群青のマグメル~情報収集と感想

ウェブコミック配信サイト『少年ジャンプ+』で連載中の『群青のマグメル』を非公式に応援するブログです。

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ウェブコミック配信サイトの少年ジャンプ+で中国人漫画家第年秒先生が連載中の『群青のマグメル(原題:拾又之国)』を非公式に応援するブログです。
隔週連載の感想は毎回できるだけ更新の翌日までに投稿するのを目標とし、その他何か情報が書くべきことがあった場合は不定記に投稿します。
『5秒童話』や『長安督武司』など第年秒先生作の他の漫画の感想もできれば書いていきたいです。
基本的に情報解禁日時は日本に合わせますが、ウェブ上でわかる範囲で中国での情報をお届けすることもあります。

画像等の引用について

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権利者様側からの削除の依頼や警告には速やかに対処いたします。

群青のマグメル第51話感想 ~繰り返す

第51話 零号です 26P

ヨウ・ゼロ対アススの激闘の決着のつく回です。大物食いにふさわしい力の入った戦闘描写の詰まった回なのですが、今回の本当の眼目は戦闘終了後の衝撃の展開の方にあります。

冒頭で拾因がヨウに語った命の限界の存在という概念は、ここしばらくの回で主題となっているだけでなく『群青のマグメル』の世界観の根底として繰り返し表され続けています。限界と摂理の絶対性が世界そのものと一体化していることと、それ故にその先に進むことを目指す者たち。彼らとは神明阿一族であり、「世界の敵」である拾因でもあります。しかし神明阿一族はおそらくいつかのどこかで世界と共に灰燼と化し、拾因はヨウに教えられる程に摂理を超える技を身につけたにも関わらず後悔を抱え続けそして死を迎えました。彼らは力こそ手に入れたものの本当の意味で摂理を超えることはできなかったのです。

この作品の主人公としてのヨウの役割のひとつに拾因の後継者であることが挙げられます。ヨウはおそらく自覚はなくとも拾因と同一存在の別個体であるだけでなく、自らの意志でも拾因の遺志を受け継ぐことを目指しています。

特に今回はヨウは知らないのでしょうがかつての拾因(の同一存在?)と同じく自らの現実構造を巨変させる幻想の能力を発揮することで、人類の頂点の一人である神明阿アススとの激闘を制しました。ヨウが得意とする鋼刃と篭手の両方を巨大化させての最強の斬撃には、これまでのヨウの構造の能力のすべてが活かされていて胸が熱くなるものがあります。立ち回りもよく練られていて、まずアススに鋼刃を防御させてから後ろに回り込んで篭手を放ち、あえて躱させて自分たちに向かわさせることで、素通りした篭手にアススの背後の鋼刃を持たせて斬撃を放つという一連の駆け引きはアイディアが詰まっています。

戦闘後の一転してのヨウとゼロの和やかな会話の瞬間でも、2人でのマグメル探険を持ちかけるヨウの言葉には、第33話冒頭での「彼ら」の様子を思い起こさせられます。かつて終わった探険が再び繰り返される予感にほろ苦い思いがするとともに、そのまま2人で邪魔をされずに探険が続くことを祈りたくなり切なくもさせられます。ここで人間との闘いで疲弊しきったヨウが、ほとんどの人間にとっては生死を賭けた鉄火場であるマグメルに憩いを求めようとするのがいつものことながらも興味深いですね。やはり人と関わる道を選びながらも、魂の一端の故郷はマグメルにあり続けるのでしょう。憩いの別天地とは楽園であり、楽園とは死後の世界であるとともに人の故郷でもあるのです。

