群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

『群青のマグメル』連載継続決定へ

追記
2017/03/21:中国で4/25から連載が再開されると発表されました

2017/04/25:少年ジャンプ+で『群青のマグメル』の連載が再開しました

 

中国の翻翻動漫文化芸術有限公司の漫画行では3/25発売の第6号に、日本の集英社少年ジャンプ+では6/24に掲載された第34話以来連載を中断中の『群青のマグメル(原題:拾又之国)』ですが、ここ最近作者の第年秒先生が微博の個人アカウントにて連載継続の決定について言及する投稿をしています。

その内容について触れる前に、そもそも連載継続が危ぶまれる状況だったのかという点も含めて、第年秒先生及び『群青のマグメル』の休載が現在にまで至っている経緯について私がわかる範囲でまとめさせていただきます。なお公式に発表されたわけでない情報を私が勝手に解釈した内容が多分に含まれるため、信憑性に問題が多いことは予めご了承ください。

まず現在の『群青のマグメル』の休載は中国での国産漫画産業の未発達によるアシスタントの不足と、集英社少年ジャンプ+編集部から直接の依頼を受けた作品である『ファミリーゲーム』の執筆が重なり制作スケジュールに無理が生じてしまったことに端を発したものです。

『ファミリーゲーム』の執筆については『拾又之国』の休載もあり無事に完了して8/1から8/5の短期集中連載も完結しましたが、実は作業の大部分が日本で行われていたようです。おそらく4月末から5月後半にかけての1ヶ月足らずで第2話から第5話までが執筆されたと思われます。これは日本の週刊連載漫画と比べても遜色のない作業スピードです。実現できたのは来日によって集英社との打ち合わせが行いやすくなったためでもあったでしょうが、第年秒先生によると日本人のアシスタントの手際の良さに依るところが大きいということです。第年秒先生は言葉が満足に通じないにも関わらずアシスタントが的確に作業を行ってくれることを微博で幾度も賞賛しています。

第年秒先生が『ファミリーゲーム』の作業完了を発表した時点では、私はすぐに今までのように『拾又之国』の執筆が再開されるものと考えていました。しかし集英社が第年秒先生に直接依頼をして顔を合わせての打ち合わせまで行われたことや、中国では執筆環境を整えるのが困難だと明確になったことなどから、この時には既に集英社にとって第年秒先生は中国で編集された作品をただ翻訳して発表の場を提供するだけでは済ませられない漫画家へ変化していたようです。ビザなどの関係で何度か帰国しているものの、第年秒先生は現在も日本に滞在して集英社での打ち合わせを繰り返しています。翻翻動漫文化芸術有限公司との関係も続いていますが、日本では制作環境の協力なども含めて集英社に所属する漫画家に近い立場となっているのがうかがえます。それにより『群青のマグメル』をはじめとした漫画の執筆について集英社の意向を反映する必要が生じたのが現在の休載の直接的な原因のようです。この頃の翻翻動漫文化芸術有限公司によるインタビューでも日本での打ち合わせのため連載に穴を開けているがその分以上の埋め合わせをするつもりであると語っています。なおこのインタビューの閲覧には微博アカウントが必要となるようです。

第年秒先生は集英社での打ち合わせが必ずしもスムーズに進んでいない悩みを度々微博に投稿していました。それだけなら漫画家のつぶやきとしてよくあるものですし具体的な内容が明かされることもなかったのですが、『群青のマグメル』の連載継続の可否も含めての議論が行われていたであろうことはどことなく察せるものでした。私は第年秒先生は才能のある漫画家だと信じていますし直接コンタクトをとるからには集英社もそう感じたのでしょうが、『群青のマグメル』が中国ではさておき日本では商業的に成功していると言い難いのは事実です。むしろ第年秒先生が現在の立場になった時点で即座に打ち切りとならなかったのは集英社が事情を酌んでくれたためであり、連載中断が長引くのを見守るのは不安が募ることではありましたが、読者としては喜ばしく思うべきことなのでしょう。また逆説的に当時の『群青のマグメル』の置かれた状況の難しさを物語っていたとはいえ、第年秒先生が自分の意志では未完のまま終わらせるつもりはないと断言する内容を度々投稿していたのも希望を繋げてくれる事柄でした。

