群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

ファミリーゲーム第3話感想 ~次女もヤンデレそして主人公の挫折

ROUND3 19P

次女の二海はS気質のわかりやすい一や四乃と違って天然ボケ気味の性格ですし、願いも世界平和と3人の姉妹の中では一番いい子であるように見えます。三月もそう思っているのですが、自分の正義を実現するために暴力を厭わない点はあっけらかんとしているのがかえって恐ろしささえ感じさせます。三月を守ってくれるのもむしろ意識させずに独立心を奪うという意味では「強い男になる」という願いの一番の敵になりかねません。世界平和の願いも三月を自分の庇護下から出さないようにするためという側面がありそうです。反感を抱きにくい分こういう相手こそ厄介ですね。

最も反感を抱いている相手である一に対しては時間停止の異能で人形を奪う決意ができた三月ですが、失敗に終わった上に三姉妹の激突の場からも何もできないまま逃げ出してしまいます。前回の引きでは自信満々だったことあってこれは辛い展開です。その後もたった3秒時間を停止させるだけでは解決できない状況が立て続けに起き、自分の根本的な弱さを付き付きられて三月の心は折れてしまいます。確かに能力バトルもので時間停止の能力者というのは能力自体には攻撃力がない分優れた身体能力も持つ場合が多いですね。異能があっても持ち主がそれを活用できなければどうしようもないということです。助けようとしたはずの女性に逆に心配されて優しい言葉をかけられる場面は心底惨めになる気持ちがよくわかって見ていていたたまれなくなりました。前回いじめられる三月を見るのは楽しいとか思っていたのが申し訳なくなるくらいです。

しかし人形を奪うのには失敗したといっても二海の横槍が無ければ成功していた可能性が高いですし、二海から人形を奪われるのは回避できたという点では結果的に時間停止を活用できたわけで、三月が全くの無能ではないということはきちんとフォローが入っています。何よりも父親の御堂が圧倒的な破壊力の異能を発揮する遥に対して食い下がりながら言った「夢のためなら 男は強くなれるんだ!」という言葉が今後の三月の再起を予感させるものになっていることで、今回の挫折もただ盛り下げるのでなく、むしろ燃える展開への期待に繋がるものにしているのは見事です。この場では二人の迫力に気圧されてしまった三月ですが、立ち向い続ける父の姿の意味を理解できる時はすぐに来るはずです。それにしても実に格好良い台詞と演出の御堂ではあるのですが、その夢というのが家族全員の性転換なのを思い出すと落差がひどくて笑えてしまう部分もありますね。女になるつもりなのに男の夢とか言ってるのは高度なギャグなのか何なのか…。詳しい事情が早く知りたいところではあります。

『ファミリーゲーム』は全編お気楽な感じで進みそうだと思っていたので今回のシリアスぶりは少々意外でしたが、弱い自分への苦悩、特にバトルものでのあるはずの資質を活かせずにいる不甲斐なさというのは第年秒先生の作品ではよく出てくる問題であり、思い入れのあるテーマなのかもしれません。『群青のマグメル』でも広少年の描写は短いながらも記憶に残るものでしたし、『長安督武司』では中盤以降重要さを増していく李軽塵(李轻尘)がまさにこの問題を体現した人物でした。余談ですが李軽塵は私が『長安督武司』で一番お気に入りのキャラクターです。第年秒先生の王道少年漫画らしい要素を揃えながらもビターさのある作風は、脳天気になりきらない、あるいはなりきれない価値観をいい意味で反映しているように感じます。

ファミリーゲーム第2話感想 ~末妹はヤンデレ

ROUND2 19P

前回は今までのマグメルと同様にほとんどの背景も人物と近いペンタッチと立体の捉え方でしたが、今回の背景は違った描き方の部分がかなり増えていますね。アシスタントが増強されたようで何よりです。

 

 「四乃にいじめられて困ってるお兄ちゃんが大好きなの!!」

 四乃が三月を女の子にしようとしているのは弱いままでも構わないようにするため、というところまでは予想できていたのですが真の動機がここまでヒドイとは予想外でした。いやあ、実にヒドイですね。強い男に憧れているからこそ女の子にして辱めたいというのは歪んでいますが理にかなっています。自分だけがいじめるために守りたいというのもねじ曲がった独占欲がビンビンです。