そして本当に瞬きのほど間の平穏を破り、熱闘さえも平穏さえも前座として飲み込んで起きるのが「ヨウ」にとっての「ゼロ」の喪失の繰り返しです。打ち倒されつつも最後の力で思わぬ方向からの一撃必殺を狙うという自分たちの戦法をそのまま返してきたアススからヨウをかばうために、ゼロは撃たれ倒れます。直前までバトルの熱量は申し分ないもののアススという人物の役割がこれで終わるのはもったいないとは感じていましたが、期待の方向を大きく飛び越えて度肝を抜く働きです。第33・34話で黒い瞳のヨウと共にいたゼロの死亡の描写は覚悟していたとはいえ、こちらのゼロまでもが少なくとも一旦は死亡してしまうとは思ってもみませんでした。25P目の直接的な人体破壊描写の赤裸々さにはヨウばかりでなくこちらも当惑し呆然とさせられてしまうのですが、26P目の力を失った体がくずおれて浮遊するようでさえあるコマの生々しさに徐々に実感が追いついていき、決定的な一瞬はすでに過ぎ去ってしまったことをじわじわと納得させられることになります。戦う力に乏しい少女の死というものはどうしようもなく痛々しく、それを目の当たりしたヨウの喪失はどんな言葉を尽くそうとも表しきれるものではないでしょう。
繰り返し、繰り返し思い知らされる無力さとは運命であり、あるいは世界の摂理そのものなのかもしれません。しかしだからこそ拾因の運命を受け継ぐだけでなく乗り越えて、摂理を本当の意味で超えることが主人公であるヨウの役割だと私は考えたいです。拾因が回避できなかったゼロの死亡が、この後の展開でヨウの摂理を超える力により回避し直されるのは間違いないはずなのです。あるいはその方法に辿り着く瞬間が拾因の謎に触れる時なのかもしれません。世界の前進・後退という意味ありげなキーワードが拾因の口から出ている点は見逃せません。また第49話ですでに背面に随机(ランダム)という記載があることから推察できるように、6号の弾の種類がランダムだというギミックは作中での役割を持って設定されている可能性が高く、例えばゼロの死亡の回避後の発砲では別の種類の弾となっていることで運命が変わったことを示唆する…といった演出に期待してみたくなったりもします。ともあれ、繰り返しの強調とは破られるためにあるのだと、今はただ信じるばかりです。

群青のマグメル第50話感想 ~摂理の外そして内

第50話 乱戦 20P

尋常の生命の範疇を、そして摂理を超えた擬神構造が前回で神明阿一族の手によって誕生し、常人にとっての脅威ではあろうと摂理の内の生命である怪物たちがそれに怯えて逃げ惑う場面で今回の話の幕が開きます。その怪物たちの王である原皇もまた摂理の内の存在であり、突然の擬神構造の出現に動揺し、珍しく真剣に焦っています。原皇がヨウと同じく既知感を覚えて確認しようとしているということで、擬神構造の正体がなおさらに気になってきます。単なる謎の物体が無造作に提示されるのではなく、こうした取っ掛かりを持たせることで、読者の先の展開に対する興味が牽引されます。

同じく摂理を超える計画の中枢であり正体の不透明な存在であるルシスとの戦闘も並行して進み、こちらでも原皇は焦燥を感じさせられています。短い戦闘描写ながらもここでのルシスのキャラの立ちっぷりは素晴らしいですね。三日月型の構造物を背後にしてのキメキメのポーズの厨二感、構造物の威力、軽く舌を出しての挑発の食えなさ、いずれも強烈な読み応えがあります。ルシスの正体の推察において黒獄小隊の隊長という役職だと原皇が当たりをつけたことから、ここで作品として意味のない言葉を出すとは考えにくいというややメタ的な読み方が前提ではありますが、アミルとルシスの関係は神明阿一族の若様と側近中の側近である黒獄小隊隊長なのだと見てほぼ間違いないでしょう。しかし、原皇自身が推察に確証を持ってはいないように、正体不明の隊長とはルシスなのか、2人のどちらがどちらの立場なのかという点にはまだ疑問の余地が残されています。常人には対抗不可能とされる超級危険生物を端末とした原皇を手玉に取り、魔をはらんだ微笑みを浮かべ挑発するルシス、彼の正体とは何なのでしょうか。また、この場面では挑発を受けた原皇の側も凄みのある反応を見せ、やれっぱなしで終わることに甘んじない意地を感じさせてくれます。原皇という肩書にふさわしくゾクゾクさせてくれる刺激的な台詞と表情です。両者ともに心憎いほどに魅力的で、バトル要素のある作品では対峙する敵キャラの面白さがそのまま作品の面白さに結びつくということを再認識させてくれます。

