群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル 第21話振り返り感想 ~ヨウの強さ

第21話 未完の過去 20P

原題:最后的空想(直訳:最後の空想)

この回ではヨウが善戦はしつつも事前のダメージのせいで一方的に追い詰められ、クーの戦闘能力の高さが読者に印象付けられます。喰い現貯める者は現実構造なら構造が起こした現象からでも吸収ができるということで、まさに現実構造者の天敵ですね。大量の銃火器やミサイルの構造物も現実構造者との戦いで収集していったのだと考えると相当に場数も踏んでいることがうかがえます。おそらく相手は黒獄小隊でしょうか。

ただこの回で本当に重要なのはそんな勝ち目のなさそうな相手でも諦めず活路を見出そうとするヨウの姿勢のほうですね。最後の構造もただ力を振り絞っただけでなく、作戦を立てた上で立ち向かったことが次回わかります。流石にこの場合はクーが本気だったら対抗しようがありませんでしたが、普段ならばどんな相手でも勝てはしなくとも死にはしないだろうと思わせてくれるいい意味での往生際の悪さが単に優れた構造者であることにとどまらないヨウの最大の強さです。

戦闘能力といえば第29話から本格登場となる黒獄小隊のあの3人もこの回で登場してその実力の一端を見せています。ヨウが相当に傷めつけたとはいえ、通常の軍隊では歯のたたない双生タイタン相手に余裕の態度さえ取って三重合構という能力で圧倒したようです。神明阿一族がこの先ヨウたちの前に立ちはだかるであろうことを考えると、この3人はなかなかの強敵となりそうです。

この回のヨウ対クーは命の掛かったバトルと読者に見せかけて実は違うわけですが、違うと知って失った分の緊張感を差し引いても、2人の事情がわかった今に読んだ方が素直に駆け引きが楽しめますね。何せ初めて読んだ時はバトル自体は迫力を持って描かれているのに、いかにも因縁のある敵であるはずのクーの事情がよくわからずにもどかしい部分があったものです。それも次回のオチを知ればすぐに腑に落ちる点ではあるのですが。

この回は次回のオチに向けての説明や布石の意訳が多いのですが、意訳が上手く機能している回だと思います。「ヨウ(又)」の呼び方などのどうしても中文版のニュアンスが伝えにくい部分を別の形で補えています。この回で明らかになった「喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)」というクーの能力名もよく考えてあるアレンジですね。アイルランド神話用語と能力の性質がきちんと織り込んであってこだわりを感じます。元の中文版ではクー・ヤガ・クランの名前が牙牙格双魄で能力名が真实收割者です。こちらも「双魄」(魂魄がふたつ?)の部分や「真実の収穫者」(現実構造を収穫する能力だがあえて真実という言葉を使っている?また「收割者」とは一般に魂の収穫者である死神のことを指す)という意味の能力であることが深読みできそうで、色々と考察したくなる名称です。

群青のマグメル 第20話振り返り感想 ~キャラクターの能力の個性

第20話 現と幻 20P

原題:空想之幻(直訳:空想の幻)

ダーナの繭編ラストバトルのヨウ対クーです。このバトルでのクーには変なこじつけが出来そうな描写もあるのですが、とりあえずそれ抜きでの感想です。

第7話で拾人館を急襲した異形のエリンの正体が人型の幻想構造だったと判明し、その本体かつ特別性が何度も強調された聖国真類だということで、クーの敵としての格の高さが十分示されます。しかもエミリアを人質に取られた上に目の前で危害を加えられた(加えるふりをされた)ことで撤退はできずこの場で立ち向かうしかないと明確になり、ラストバトルのお膳立が完全に整えられた状態となります。

ちなみに第20~22話でヨウが「エミリア」と口に出して言う部分のほとんどが中文版では「客人(お客さん)」となっており、ヨウが個人的な知り合いを助けようとしたというよりも拾人者として救助対象者を助けに来たという印象が強いです。前回ヨウが拾人者をしている動機を話したことを受けて、ヨウが自分の仕事に文字通り命懸けのプロ意識を持っていることを示す場面ですね。読者としては救助対象者がよく知っているエミリアである方が盛り上がりますが、ヨウは仮に全く知らない人が対象者でも必死に助けようとしたのでしょう。