かなりぶっ飛んだ四乃の動機ですが、読者としても四乃にいじめられる三月の反応の面白さを見ているとつい説得力を感じてしまいます。期待を裏切らないストレートな失敗ぶりや、スレたりせずに全力でリアクションする姿を見ていると確かに楽しくなってきてしまいます。圧巻なのが11Pの困っている表情集ですね。表情の一つ一つが「生き生きとした」困惑に溢れていてその場面ごとの細かいニュアンスまで伝わってくるようです。上段中央の涙ぐんでいる顔もいいですが、右上隅のどん引いている顔もなかなか嗜虐心がそそられます。

四乃から長女の一が三月を助けたのは自分が人形を奪うためだけでなく、一も三月をいじめていいのは自分だけと考えているからというのがありそうな感じですね。一は目的の世界征服といい露出全開の格好といい乱暴な悪の女幹部風のキャラ立てなのはわかりやすいですが、四乃のインパクトが絶大な分、一も面白い内面が暴かれるのを期待したいです。

一と四乃のバトルに巻き込まれて大ピンチな三月ですが、上手くやればまさに漁夫の利が狙えそうな状況でもあります。主人公としてはここで「男を見せる」活躍をして欲しいところです。

 

  • 家族全員のコスチュームについている「*」の模様のついたポシェットのようなものはなんだろうと思っていたのですが、これが異能の人形を装備するホルダーなんですね。一は左腰に、二海は右腰に、三月は右太ももに、四乃はショルダーバック風に左肩から右後ろに回して、母親は左腰に、父親は左尻のあたりに身に着けています。人形が奪われたら異能が使えなくなるのは間違いないとして、もし人形を奪い返したら異能も戻ってくるんでしょうか。だとすると駆け引きの幅も広がりそうですが、話数的にその辺りに触れることはなさそうです。
  • 3Pの台詞は右上から一、四乃、二海、遥、御堂ですね。

ファミリーゲーム第1話感想 ~バトルロイヤルのお膳立ては十分

ROUND1 50P

『ファミリーゲーム』は第年秒先生が初めて日本の集英社から直接の依頼を受けて執筆した作品となります。なのでもし今後中文版が発表されたとしても、オリジナルは日本語版の方と考えた方がいいでしょう。登場人物も最初から日本人として設定されているようです。現代中国を舞台にすると緩和されたばかりとはいえ一人っ子政策のせいで少数民族や特殊な事情がないと兄弟がいる設定にできないんですよね。ちなみに第年秒先生は四兄弟が主役格の漫画として、舞台が中国唐代の『広武威衛局』という作品も以前執筆しています。

これはジャンプ+編集部からの依頼ということでジャンプ+の色に合わせたデスゲーム風のバトルロイヤルもの(但し死人は出ない)ですね。短編などでは実験性の高い作品を描くこともある第年秒先生ですが今回はエンタメ方向に振り切った作品になりそうです。全5話の短期集中連載、しかも連日更新ということもあって疾走感の溢れる内容が期待できます。

 

「三月お兄ちゃんをお姉ちゃんに… 女の子にしてください!」

願いを叶える力をめぐるバトルロイヤルものとは言っても、相手は家族でしかも全て人形を奪うだけでいいということで気軽に読めても緊張感には欠けそうと思うやいなや、四乃のとんでもない爆弾発言です。しかも両親も三月を女の子にする願いを宣言してしまいます。もしかしたら母親はあえて三月に発破をかけていると取れなくもないのですが、父親と四乃は間違いなく本気です。これはもう是が非でも主人公である三月が勝ち抜くしかないと読者にも納得できる一方で、バカバカしくて笑えてしまうというエンタメとしてよく出来たネタです。冒頭から一貫している三月の強い「男」になりたいという思いがこれ以上なく本気で実現するべき「願い」として『ファミリーゲーム』の中心となりました。

全5話ということでバトルロイヤルものとして必須の登場人物の人柄、願い、異能を含む技能の全てが第1話のうちにテンポよく描写されています。長編の場合はこれらの要素を解明していくことも面白さの1つになりますが、『ファミリーゲーム』は主要人物が全員家族ということもありますし、手の内がわかった上での駆け引きに絞るのは正解でしょう。