一方ヨウ・ゼロとアススの戦闘では、ヨウたちは格上の相手に対して自分たちのできることを最大限に活かして必至に食い下がってます。ここでヨウが主人公らしい意地を見せてくれたことは素直に嬉しいですね。危機的状況を新技で打破するという展開にはやはり非常に燃えるものがあります。しかも摂理を超えた野望を抱く一族の上祖を、摂理を超えた構造で迎え撃つというのだからなおさらです。ゼロの6号もやはり完全には壊れてはおらず、この戦闘でしっかりギミックを発揮して活躍してくれるようで楽しみです。三日月型の構造物と一体となって突っ込んでくるアススをヨウたちはどう撃退してくれるのでしょうか。

こうした超人たちの迫力ある戦闘に挟まれつつ対照的な内容となっているのが常人であり尋常の生命に過ぎないトトの描写です。前振りをした切り札である念動結晶を投入し、その薀蓄もきちんとそれらしく考えられたものであり、続いての亡き父との思い出や夢、決意もしっかりと思いが伝わるように仕上げられているにも関わらず、トトの実力では危険ランクの低そうな生物に対してさえ全く歯が立たないのです。コミカルな演出がされているのでそこまで重くはならないのですが、念動結晶にまるで威力がないさまが絶妙な間で何コマも割いて念入りに描写されている流れには、おかしくもありつつ妙に悲しいという諦念にも似た複雑な感情が呼び起こされます。ノーダメージの危険生物さえもリアクションに困っているコマが何というかポイント高いですね。

この場面では、『群青のマグメル』は機転や悪知恵も含めての実力とはその場の気合や気迫だけでは覆しようがないというこれまで幾度も提示されてきた世界観の根底を改めて確認させられることになります。冷血で酷薄で、そして現実的です。それゆえに摂理を超えうる超人たちの特異性が映えますし、戦闘の緊張感に繋がる要素でもあります。とはいえ少年漫画としてはもう少し幻想を見せていくれてもいいのではないかという気分にならなくはないのですが、この点は『長安督武司』をはじめとする他の第年秒作品でも繰り返し描写されるテーマであり、作者の熱のこもった思い入れの深さを感じずにはいられない部分です。努力では立ち向かいようのない才能の差という現実と挫折、力のために力を求めることへの疑問、それらの問題に対する執拗な拘泥は、第年秒作品ファンとしてはヒリつく刺激を楽しめる持ち味の1つだと感じています。少年漫画としては深みというよりエグみに受け取られかねない部分だけに、今後どう扱っていくのかいう点にはハラハラするものも感じなくはないのですが。もっとも、トトは別に強さに執着しているキャラではないですし、原皇に利用される形とはいえ命を拾った以上は戦闘以外の部分で役割を持てて、最後には後味のよい締めくくりを迎えられるはずです。第年秒先生は癖の強い要素もその場のインパクト狙いだけでなく全体のバランスを考えて組み込める作家ですので、その点は信頼しています。

群青のマグメル第49話感想 ~神に擬く力に挑む

第49話 頂点たる者 20P

今回は前回から引き続いての迫力ある戦闘描写が中心の回です。まずアミルからの逃走直後で重傷を負っていながらも、ダメージを表に出さずに音符付きの気楽さを装ってゼロに対して話しかけられるヨウの姿は逞しいものです。生死の境で積み重ねた経験の確かさがうかがえます。反面、その経験といま直面している危機を思うと、まだ少年らしく線の細さの残る姿との不釣り合いさには胸の締め付けられるものがあります。ウエストバッグに入る切断された左脚に生々しい重さと痛みを感じてしまうのは、あるいはヨウでなく私の方ばかりであるのかもしれません。