『群青のマグメル』の休載については日本側からの情報発信が殆ど無く、中国語がわからない方は私以上に不安となっていたでしょうが、以上のことは確定的な情報ではありませんし、闇雲に騒ぎ立てると第年秒先生に不都合が及ぶ可能性がある内容ですので、まとめるのは控えさせていただいていました。
確定的といっていい情報が発表されたのは第年秒先生の微博の個人アカウント上で11/19のことでした。

『群青のマグメル』連載継続決定へ

再び連載を継続することが可能になったと言い切った投稿であり、それまでの投稿の継続するつもり、継続できるかもしれないといったトーンとは明らかに異なるものです。さらに(第年秒先生にとって)外国人のアシスタントとのコミュニケーションについての思案も言及されていて、原稿作業が具体的なものとなりつつあるのがうかがえます。また私が直接確認できたわけではないのですが、中国の掲示板によると11/18発売の漫画行第21号で第年秒先生が

《拾又之国》在抽空画了!

『群青のマグメル』を描くスケジュールを取っていた、つまり現在は『群青のマグメル』を描くスケジュールが取れるようになったという意味のコメントを発表していたそうです。11/22の現在も微博の投稿の訂正などはありませんし、雑誌とタイミングを合わせて発表したことを考えれば、『群青のマグメル』の連載継続は確定事項として扱えるものといえるでしょう。

ただ時期については語ることができないという発言が微博のコメント欄でされており、日本での正式な連載再開の発表にまでたどり着くのは相当に先のこととなる可能性が高いです。また集英社での仕事と思われる新企画も並行して動いているようで『群青のマグメル』の再開まではまだまだ慌てずに待つ必要は有りそうです。それでも現在は一時期と比べると希望の持てる状況になっているのは確かです。

 

追記

漫画行2016年第21号を個人輸入して第年秒先生のコメントを確認しました。

漫画行第21号

 

作者コメント:第年秒

 

ファミリーゲーム第5話感想 ~愛と勇気の異能力バトルそしてコメディ

ROUND5 25P

今回は初めから中盤まで三月が異能を活かして奮戦する様子が手早く丁寧に描写されています。前回終了時点では、残り1話であることと三月の目的が家族の争いを「止める」ことであったため、正直に言ってもうバトルがなくてもしかたがないと考えていたのでこれは嬉しい誤算です。人形を奪えば異能も奪えるという点は意外でしたが、異能の源が人形であるのは説明されていましたし、前回の三月が捨てた人形を再び掴んだ時に異能とコスチュームが戻ってきたこともこの展開の前振りになっています。また異能とコスチュームがセットになっている設定も異能を「身に着けた」ことを視覚的に納得させてくれます。これには頻繁な異能の切り替えをわかりやすくしてくれる効果もあります。

第3話の「力があっても 弱い僕じゃ意味が無い…」という独白を受けて、時間停止能力だけでなく新たな異能も上手く活用して勝ち抜いていくことで三月が頭脳的な部分も含めての強さを手に入れたことが示されます。倒された家族たちが皆まんざらでもなさそうな反応をしていることが、実は彼女たちも三月のことを心から思っていたのがうかがえていいですね。家族最後の女性である母親の人形を奪い、言葉と笑顔で三月が強い男になったことがはっきりと認められたところで異能力バトルものとしての決着がつきます。遥に向き合う三月が白いタキシードになっているのも、まだ七五三のような雰囲気を残しつつも一人前の男である結婚式の新郎を連想させるものになっていて面白いです。ただ、中国では新郎の衣装は白いタキシードが一般的というわけではないのでたぶん意図した効果ではないのだとは思いますが。遥とのバトルでは3分間のインターバルを入れるタイミングがわかりやすい3姉妹のバトルと違って時間停止を連続使用しているように見える場面がありますが、1回目がほんの一瞬しか止めていないことと2回目の停止での1秒目のカウントがすぐに来ているように見えることを考えると、合計で3秒止めるまではインターバルを入れなくても大丈夫なのでしょう。

