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群青のマグメル~情報収集と感想

ウェブコミック配信サイト『少年ジャンプ+』で連載中の『群青のマグメル』を非公式に応援するブログです。

追想フラグメントの感想 ~命を賭ける 賭ける自分の命がある

2016/07/09 少々追加と修正

『追想フラグメント』は中国では『二想』という題で2013年の7月に発表されました。
日本語版ではカラー漫画から白黒漫画になり、設定の細部が変更されるなど、他の第年秒先生の作品の日本語版と同様にアレンジが加えられています。
『二想』は中国でもカラー漫画として公式配信されています。
http://www.buka.cn/detail/104026

中文版だと
主人公の名前は
梢(こずえ/きへん)二想(にそう)ではなく
稍(シャオ・shāo/のぎへん(意味は少しの時間))二想(アルシャン・èr xiǎng)*1
ヒロインの名前は
月(ゆえ)ではなく
念儿(ニェンアル・niàn ér)です。
二人の名前は「想」と「念」、発音が対になっています。

『二想』という題には主人公の二想が二つの想い・人格を持っていると言う意味があるのはもちろんですが、私はこのストーリーが二想と月(念儿)の二人の想いの話であるという意味にも受け取ることができるのではないかとも思います。

長安督武司以降の第年秒先生の作品としては珍しくアクション要素は殆どありませんが、その代わり心情表現や構図などの静的な演出に力が入っていますね。雰囲気もしっとりとしていてノスタルジックです。2Pの1コマ目は子供の二想に距離を置いて客観的に見せる構図で、このコマのモノローグも中文版では二想が自分をより客観的に説明する文体で、子供の二想に寄り添うというより眺めるような視点での演出がされることでノスタルジックな空気感が高められています。

中文版だと医者が説明したX型人格分裂症の副人格の一般的な出現回数は4回で、もしそれ以上があっても出現時間は殆ど無いということでした。だから最初の考察*2では二想の5回目は特別なことだという前提にしていたのですが、読み直してみると19Pの二想は出現時間は長くても2分程度だろうと感じつつも自分に最後の5回目があることを私が覚えていたより強く確信していました。なので4回目での中断というのはさほど重要でなく、回数で引っかかりを覚えないように9Pでの回数の修正があったのかもしれません。

そしてむしろ重要なのは頭痛の描写の方ではないかと考えを変えました。以下がその描写について抜き出したものです。

  • (月が二想の頻繁な頭痛を話題にしながらこの後の大事件の到来を予告する・3P)
  • 二想が1回目の出現終了の直前に頭痛を起こす・5P
  • 二想の両親が発症の直前にひどい頭痛を起こしていたと証言する・8P
  • (二想が3回目開始時に交代時には頭痛が起きると確信する・16P)
  • 二想が5回目の途中で頭痛を起こすが交代はせず、部下の胖哥から一想は脳のダメージのせいで頻繁に頭痛を起こしていると教えられて何かを思い付く・23P

  ※()内は日本語版では省略された描写

頭痛に関する言及は中文版では5回あり、いずれもX型人格分裂症の症状と頭痛が不可分のものであると印象に残るように描写されています。そして副人格である二想は完治されるべき病気(中文版では病毒)そのものだと周囲からみなされており、病気の症状の描写こそが二想の存在の描写でもあると読み替えることが出来ます。つまり二想は一想の脳に更に深刻なダメージを与えて頭痛をはじめとした症状が決して完治できないようにすることで、逆説的に病気である自分も消えないようにできるかもしれないと賭けて飛び降りたと考えてもいいのではないでしょうか。

飛び降りは一瞬文字通りの自殺行為に見えますが、二想が一想を道連れにしようとしたと考えるよりも、自分が存在し続けて月に会うために飛び降りたと読んだほうが2人の再会時の会話との繋がりが良くなります。ただ、もし失敗して「死んで」しまったとしても完治されて「最初からいないのと同じ」にされるよりはいいという意地はあったのかもしれません。また二想の決断は中文版では飛び降りる25Pで

来! 念儿!

(直訳:来い! 月ちゃん!)と呼びかけたり、ラストシーンの30Pで

念儿 你愿意认输吗?