 クーの幻想構造である喰い現貯める者はゼロによると一応は独立しての戦闘もできるそうですがヨウのような実力者と戦えるほどではなく、基本的には銃火器などの構造を出現させる際の仲介として利用されています。クーは能力上あまり動かずに遠距離から敵を攻撃できますが、動かずに敵を圧倒するというのは中国でも武侠ものを中心として伝統的な強者の描写であるそうです。日本においては山田風太郎をはじめとする忍術ものが能力バトル漫画に大きな影響を与えていると言われるように、中国では武侠ものの伝統である気功で触れずに相手を吹き飛ばす、法力による怪光線、御剣術といって氣で空中に多数の剣を浮かせて飛ばす攻撃法などの魅せ方が今時のバトルものでも取り入れられていると言います。クーの能力はこうした伝統的で派手な魅せ方と現代中国で定番のミリタリー要素の両方が、日本の少年漫画的な能力バトルに組み合わされています。

対してヨウは銃火器系の現実構造はあまり持たず、香港アクション映画風の体術や頭脳面での活躍が中心で技巧派な印象がありますね。今回も一旦はクーの大火力に追いつめられますが、因果限界を遮蔽物として利用して背後から燃料車構造で攻撃を図るという機転を発揮してくれます。

追想フラグメントの感想 ~命を賭ける 賭ける自分の命がある

2016/07/09 少々追加と修正

『追想フラグメント』は中国では『二想』という題で2013年の7月に発表されました。
日本語版ではカラー漫画から白黒漫画になり、設定の細部が変更されるなど、他の第年秒先生の作品の日本語版と同様にアレンジが加えられています。
『二想』は中国でもカラー漫画として公式配信されています。
http://www.buka.cn/detail/104026

中文版だと
主人公の名前は
梢(こずえ/きへん)二想(にそう)ではなく
稍(シャオ・shāo/のぎへん(意味は少しの時間))二想(アルシャン・èr xiǎng)*1
ヒロインの名前は
月(ゆえ)ではなく
念儿(ニェンアル・niàn ér)です。
二人の名前は「想」と「念」、発音が対になっています。

『二想』という題には主人公の二想が二つの想い・人格を持っていると言う意味があるのはもちろんですが、私はこのストーリーが二想と月(念儿)の二人の想いの話であるという意味にも受け取ることができるのではないかとも思います。

長安督武司以降の第年秒先生の作品としては珍しくアクション要素は殆どありませんが、その代わり心情表現や構図などの静的な演出に力が入っていますね。雰囲気もしっとりとしていてノスタルジックです。2Pの1コマ目は子供の二想に距離を置いて客観的に見せる構図で、このコマのモノローグも中文版では二想が自分をより客観的に説明する文体で、子供の二想に寄り添うというより眺めるような視点での演出がされることでノスタルジックな空気感が高められています。

中文版だと医者が説明したX型人格分裂症の副人格の一般的な出現回数は4回で、もしそれ以上があっても出現時間は殆ど無いということでした。だから最初の考察*2では二想の5回目は特別なことだという前提にしていたのですが、読み直してみると19Pの二想は出現時間は長くても2分程度だろうと感じつつも自分に最後の5回目があることを私が覚えていたより強く確信していました。なので4回目での中断というのはさほど重要でなく、回数で引っかかりを覚えないように9Pでの回数の修正があったのかもしれません。

そしてむしろ重要なのは頭痛の描写の方ではないかと考えを変えました。以下がその描写について抜き出したものです。

  • (月が二想の頻繁な頭痛を話題にしながらこの後の大事件の到来を予告する・3P)
  • 二想が1回目の出現終了の直前に頭痛を起こす・5P
  • 二想の両親が発症の直前にひどい頭痛を起こしていたと証言する・8P
  • (二想が3回目開始時に交代時には頭痛が起きると確信する・16P)
  • 二想が5回目の途中で頭痛を起こすが交代はせず、部下の胖哥から一想は脳のダメージのせいで頻繁に頭痛を起こしていると教えられて何かを思い付く・23P

  ※()内は日本語版では省略された描写

頭痛に関する言及は中文版では5回あり、いずれもX型人格分裂症の症状と頭痛が不可分のものであると印象に残るように描写されています。そして副人格である二想は完治されるべき病気(中文版では病毒)そのものだと周囲からみなされており、病気の症状の描写こそが二想の存在の描写でもあると読み替えることが出来ます。つまり二想は一想の脳に更に深刻なダメージを与えて頭痛をはじめとした症状が決して完治できないようにすることで、逆説的に病気である自分も消えないようにできるかもしれないと賭けて飛び降りたと考えてもいいのではないでしょうか。

飛び降りは一瞬文字通りの自殺行為に見えますが、二想が一想を道連れにしようとしたと考えるよりも、自分が存在し続けて月に会うために飛び降りたと読んだほうが2人の再会時の会話との繋がりが良くなります。ただ、もし失敗して「死んで」しまったとしても完治されて「最初からいないのと同じ」にされるよりはいいという意地はあったのかもしれません。また二想の決断は中文版では飛び降りる25Pで

来! 念儿!