そしてヨウがゼロと共に挑むアススに対する戦闘は、スケールの測りづらい海上ながらも迫力のある演出により緊迫感に溢れるものとなっています。大きさの実感しやすい船とヘリコプターの破壊に始まり、爆発の黒煙とアスス、ヨウの位置関係の提示へと続くことで距離感が自然に飲み込めます。遍く左手とアススの構造の激突の場面でも同心円状に波立つ海面の激しさがその衝撃を迫真性をもって伝えます。非戦闘員とはいえゼロが満を持して登場させた6号ばかりかヨウの活用してきた構造の多くが全く歯の立たない様子には、アススの構造が水という何の変哲もない物体であるがこその底知れなさを感じざるを得ません。鼠を狩る猫のようにアススがヨウの反応を面白がっているおかげでどうにか命は繋いでいますが、この実力差ははっきり言って絶望的ですね。まさしく神に背き、神に似せた新たな何かを生み出そうとしている一族の上祖にふさわしい力を持つ相手です。それでもヨウの諦めずに最も信頼をおく葬送鋼刃で食い下がろうとする懸命さや、刃身の再構造を行いつつの水弾への対処の巧みさには、派手さはないながらも彼の培った底力を確信できます。ゼロも、コントローラーが消滅せず6号本体も消滅していない可能性があることや、6号の背面に随机(ランダム)と読める文字がありまだ使われていないギミックがあると推測できることから、もしここではないとしてもきっと活躍できる場面があるのでしょう。今回ばかりは打ち勝つ方法どころか振り切る方法さえ私には見当もつかない相手ですが、彼らならどうにか乗り切ってくれるはずです。

一連の戦闘では見ごたえのある描写がなされつつも、少年漫画的にいうバトルの楽しさよりも、どう凌ぐのかはたして逃げ切れるのかが焦点になっていることに『群青のマグメル』という作品の特色を感じます。バトル要素の多い作品ではあるものの、ヨウにとっての戦闘は根本的に手段である点が、バトル描写そのものでワクワクさせることを目的としたいわゆるバトル漫画とは異なる味わいを産んでいます。ヨウにとっての強さとはただ強さを追い求めるためにあるのではなく、何かを為すための手段であり、特に「家族」やその想いと共に生き抜くためのものです。ある種求道主義的に強さの高みを目指すバトル漫画に慣れた目からするとヨウの結果主義的な価値観は不真面目にさえ映りうるかもしれません。しかし強さや力を求めるとはどういうことかそれは何のためかという問い掛けは、同じく第年秒作品である『長安督武司』でも中心となるテーマであり、先生のただ斜に構えるだけでない真摯な追究が伝わってきます。単に戦闘能力のみを見れば敵わない相手が多くいながらも、それがヨウの主人公としての瑕には全くなっていないのはそのためです。

ヨウの激闘の他方で、神明阿の残りの当主たちが完成させた擬神構造が目を開き、いよいよ後戻りのしようのない方へ計画が一段会進んでしまったようです。これに関して私が少々読み間違えしまった点があります。前回のラストでヨウが正体について確信を持った対象とはこの擬神構造のことで、これに付随して何が構造されたわけではありませんね。ヨウは擬神構造や類する物を以前に知っていて、その構造をマグメルで行う必要がある理由も知っているのですね。ヨウの考え方こそほぼ理解できるようになったものの、まだ知識については読者が把握していない部分もあり、こういう焦らされ方をする時には少々もどかしくなることもあります。

群青のマグメル第48話感想 ~死を突きつける人間

第48話 敗走 20P

今までは単純な戦闘能力では敵わない相手でも、あるいは知略で嵌め、あるいは試合に負けても勝負に勝つような形に持っていくことができていたヨウですが、今回は完全な敗北を喫します。勢いよく踏み切った左足に注意が向いたところで、それが切り落とされるというのは読者の反応がよく計算された演出です。6P1コマ目では跳躍中のヨウと壁の固定・踏み切りの穴、切り落とされた足、音もなく壁で急制動中のアミル、これらの位置関係が理解しやすく配置され、まだあっけにとられているヨウにも読者にも覆しようのない現状が突きつけられます。踏み切りのタイミングがわずかでもずれていたら、間違いなく首が落とされていた一撃です。ヨウの何が起きたのか一瞬把握できていない空白とそれに続く戸惑い、そして理解してからの焦りとなんとしても逃げ切るという覚悟、いずれの表情もありありとヨウの感情が伝わってきます。

第46話で神明阿アミルという人物像に興味が湧いてからの、この強さと恐ろしさの表現には心から痺れます。今までもクーに対抗不可能と判断させるなど間接的に実力が示されていましたが、一端でも直接的に示されるとやはり実感が全く違ってきます。初連載の『長安督武司』の初期から、第年秒先生はバトルでの敵役の魅力ある描写を得意としていますし、いよいよマグメルでもその手腕を発揮してきました。