この回で三月の次に描写が多いのは初めにバトルする相手となりそうな四乃です。一見ロリロリしくて内気とおもいきや、いきなり三月の恥ずかしい動画をネットに拡散させたりとネジの飛んだことをしでかし、その後もイイ性格なのをうかがわせながら終いにはあの発言です。授受時は魔法少女風の演出でごまかしていましたが、人間を獣にしてその主人になるという異能も相当にエグいです。ラスト5ページはその禍々しさが余すことなく表現されています。他者を傀儡にするという異能は子役として普段から不特定多数のファンの上に立つ四乃だからこそといった感じですね。余談ですが、26Pの背の低い四乃が人形を取るために椅子を取ってきてスリッパを脱いで裸足になり、スカートから生脚を覗かせつつ椅子の上に立つという描写がどことなくフェテッシュです。ことさら強調されていないのに妙にロリータさと生脚が印象に残ります。

 

その他

  • 家族のコスチュームはそれぞれ異能の内容を反映したものになってるだけでなく、四兄弟には胸の部分に生まれた順番もデザインされています。わかりやすいのは第三子の三月の3S(3秒)と第四子の四乃の左胸の4つのつぼみですが、第一子の一も谷間の1つの穴、第二子の二海も両胸に2つのエンブレムがあります。
  • 三月の異能が時間停止だということで、異能の授受の35Pと同じ見開きの34Pに父親が男をやめるなどと言いながら石仮面を持っているという『ジョジョの奇妙な冒険』のディオのパロディがあります。それぞれ「ザ・ワールド」ネタと「おれは人間をやめるぞ!ジョジョ──ッ!!」ネタですね。
  • 個人的には変身後のコスチュームも含めて一番外見が好みなのは母親の遥です。可愛い目の絵柄なのに上手く加齢が表現されていてなおかつ妖艶さも感じさせます。変身前のトップスが横縞でゆったりした長袖なのも巨乳さを強調しつつあえて隠すという芸の細かいポイントです。変身後は一転して上半身がタイトなノースリーブになるのもいいですね。下半身は裾のたっぷりしたロングスカートで念動力による浮遊感を表現しつつ脚のチラリズムも目に楽しいです。

群青のマグメル 第22話振り返り感想 ~解明された謎と新たな謎

第22話 幻想の閉幕 26P

原題:在空想消失之前(直訳:空想の消失する前に)

ダーナの繭編の最終話です。クーとヨウの過去が明かされ、今まですっきりとは理解できなかった事柄の多くが納得できるようになります。

まずは前回のヨウとクーの対峙を受けての2人の対決があります。クーのミサイルの構造による攻撃が左下へ向かう読者の目線移動と一致して、勢いに乗って描写されます。それに対するヨウの巨大な遍く左手が目線移動と完全に正対した方向での迎撃体制に入ることで、勢いが滞ることなく正面対決への期待が高められて次の見開きへと移ります。その後のコマでカメラの位置が変わっても双方の進行方向は維持されたままスピード感と緊張感のある演出が続きますが、ヨウはミサイルとの激突をあえて避け、遍く左手を縮小させて喰い現貯める者を直接攻撃することでその無力化に成功します。ヨウの全力とは力押しではなく、頭の回転の速さと特異な構造を制御しきる技量だということがよく表れています。

ここでヨウはクーの背後から遍く左手で反撃を図るのですが、先ほどとは正反対に遍く左手の左下へ向かう勢いに乗った正拳が、生身のクーの掌に真っ向から受け止められてしまいます。ヨウが全力を出せていないのは間違いないとはいえ、トン単位の威力を出す遍く左手を余裕で受け止めるのですからクーの身体能力は計り知れません。遠隔攻撃が得意というと日本の能力バトルものでは接近戦に弱く設定されがちですが、クーの場合は単純なパワーだけなら遠近ともに隙がありませんね。この短い激突で搦手に優れるヨウとストレートに戦闘力の高いクーという両者の特性が端的に表されています。

そしてマスクが外れてヨウがクーの正体に思い至り、因縁が明らかになった上での絶望的な第二ラウンドを読者が予想してページをめくっていくと、クーがヨウの手当をしているという意外な展開が待ち受けています。読者もゼロとエミリアの驚きに思わず共感してしまいます。ですが2人を納得させるためのヨウからの説明があり、クー視点でのヨウに振り回された過去の告白もあって、読者にもダーナの繭編でのクーの行動や動機がすんなり飲み込めるようになります。また繭事件での要救助者を連合国が見捨てたことを匂わせて人間同士での不協和を見せてから、エリンであるクーが生存者の居場所をヨウに教え結果的に救助の手助けとなることで、人間対エリンという単純な対立関係は一面的なものにすぎないことが明示されます。これらの描写によりクーの仲間入りが読者にも抵抗なく受け入れられます。