(直訳:来い! 月ちゃん!)と呼びかけたり、ラストシーンの30Pで

念儿 你愿意认输吗?

(直訳:月ちゃん 負けを認めたくなった?)と問いかけたり日本語版より積極的な印象が強いです。
ちなみに31Pは中文版では二想の問いかけに対して月が

我愿意

(直訳:喜んで)と返答し、二想の想いに月が初めて向い合って応えるシーンで、こちらも印象が日本語版とは少し異なります。

全体的なストーリーについては、X型人格分裂症の現実離れ具合からも、月が最初の時点で二想について正確に把握しすぎている上に1、2年後の引っ越し*3を前提にしたような発言をしていることからも、二想と月の関係はある種の寓話的なものとして表現されていると考えるべきでしょう。ストーリーからテーマだけを切り離して語るのはあまり好きではないですが、どれだけ悪に染まっても少年の頃に持っていた純真な想いを完全に消し去ることは出来ないとかその手の話ですね。月の顔が描写されないのも具体性を超えた男性にとっての永遠の初恋の少女を象徴しているからだと思います。例えば具体的に顔を描いてしまうと白髪*4の老婆になった月の顔も描写しなくてはいけなくなり、寓意性が薄れてしまいます。

演出面では冒頭と最後の大樹の上から月が海を眺めるシーンの構図が素晴らしいのはもちろんですが、私が一番惹きつけられたのは二想が大樹の切り株を眺める中盤の場面です。11Pはほとんど動きや台詞が無いページで二想の大げさな感情表現もないのですが、構図やコマ運びの上手さと中文版では沈んだ色使いとで月と遊んだ大樹が既に無くなっていることの思いがけなさと過ぎた年月の大きさを知った焦りが見事に表現されています。特に2コマ目は手前に切り株がアップで配置されて広さの強調された空間にぽつんと取り残された二想の寄る辺なさが心に残ります。大樹からの眺めは二想と月の想いのシンボルとなるものであり、この場面でそれが消失していることは2人の想いの消失さえも予感させるものです。だからこそ最後に別の樹で二想がこの眺めをそのままに復活させることが、長い年月を経て表面上は変わってしまった二想と月であっても2人の想いだけはそのままに再び通い合うことを導くのです。29Pの台詞も中文版だと風景より月が美しいというより、この風景の中に月がいてこそ最高に美しい眺めになるといったニュアンスです。

『追想フラグメント』は第年秒先生の異色作のようでありながら、一方で幼馴染との別れと再会、自分の知らない自分、入れ替わりといった先生の好むモチーフもきっちりと取り入れられています。そしてバトル漫画でも十分に活かされている先生の心情演出の上手さに気が付くきっかけともなりうる作品であり、先生の魅力を様々な角度から確認できます。

以下に全体の流れと関係なく私が注目した点を箇条書きにしました。

  • 中国では日本の学校制服に当たるものが学校指定のジャージとなります*5。7Pなどで二想が着ているのがそれで、中校服を着ているのを見て二想は自分が中学生になったとわかったのです。
  • 二想から何度も胸を揉まれている人は胖哥(でっかい兄貴の意*6)と呼ばれていて、近所の不良少年のボスであったようです。7Pの二想が顔を怪我をしているのは誰かに殴られたためだと示唆されており、胖哥をはじめとしてこの頃から既に一想の交友関係は不良化しつつありました。
  • 24Pで胖哥が照れているのはこれから自分の両親を頼むとも言われたのをプロポーズと勘違いしたからです。二想には可哀想ですが、一想は一想でヤクザとして成り上がったり胖哥のような舎弟がいたりと読者から見る分には面白そうな人生を送っていますね。

*1:中国語のerの発音はェ゛ァー(そり舌)の方が近いのですがやや人名にはそぐわないので慣習的な表記であるアルの方にしました。

*2:以下に簡易感想時の時の文をそのまま載せます。「4回目は最後の希望だと思って人質まで取った。二想の5回目は4回目が脳の銃撃で中断されたことも重なって発生したイレギュラー。6回目の発生に賭けて5回目を再び中断させるために飛び降りた。」

*3:隣の家の引っ越しは2回目の出現の2年前ですが、二想は中文版では1回目と2回目は3、4年程度時間が飛んだと感じています。また両親は隣の家の月の話をされた時に若干訝しげな反応をし、隣の家が引っ越したとは言っても月については触れていません。そして月は二想の近くにいたことが描写されているので、実は月は引っ越しておらず隣の家の人間でもない可能性があります。

