群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第76話感想 ~闘いの傀儡たち

第76話 “思”考錯誤 24P

前半のティトールとウェイドの会話、つなぎとなるクーとヨウの会話を経ての後半の黒獄小隊の作戦会議と、静から動へ移ろうとする瞬間の2つの場面が描かれています。

扉絵ではルシスと思しい人物が威厳を放ちながら重厚な椅子に腰掛けています。ルシスは謎の多い人物だけにこういうイラスト1枚にも何やら勘ぐってしまいたくなります。

天命の傀儡を超える

ティトールとウェイドは利己的な遺伝子について意見を交わします。マグメルはファンタジーではあるのですが、マグメルとそれに関連する構造力の他は現実世界をベースにしているだけに、こういう自然科学的な話題も出てきます。ティトールは生物とは遺伝子に操られる存在に過ぎないという説があることから発展し、神明阿一族とは構造力の操り人形、傀儡ではないかという話をします。さらに神明阿が聖心を狙う理由と絡めて、神明阿が構造力の源であるマグメルの神を支配下に置こうとしていることとは、傀儡が神の摂理を打ち破ろうとする行為なのではないかと考えます。神や神明阿一族の外面的なあり方自体は西洋的な色彩が強いですが、神や天に対する考え方は東洋的あるいはヘレニズム的な伝統を汲んでいるように思えますね。それも中国で言えば天から授かった命令、天命を社会の中で全うすることを良しとする儒教よりも、命運を個々人の行いで掌握することを目指す道教的、とりわけ修仙的です。神仙思想・錬丹術の大家で後の道教に大きな影響を与えた葛洪の著した『抱朴子・内篇』にある「我命在我不在天(我が命は我にあり、天にあらず)」という主張を思い起こさせます。俗人は修仙を経て天地を生んだ太極・道と一体化し、あるいはただ天から命を下されるだけの存在を超え、やがて仙人へと至ります。不老不死となれるのは、天命を、天から授かった寿命という枠を超えるためとも言えます。また超人・超能力者と神・創造主の闘争とはSFなどでよく扱われるテーマでもあり、近代西洋的な視点から捉えても興味深いです。

ただ『群青のマグメル』は基本的にはエンタメ作品であるだけにこうした要素はあくまで雰囲気を高める一環に過ぎないでしょう。現実主義者であるティトールとウェイドは堂々巡りを避けて議論を手早く切り上げています。聖心を手に入れるのは具体性のあるこの世の全てを手に入れるため、というのが両者の基本姿勢です。それでも、作品の設定を活かしてちょっと高尚なことを考えた気分にしてもらえるのも、やはりファンタジーやSFの楽しさのひとつではあります。

2人の会話はウェイドの構造力切れにより幕を降ろします。ウェイドは凡人となり要塞は半壊という危機的状況です。しかしウェイドの狙いが最初から時間稼ぎであり、自分の構造力の限界を把握していたことから考えても、現状はまだ彼女の想定の範囲内に収まっているはずです。隣りにいるアレトの能力からすればただ逃走するだけなら容易いでしょうが、その上をいく計略をウェイドには期待したいです。

任務の傀儡となる

副隊長カーフェ率いる黒獄小隊は、聖国真類とフォウル国の同盟締結を阻止するため聖心城へ向かおうとしています。案の定、第67話のエリンたち300人は幻想構造によって傀儡にされ、作戦に利用されようとしています。あくどいことこの上ない手口ですが、それでも何千通りもの未来予測を駆使しないと達成不可能で、駆使してさえ生死を含め不確実極まりない任務に挑んでいる点には、彼らのプロフェショナルとしての覚悟の強さを感じます。最終的に助かって欲しいとまでは思いませんが、決死の状況でも前向きと言っていいほどにカラッとしていて気持ちの良ささえ感じてしまいそうです。予測能力の使いすぎで疲弊し、作戦行動自体には参加不可能となった瞬も十二分な活躍を見せたと言えるでしょう。こうしたある程度の期間を確実に予測できる能力は、長期的な作戦を立てる上では活用に頭を捻る必要があるとはいえ、短期的なバトルでは駆け引きの要素をなくしてしまいがちなだけにここで一度退場してもらうのは物語の上でもよくできています。よくできているといえば、この瞬の幻想構造である歪な瞳は、第31話で黒獄小隊の大多数がシルエットで初登場した際に上に浮かんでいた物体ですね。まだこの段階では各隊員の設定の細部まで詰めていたわけではないでしょうが、シルエットの方も判明した隊員と当てはめられそうなものが多くて興味深いです。中段の左端は魔女風の格好であるミミカということにしても良さそうです。ミミカは今回判明した構造の見た目も他者を傀儡化するという能力の内容も魔女風で面白いです。

