群青のマグメル~情報収集と感想

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群青のマグメル第42話感想 ~拾人者の歩む道

第42話 出会い 20P

『群青のマグメル』第4巻が7/4(火)に発売されました

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 ゼロの過去は「超能力者・超人の悲哀もの」として必要な要素が的確かつ王道的に押さえられていて、短いながらも胸に迫る描写となっています。揺るぎない表現力と積み重ねられたゼロというキャクターに対する愛着とが、定石的であるが故のストレートな切れ味を高めています。6P1コマ目の天井と設備の描く曲線の悪夢的な効果と7P1コマ表情が示す闇はとりわけ強い印象を残します。また読者にとっては当然となりつつあった構造者というものがやはり異端の存在であることが再提示されます。

こうした酷薄で弱肉強食な『群青のマグメル』の空気感の中で活きるのがヨウの空気の読まなさです。どんな状況でもどんな出自の相手でも普段と何の変わりもなく接せるという常人離れしたヨウのマイペースさは、単に身体能力や構造力が高いこと以上に今回だけでなく今までも多くの相手の救いとなってきました。こうした資質こそが優れた拾人者の能力でもあるのでしょう。ヨウを慕い続けたゼロとの想いが理解できるようになった時に、私たちもヨウという人物の魅力を改めて感じることが出来ます。そしてヨウに拾われたことがゼロへの救いであったように、ヨウにとってもゼロを拾ったことは拾人者へ進むことを決意させる最終的なきっかけとなり人生の転機となったのです。ヨウの初めての拾人者としての仕事の相手こそがゼロでした。

その一方で改めて描写されているのが、ヨウの強さと価値観の恐ろしささえ抱かせるほどの人並み外れぶりです。ゼロに死を感じさせた強大な怪物を本能的に従わさせる程に強力で、無情な大人を一切の呵責無く打ち倒す、そんな12歳前後の少年であったヨウ。普通ならばやっと小学校を卒業したかどうかの年齢らしい顔立ちの幼さと、敵と見なした相手へ向ける態度と眼差しの冷淡なまでの老成。今回の乾ききった眼差しと「人を人として扱わない奴は… もう人とは呼べないね」という台詞で思い出されるのが、第4話でクリクスの兄と対峙した時の姿です。その時にヨウは皮肉にもクリクスの兄から「本当に人間か!?」と毒づかれてもいました。今回は意図的に殺害するほどには激怒していないでしょうが、ヨウは彼が必要だと判断した時には我を忘れずとも人を殺す判断ができます。できてしまうのです。ヨウは拾因に出会う前には既に人を殺したことがあったのかもしれません。いつもは明るく振る舞うヨウだけに、ふと覗かせる深淵には心から肝が冷える心地がします。そして物悲しくもさせられます。ただ、ヨウへ向けられる「人間離れ」しているという評価とは、逆説的に彼が紛れもなく人間だということを物語ってもいます。本当の化物にはわざわざ人間でないと見なす必要などありません。拾因が最後に拾った人間こそが、最後の拾人者としての仕事の相手こそがヨウでした。

最後の場面でヨウは5年前にゼロと出会ったときと同じように2人でこの先へと続く道を進んでいきます。ヨウにとっては5年前だけでなくそのさらに5年前、拾因と出会って共に歩むことになった時を思い起こさせられるような道のりであるのかもしれません。ゼロにとっては5年前よりもむしろ一時的に先取りした5年後とそのさらに5年後が気になる道のりであるようです。そして2人に未来があるならば、ヨウが主人公として彼の素質を十二分に発揮していけるのならば、この先も「5年後」は何度でも訪れて何度でも共に踏み越えていけるはずです。

 

今回少々勿体無いのが日本語版だとゼロのヨウへの呼び方が「ご主人」になってることで「主様」からの変化があまり意味のないものになってしまっていることです。中文版での呼び方は「少爷(坊ちゃん・ボンボン)」なので、単なる主従関係・隷属関係から開放されたことがはっきりしてるはずです。お金持ちっぽくて好ましいというヨウの言い分もよりしっくりきますね。