バトルパートで興味深いのが、三月が強くなったことに一番複雑な感情を覗かせているのが明るいボケキャラに見える二海であることです。普段が表情豊かな二海だけに、あえて表情を隠す演出が切れ味よく働いています。二海は本当は三月をずっと守っていたかったんでしょうね。そんな二海の異能が三月の新たに得た異能の中では一番活用されているというのは皮肉なものです。力を奪われた二海が部屋着にスリッパという無防備な格好となり、スリッパさえもが脱げてしまったところを先程までの自分の力を身に着けた三月に救われるというのは二人の関係の変化を象徴的に表しています。

穏当にバトルパートが終わったことで、スムーズにコメディパートへ移行し『ファミリーゲーム』は当初の雰囲気を取り戻します。コメディパートの立役者にして最大の敵は同じ男の御堂でした。扉絵に引き続きドラゴンボールリスペクトのポーズでの瞬間移動をして漁夫の利をかっさらい、神に「ギャルのパンティおくれ―――っ!!!!!」よりヒドイ願いを叶えさせます。薄々気付いてはいましたがコスチュームもドラゴンボールリスペクトですね。

せっかく頑張った三月には可哀想ではありますが、なんだかんだ気にはなっていたので家族全員の性転換姿が見れたのは読者としてはおいしくはあります。それにしても三月は可愛く女性化していますし、女性陣も遥を筆頭にイケメン化しているのですが、はっきり言って御堂の女性化はキモいです。下手にセクシーさはあるのが余計にキモい。御堂の発言を鑑みるに、身も心も女性になりたいというよりは、男の心を持っているからこそ女性の体を手に入れてみたいタイプのようで、つまりは変態です。

結局三月たちの活躍や作者キャラの計画も虚しく漫画内漫画としては打ち切られてしまうというオチがつくのですが、それでも第1話で言われていたように三月たちの人生は続きます。そして続きがあるのは漫画内現実で生きる作者キャラ、また三月のモデルの彼にとっても同じことです。

モデルの彼は、主人公が両親に対峙し「もう逃げない」ことを決意したところで終わった漫画に励まされ、両親と向き合うというあったはずの漫画の続きを彼自身が「現実」のものにすべく家に帰ってきます。

作者キャラの老人はそれに気が付いて、希望を届けた三月たちを労うため元の性別に戻し、自分自身も再び希望を奮い立たせます。

遥・御堂夫妻はこの件で一悶着あったようですが、それでも凸凹の噛み合った仲良し夫婦であることに変わりないようです。御堂の野望は露と消え、誰の願いもかなわないというバトルロイヤルもののお約束の結末が訪れますがこの場合はそれがハッピーエンドです。

第5話の表紙で異能バトルに巻き込まれたのであろう飛行機を助けていた二海は、今は悠々と青空を翔けていく飛行機を眺めています。かつて自分の庇護を必要としていたものが、そして三月が自分の手元から飛び立っていくことを考えているのでしょうか。

三月に執着し他人を下僕にすることを厭わなかった四乃は二人の友達と登下校しているようです。もしかしたら二人は新しい友達かも知れません。

乱暴者で三月にとっては悪魔そのものだった一はフェンス越しにグラウンドを見守っています。そのグラウンドの中には三月がいます。

三月は、第1話ではただ他人事としてサッカーを観戦することしかできなかった三月は、試合に加わり仲間たちとプレーを楽しんでいます。体も幾分かは逞しくなったようです。そして希望を失わないことこそが強さであると覚えている限り、これからも強くなっていくのでしょう。