クーとヨウの関係は『群青のマグメル』の今後のストーリーで重要な焦点となっていきそうですが、この時点でのクーの仲間入りの意味として大きいのはヨウと対等な視点を持つ仲間が初めて表れたことです。幼少期をはじめとした過去がかなり解明されたことも含めて、ヨウの歳相応で人間らしい面の描写がぐっと増えていきます。回想での幼いヨウとクーがとても子供らしくて可愛いのも素晴らしいですね。

また拾因を信じきってその行動に疑問を持たないヨウに対して、クーの拾因をより客観的で否定的に考える視点が入ることも重要です。拾因はヨウにさえ明かせない目的を持って行動しており、多少は正体の推察ができるようになった現在でも謎のほうが多い人物です。今回でクーの素性が明らかになったかわりに、クーの視点で明確化した拾因の謎が今後の展開を牽引してく要素の1つになります。ヨウとクーの会話で拾因が現実構造上での幻想構造の効果の永続を試みていたと中文版では明らかになったことも、今後の布石となることが予想されます。また拾因の目的の1つに贖罪があるという情報も出てきますが、ダーナの繭の市街地での出現に関与したという疑惑が事実なら一般人の死者を大量に出すことを想定していたということになり、拾因が「誰」に贖罪するために「誰」を犠牲にするつもりかということは気に留めておいたほうが良さそうです。

ダーナの繭編の最後のページでは訳知り気に拾人館の面々を見つめる人物が何度かの登場をします。この謎の人物はこれまでの話の流れとヨウを知っていそうな人物ということで拾因かとミスリードさせられますが、神明阿アミルという正体とヨウとは直接の面識がないという事実がわかってから読むと、別の謎が生じてきます。神明阿アミルが語っている「相変わらず」勘の鋭い「拾人館」の人物が誰なのかということです。おそらく黒い瞳のヨウ、つまり拾因のことではないかと思うのですが、だとすれば神明阿アミルはいつ、どこで、拾人館を営んでいた頃の拾因を知ることが出来たのでしょうか。

群青のマグメル 第21話振り返り感想 ~ヨウの強さ

第21話 未完の過去 20P

原題:最后的空想(直訳:最後の空想)

この回ではヨウが善戦はしつつも事前のダメージのせいで一方的に追い詰められ、クーの戦闘能力の高さが読者に印象付けられます。喰い現貯める者は現実構造なら構造が起こした現象からでも吸収ができるということで、まさに現実構造者の天敵ですね。大量の銃火器やミサイルの構造物も現実構造者との戦いで収集していったのだと考えると相当に場数も踏んでいることがうかがえます。おそらく相手は黒獄小隊でしょうか。

ただこの回で本当に重要なのはそんな勝ち目のなさそうな相手でも諦めず活路を見出そうとするヨウの姿勢のほうですね。最後の構造もただ力を振り絞っただけでなく、作戦を立てた上で立ち向かったことが次回わかります。流石にこの場合はクーが本気だったら対抗しようがありませんでしたが、普段ならばどんな相手でも勝てはしなくとも死にはしないだろうと思わせてくれるいい意味での往生際の悪さが単に優れた構造者であることにとどまらないヨウの最大の強さです。

戦闘能力といえば第29話から本格登場となる黒獄小隊のあの3人もこの回で登場してその実力の一端を見せています。ヨウが相当に傷めつけたとはいえ、通常の軍隊では歯のたたない双生タイタン相手に余裕の態度さえ取って三重合構という能力で圧倒したようです。神明阿一族がこの先ヨウたちの前に立ちはだかるであろうことを考えると、この3人はなかなかの強敵となりそうです。

この回のヨウ対クーは命の掛かったバトルと読者に見せかけて実は違うわけですが、違うと知って失った分の緊張感を差し引いても、2人の事情がわかった今に読んだ方が素直に駆け引きが楽しめますね。何せ初めて読んだ時はバトル自体は迫力を持って描かれているのに、いかにも因縁のある敵であるはずのクーの事情がよくわからずにもどかしい部分があったものです。それも次回のオチを知ればすぐに腑に落ちる点ではあるのですが。