*4:白黒版だとややわかりにくですがカラー版だと最後は月も明確に白髪になっています。

*5:近年はおしゃれな制服を採用する学校も出つつあるようです。

*6:中国語ではドラえもんジャイアンは胖虎と訳されます。

群青のマグメル 第19話振り返り感想 ~ヨウと「家族」

第19話 邂逅 20P

原題:空想的问候(直訳:空想的な訪問)

双生タイタンをダーナの繭の外に出すことに成功して激闘が終わります。双生タイタンを退けることは出来てもとどめを刺すことは出来ませんでしたが、ヨウたちの目的はあくまでも繭での救助活動であってエリンたちを殺すことではありません。双生タイタンと戦うことになった連合国軍には災難でしょうが、状況が状況ですし彼らもプロということでヨウたちはその点を割り切っているようです。

その場に残っていた3頭身のエリンのお頭もごく簡潔な描写で倒します。双生タイタンとのバトルをしっかりと盛り上がるように描写できたことで、このバトルの省略がいい意味での驚きと格好良さを生んでいます。あえてバトルが省かれたのが敵対するエリンの中で最も丁寧にキャラ描写をされたお頭だったこともこの場面のクールさを効果的に引き立てています。ダーナの繭編全体の構成を考えても今回をバトルにワンクッション置くための回にすることで、対雑兵エリンから対双生タイタン、対聖国真類とバトル相手がスケールアップする上での邪魔にならないようにし、かつバトルが連続しすぎてテンションがダレないようにするためのアクセントにもなっています。

バトル終了後は舞台を変える前の後始末の会話に移ります。そして4人の探検家との共同戦線の終了もごく淡白に決定します。ヨウだけ危険が大きい立場とはいえ一応は共に死線をくぐり抜けた仲ですが、あのボルゲーネフでさえも無駄に感情的になったりはせずに、5人全員が自分の損得を計算してプロらしく割り切った判断をします。

しかしここで一徒がヨウに彼の価値観について問いかけます。ここで問われている「人の命」について答えることとは、人命救助の仕事である拾人者をヨウが続けている動機について答えることです。ヨウの実力で損得だけを考えるなら探検家にでもなってマグメルの富を直接奪取するのが最も手っ取り早いはずです。それでも拾人者をしている動機についてヨウは上手く喋れていないことを自覚しつつもどうにか言葉を探っていきます。

ヨウはプロの冒険家が冒険の中で命を落とすこと自体には、夢に死ねるのなら幸せだろうとこれまでの態度通りのドライな答えを返します。ですが動機の核となる部分に言及するときには「家族」という言葉を使い、ヨウにしては珍しく「家族」というものには単純に割り切れない想いを抱えていることを露わにします。これまでもヨウは普通の家庭環境で育っていないことがほのめかされていて、魍魎の果編などの家族に関わる話で心情の一端を覗かせることもありました。しかし自分の心情についてヨウが語るのはこの場面が初めてであり、今回はここまでとことんドライさを強調した演出がなされていた落差もあって、派手な盛り上げをされていないにもかかわらずヨウの「家族」に対する思い入れが非常に印象に残る場面となっています。思い入れとは執着であり強さだけでなく弱みにもなりうるものです。それまで格好良さはあっても隙が感じられない分読者からは少し遠い存在だったヨウですが、この場面から随分と人間味が増して感情移入しやすくなりました。新たな面を見せることは一般には読者から見たそれまでのキャラクター性を壊してしまう危険性もありますが、ヨウの場合は正体不明の状態からの段階的な情報の明かし方が上手いのと、ドライな面も人間味を感じやすい面もどちらも紛れもない本心だという描き方をされていることで人物像の深まりを素直に感じられます。プロならば割り切れるけども一般人の家族は違うという理屈自体も読者にとって納得のしやすいものです。私が『群青のマグメル』に本格的に嵌ったのもこの一連の会話がきっかけでした。

ヨウはヨウの言葉にいまいち共感できないらしい一徒たちと別れて再びエミリアの救助活動に戻り、道中のつかの間の睡眠の中で彼の「家族」である拾因のことを思い浮かべます。初読時はわかりませんが、先ほどの会話での冒険家の無事を祈って待つ家族とは、マグメルで行方不明になったままの拾因との再開を夢見るヨウそのものでもあります。実の家族との繋がりをもたないヨウにとって拾因とは家族以外の何物でもなく、その死が判明した時の動揺を知ってから見返すとよりこの話の味わい深さが増します。また、今回「家族」と訳された言葉の元の語は「家人」であり、第8話で拾因自身が「守れなかった家族」に見せていた執着の強さとの繋がりも示唆されてます。「家族」という言葉は『群青のマグメル』全体で重要なキーワードとしてことあるごとに浮かび上がってきます。