(直訳:月ちゃん 負けを認めたくなった?)と問いかけたり日本語版より積極的な印象が強いです。
ちなみに31Pは中文版では二想の問いかけに対して月が

我愿意

(直訳:喜んで)と返答し、二想の想いに月が初めて向い合って応えるシーンで、こちらも印象が日本語版とは少し異なります。

全体的なストーリーについては、X型人格分裂症の現実離れ具合からも、月が最初の時点で二想について正確に把握しすぎている上に1、2年後の引っ越し*3を前提にしたような発言をしていることからも、二想と月の関係はある種の寓話的なものとして表現されていると考えるべきでしょう。ストーリーからテーマだけを切り離して語るのはあまり好きではないですが、どれだけ悪に染まっても少年の頃に持っていた純真な想いを完全に消し去ることは出来ないとかその手の話ですね。月の顔が描写されないのも具体性を超えた男性にとっての永遠の初恋の少女を象徴しているからだと思います。例えば具体的に顔を描いてしまうと白髪*4の老婆になった月の顔も描写しなくてはいけなくなり、寓意性が薄れてしまいます。

演出面では冒頭と最後の大樹の上から月が海を眺めるシーンの構図が素晴らしいのはもちろんですが、私が一番惹きつけられたのは二想が大樹の切り株を眺める中盤の場面です。11Pはほとんど動きや台詞が無いページで二想の大げさな感情表現もないのですが、構図やコマ運びの上手さと中文版では沈んだ色使いとで月と遊んだ大樹が既に無くなっていることの思いがけなさと過ぎた年月の大きさを知った焦りが見事に表現されています。特に2コマ目は手前に切り株がアップで配置されて広さの強調された空間にぽつんと取り残された二想の寄る辺なさが心に残ります。大樹からの眺めは二想と月の想いのシンボルとなるものであり、この場面でそれが消失していることは2人の想いの消失さえも予感させるものです。だからこそ最後に別の樹で二想がこの眺めをそのままに復活させることが、長い年月を経て表面上は変わってしまった二想と月であっても2人の想いだけはそのままに再び通い合うことを導くのです。29Pの台詞も中文版だと風景より月が美しいというより、この風景の中に月がいてこそ最高に美しい眺めになるといったニュアンスです。

『追想フラグメント』は第年秒先生の異色作のようでありながら、一方で幼馴染との別れと再会、自分の知らない自分、入れ替わりといった先生の好むモチーフもきっちりと取り入れられています。そしてバトル漫画でも十分に活かされている先生の心情演出の上手さに気が付くきっかけともなりうる作品であり、先生の魅力を様々な角度から確認できます。

以下に全体の流れと関係なく私が注目した点を箇条書きにしました。

  • 中国では日本の学校制服に当たるものが学校指定のジャージとなります*5。7Pなどで二想が着ているのがそれで、中校服を着ているのを見て二想は自分が中学生になったとわかったのです。
  • 二想から何度も胸を揉まれている人は胖哥(でっかい兄貴の意*6)と呼ばれていて、近所の不良少年のボスであったようです。7Pの二想が顔を怪我をしているのは誰かに殴られたためだと示唆されており、胖哥をはじめとしてこの頃から既に一想の交友関係は不良化しつつありました。
  • 24Pで胖哥が照れているのはこれから自分の両親を頼むとも言われたのをプロポーズと勘違いしたからです。二想には可哀想ですが、一想は一想でヤクザとして成り上がったり胖哥のような舎弟がいたりと読者から見る分には面白そうな人生を送っていますね。

*1:中国語のerの発音はェ゛ァー(そり舌)の方が近いのですがやや人名にはそぐわないので慣習的な表記であるアルの方にしました。

*2:以下に簡易感想時の時の文をそのまま載せます。「4回目は最後の希望だと思って人質まで取った。二想の5回目は4回目が脳の銃撃で中断されたことも重なって発生したイレギュラー。6回目の発生に賭けて5回目を再び中断させるために飛び降りた。」

*3:隣の家の引っ越しは2回目の出現の2年前ですが、二想は中文版では1回目と2回目は3、4年程度時間が飛んだと感じています。また両親は隣の家の月の話をされた時に若干訝しげな反応をし、隣の家が引っ越したとは言っても月については触れていません。そして月は二想の近くにいたことが描写されているので、実は月は引っ越しておらず隣の家の人間でもない可能性があります。

*4:白黒版だとややわかりにくですがカラー版だと最後は月も明確に白髪になっています。

*5:近年はおしゃれな制服を採用する学校も出つつあるようです。

*6:中国語ではドラえもんジャイアンは胖虎と訳されます。