 

  • 19P下段のコマの目は右から御堂、三月、遥、二海、一、四乃です。
  • 日本で公開することを前提としてつくられたので当然といえば当然なのですが、『ファミリーゲーム』の日本語台詞はかなり良く出来ていると思います。少なくとも読んでいて首を傾げるような部分はありませんでした。もし中文版が発表された時に異なる部分があったとしても、日本語版の中で矛盾がないので問題無いでしょう。
  • 『ファミリーゲーム』は技巧に優れた第年秒先生の実力が遺憾なく発揮された作品で、読み返す度に理解の深まっていく面白さがあります。キャラクターやテーマに対してのめり込み過ぎ無い適度な距離感を保った視点も魅力的です。日本でメジャーな少年漫画家になるにはもっと味付けのわかりやすい作風の方が良いのかもしれませんが、できればこの持ち味を殺さずに頑張っていって欲しいです。

ファミリーゲーム第4話感想 ~神の真実と主人公の再起

ROUND4 19P

挫折した三月は自ら人形を捨てようとしたところを神である作者キャラに止められ、彼がバトルロイヤルものにジャンルを変更した理由の真実を教えられます。

三月にモデルの彼を説明する際に動物園のエピソードを前置きにしたのは上手い導入です。三月の個性を端的に表したこのギャグがモデルの彼にも当てはまると示されることで、今までの三月に対する読者の感情移入がスムーズに彼にも向います。なおかつ亀の部分で差異を出すことで漫画内漫画である三月たちの世界と、漫画内現実である作者キャラやモデルの彼の世界ではリアリティレベルに違いがあることもさりげなく納得させられます。これよって彼の「リアルな」いじめと家庭崩壊の描写が相応の重みを持って読者の胸に迫ってきます。家の中でさえ居場所をなくしながらベランダで身を縮めて漫画を読む姿はまさに悲痛の一言です。

そして三月は作者キャラに諦めないで欲しいと語りかけられ、自分の家族を守るために立ち上がることを決意します。家族のことを回想するシーンの叙情的な雰囲気づくりの上手さは流石で、多少ヤンデレだろうが乱暴だろうが性転換願望があろうがかけがえのないものであることの疑いのなさが静かに染み入ってきます。戦場と化した街に戻った時、当初の強い男になる願いを叶えて「もらう」という目的は三月の頭からは完全に消えているのですが、挫折を乗り越えた三月は既に自分の力で強い男になっているといってもいいのではないでしょうか。

テーマ的には今回の燃えるラストシーンでほぼ完成していますが、ストーリー的には次回の最終回こそが一番大切です。愛と勇気の異能力バトルであることについてはもはや(!?)のような疑いをつける余地などありませんが、コメディが取り戻せるかどうかは三月の動きに全てがかかっています。なんだかんだと言って家族全員が三月のことを気にかけているのでどうにかはできるはずだと思うのですが、いかんせん増ページがあったとしても残り一話なので着地が気になります。

『ファミリーゲーム』が漫画内漫画を扱った作品なのは、メタネタを扱いたかったからというよりも、「もうひとりの自分」を扱うためにもうひとつの世界を生じさせる仕組みが必要だったからという印象があります。争いに立ち向かわずに「家族」を失ってしまった「もうひとりの自分」を知り、自分自身の「家族」を守るために争いに立ち向かうというテーマは、テイストこそ異なりますが第年秒先生のあの作品とも共通するもののように思えます。ここでこのテーマが再確認できたことは今後の第年秒先生の作品全体を見ていく上で興味深いです。

作者キャラの本当の姿が老人なのは彼が安西先生…ではなく、いわゆる作者の分身としての漫画家キャラとは違って、『ファミリーゲーム』の漫画内現実で生きる「登場人物」の1人だということを強調するためでしょう。また彼がこの一家にとっての祖父的な存在だということでもあるのかもしれません。そう思うと今回は祖父が孫の人生相談にのっている話という風にも見えます。服装は完全に「漫画の神様」である手塚治虫先生のリスペクトですね。