一方、秘儀の妨害は失敗し左足は切断されと追いつめられたつつも、心は折れずに全力を尽くして生存を模索できるヨウは大したものです。切り落とされた足を愛刀の構造できちんと回収していて、再接合するつもりなのがうかがえるのも頼もしいです。やはりマグメルでは逆境に立ち向かう姿にこそ光るものを感じる登場人物が多いですね。アミルを振り切ってからの多数の壱八獄中隊による追撃も、潜入前の準備を活かして見事に乗り越えてくれます。ここで第44話の煙幕弾に関する会話の日本語版と中文版の違いについて触れておくと、日本語版で

「ゼロ 煙幕弾を隠して 連絡を待つんだ」

となっている部分はいかにも次のゼロとの連絡こそが隠した煙幕弾の使用の指示となりそうな発言なのに、その後直ぐに普通の連絡を取っていて違和感があったのですが、中文版では

「阿零, 带着烟幕弹躲起来,保持联络,等我信号。」

「煙幕弾*1を隠したら 連絡を取りつつ合図を待つんだ」なので、今回のような事態に備えて球体に収めた煙幕弾を隠し、いよいよ合図によって使用した、という流れがより伝わりやすいです。前回のヨウの煙幕弾は今回のと同種でも最初から手持ちの分だったようですね。ゼロの幻想構造による煙幕弹の投下は、地味な絵面になりそうなところを、遠近感を最大限に出した煙幕弹の配置、投下するゼロの構造、それに追いつこうとする遍く左手を一コマに収めることで迫力がありわかりやすい構図になっています。オペレーターに徹しがちなゼロには珍しい直接的な戦闘面への参加が、しっかりと盛り立てられています。それとは反対に壱八獄中隊の様子では煩雑さや混乱を強調した画作りとなっているなど、要素の多さを的確に活かした構図を、奇抜な絵面のためだけでなく、伝えるべき要素を伝えるために何種類も使いこなせている点こそが第年秒先生の資質なのでしょう。そして最後は神明阿アススらしき人影がヨウのさらなる追手となるところで次回へと続きます。酷く根に持つタイプだというアススが先に攻撃を仕掛けたヨウにどういう対応を取るのかが楽しみです。

また、ヨウやトトが見て驚いた「あれ」が何なのかも気になります。神明阿の当主たちは女性のみの構造を目的としていたのでなく、それと連動して何か別の物を構造することも目論んでいたとは興味深いですね。「あれ」とはヨウとトトが知っている物体のようです。構造された女性の正体も以前謎のままとなっています。ヨウは懐かしさを感じる理由をある程度理解しつつあるようですね。私としては、拾因と共通する感じがあるのではと今のところ考えています。

そして、さりげない描写ながらも私が気になったのは、ヨウの逃走路から原皇ティトールが端末をわざとどかした点です。明らかにヨウを手助けするための行動だと思われます。ティトールがヨウを気にしているのはヨウが拾因の後継者であるためなのでしょう。では彼女はなぜそれほどまで既に死亡した拾因に関心があるのでしょうか?こちらのティトールと拾因はどういう関係だったのでしょうか?

*1:「烟幕弹」は通常「発煙弾」と翻訳される。

群青のマグメル第47話感想 ~神につくられた女

2017/11/12 翻訳について下部に追記

第47話 襲来 20P

追記 原題:未知的诞生 (直訳:未知の誕生)

まず今回の本筋に触れる前に2P目の台詞で気になった点に触れさせていただきます。「ご主人 ~ 殺し合ってます!」という部分についてです。

現代日本語で「ご主人」が雇主・上司を示す言葉として使用されるのはかなり特殊な場合に限られ、日本語版の『群青のマグメル』ではゼロのヨウに対する呼称として、彼女の独特で子供っぽい言葉遣いを特徴付ける要素のひとつとして用いられています。そのため文字だけを読むとこの発言をしたのはゼロに思えるのですが、フキダシの種類がゼロの通信を表すものとは異なっている点やフキダシの発言者を示す尾部の伸びている方向、報告に対しルシスとアミルが振り返っていると思しい反応をしていることから、本来の発言者は2P5コマ目の手前側にいる神明阿の部下だと考えるのが妥当です。