黒獄小隊隊員は未来予測の結果に完璧に従い、ある種自分たち自身さえ傀儡にして任務を達成しようとしていますが、それにヨウたちがどう対抗するのか期待が高まります。黒獄小隊が同盟阻止のために奪おうとしている目標の詳細も気になります。

群青のマグメル第75話感想 ~不可知と未知

第75話 ヨウとクー 24P

ヨウとクーの会話で構成された回です。設定において重要な初出情報が多く出ているだけでなく、2人の人物像においても重要な掘り下げが行われます。

不可知の神

クーがヨウに促される形で聖国真類の信仰について説明します。聖国真類の神であるマグメルの神・マグメルの意識とは宇宙の創造神とされているということです。創世神話の内容はヨウの言う通りにオーソドックスなものですが、聖国真類のみが神の似姿とされている点が多種族の存在するファンタジーらしさがあって面白いです。またこれが聖国真類のある種の選民思想的な態度の裏付けだと推測できるのも興味深いです。宇宙をつくった神ではあっても他の種族とは無関係な神だとされているのも、他の種族は庇護しないと考えられているからなのでしょう。架空の種族と信仰ではありますが、現実の民族宗教や拝一神教あるいは主神の存在する多神教を参考にしていることがうかがえて、適度にリアリティがあります。

ただ、クーは教義上ではマグメルの神と人類の神は別物だと主張していますが、神明阿一族が現在神として扱っている擬神構造の正体がマグメルの意識である以上、やはり両者は同じもののように思えます。対してヨウはマグメルの意識とされているものは神というより意識を持っただけの完全構造力の塊だと考えているようで、こちらももっともな説です。もし擬神構造が本当の創造神の化身ならば、神明阿一族をはじめとする人間が理解し利用しようとしているのは傲慢極まりない行為ですが、それでも失敗に終わるまでは試みてしまうのが人間の性でもあります。

未知からの贈り物

クーは現在自分が強者会の一員の座と権力を求めている理由をヨウに語ります。幼い頃に難病で余命わずかの状況で薬草を強者会の関係者に奪われたクーにとって、権力とは自分の運命を決める力そのものだということです。強者会の意思を絶対とする実力主義的な社会において、上を目指すクーの道は極めてまっとうですし、幼い頃のクーの絶望の表情にもその決意裏付けるだけの説得力が感じられます。それでも、第62話でミュフェの考えた通り、実力は十分でも性格的にはクーに他者を踏みつけて頂点に立つ道は意外と向いていないような気がしてします。今回も、選ぶ主体が変わったとしても、選ばれるあるいは選ばれない対象が出るのに変わりはないことをわざわざ話題にしています。

では過去には選ばれない側だったはずのクーが助かったのはなぜか、という点ですが、クーの救いは社会の外から未知の人間がもたらしたものでした。その人間とは拾因です。かつて拾因が真類の里に現れて「挨拶の品」を置いていった事件は、第17話でもクーが触れています。ひとつの社会の中では解決しきれない問題の解決方法がもたらされることは、未知の存在との接触において理想的な展開だといえます。クーも人間に助けられたと言葉にするのは抵抗があるようですが、「人間びいき」な理由にはやはりこの件が関わっているのでしょう。ただ、読者とは違ってクーには拾因が自分個人を助けようとしたと推察できる情報がなく、贈り物に薬草が入っていたのは偶然と思っているはずなだけに、これまでの態度から考えても拾因については真類全体の方針と同じく敵対対象として捉えているようです。もっともクーは意地を張る性格ですし、弟子のヨウと出会って交流した点からしても、内心では拾因に興味を持っていたのかもしれません。興味とは未知を既知へ変える欲求です。