ファミリーゲーム第3話感想 ~次女もヤンデレそして主人公の挫折

ROUND3 19P

次女の二海はS気質のわかりやすい一や四乃と違って天然ボケ気味の性格ですし、願いも世界平和と3人の姉妹の中では一番いい子であるように見えます。三月もそう思っているのですが、自分の正義を実現するために暴力を厭わない点はあっけらかんとしているのがかえって恐ろしささえ感じさせます。三月を守ってくれるのもむしろ意識させずに独立心を奪うという意味では「強い男になる」という願いの一番の敵になりかねません。世界平和の願いも三月を自分の庇護下から出さないようにするためという側面がありそうです。反感を抱きにくい分こういう相手こそ厄介ですね。

最も反感を抱いている相手である一に対しては時間停止の異能で人形を奪う決意ができた三月ですが、失敗に終わった上に三姉妹の激突の場からも何もできないまま逃げ出してしまいます。前回の引きでは自信満々だったことあってこれは辛い展開です。その後もたった3秒時間を停止させるだけでは解決できない状況が立て続けに起き、自分の根本的な弱さを付き付きられて三月の心は折れてしまいます。確かに能力バトルもので時間停止の能力者というのは能力自体には攻撃力がない分優れた身体能力も持つ場合が多いですね。異能があっても持ち主がそれを活用できなければどうしようもないということです。助けようとしたはずの女性に逆に心配されて優しい言葉をかけられる場面は心底惨めになる気持ちがよくわかって見ていていたたまれなくなりました。前回いじめられる三月を見るのは楽しいとか思っていたのが申し訳なくなるくらいです。

しかし人形を奪うのには失敗したといっても二海の横槍が無ければ成功していた可能性が高いですし、二海から人形を奪われるのは回避できたという点では結果的に時間停止を活用できたわけで、三月が全くの無能ではないということはきちんとフォローが入っています。何よりも父親の御堂が圧倒的な破壊力の異能を発揮する遥に対して食い下がりながら言った「夢のためなら 男は強くなれるんだ!」という言葉が今後の三月の再起を予感させるものになっていることで、今回の挫折もただ盛り下げるのでなく、むしろ燃える展開への期待に繋がるものにしているのは見事です。この場では二人の迫力に気圧されてしまった三月ですが、立ち向い続ける父の姿の意味を理解できる時はすぐに来るはずです。それにしても実に格好良い台詞と演出の御堂ではあるのですが、その夢というのが家族全員の性転換なのを思い出すと落差がひどくて笑えてしまう部分もありますね。女になるつもりなのに男の夢とか言ってるのは高度なギャグなのか何なのか…。詳しい事情が早く知りたいところではあります。

『ファミリーゲーム』は全編お気楽な感じで進みそうだと思っていたので今回のシリアスぶりは少々意外でしたが、弱い自分への苦悩、特にバトルものでのあるはずの資質を活かせずにいる不甲斐なさというのは第年秒先生の作品ではよく出てくる問題であり、思い入れのあるテーマなのかもしれません。『群青のマグメル』でも広少年の描写は短いながらも記憶に残るものでしたし、『長安督武司』では中盤以降重要さを増していく李軽塵(李轻尘)がまさにこの問題を体現した人物でした。余談ですが李軽塵は私が『長安督武司』で一番お気に入りのキャラクターです。第年秒先生の王道少年漫画らしい要素を揃えながらもビターさのある作風は、脳天気になりきらない、あるいはなりきれない価値観をいい意味で反映しているように感じます。

ファミリーゲーム第2話感想 ~末妹はヤンデレ

ROUND2 19P

前回は今までのマグメルと同様にほとんどの背景も人物と近いペンタッチと立体の捉え方でしたが、今回の背景は違った描き方の部分がかなり増えていますね。アシスタントが増強されたようで何よりです。

