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『屍者の13月』第10話感想 ~山の外へ

第10話 千年の世界 24P

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白小小は村の大人たちを殺害し、村の子どもたちに刺し貫かれましたが、かろうじて生きています。高皓光は彼女を救おうとします。

山の中の価値観

第8話でも第9話でも、高皓光は村人を助けるためというよりも白小小に罪を背負わせないために彼女を止めようとしていました。その懸念どおり、村の大人たちを皆殺しにした白小小は生きる希望を失ってしまいました。見てみぬふりをした大人たちを殺害したことはまだしも、何も知らない子どもたちを傷つけてしまったことに対する後悔が強いようです。

初対面の時から両親を生贄にされ絶望していた白小小でしたが、第6話では山の外の世界に興味を持ち、生きることに前向きになってくれそうでした。それだけに必要以上の殺人を止められず、再び生きる気持ちを失わせてしまったことには、やるせない気持ちになります。

山の中の世界である黒山村では、この一年白小小にとって辛いことばかりが起きました。

村人は醜悪に自分たちの利益を追求し、弱い立場にあった白家を進んで生贄として差し出すか、あるいは見てみぬふりをするかしました。自分たちだけの命を守ろうとしたのです。最近も白小小が子どもに懐かれていた様子を見れば、第6話で自ら語ったようにかつては白家と村人がうまくやっていたというのは本当なのでしょう。しかしだからこそ許せない思いがあるはずです。

三眼は千年以上を隔てて黒山村に現れ、死の恐怖で村人の悪性をむき出しにさせました。白小小の両親を食い殺したのも三眼です。白大の子孫は食べないというルールは村人の知りようがなかったものですが、それに反する生贄が捧げられたことで結果的に村人を死へ導きます。「借りは必ず返す」というモットーを守り、村人は直接殺さず、ルールに反して恩人の子孫を食べてしまった借りを返すため白小小に敵討ちをさせました。白小小に力を授けて自らも死にましたが、彼女の未来や命を守ろうとしませんでした。三眼が守りたいのはあくまで自分の美学ですべてをコントロールできている状態です。三眼は命を積極的に踏みにじらないかわりに関心も薄く、自分の命でさえも美学のために捧げます。

この両極端な二者に挟まれて白家は犠牲となりました。

まだ山の中にいる子どもたち

白小小が村の子どもたちを殺さずにいてくれたことはせめてもの希望かもしれません。高皓光によれば子どもたちは伝教師に保護してもらえるだろうとのことです。ただ子どもたちを数百人の死体が転がる山中に置き去りにするしかなかった点は後味が悪いです。心情を考えればやむを得ないとはいえ、高皓光たちは子どもたちに直接銀票を渡さず、助けについての説明をちゃんとしたようでもなく、ぶっきらぼうに接してしまいました。子どもたちは親しかった近所のお姉さんに家族を殺され、自分もそのお姉さんを殺してしまっています。これから乗り越えなければならない苦労が多く待ち構えているでしょう。親の仇を討てたことがせめてこの時代にあっては前向きに働いてくれることを期待します。

白小小は村の子どもたちを生かして白家が滅びることですべてを終わらせようとしました。先祖の借りを子孫に返させるという古く悪しき理を超え、村の人間や三眼を超えたことになるのかもしれません。しかし黒山村に関わった者すべてが消えない傷を受けてしまい、特に西暦525年の人間同士の争いでも先に被害者にされた白家の人間が最後の負債を引き受けさせられたことには理不尽を感じます。西暦1906年時点の世の理では、まだどちらかが滅びることでしか復讐の連鎖は終わらないのでしょうか。あるいは時代を変えるためにはやむを得ない理不尽の存在を認めるしかないのでしょうか。

山の外を見た白小小

高皓光は閉じられた古い世は終わり、開かれた新しい世が来ると白小小を慰めます。この時代は社会進化の可能性を純粋に信じられた時代であり、その流れに乗らなければ世界の弱肉強食の圧力に押しつぶされてしまった時代でもあります。黒山村の悲劇が運命で操られた結果というのなら、やはり関わった全員が運命の被害者なのでしょう。西暦1906年では同月令に選ばれた高皓光のみがこの流れを変える可能性を持っているようです。

3人が夜の山の中から出て、大地に広がる朝日を眺めるシーンはとても美しかったです。思わず胸が熱くなりました。運命に選ばれた人間である高皓光が、法術や屍者よりも誰でも使える科学技術のほうが不思議で世界を変える力があると白小小に語ってくれたことも素敵でした。技術の進歩が人間の格差を解決できると信じることは破壊と再生の起きる時代の希望であり、慰めでもあります。現実的に考えるとこの後も動乱の世は続きますが、せめて西暦2020年で高皓光の日記を読んでいる少年の住む場所ではここまでの悲劇が起きないことを祈りたいです。

運命の外とは

村の事件では手遅れになったとはいえ、高皓光は白小小を必死に救おうとし、因果に抗おうとしています。しかし高皓光の因果や運命に対する知識は不十分です。黒山村では姜明子の助けを期待していましたし、現在は悲劇の発端である西暦525年の事件が起こらなくなることをどこかで期待しています。しかし第2話や今回の姜明子の独白によればすでに起きた因果は変えられません。現在の人間を救うため明日以降に西暦525年の人間へ準備を頼むというのも、そもそもが可能な手段なのか不明です。こうした知識は姜明子なら持っているはずですが、現状はまともな情報交換が行われていません。

運命に選ばれた人間である高皓光が熱血な正義感を持っていること、それは確かな希望であるはずです。しかし黒山村の事件ではその熱さが空回りするばかりです。運命が導いた試練なのでしょうが、辛い展開が続きます。白小小を救おうとする行為の結末にも正直嫌な予感が拭えません。白小小はすでに三眼による即物的な開放の誘いに乗って惨劇を引き起こしてしまった自分を知っています。高皓光による本当の開放の誘いを受け入れてくれるでしょうか。ですが西暦1906年が多大な犠牲を支払ってでも進まなくてはならない時代なのだとすれば、どんな結果になろうと受け止めるしかないのかもしれません。