未知を目指す熱

クーを拾人館に勧誘しがてら、ヨウの方も自分の歩む道について語ります。読者には断片的に示唆されていた心情の再確認が主な内容ですが、ヨウ自身の口からはっきりと、クーに明かす形で示されるとやはり感慨深いものがあります。自分自身から湧き出る情熱に乏しく脇役のようだと自己評価するヨウが、それでもマグメルという冒険の舞台の主役である探検家たちの情熱を帯びて、活気を受け取り、紛れもなくストーリーの中心になっている。それこそがこの『群青のマグメル』という作品の基盤なのだと改めて感じます。もちろん複数の世界もしく時間軸の存在と複数のヨウの存在という設定が重要なのは間違いないのですが、むしろヨウが主人公足り得ているのは人界とマグメルの双方を等価に扱い繋ぐことのできる彼自身の性質によるものです。

そしてヨウは人界にとってマグメルが未知の地であるように、マグメルにとっては人界が未知の地であることに気が付きます。マグメル新生はマグメルの人間や世界に対する興味から起きたというヨウの仮説は視点の逆転する驚きがあって面白いです。聖国真類の神話では真類の姿だとされる神が人間の少女の姿をしていたことを、神が人間に抱いた興味や好奇心の表れだと考えてみるのも楽しそうです。

また、マグメル新生で出現した大陸部分が新たに構造された陸地だという設定も明らかになりました。この部分は真のマグメルである超空間移動プレートから見ても、人界から見ても、未知の場所です。クーはそこを人間が冒険することを言葉では拒絶していますが、今までなんだかんだと救助を手伝ったりしていますし、他のエリンにとってもその場所までならそうは問題にならないはずです。人界とマグメル双方の存在のためには断絶してしまうほうが手っ取り早いのかもしれませんが、ヨウが体現する群青のマグメル』のテーマを鑑みるに、この大陸部分を緩衝地帯とすることで程よい距離感と接触の方法を見つけ出してほしいところです。

TVアニメ「群青のマグメル」2019年4月より放送開始、キャストコメント動画が公開

natalie.mu

mantan-web.jp

TVアニメ「群青のマグメル」が来年の2019年4月より放送開始と発表されました。また、因又役の河西健吾さんとゼロ役のM・A・Oさんからのキャストコメント動画が公開されました。

www.youtube.com

群青のマグメル第74話感想 ~神と生贄

第74話 雑談しよーよ 24P

神々の領域とされたティトールとウェイドの戦いが本当の一区切りを迎えます。前回はティトールの勝利に終わったかと思われましたが、ウェイド側が即座に反撃を成功させ、両勢力の頂点の膠着状態にまで事態を持ち込みました。

しもべの獣

ティトールの千変万布によるパンダ化はウェイドたち自身によりすぐに解除されます。ですが、短いながらもパンダ化に対する2人の反応は面白く、変身というシチュエーションの楽しさが味わえました。慢心と油断満々にウェイドのお持ち帰りを喜ぶティトールは実に嬉しそうですし、ゴロゴロと転がるウェイドもパンダらしいユーモラスな仕草で、どちらもとても可愛いです。パンダ化ウェイドは千変万布を脱ごうとして失敗するのですが、この時のティトールのセリフと後の描写からするに、動物化は千変万布を対象者が着ている間だけ起きるようです。羽織って一度変身すると脱いでも効果が続くタイプの能力が出る作品もありますが、千変万布はそちらではないですね。

戦士の命

この戦闘は頂点同士のみの対決ならティトールの勝利に終わったのでしょう。しかし第4要塞の隊員たちの参戦により状況は大きく変化しました。

ウェイドの事前の指示に従い組織としてティトールへ攻撃を試みる隊員たちにはプロフェッショナルらしい格好良さを感じます。金妖鎮塔は多人数による構造ですが、3人を上限に完成度を高める合構ではなく、個々人が作った構造を合体させることにより大質量で押しつぶす攻撃のようです。神明阿は多数の構造者が所属する勢力だけに、構造者の連携による戦法の開発も進んでいるのでしょう。パンダ化ウェイドを躊躇いなく攻撃する彼らの決断力も見事です。おそらく後の事態を全て予想できていたわけではないのでしょうが、結果的に大金星を上げる決断となりました。