この回は次回のオチに向けての説明や布石の意訳が多いのですが、意訳が上手く機能している回だと思います。「ヨウ(又)」の呼び方などのどうしても中文版のニュアンスが伝えにくい部分を別の形で補えています。この回で明らかになった「喰い現貯める者(クラウド・ボルグ)」というクーの能力名もよく考えてあるアレンジですね。アイルランド神話用語と能力の性質がきちんと織り込んであってこだわりを感じます。元の中文版ではクー・ヤガ・クランの名前が牙牙格双魄で能力名が真实收割者です。こちらも「双魄」(魂魄がふたつ?)の部分や「真実の収穫者」(現実構造を収穫する能力だがあえて真実という言葉を使っている?また「收割者」とは一般に魂の収穫者である死神のことを指す)という意味の能力であることが深読みできそうで、色々と考察したくなる名称です。

群青のマグメル 第20話振り返り感想 ~キャラクターの能力の個性

第20話 現と幻 20P

原題:空想之幻(直訳:空想の幻)

ダーナの繭編ラストバトルのヨウ対クーです。このバトルでのクーには変なこじつけが出来そうな描写もあるのですが、とりあえずそれ抜きでの感想です。

第7話で拾人館を急襲した異形のエリンの正体が人型の幻想構造だったと判明し、その本体かつ特別性が何度も強調された聖国真類だということで、クーの敵としての格の高さが十分示されます。しかもエミリアを人質に取られた上に目の前で危害を加えられた(加えるふりをされた)ことで撤退はできずこの場で立ち向かうしかないと明確になり、ラストバトルのお膳立が完全に整えられた状態となります。

ちなみに第20~22話でヨウが「エミリア」と口に出して言う部分のほとんどが中文版では「客人(お客さん)」となっており、ヨウが個人的な知り合いを助けようとしたというよりも拾人者として救助対象者を助けに来たという印象が強いです。前回ヨウが拾人者をしている動機を話したことを受けて、ヨウが自分の仕事に文字通り命懸けのプロ意識を持っていることを示す場面ですね。読者としては救助対象者がよく知っているエミリアである方が盛り上がりますが、ヨウは仮に全く知らない人が対象者でも必死に助けようとしたのでしょう。

 クーの幻想構造である喰い現貯める者はゼロによると一応は独立しての戦闘もできるそうですがヨウのような実力者と戦えるほどではなく、基本的には銃火器などの構造を出現させる際の仲介として利用されています。クーは能力上あまり動かずに遠距離から敵を攻撃できますが、動かずに敵を圧倒するというのは中国でも武侠ものを中心として伝統的な強者の描写であるそうです。日本においては山田風太郎をはじめとする忍術ものが能力バトル漫画に大きな影響を与えていると言われるように、中国では武侠ものの伝統である気功で触れずに相手を吹き飛ばす、法力による怪光線、御剣術といって氣で空中に多数の剣を浮かせて飛ばす攻撃法などの魅せ方が今時のバトルものでも取り入れられていると言います。クーの能力はこうした伝統的で派手な魅せ方と現代中国で定番のミリタリー要素の両方が、日本の少年漫画的な能力バトルに組み合わされています。

対してヨウは銃火器系の現実構造はあまり持たず、香港アクション映画風の体術や頭脳面での活躍が中心で技巧派な印象がありますね。今回も一旦はクーの大火力に追いつめられますが、因果限界を遮蔽物として利用して背後から燃料車構造で攻撃を図るという機転を発揮してくれます。

追想フラグメントの感想 ~命を賭ける 賭ける自分の命がある

2016/07/09 少々追加と修正

『追想フラグメント』は中国では『二想』という題で2013年の7月に発表されました。
日本語版ではカラー漫画から白黒漫画になり、設定の細部が変更されるなど、他の第年秒先生の作品の日本語版と同様にアレンジが加えられています。
『二想』は中国でもカラー漫画として公式配信されています。
http://www.buka.cn/detail/104026

中文版だと
主人公の名前は
梢(こずえ/きへん)二想(にそう)ではなく
稍(シャオ・shāo/のぎへん(意味は少しの時間))二想(アルシャン・èr xiǎng)*1
ヒロインの名前は
月(ゆえ)ではなく
念儿(ニェンアル・niàn ér)です。
二人の名前は「想」と「念」、発音が対になっています。