実はヨウのゼロからの「ご主人」という呼ばれ方も神明阿の「若様」も、中文版ではどちらも「少爷」という同一の単語なのです。これは正体が誰であれラスボスであることがほぼ確定的な神明阿の「少爷」と、主人公であるヨウとをあえて同じ言葉で表すことで鮮烈に対比する意味合いが大きいと考えられます。とはいえ日本語版では訳し分けていたのですから、神明阿の「若様」に対して使われた「少爷」がいきなり「ご主人」と翻訳されると混乱が生じてしまいます。この場面の本来の意図は部下から「少爷」つまり「若様」と呼ばれているのがルシスでもアミルでもおかしくないという状況を読者に提示することにあったはずです。神明阿の部下からの若様に対する報告が、ゼロからのヨウに対する報告と取り違えられたために誤訳が起きたのかもしれません。もしくは神明阿の「若様」という呼称を廃止して「少爷」を全て「ご主人」とすることに変更された可能性もあります。「少爷」の意味は若様・坊っちゃん・ボンボンであるのですが。

それでは本筋の感想に入ります。

冒頭で神明阿の秘儀への攻撃があり、前回決意を固めたヨウの妨害かと思いきや、実際は第三者の乱入ということでまずは読者の期待が透かされテンションがリセットされます。ヨウも高めていた気勢をそがれてしまいます。ヨウが海底で感じた気配とは端末である深淵喰らいを通じて漏れた原皇ティトールのものだったのですね。

乱入者である原皇の猛獣と探検家たちの闘いの場面は無数対無数のまさに地獄絵図という凄惨さです。読者の視点の基準になるヨウからはまだ他人事の惨事ながらも、描写の鋭さに話の緊張感が徐々に高まっていきます。続いて秘儀の場へ舞台が戻り、ヨウの目前でティトールの端末対ルシスというバトルが発生します。クエスタ甲種からの攻撃に対してこともなげにそれを防げるだけの構造物をつくりだせることからルシスの構造者としての腕はかなりのものであるようです。12Pは構造物の横のラインと落下物の縦のラインのレイアウトが見事で丸々1Pの縦横比が活かしきられています。静的ながらもスケールの大きさにある種の荘厳ささえ感じさせられます。

これを好機にヨウが秘儀へ乱入し、滞りのない流れでテンションが盛り上げられたところでいよいよ今回のクライマックスがやって来るのです。手初めの愛用の剣の投擲からして、防がれることを見越してくくりつけていた煙幕弾による撹乱が本命だというのがヨウらしいトリッキーぶりで面白いですね。この煙幕弾は第44話で用意していたものの全部または一部で、その時は私は煙幕弾という呼び方で原始的なものを想像していたのですが、普通は発煙弾と呼ばれる現代兵器であるようです。ヨウがガスマスクを持っていたのは単に正体を隠すためだけでなくここで麻酔入りの煙幕弾を使うためだったというのがよく練られていると感じます。前回の続きで原皇の乱入がないままに実行してもある程度有効性が見込めそうな策ですが、混乱に乗じられればなおさら効果的でしょう。ヨウが広間に身を晒しての16Pの構図は遠近感やアングルが躍動的であるだけでなく、ヨウ・完全構造力の渦・神明阿の当主たち・攻撃を防いでるルシスたちという位置関係がわかりやすく示されてもいて漫画のコマとしての完成度が高いです。これに続く遍く左手の攻撃のコマも迫力があります。しかし攻撃の届く直前に完全構造力による構造が完成してしまうのですが、その正体が人間、少なくとも人型の何かというのには度肝を抜かれました。完全構造力による人間の構造が出てくること自体は予想していましたが、このタイミングでくるとは思いもよりませんでした。ヨウがすごく懐かしい感覚を抱いたということにも強く興味を惹かれます。もしヨウの知る拾因が完全構造力でつくられた存在ならばそのことを示しているのかもしれませんが、ヨウの知らない血縁者がモデルの可能性もあります。この女性のモデルとは誰なのでしょうか。あるいはモデルのいない完全に新しくつくりだされた人間なのでしょうか。ならば彼女は神の座を奪わんとする神明阿一族の新たなイヴ、あるいは新たなリリスなのかもしれません。