対して、多少の人数差など物ともしないティトールの強大さもまた素晴らしいものです。超質量弾を小石のように弾き返し、連携攻撃を図る隊員たちも虫を潰すように殺害します。惨たらしい場面ですが圧倒的な暴力の生む不思議な爽快感も溢れています。ただ、一応主人公の仲間でありながら、この格好良さは完全に物語の悪役としての格好良さですね。

そういうわけで、第4要塞副城主に迫るティトールに背後からウェイドが攻撃を仕掛けた場面は、むしろ応援したくなるほどに心が踊りました。たっぷり焦らしつつも距離感の切り替わりの迫力を生かした演出にも見応えがあります。どうやらウェイドは部下の攻撃によって肉片となり千変万布が脱げて変身が解け、完全に絶命するまでの間に五宝真仙を発動させて復活したようです。相当シビアなタイミングで、本当に運を天に任せるところが大きいですね。符の構造は彼女自身の言う通りに非常に制限の多い能力ですが、生贄を捧げて敵の力を封じるようなかたちになるところには、いかにも呪符めいたおどろおどろしさがあります。部下による助力とその死さえも活用したウェイドと、端末化で多くを従えながらも最強生物という個として戦って勝利を逃したティトールの違いは興味深いです。膠着状態に入った2人のにこやかかつトゲのある会話にも心惹かれます。勢力としては神明阿側が有利な状況であるものの、隊員たちひとりひとりの活躍を含めて戦闘の終了まで目が離せません。

ところで復活した瞬間のウェイドは当然全裸です。全裸片足ブーツというマニアックな出で立ちながら、堂々とした態度にスケベ心を挟む余地はなく、むしろ神々しいほどの凛々しさを感じさせます。そういう意味でグッと来るのはどちらかといえば副城主のオーバーサイズの軍服を着せてもらってる姿のほうですね。袖がダボダボなだけでなく、首や肩周りのサイズが合っていない感じが高ポイントです。

無辜の民

第4要塞での戦いの他方、黒獄小隊隊員が聖心城のほど近くに到着します。マグメルの神が眠りから覚めると言われる聖心祭への乱入を彼らは目論んでおり、それに利用するために引き連れてきたエリンたちを第67話では皮肉交じりに供物と呼んでいました。何らかの脅迫で連行したのかあるいは幻想構造による操作なのかはまだわかりませんが、いかにも悪辣な計画を企んでいそうです。ヨウたちの側と直接戦うことになる相手だけにその悪どさにもつい期待が高まってしまいます。

TVアニメ「群青のマグメル」のメインキャストが発表

TVアニメ版の「群青のマグメル」のメインキャストが発表されました。

natalie.mu

thetv.jp

キャスト

因又:河西健吾

ゼロ:M・A・O

エミリア山村響

拾因:森川智之

各社ニュースサイトではキャストの方々から寄せられたコメントも掲載されています。

 

追記

TVアニメ版の「群青のマグメル」のティザーサイトがオープンしていました。

gunjyo-magumeru.com

群青のマグメル第73話感想 ~目の確かさ

第73話 掌の上 24P

ティトール対ウェイド戦に一旦の決着がつきます。まだもう一波乱ありそうな幕引きですが、ウェイドの消耗具合からすると本格的な再戦はもしあったとしても後ほどになりそうです。