回想の中で子供のヨウと拾因はエリンの構造者について話しています。ここで今回のラストで対峙するクーとの敵対の因縁があるように見せかけつつも、実際は拾因からスルーされるような「子供の喧嘩」でしかないこともほのめかされています。また第8話では1つしか出せていない箱型の構造物が2つに増えていることでヨウの上達も描写されています。そして今読むと気になるのがこの時の拾因の内心ですね。拾因がヨウにエリンと接触しないように言いつつも、喧嘩の継続を許したのは相手がクーだと察してのことでしょう。黒い瞳のヨウが拾因と同一人物で、「家族」の1人であったあちらのクーが既に死んでしまったとするなら、拾因はどんな気持ちでもう1人の自分ともう1人のクーが友情を育んでいく様子を眺めていたのでしょうか。

群青のマグメル 第18話振り返り感想 ~それぞれの「らしさ」

第18話 決断 20P

原題:战士的空想(直訳:戦士の空想)

双生タイタンだけが相手でも窮地に陥っていたヨウたちの戦闘に実は爆発を生き延びていた3頭身のエリンのお頭までも加わり、絶体絶命の状況に追い込まれます。ここで一徒がヨウを即死級の攻撃から逃がすためにあえて攻防体の衝撃波を当てるという機転を利かせる場面があり、前回の動揺を挽回してきちんと頭の切れる探検家であるところを見せてくれます。単行本収録版では写植のスペースの関係か台詞が削られてしまいましたが、ヨウの「助かったよ…」という感謝に対し「どういたしまして」と返しつつも「恩に着れよ」と思っているところも食えない男である彼らしさを上手く表していて面白みがありました。この部分は少年ジャンプ+版のほうが中文版の台詞に近かったですね。

ただ即死は避けられたもの依然として正攻法では勝ち目のない状況にはかわりなく、これを切り抜けるためにヨウは一計を案じ、双生タイタンら相手に一対一での決闘を申し入れます。その後の連携の手際の良さから考えてこの直前の一徒と通信役のゼロにこっそり話しかけていた場面で、実は作戦についても耳打ちしていたとみるべきでしょう。この時にヨウがいかにも「少年漫画の漫画の主人公らしい」格好いいことを珍しく言って一徒たちが複雑な表情を見せるのですが、読者にはまるで一徒たちがヨウの覚悟に驚いているように見せつつも、本当はヨウの口の上手さに引きつつも感心しいる場面ということになります。

一騎打ちの提案はエリンの2人には利益のない提案のはずなのですが、戦士としての誇りを刺激する内容だったことで、双生タイタンは今までも理知的な性格を覗かせていた3頭身のエリンのお頭の忠告を振りきって提案に乗ってしまいます。圧倒的に優位な立場にあることでの油断もあったのでしょう。こうしたただの化物とは違う「人らしい」面が彼らの破滅を招いたのは皮肉な話です。

そしてヨウは全力の善戦で双生タイタンの注目を正面の自分だけに向けさせ、側面からの攻防体の奇襲を成功に導きます。瞬間移動可能な攻防体の性質と思わぬ方向からの攻防体の衝撃波という今回の前半で出てきた要素が上手く作戦に活かされいます。「少年漫画の主人公らしからぬ」卑怯さではありますがこうした機転こそがヨウらしさです。こんなヨウがいわゆる少年ジャンプの三大原則を宣言するギャグは彼が主流からやや逸れた人物像であることを浮き彫りにしつつも、苦戦を突破したことでの純粋な爽快感があります。作戦が上手く嵌り得意気になるヨウ、ヨウの魅力を再確認するゼロ、2人に若干引いている一徒という3人の個性が出た場面もユーモラスです。

目の比較(第34話まで)

因又(イン ヨウ) 因又(イン ヨウ)
因又(イン ヨウ)(第33・34話) 因又(イン ヨウ)(第33・34話)
拾因 拾因
ゼロ ゼロ
ゼロ(第33・34話) ゼロ(第33・34話)
エミリア・チェスター エミリア・チェスター
クー・ヤガ・クラン クー・ヤガ・クラン
クー・ヤガ・クラン(人間形態) クー・ヤガ・クラン(人間形態)
クー・ヤガ・クラン(第34話) クー・ヤガ・クラン(第34話)
クー・ヤガ・クラン(マスク装着・激昂時) クー・ヤガ・クラン(マスク装着・激昂時)
喰い現貯める者(クラウド・ボルグ) 喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)

