しているようにさえ見える時がありました。ヨウ自身が第8話で自分の生き方を「賢い人間にはなれそうにない」と自嘲気味に評したのも彼をより寂しげに感じさせました。ですがそれは一面的な捉え方に過ぎなかったのです。拾人者の仕事とはマグメルで失われかけた命を人界の家族の下へ帰還させることであり、マグメルへ挑みたいという冒険者のロマンそのものを絶やさないようにすることです。マグメルと人界の双方に関わり、繋がりを守ることこそが現在のヨウが選んだ生き方なのです。これまでだけでなくこれからもそうあるために、ヨウは今彼自身が全貌の見えない相手へ挑もうとしています。そんな時に同じくロマンの支えになることを選んだ人間から応援され、別れてからふと見上げて気付いた空の広さ。それは何もかもを包み込んでくれるようなものだったのではないでしょうか。

その先に待ち受けているお楽しみが今回のメインイベント、未来を先取りした姿のゼロとのバカンスデートです。画的にはまるで高校生同士のデートのようで、青春映画的なムードに溢れています。成長後のゼロの外見年齢は15、6歳。スレンダーな体付きではありますが、涼やかな目元はむしろ肉体以上に大人びた印象を与えます。すらりと伸び、程よく肉の付いた太腿が眩しいです。日本の学校の制服風のコーディネートは女子高生の印象を強く読者に植え付け、児童どころかコマによっては幼児に見えていたゼロのイメージを一変させてくれます。特にトレードマークだった子供っぽい猫耳カチューシャをシャクヤク風の花飾りに置き換えているのが効果的です。一方で色は違うものの、プリーツスカート・丈が短くて手元が隠れるほど袖が長い上着・首元のタイというコーディネートが黒い瞳のヨウと共にいたゼロとほぼ同じなのがニヤリとできていいですね。

ヨウにとってもこの成長は衝撃だったようでなかなか面白いリアクションを取っています。あからさまにヨウを異性として意識しているゼロとは違い、ヨウのほうはゼロを純粋に家族だと見なしていそうですが、もしかしたらこの件で少しは見え方が変わってくるのかもしれません。ただ周囲から色恋を向けられてもひたすら朴念仁なヨウなので、たとえ関係が変わるとしても終盤の終盤でのことにはなりそうですが。

そして話の焦点はこれまでほとんど未解明だったゼロの過去へと移っていきます。ゼロの実年齢が11歳であることと、5年前に拾因からの依頼によってヨウが研究所らしい人工島から救出したことが判明しました。ゼロは年齢こそ見た目通りの子供でいいようですが、やはり「ただの」子供ではないようです。おそらく成長は普通にできているのでサイボーグなどの類ではなさそうですが、例えばデザイナーズベイビーであるとか身体に改造を施されているとか特殊な英才教育を受けたとか、何らかの研究の対象となっていたようです。

また私がゼロについて気になっていたことのひとつに、黒い瞳のヨウと共にいたゼロよりも見た目は幼いはずのこちらのゼロのほうがマグメルの冒険や財宝に対する態度をはじめとして大人びた言動をすることがあったのですが、それはヨウの違いから生じた影響によるところが大きいようだとわかりました。まず、拾因への憧れからヨウの拾人者という仕事への自負がより強くなったことがゼロの価値観にも反映されているようです。またこちらのヨウは保護者が得られたことでかなり弟気質な部分が出ていて、そんなヨウと支え合ってきたことでこちらのゼロはこましゃくれた世話焼きの妹的な性格になったと推察できます。さらに、黒い瞳のヨウとゼロの出会いはほぼ不明ではあるものの、拾因の依頼がないことからそのゼロは研究所の外に出られた時期が遅くて精神的な成長の機会が少なかった可能性もあります。ここで2人のゼロの違いが念押しされたのは、オーフィスの病死が明言されたのと合わせて、主要人物が皆二重に存在していることのヒントを改めて強く示すためでしょう。

ゼロについて今私がちょっと気になっているのが拾因が自分で救出しなかった点です。これから共に生きていくことになるヨウに助けさせたかっただけかもしれませんが、何か別の事情もあるかもしれません。

他方で、ゼロの研究との直接的な関連は不明ですが、神明阿によるマナナンバスティオンでの人体実験の描写があります。この装置は第32話に出てきたものと同一のものです。長身の実の保存装置と連続して描写されることでコールドスリープの解除実験であるのが示唆されていますが、目を覚ました老人たちの正体とは何なのでしょうかね。