 

 「四乃にいじめられて困ってるお兄ちゃんが大好きなの!!」

 四乃が三月を女の子にしようとしているのは弱いままでも構わないようにするため、というところまでは予想できていたのですが真の動機がここまでヒドイとは予想外でした。いやあ、実にヒドイですね。強い男に憧れているからこそ女の子にして辱めたいというのは歪んでいますが理にかなっています。自分だけがいじめるために守りたいというのもねじ曲がった独占欲がビンビンです。

かなりぶっ飛んだ四乃の動機ですが、読者としても四乃にいじめられる三月の反応の面白さを見ているとつい説得力を感じてしまいます。期待を裏切らないストレートな失敗ぶりや、スレたりせずに全力でリアクションする姿を見ていると確かに楽しくなってきてしまいます。圧巻なのが11Pの困っている表情集ですね。表情の一つ一つが「生き生きとした」困惑に溢れていてその場面ごとの細かいニュアンスまで伝わってくるようです。上段中央の涙ぐんでいる顔もいいですが、右上隅のどん引いている顔もなかなか嗜虐心がそそられます。

四乃から長女の一が三月を助けたのは自分が人形を奪うためだけでなく、一も三月をいじめていいのは自分だけと考えているからというのがありそうな感じですね。一は目的の世界征服といい露出全開の格好といい乱暴な悪の女幹部風のキャラ立てなのはわかりやすいですが、四乃のインパクトが絶大な分、一も面白い内面が暴かれるのを期待したいです。

一と四乃のバトルに巻き込まれて大ピンチな三月ですが、上手くやればまさに漁夫の利が狙えそうな状況でもあります。主人公としてはここで「男を見せる」活躍をして欲しいところです。

 

  • 家族全員のコスチュームについている「*」の模様のついたポシェットのようなものはなんだろうと思っていたのですが、これが異能の人形を装備するホルダーなんですね。一は左腰に、二海は右腰に、三月は右太ももに、四乃はショルダーバック風に左肩から右後ろに回して、母親は左腰に、父親は左尻のあたりに身に着けています。人形が奪われたら異能が使えなくなるのは間違いないとして、もし人形を奪い返したら異能も戻ってくるんでしょうか。だとすると駆け引きの幅も広がりそうですが、話数的にその辺りに触れることはなさそうです。
  • 3Pの台詞は右上から一、四乃、二海、遥、御堂ですね。

ファミリーゲーム第1話感想 ~バトルロイヤルのお膳立ては十分

ROUND1 50P

『ファミリーゲーム』は第年秒先生が初めて日本の集英社から直接の依頼を受けて執筆した作品となります。なのでもし今後中文版が発表されたとしても、オリジナルは日本語版の方と考えた方がいいでしょう。登場人物も最初から日本人として設定されているようです。現代中国を舞台にすると緩和されたばかりとはいえ一人っ子政策のせいで少数民族や特殊な事情がないと兄弟がいる設定にできないんですよね。ちなみに第年秒先生は四兄弟が主役格の漫画として、舞台が中国唐代の『広武威衛局』という作品も以前執筆しています。

これはジャンプ+編集部からの依頼ということでジャンプ+の色に合わせたデスゲーム風のバトルロイヤルもの(但し死人は出ない)ですね。短編などでは実験性の高い作品を描くこともある第年秒先生ですが今回はエンタメ方向に振り切った作品になりそうです。全5話の短期集中連載、しかも連日更新ということもあって疾走感の溢れる内容が期待できます。

 