原皇ブレス

原皇ブレス
ティトール(人間形態) ティトール(人間形態)
トト・ビックトー トト・ビックトー
トト・ビックトー(第33・34話) トト・ビックトー(第33・34話)
オーフィス・ビックトー(第33・34話) オーフィス・ビックトー(第33・34話)
神名阿アミル 神名阿アミル
ルシス ルシス
一徒 一徒
ボルゲーネフ ボルゲーネフ
キミアイオン キミアイオン
蛍火 蛍火
黒獄小隊隊員(長官) 黒獄小隊隊員(長官)
黒獄小隊隊員1 黒獄小隊隊員1
黒獄小隊隊員2 黒獄小隊隊員2
田伝親父 田伝親父

引用

因又 31話 3P    
因又(33・34話) 33話 12P    
拾因 16話 1P 単行本第3巻(kobo版) 6P
ゼロ 2話 1P 単行本第1巻(kobo版) 78P
ゼロ(33・34話) 33話 5P    
エミリア・チェスター 12話 4P 単行本第2巻(kobo版) 113P
クー・ヤガ・クラン 30話 17P    
クー・ヤガ・クラン(人間形態) 27話 11P    
クー・ヤガ・クラン(34話) 34話 16P    
クー・ヤガ・クラン(マスク装着・激昂時) 20話 20P 単行本第3巻(kobo版) 105P
喰い現貯める者 5話 20P 単行本第1巻(kobo版) 145P
原皇ブレス 26話 21P    
ティトール(人間形態) 33話 19P    
トト・ビックトー 25話 10P    
トト・ビックトー(33・34話) 33話 15P    
オーフィス・ビックトー(33・34話) 33話 15P    
神名阿アミル 30話 14P    
ルシス 31話 18P    
一徒 27話 5P    
ボルゲーネフ 19話 10P 単行本第3巻(kobo版) 75P
キミアイオン 19話 10P 単行本第3巻(kobo版) 75P
蛍火 27話 3P    
黒獄小隊隊員(長官) 29話 20P    
黒獄小隊隊員1 29話 20P    
黒獄小隊隊員2 29話 20P    
田伝親父 5話 3P 単行本第1巻(kobo版) 128P

トンデモ仮説:34話のクーは喰い現貯める者の中の人に

考察

①クーは因果限界を伝って人界に来た

転移する以前のダーナの繭の種はクーの監視対象であった。しかし種が遭難中のスカイホエールに転移し人界に運ばれてしまったため、クーも種を追って人界にやって来た。スカイホエールが極星社クスク支部に到着するまでは、種の運搬自体は問題なく行われたとみられることから種と一緒にスカイホエールに転移したとは考えられない。クーは人間と同席してヘリに乗ることをヨウたちとさえ拒否しており、もし種とともに転移していたならば航行が不可能になるほどのトラブルを起こしたはずである。

クーは種の転移以外の方法で人界にやって来たはずだが、第24話でそれまでマグメル外縁に行ったことがなく外縁の要塞都市を見たこともないと発言している。そのため人界に来る際には通常の方法で陸や海、空を渡ったわけではない。

他のエリン達と同様に因果限界を伝って行けば空間を超えて人界に来ることができる。

②17話でクーの言った間諜とは喰い現貯める者のこと

第17話でクーは自分がダーナの繭の現状についてかなり詳しい情報を得ている理由について「種の傍に間諜を置いていたからだ」と述べている。

群青のマグメル

人界に帰還したスカイホエールと連続して喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)の目が描写されていることから、喰い現貯める者は本体のクーとは異なり種ととともにスカイホエールに転移して人界にやってきたと解釈が可能である。

喰い現貯める者は第23話においてクーがヨウとの通信に利用したように、視聴覚をはじめとした感覚をクーと共有できる。また喰い現貯める者は頭部のみに縮小することや浮遊が可能なのでスカイホエールの人間に気付かれずに種を監視することもできる。

自分の幻想構造を間諜と呼ぶのはやや擬人化した言い方にも感じられるが、クーは他の場面でも喰い現貯める者を自分から独立した存在であるように語ることがある。

③喰い現貯める者は自律行動ができる

第20話においてゼロは喰い現貯める者のことを「独立して戦闘可能な珍しい幻想」だと解析している。単純に本体から離れての操作・攻撃が行えるというだけでは幻想構造の性質として珍しくないので、文字通りに独立して行動可能な性質が珍しいということを解説している可能性がある。