見極める

ティトールは端末とした相手の構造を使用できる能力を活用し、多数の能力を同時使用した戦術で神明阿ウェイドを翻弄します。バトル漫画では相手の能力を解き明かす過程の面白さも捨てがたい魅力ですが、複数同時使用での検証を綿密に行うと相当に煩雑になってしまうだけに、このバトルでは個々の能力を冒頭で読者に明かした上でそれらの組み合わせ方や騙し合いのアイディアにより楽しませることに注力されています。
ウェイドからすると今回ティトールが使用した能力は初見のものばかりであるようなものの、数手の攻防で使用中の能力を見極めていき、展開がサクサクと進みます。概ねウェイドのモノローグに沿いつつバトルが行われますが、ウェイドと読者の視点が一致して進むというより、ウェイドが読者の視点まですぐに追い付いてくる話の構造となります。ウェイドの読みの鋭さは少々ご都合的ではあるのですが、経験豊富な強者だけに言語化する間さえなく能力の正体を見破ってもおかしくはないですし、何より読者は予め正解を教えられているので置いてきぼりの感覚や違和感が出にくいようになっています。駆け引きの一手目である煙に巻く龍の消耗をめぐる大規模な構造の行使にも迫力があって楽しめます。

読みの上の上

今回のバトルのキモとなるのは偽りの星での駆け引きです。この部分は偽りの星の重力制御により浮遊していたはずのティトールがいつの間にか現実構造を足場にしており、実は気づかぬうちに接近していた偽りの星が増幅させた重力をウェイドがまともに食らってしまうという流れになっています。ただ偽りの星の重力制御能力は読者に説明されていてもティトールの浮遊がそれによるものだとウェイドが考えた瞬間が明示されず、むしろ読者はヨウなどで現実構造での浮遊がお馴染みになっているため、前振りでの誘導が弱くてウェイドがどう騙されて何に驚いたのかというオチが少しわかりにくい気がします。テンポの良さで余計な疑問を押し切る必要がある回だけに、勢いを削ぐ要素は目に付きやすいです。
もっとも描写の親切さはともかく筋自体には問題ありませんし、キモのアイディアへさらに畳み掛けるように重力を移動速度の遅い幻想である千変万布の加速に使うという仕掛けも一捻りあって面白いです。「鈍い幻想」は「鈍い」にふりがなが無く少し迷いましたが、読み方は「にぶい」でなく「のろい」の方ですね。

目の曇り

ティトールは幾手もの騙し合いの末にウェイドの無力化に成功します。ですがその要であった未来予知の幻想構造である終末絵本の使用を、最後の最後まで来てやめてしまったのには不吉なものを感じざるを得ません。五宝真仙の全ての能力が使い尽くされず、ティトールに動物化したウェイドをすぐに始末する気が無さそうなのですからなおさらです。どうやらティトールは因縁の相手を自分の手元でパンダとして愛玩できる嬉しさで浮かれてしまい、目が曇っているようですね。ともに女性でありともに頂点に立つ2人だけに、この戦いでティトールがウェイドをしばしば殺しそこねているのは、単なる詰めの甘さもさることながら、生死以上の部分でも相手の優位に立ちたいという執着が多少なりと影響しているのかもしれません。

仰ぎ見る

他方で、ティトールとウェイドの戦いを神々の領域のものとして仰ぎ見ているのが一徒たち一般の戦闘員です。戦局を直接左右するほどの力は無いとはいえ、勢力同士の戦闘である以上は彼らの動向も見逃すことはできません。現状フォウル国の戦闘員の一部が第4要塞の侵入に成功し、ウェイドが封印されているとみられる以上、神明阿側の一徒たちには不利な状況です。一徒は彼なりに野心めいたものはあるものの、なまじ判断能力があるだけにダーナの繭に続いて自分の実力不足を理解してしまっているようで、この中途半端さがどちらに振れていくのかに興味が湧きます。上手く行くにしろ行かないにしろ、本筋と関係が薄い故の先の読めなさや人間臭さは脇役ならではの面白さです。

群青のマグメル第72話感想 ~平等と特別

第72話 至宝 24P

神明阿ウェイドが復活しティトールと激しい戦闘を繰り広げます。未知の能力質を解説すると同時に目覚めたきっかけを明かすことで登場人物の掘り下げを行うという、ドラマ性の高いバトルものの醍醐味のような回です。ウェイドの再生までは予想していましたが、それに応えたうえで期待以上の密度の内容が展開されるのですから心底しびれてしまいます。