「三月お兄ちゃんをお姉ちゃんに… 女の子にしてください!」

願いを叶える力をめぐるバトルロイヤルものとは言っても、相手は家族でしかも全て人形を奪うだけでいいということで気軽に読めても緊張感には欠けそうと思うやいなや、四乃のとんでもない爆弾発言です。しかも両親も三月を女の子にする願いを宣言してしまいます。もしかしたら母親はあえて三月に発破をかけていると取れなくもないのですが、父親と四乃は間違いなく本気です。これはもう是が非でも主人公である三月が勝ち抜くしかないと読者にも納得できる一方で、バカバカしくて笑えてしまうというエンタメとしてよく出来たネタです。冒頭から一貫している三月の強い「男」になりたいという思いがこれ以上なく本気で実現するべき「願い」として『ファミリーゲーム』の中心となりました。

全5話ということでバトルロイヤルものとして必須の登場人物の人柄、願い、異能を含む技能の全てが第1話のうちにテンポよく描写されています。長編の場合はこれらの要素を解明していくことも面白さの1つになりますが、『ファミリーゲーム』は主要人物が全員家族ということもありますし、手の内がわかった上での駆け引きに絞るのは正解でしょう。

この回で三月の次に描写が多いのは初めにバトルする相手となりそうな四乃です。一見ロリロリしくて内気とおもいきや、いきなり三月の恥ずかしい動画をネットに拡散させたりとネジの飛んだことをしでかし、その後もイイ性格なのをうかがわせながら終いにはあの発言です。授受時は魔法少女風の演出でごまかしていましたが、人間を獣にしてその主人になるという異能も相当にエグいです。ラスト5ページはその禍々しさが余すことなく表現されています。他者を傀儡にするという異能は子役として普段から不特定多数のファンの上に立つ四乃だからこそといった感じですね。余談ですが、26Pの背の低い四乃が人形を取るために椅子を取ってきてスリッパを脱いで裸足になり、スカートから生脚を覗かせつつ椅子の上に立つという描写がどことなくフェテッシュです。ことさら強調されていないのに妙にロリータさと生脚が印象に残ります。

 

その他

  • 家族のコスチュームはそれぞれ異能の内容を反映したものになってるだけでなく、四兄弟には胸の部分に生まれた順番もデザインされています。わかりやすいのは第三子の三月の3S(3秒)と第四子の四乃の左胸の4つのつぼみですが、第一子の一も谷間の1つの穴、第二子の二海も両胸に2つのエンブレムがあります。
  • 三月の異能が時間停止だということで、異能の授受の35Pと同じ見開きの34Pに父親が男をやめるなどと言いながら石仮面を持っているという『ジョジョの奇妙な冒険』のディオのパロディがあります。それぞれ「ザ・ワールド」ネタと「おれは人間をやめるぞ!ジョジョ──ッ!!」ネタですね。
  • 個人的には変身後のコスチュームも含めて一番外見が好みなのは母親の遥です。可愛い目の絵柄なのに上手く加齢が表現されていてなおかつ妖艶さも感じさせます。変身前のトップスが横縞でゆったりした長袖なのも巨乳さを強調しつつあえて隠すという芸の細かいポイントです。変身後は一転して上半身がタイトなノースリーブになるのもいいですね。下半身は裾のたっぷりしたロングスカートで念動力による浮遊感を表現しつつ脚のチラリズムも目に楽しいです。

群青のマグメル 第22話振り返り感想 ~解明された謎と新たな謎

第22話 幻想の閉幕 26P

原題:在空想消失之前(直訳:空想の消失する前に)

ダーナの繭編の最終話です。クーとヨウの過去が明かされ、今まですっきりとは理解できなかった事柄の多くが納得できるようになります。

まずは前回のヨウとクーの対峙を受けての2人の対決があります。クーのミサイルの構造による攻撃が左下へ向かう読者の目線移動と一致して、勢いに乗って描写されます。それに対するヨウの巨大な遍く左手が目線移動と完全に正対した方向での迎撃体制に入ることで、勢いが滞ることなく正面対決への期待が高められて次の見開きへと移ります。その後のコマでカメラの位置が変わっても双方の進行方向は維持されたままスピード感と緊張感のある演出が続きますが、ヨウはミサイルとの激突をあえて避け、遍く左手を縮小させて喰い現貯める者を直接攻撃することでその無力化に成功します。ヨウの全力とは力押しではなく、頭の回転の速さと特異な構造を制御しきる技量だということがよく表れています。