第24話でクーはゼロの部屋からゲームを勝手に奪ったことを咎められた際に「我は入ってないぞ 幻想構造が取ってきたんだ」と発言している。ゼロの言ったようにただの言い訳とも取れる言葉だが、言い訳でないとしたら喰い現貯める者がクーの判断とは無関係に自己判断で取ってきたことになる。この後喰い現貯める者はクーと2人(?)でゲームに興じていた。

群青のマグメル

④喰い現貯める者はコントロールの難しい特異な幻想構造

幻想構造は基本的に能力に目覚めた後のコントロールが容易だとされている。しかしヨウがマグメルで拾因とともに生活している間のクーは既に構造能力自体には目覚めていたにもかかわらず幻想構造を使用することが出来なかった。

群青のマグメル

中文版ではその時点では幻想構造をまだ完全覚醒させていないという発言がある。

喰い現貯める者は力の掌握が簡単なはずの幻想構造にもかかわらず、天才のクーが完全にコントロールできるようになるまで時間を必要とした。 

⑤第11話時点のクーはヨウやエミリアの情報を持っていない

第11話時点の人界ではダーナの繭以外に行ったことのないクーはヨウについての情報を持っておらず、構造者の知識があるというだけで完全に初対面のエミリアを強引に同行させ幾度もヨウについて聞き出そうとした。この時点でクーが持っている情報は因果限界の主である拾因と弟子のヨウがこの事件に関わっている可能性があるといった程度のものでしかない。少なくともヨウの居場所に全く心当たりはない。

⑥喰い現貯める者の紋章は第34話のクーの服の紋章と一致

クー・ヤガ・クラン

喰い現貯める者の紋章は上に膨らむXであり、下に膨らむXである第32話までのクーの実物の服の紋章とは不一致である。一致するのは第34話のクーの衣類の紋章である。
もし第33・34話がそれ以前の世界の並行世界だとすると、喰い現貯める者は並行世界のクーと繋がりを持つ可能性がある。

⑦喰い現貯める者は仮面をかぶっている

喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)

下に口があることから淡色(薄紫?)の顔のように見えている部分は仮面である。

⑧マスクを被ったクーが特殊な描写をされた場面がある

クー・ヤガ・クラン

クー・ヤガ・クラン

第20・21話でクーはヨウに対して正体を隠すためにマスクを被った。その際にヨウに対する怒りが特に高まったと思しき場面でのみ通常のクーとは異なる瞳孔と服の紋章の描写が行われた。虹彩の境界が消失した目の描き方も、第32話以前ではこのコマのみしかない実物の服のXが上に膨らむ描き方も、喰い現貯める者と同一の描き方である。

まとめ

①第7話での拾人館への喰い現貯める者の襲撃はクーの制御下を離れた喰い現貯める者が自分の意思で行った

第7話の襲撃は拾人館の屋上で行われたため、もしクーが喰い現貯める者と感覚を共有させていたらヨウの居場所を知ることができたはずである。ヨウは襲撃後に拾人館へ戻り、エミリア救出の依頼を受けて拾人館に留まっている様子を喰い現貯める者から注視されてさえいる。しかしクーは急いで拾人館に向かうような素振りを見せておらず、ヨウの所在の情報も得ていない。

襲撃時はクーがまだマグメルにいたため距離が離れすぎていた、または因果限界を伝って空間的に不安定となっていたなどの理由で喰い現貯める者がクーの制御下を離れていたと考えるのが自然である。ヨウの落下後に追撃がなかったのは竜息穿甲弾の構造によって構造力が単独行動での限界に達したためと考えられる。「屋上で俺達を襲った現実構造者のエリンはあんたか」と問いかけられた際にクーが答えあぐねたのはクーが幻想構造者で襲ったのが幻想構造のためとも解釈できるが、襲撃のことを知らなかったためと解釈することもできる。

つまり喰い現貯める者は第7話の戦闘における大規模な構造やヨウを視界から逃さないようにするなどの複雑な駆け引きを自律的に行っていると考えられる。これは意思と読んで差し支えないほどの高度な判断能力を持つといえる。

実は喰い現貯める者に意思があると考えると、通常は仮面を被った状態、則ち正体を隠した状態だというのは示唆的である。襲撃時のシルエットのみしか確認できない状態の喰い現貯める者は一見これ以上ないほど正体を隠しているようでありながら、仮面を実質的に失うことでその正体をさらけ出した状態にある。

②喰い現貯める者がヨウを襲撃したのは並行世界のヨウである拾因に対して遺恨があるから

群青のマグメル

群青のマグメル

群青のマグメル

  ※拾因の一人称の翻訳は30話以降「俺」に修正

喰い現貯める者が初めて言語的な意思を発露させた際にまず呼んだのが拾因の名であり強い執着をうかがわせる。ヨウの名を呼んだのはインの次である。もしクーの意思が喰い現貯める者を通じて表れたというならクーが拾因よりもヨウを優先して探したのは不自然になる。また中文版ではクー自身が拾因をイン(因)と呼んだ場面はない。