扉絵は今回のオチとともにスポット登場のヨウとクーです。西部劇風ですが人類とエリンの対決ということで本編の内容にちなんでいます。あるいはウェイドとティトールの関係は、別の世界も含めてヨウとクーの鏡写しとなるものなのかもしれません。

平凡と特別

おそらくは若い頃から神明阿一族の当主候補だったろうウェイドが何も知らない凡人と家庭を持ったという回想の出だしには興味を引きつけられました。その理由がただの気まぐれなのも突飛でありながらいかにもといった感じで面白いです。変わり者の祖母として平凡な一家の一員となっていた彼女が、家族一人一人に特別な感情を抱いていなかったという点も素直に納得がいきます。それゆえ、家族が反乱組織に襲撃された時に、家族全員を救う自信がなかったことから全員を平等に見捨てたというのも彼女らしい選択だと思いました。そもそも家族の身を特別に案じるなら、何の説明も対策もせずに神明阿一族の保護のない場所で平凡に生活させること自体がありえないのです。家族全員の死を目の当たりにした後さえ、残念だったの一言で済ませられると彼女自身考えていたようです。

しかし襲撃による危機で孫の1人が神明阿の血に目覚めており、手遅れになった後でそれに気が付いたウェイドの中にその孫に対する愛情が湧き上がってしまうという皮肉が待ち受けています。愛情を自覚するやいなや、その孫が自分に懐いていたことも、孫とのただ平凡と感じていた日々は平凡だからこそかけがえのないものだったことも、激しく特別な感情を伴ってウェイドの身を焦がすようになるのです。結局は血に目覚めた孫しか特別に思えず、他の孫たちや自ら生んだ子供たちそして夫に対しての思いはないままだとしても、いかにも神明阿一族の当主らしい歪んだ感情の発露だとしても、彼女の後悔は偽りのないものとして私の胸に迫りました。もし冷凍睡眠に入るまでに襲撃が起きず誰にも特別な感情が生まれないままだったら、もし襲撃のさなかに孫が血に目覚めたことに気付いて彼以外を区別して見捨てていたら、ウェイドは今よりも幸福だったのか不幸だったのか?そんな詮無いことを考えずにはいられません。

特別で同等

ウェイドは死という現実と絶望を目の当たりにし、不老不死の能力である丹の構造を会得します。

回想明け直後、物体同然に転がる頭部の上半分とそれを欠いた肉体が、回想から引き続くナレーションの進行とともに意志の宿らぬまま持ち上がっていく非現実感、瞬間的に再生を果たしたウェイドがそれらを切り裂くように一閃を放つ鋭さ、そして再開されたナレーションの語り口と対峙し見つめ合う2人の距離から生まれる静謐、絵と言葉の両方で存分に五宝真仙最後の宝である丹の能力が印象付けられました。若返りが丹の効果だと気付いていたらしい素振りから予想できましたが、ティトールも丹・仙丹についての知識を持っていたようですね。まあ神明阿一族、とりわけウェイドと因縁があるティトールならば人界の中華圏の文化に馴染みがあったり対策のため調べていたりしてもおかしくはないでしょう。

ウェイドとティトールは激突のつかの間語り合うのですが、150年を経て互いに王となってから再会した彼女たち以外には共有できない特別な思いのやり取りが刺激的です。決して蘇らなかった、あるいは自分以上に再生を望んだ相手だったのかもしれない孫を思い出しながら静かに人生に2周目がないことを告げるウェイドの涼やかさと、しなを作り構造力でハートを描いて再会を喜びつつ再びの殺害に舌なめずりするティトールの艶めかしさは好対照です。迫力の肉弾戦で一歩も譲らない様にもまさに真っ向から互角という言葉を送りたくなります。細かいところでは尾での牽制攻撃や角の立体感などティトールの異形性の描写が丁寧なのがファンタジーの魅力を感じられて嬉しいですね。最後に両者が展開した大技もスケール感にワクワクします。ウェイドの技は盾と剣の組み合わせによるものとして、ティトールの技は端末の幻想構造による龍の召喚でしょうか?次回以降の激突への期待が高まってしまいます。