ここでヨウはクーの背後から遍く左手で反撃を図るのですが、先ほどとは正反対に遍く左手の左下へ向かう勢いに乗った正拳が、生身のクーの掌に真っ向から受け止められてしまいます。ヨウが全力を出せていないのは間違いないとはいえ、トン単位の威力を出す遍く左手を余裕で受け止めるのですからクーの身体能力は計り知れません。遠隔攻撃が得意というと日本の能力バトルものでは接近戦に弱く設定されがちですが、クーの場合は単純なパワーだけなら遠近ともに隙がありませんね。この短い激突で搦手に優れるヨウとストレートに戦闘力の高いクーという両者の特性が端的に表されています。

そしてマスクが外れてヨウがクーの正体に思い至り、因縁が明らかになった上での絶望的な第二ラウンドを読者が予想してページをめくっていくと、クーがヨウの手当をしているという意外な展開が待ち受けています。読者もゼロとエミリアの驚きに思わず共感してしまいます。ですが2人を納得させるためのヨウからの説明があり、クー視点でのヨウに振り回された過去の告白もあって、読者にもダーナの繭編でのクーの行動や動機がすんなり飲み込めるようになります。また繭事件での要救助者を連合国が見捨てたことを匂わせて人間同士での不協和を見せてから、エリンであるクーが生存者の居場所をヨウに教え結果的に救助の手助けとなることで、人間対エリンという単純な対立関係は一面的なものにすぎないことが明示されます。これらの描写によりクーの仲間入りが読者にも抵抗なく受け入れられます。

クーとヨウの関係は『群青のマグメル』の今後のストーリーで重要な焦点となっていきそうですが、この時点でのクーの仲間入りの意味として大きいのはヨウと対等な視点を持つ仲間が初めて表れたことです。幼少期をはじめとした過去がかなり解明されたことも含めて、ヨウの歳相応で人間らしい面の描写がぐっと増えていきます。回想での幼いヨウとクーがとても子供らしくて可愛いのも素晴らしいですね。

また拾因を信じきってその行動に疑問を持たないヨウに対して、クーの拾因をより客観的で否定的に考える視点が入ることも重要です。拾因はヨウにさえ明かせない目的を持って行動しており、多少は正体の推察ができるようになった現在でも謎のほうが多い人物です。今回でクーの素性が明らかになったかわりに、クーの視点で明確化した拾因の謎が今後の展開を牽引してく要素の1つになります。ヨウとクーの会話で拾因が現実構造上での幻想構造の効果の永続を試みていたと中文版では明らかになったことも、今後の布石となることが予想されます。また拾因の目的の1つに贖罪があるという情報も出てきますが、ダーナの繭の市街地での出現に関与したという疑惑が事実なら一般人の死者を大量に出すことを想定していたということになり、拾因が「誰」に贖罪するために「誰」を犠牲にするつもりかということは気に留めておいたほうが良さそうです。

ダーナの繭編の最後のページでは訳知り気に拾人館の面々を見つめる人物が何度かの登場をします。この謎の人物はこれまでの話の流れとヨウを知っていそうな人物ということで拾因かとミスリードさせられますが、神明阿アミルという正体とヨウとは直接の面識がないという事実がわかってから読むと、別の謎が生じてきます。神明阿アミルが語っている「相変わらず」勘の鋭い「拾人館」の人物が誰なのかということです。おそらく黒い瞳のヨウ、つまり拾因のことではないかと思うのですが、だとすれば神明阿アミルはいつ、どこで、拾人館を営んでいた頃の拾因を知ることが出来たのでしょうか。