群青のマグメル第85話感想 ~意地
第85話 今日ではない 12P
前回絶体絶命かと思われたクーでしたが、何とか踏みとどまります。しかし依然として状況は絶望的です。
実力者としての意地
多数の構造体に刺し貫かれたクーの意識が死の淵に沈みかけます。幼い頃に病気で死に瀕して以来、身内への遺言について考えてきたことが回想されます。ただ、遺言とはいっても内容はシリアスでなくコメディ調です。大怪我とはいえ聖国真類である以上そうそう致命傷になるとは思えなかっただけに、ここであえて緊張感を解いておくのは面白い趣向だと感じました。遺言の相手が友人とは認めていなくとも喧嘩相手ではあるヨウに移り、引き続いてのコメディ調で遺言を一度否定して、思い直して遺言の内容を考えることで軽くしんみりさせ、さらに思い直してこの場での遺言を改めて否定し、立ち上がります。感情の起伏の流れが丁寧です。倒されかけてから持ち直す定番の展開がちゃんと盛り上がるシーンになっています。クーがヨウの助けも借りて砲弾にされた子供を救出する見せ場も、展開の流れに乗っていて格好良いです。実力者としての最低限の面目が立つだけの意地は見せてくれたと言えるでしょう。
救命者としての意地
しかし切羽詰まった状況で全くの他人を救おうとしたばかりに深手を負った事実に変わりはありません。ヨウがクーを「馬鹿」と評したのも当然です。もっとも、この「馬鹿」が否定的な意味ばかりでないことは、言ったヨウも聞くクーも了解しています。クーのお人好しぶりを確認したヨウが、改めて拾人館への勧誘の言葉をかけたのは未来の感じられる良い会話です。クーの「社長を譲るなら考えてやる」という返答も頼もしいです。強者には相応しからぬ人の良さなのか、優しさ故に得られた強さのかはともかく、自分の甘さを実力でカバーする意地が感じられます。強さと甘さ・バカさの対立や両立は、第8話の拾因の言葉や神明阿アススのエピソードにより『群青のマグメル』で度々示されるモチーフです。
黒獄小隊としての意地
対して、命こそ奪えなかったものの、子供砲弾でクーに深手を負わせた黒獄小隊の面々は余裕たっぷりの態度です。あくまで立ち向かおうとするヨウとクーに、リヴが内心毒づく際の性悪具合がいい意味で悪役らしくて楽しめます。手段を選ばないのは、ただ加虐を楽しむばかりでなく、組織の一員として任務遂行にかける意地のためでもあるのでしょう。楽観と悲観、10分と10秒という言葉選びの上手さが押し付けがましいものになっでいないところも素晴らしいです。