喰い現貯める者がヨウに対して発したのは殺意や敵意に類する感情であるが、拾因の正体は並行世界のヨウである可能性が高く、そのヨウはその世界のクーと敵対する立場となっていた。更に拾因が自分のせいで家族を守れなかったと発言したことから拾因の世界のクーは拾因が関係して死亡したと考えるのが妥当であり、拾因の行動が直接の死の原因となった可能性さえある。

幼いクーがヨウと拾因を目撃した際に喰い現貯める者は拾因の正体に気付き、遺恨を深めたと考えられる。

そして仮面を被り正体を隠したのは喰い現貯める者だけではない。それは他ならぬ喰い現貯める者の本体であるクー自身である。

クーがマスクを被った状態でヨウと対峙して憤りを特に昂らせた際に、クーの目は虹彩の境界を失って喰い現貯める者と全く同じ描き方をされた。これは喰い現貯める者の怒りがクーの怒りを侵食した描写と解釈できる。さらにこの場面の1コマでのみ衣服の紋章が上に膨らむXとなっていた。俯瞰視点での遠近法による変形というのが表向きの理由だろうが、紋章が喰い現貯める者の構造物の証であるものに変化したということは、このコマにおいてクーは喰い現貯める者の怒りに完全に飲み込まれて支配・被支配の関係が完全に転倒させられてることを意味する。

この後クーはヨウからの攻撃の直撃を受けかけて一度頭を少し冷やし、ヨウと対峙し直した際には通常の描写方法に戻っていた。

結論 喰い現貯める者には並行世界のクーの魂が入っている

ヨウは異形のエリンから殺意をぶつけられたと感じたのは誤りであり、幻想構造を通じて旧友から参戦布告されたにすぎないと結論づけた。

しかしその結論こそが誤りなのではないだろうか?死して幻想構造というこれ以上ないほどの異形と化したエリン、それこそが喰い現貯める者の正体なのだ。ヨウは幻想構造とクーの気配が同じと感じたがそれも当然である。なぜなら喰い現貯める者の真実の姿とは、クーの構造力を食らい現れたもう一人のクーそのものなのだから。

 

でもこの仮説はただの考えすぎだと思います。

クーが幼なじみだと読者に気付かれないようにわざと省いた描写や、異形のエリン=双生タイタンというミスリードのための描写を都合のいいように拡大解釈しただけの仮説です。
それでももしゼロの背景についてもこの説に沿って考えるなら並行世界のゼロは死んでしまって3歩後ろの子供たちの6号になっているという仮説でも立てられるでしょうか。言動の端々や第10.5話の鍵探しと第33話の宝箱探しの対比関係から、第32話までのゼロの方が第33・34話のゼロより「大人」に思えはしますし、ゼロには構造物を通じて経験の継承があると考えてみるのも面白いかもしれません。

 

仮説通りの場合のダーナの繭編でのクーの行動

クーが喰い現貯める者にダーナの繭の種を監視させる  
極星社のスカイホエールがマグメルで遭難 1話
繭の種が喰い現貯める者と一緒にスカイホエールへ転移  
スカイホエールがクスク支部ヘ帰還 5話
種が萌芽してダーナの繭が完成 6話
喰い現貯める者が自己判断でヨウとゼロを襲撃 7話
クーが因果限界を伝ってダーナの繭へ到着する  
クーがエミリアの前に現れる 9話
クーがエミリアを認識する 11話
クーが双生タイタンから離れるためにクスク支部から移動 12話
因果限界の前でクーがヨウに対してエミリアを人質にする 19話
クーが喰い現貯める者を制御してヨウと戦闘 20話
クーとヨウの戦闘が終了 22話

引用

1 5話 20P 単行本第1巻(kobo版) 145P
2 24話 14P    
3 22話 18P (中文版・漫画行+)  
4 20話 10P 単行本第3巻(kobo版) 95P
5 11話 20P 単行本第2巻(kobo版) 109P
6 34話 11P    
7 21話 7P 単行本第3巻(kobo版) 112P
8 20話 10P 単行本第3巻(kobo版) 95P
9 20話 19P 単行本第3巻(kobo版) 104P
10 7話 19P 単行本第1巻(kobo版) 194P
11 8話 2P 単行本第2巻(kobo版) 7P
12 8話 3P 単行本第2巻(kobo版) 8P