群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第57話感想 ~夢の帰結

第57話 その先 20P

ダイナミックなバトルは既に終結し、今回はアススという人間の背負うものの決着によって描かれる物語の意味に焦点が置かれます。

前回から引き続いての、現実の人間に対して抱くべき「普通」の感情を理解したいという動機で妻を殺害し、当の妻に後悔を問いかけられようとそれさえ理解できなかった600年前のアススは身勝手で常人離れした神明阿一族というイメージをそのまま体現しています。やがて妻の顔が意識の外に消え、コールドスリープを経て使命のために現代に目覚めたことも、まさに神明阿一族の一員らしい行動だと言えるのでしょう。

それでも500年に渡る夢の中、朧に霞む妻を繰り返し思い出し続けていつしか妻の姿が再び鮮明に蘇るようになったことは、彼の無意識におけるもう一つの真実を何よりも雄弁に物語っています。トトの声により呼び覚まされた、リリの問いかけへの本心からの答えである「後悔したかった」という言葉と表情は、「普通」からは隔たっていようと紛れもなく人間であるアススの姿を表しています。神を目指す一族としての自負を認識しながらの裏腹な致命傷の無残さ、怪力を宿しつつ力無くうなだれるオーグゴーンの巨体、流れぬ涙の代わりに滴る雨粒などにより、彼にとっての矛盾を孕んだ真実である後悔できなかった後悔というものが強く印象付けられます。

しかし死出の旅に就いた旅人であるアススが最後にたどり着いたものとは、初めて語り合った光あふれるあの丘でのリリとの再会でした。かつての姿に戻り自分の本当の原点を確認しつつ、そこから今までたどってきた長い旅の物語をリリに伝える決心がついた時、彼は自らの人生に何らかの決着を見出すことができたのでしょう。後悔できなかった後悔さえも飲み込んだその物語は、幼い頃の彼が夢中になった物語以上に心を動かすものであることを彼自身がよく理解しているはずです。彼の物語に僅かなりと触れた私はそう信じたくなります。アススとリリの再会とはあるいは2人の魂の本当の再会かも知れませんし、あるいは眠りにつくアススが見た再びの夢であり幻想であるのかもしれません。それでも人に語れるだけの確かな帰結に彼が自分で行き着いたことには間違いないのです。

この場面では、アススに全く関心が無いヨウ、アススにとどめを刺しながらも実力に一定の敬意は表してみる原皇、全く状況を理解できないながらもアススをはじめとした周囲に思いやりを見せるトトと、登場人物のいずれもが各人らしい行動を取り、物語を深めています。特にトトのともすれば軽んじられがちな人の良さにきちんと尊重の感じられる描写がなされていることは、作品全体においても大切な意味を持つと言えます。『群青のマグメル』は正義と悪が不明瞭で、暴力の直接的な強さが確実に存在する作品です。だからこそ、たとえ力は小さくとも善意がかけがえのないものだと示されてることには、悲観でも楽観でもない真摯さを受け取りたくなるのです。

また細かいところではありますが、反撃には力不足ながらも上祖様のお体を連れて帰りたくはある様子の壱八獄中隊隊員たちもなかなかいい味を出しています。

一方で心から唸らされたのは、ヨウが完全構造力を用いてゼロの蘇生を試みている最後の場面です。これは回想の通り第48話で拾因が所有していたものと同一の完全構造力でしょう。確かに、詳細は不明ながらも拾因とほぼ同一存在だと思われるヨウならば、基本的には不可能なはずの完全構造力の引き継ぎが可能になるのですね。直前の場面で原皇が言う通り死者の蘇生は通常では成し得ないものですが、少なくとも肉体としての修復はこれで成功するはずです。いわゆる魂に関わる部分の修復までも考慮する必要はあるのか、あるとしたらこの場面で成功するのかどうかまでは定かではありませんが、それでもゼロの蘇生が物語の中において成功する期待の持てる展開になりました。ゼロの死から本格化した対アスス戦の締めくくりの話だけに、ちゃんと希望が示されたことで後味の悪さを引きずらずに済んでホッとできます。

『群青のマグメル』は派手なアクションの上手さが魅力の一つとなっている作品です。しかしそれだけでなく、今回のように静かな情感を確かに伝えつつ少年漫画らしいメリハリを付けられるところこそ、個人的には大きな強みだと感じています。