日本語版の『群青のマグメル』では現実世界と繋がる組織名や地名は大部分がぼかされていますが、『群青のマグメル』の中文版もとい『拾又之国』の舞台は「聖洲」という異郷と接触した現実世界なのです。神明阿一族の神そして信仰については明言されてはいませんが、神明阿アススの構造の紋章は完全に十字架であり、第45話15P3コマ目での若い頃の回想の背景にも十字架に見える装飾があります。また現在は加齢のため判別しにくくなってはいますが、彫りの深い顔立ちで回想の視覚効果でなければ淡い色の頭髪だったこともわかります。またその他細かい描写などから、彼らの信仰がアブラハムの宗教に属することが推察できます。これらの詳細についてはいずれ機会を改めてまとめてみたいと思います。例を挙げるなら、フルネームは判明していないものの神明阿一族の中核の1人であることは確実なルシスも見るからにコーカソイド系であり、彼の構造の紋章は直線を上に弧を下に見ると羽を広げた天使の図様によく似ています。12Pの最下段の構造物のように直線を下に見ると落ちる天使となります。

翻訳について追記

2P目で日本語版では「ご主人!」になっていた箇所は、中文版ではやはり「少爷!」でした。この「少爷」が示しているのは神明阿の「若様」で間違いありません。

また19・20Pの擬神構造を前にしてのヨウの独白は、日本語版では

「え… なんだ?」

「なんだこの……」

「凄く懐かしい感覚は…」

 と、終始ぼんやりした「凄く懐かしい感覚」に戸惑っている印象ですが、中文版では

「这? 什么?」

「等等! 这个……」

「这个熟悉的感觉是?」

「これ? なんだ?」

「待て! この……」

「このよく知ってる感じは……」

と、最初は戸惑うもののすぐに具体的な「熟悉的感觉(よく知ってる感じ)」の正体に気がついたことが読み取れます。中文版の流れならば、第48話の後半でヨウが具体的な知識を持った上での思索をしている「あれ」が擬神構造のことだと引っかかり無く理解できます。

群青のマグメル第46話感想 ~ネズミの命

第46話 秘儀 20P

追記 原題:生与神明 (直訳:生と神)

神明阿一族の内情に切り込んでいく回です。ヨウの神明阿一族の建造物への侵入シークエンスは、前回倒した壱八獄中隊の隊長を利用するだけでなく、ロープで体を操作するアイディアや不自然な動きをカバーするための酒など小技に気が利いていて唸らされます。ヨウが探そうとしていたパスとは通行証のことではなく通行権を持つ人間自体のことだったのですね。本当にリアルかどうかはともかくリアリティを感じられる描写が積み重ねられ、緊張感が伝わってきます。

潜入中のヨウはいわゆる「ネズミ」そのものなのですが、その最中にほど近くでルシスがネズミを嬲り殺しているというのはなかなか背筋の寒くなる演出です。命というものの素晴らしさを讃えつつも、命の構造への好奇心のために生物を苦しめるのになんの感慨も抱いていない様子には真性のサイコを感じます。生命の抽象的で形而上学的な面には興味があっても、意思を持つ個々の具体的な生命体には関心がないのがよくわかる口振りです。ルシスはもともと神明阿関係者の中では軽妙なキャラ性でかなり目立つ人物でしたが、ここに来てその軽さに寒々しい軽薄さが加わり、より興味深い人物となってきました。命を含めた全てを構造したいという願いにも剥き出しのエゴを感じます。神明阿が一族全体として聖心を狙う動機である500年前に与えられた「責任」についての詳細はまだわかりませんが、ルシス個人の動機には生命を自らの手で理解し構造できるようになることにその一端がありそうです。拾因の言うように聖心が暴かれることで世界が滅び命が死に絶えたとしても、ルシスの欲望にとっては全ての再構造の場としてむしろ好ましいのかもしれません。それは一族の目指す「世界の永久の掌握」を歪んだ形で叶える方法のようにも思えます。まるでラスボスの野望です。

そんなルシスの欲望や行動に不愉快さを明確に示すのがアミルです。もともと計画の具体的な立案や部下と信頼関係を築いている描写など職務面での真面目さの伝わる人物でしたが、価値観そのものも思いのほかまともであるようです。分別のある大人として描かれている人物だと感じられます。特に『群青のマグメル』という作品で重要なテーマのひとつである「夢と欲望の相克」について、アミルが理知的な持論を述べたことには驚かされました。そんな彼が聖心を暴き神の座を奪う計画に加わっている動機とは何なのでしょう。一族の関係者としての責任以外にも何か個人的な理由があるのでしょうか。

そしてルシスとアミルの関係とは何なのでしょうか。少なくとも日本語版では名前を呼び捨てにし合える関係ではあるようです。相手の核心に近い部分の欠点を理解し合い、釘を刺し合うことさえもある程度許容し合える仲でもあるようです。親しさがあるのかどうかは微妙なところですが、かなり対等に近い立場であることはうかがえます。アミルが一族の「若様」であるのなら、ルシスはあえて手元に置いた食えない副官であるのかもしれません。しかし中文版では実はアミルと確実に判別できる人物が「若様」と呼ばれている場面は存在しないのです。「若様」の左の手の平にある神明阿直系の家紋がアミルの手の平に確認できる場面も存在しません。一方でルシスは彼の顔が確認できる場面ではいつも手袋をしているのです。疑惑は膨らむばかりです。謎は確証を持てないが故に人を惹きつけてやまないのだと強く感ざるをえません。

また、今回は長らく謎として展開を牽引している神明阿の聖心を暴く手段のうち、完全構造力を大量に収集して使用する方法という部分に回答がもたらされました。神明阿の合構という技術がここで活かされたのはなるほどと思わされました。基本は3人が限界とされる合構を10人で行えることにも流石は神明阿直系の構造者という特別感があって良いですね。やはりエンタメではここぞという場面で原則破りがあると盛り上がります。アススをはじめとした当主たちがコールドスリープしていたのは各世代で集め尽くした完全構造力を合構するためというのも予想外かつ納得のいく理由です。アミルとルシスの命令でカーフェが手に入れた完全構造力は別の場面で使うことになるようで、そちらも楽しみです。さらに、拾因もやはり完全構造力を手に入れていたことが明らかになりました。何をするために手に入れたのか、それはもう使ってしまったのか、気になることは増えるばかりです。

今回のラストでヨウは神明阿の秘儀のさなかに切り込むことを決めるのですが、真正面から飛び込むだけではネズミとして殺されて終わるだろうことはヨウ自身が誰よりも承知しているはずです。ヨウのことですから何か奇策を用意しているのでしょう。この点については素直に次回を楽しみに待ちたいと思います。

翻訳について追記

中文版と比較した場合、日本語版の台詞の解釈について展開に直接関わる可能性がある部分が一箇所存在しました。「一族に与えられた多大な責任」が、一族に「対して」なのか一族に「よって」なのかということなのですが、中文版では「一族によってアススたちへ与えられた」ということがわかります。日本語版で誤解の余地をなくす文章にするなら「一族から与えられた」のような表記がいいかもしれません。

また、直接は展開に響かなそうな部分が中心ですが台詞の改変の多い回です。一番違いが大きいのは中文版ではルシスの思考の特異性がより赤裸々に描写されていることです。一例として6Pの「命の構造の理解など」~「モテませんよ?」の部分を抜き出すと

「妄图理解生命,并进行构造吗?」

「弥額勒迦…… 你在兜风吗?裤链*1开了哦!」

「需要我笑两声,敷衍你一下吗?」

「无趣的家伙,我的幽默感很受女孩子欢迎的。」

「生命を理解し構造しようという馬鹿げた企みか?」

「アミル…… 風を感じに来たんですか?ズボンのファスナー開いてますよ!」

「ハハとでも笑ってお前をやり過ごせばいいのか?」

「つまらないヤツ 私のユーモアは女の子にモテるんですよ」

ルシスが何をしながらこのセリフを言っているかを考えると恐ろしいものがあります。相当に癖の強い描写である一方、この突き抜け方には奇妙な魅力も感じますね。

*1:裤链は字義通りだとズボン(裤)の鎖(链)。この場合はズボンのファスナー(拉链)。