『二想』という題には主人公の二想が二つの想い・人格を持っていると言う意味があるのはもちろんですが、私はこのストーリーが二想と月(念儿)の二人の想いの話であるという意味にも受け取ることができるのではないかとも思います。

長安督武司以降の第年秒先生の作品としては珍しくアクション要素は殆どありませんが、その代わり心情表現や構図などの静的な演出に力が入っていますね。雰囲気もしっとりとしていてノスタルジックです。2Pの1コマ目は子供の二想に距離を置いて客観的に見せる構図で、このコマのモノローグも中文版では二想が自分をより客観的に説明する文体で、子供の二想に寄り添うというより眺めるような視点での演出がされることでノスタルジックな空気感が高められています。

中文版だと医者が説明したX型人格分裂症の副人格の一般的な出現回数は4回で、もしそれ以上があっても出現時間は殆ど無いということでした。だから最初の考察*2では二想の5回目は特別なことだという前提にしていたのですが、読み直してみると19Pの二想は出現時間は長くても2分程度だろうと感じつつも自分に最後の5回目があることを私が覚えていたより強く確信していました。なので4回目での中断というのはさほど重要でなく、回数で引っかかりを覚えないように9Pでの回数の修正があったのかもしれません。

そしてむしろ重要なのは頭痛の描写の方ではないかと考えを変えました。以下がその描写について抜き出したものです。

  • (月が二想の頻繁な頭痛を話題にしながらこの後の大事件の到来を予告する・3P)
  • 二想が1回目の出現終了の直前に頭痛を起こす・5P
  • 二想の両親が発症の直前にひどい頭痛を起こしていたと証言する・8P
  • (二想が3回目開始時に交代時には頭痛が起きると確信する・16P)
  • 二想が5回目の途中で頭痛を起こすが交代はせず、部下の胖哥から一想は脳のダメージのせいで頻繁に頭痛を起こしていると教えられて何かを思い付く・23P

  ※()内は日本語版では省略された描写

頭痛に関する言及は中文版では5回あり、いずれもX型人格分裂症の症状と頭痛が不可分のものであると印象に残るように描写されています。そして副人格である二想は完治されるべき病気(中文版では病毒)そのものだと周囲からみなされており、病気の症状の描写こそが二想の存在の描写でもあると読み替えることが出来ます。つまり二想は一想の脳に更に深刻なダメージを与えて頭痛をはじめとした症状が決して完治できないようにすることで、逆説的に病気である自分も消えないようにできるかもしれないと賭けて飛び降りたと考えてもいいのではないでしょうか。

飛び降りは一瞬文字通りの自殺行為に見えますが、二想が一想を道連れにしようとしたと考えるよりも、自分が存在し続けて月に会うために飛び降りたと読んだほうが2人の再会時の会話との繋がりが良くなります。ただ、もし失敗して「死んで」しまったとしても完治されて「最初からいないのと同じ」にされるよりはいいという意地はあったのかもしれません。また二想の決断は中文版では飛び降りる25Pで

来! 念儿!

(直訳:来い! 月ちゃん!)と呼びかけたり、ラストシーンの30Pで

念儿 你愿意认输吗?

(直訳:月ちゃん 負けを認めたくなった?)と問いかけたり日本語版より積極的な印象が強いです。
ちなみに31Pは中文版では二想の問いかけに対して月が

我愿意

(直訳:喜んで)と返答し、二想の想いに月が初めて向い合って応えるシーンで、こちらも印象が日本語版とは少し異なります。

全体的なストーリーについては、X型人格分裂症の現実離れ具合からも、月が最初の時点で二想について正確に把握しすぎている上に1、2年後の引っ越し*3を前提にしたような発言をしていることからも、二想と月の関係はある種の寓話的なものとして表現されていると考えるべきでしょう。ストーリーからテーマだけを切り離して語るのはあまり好きではないですが、どれだけ悪に染まっても少年の頃に持っていた純真な想いを完全に消し去ることは出来ないとかその手の話ですね。月の顔が描写されないのも具体性を超えた男性にとっての永遠の初恋の少女を象徴しているからだと思います。例えば具体的に顔を描いてしまうと白髪*4の老婆になった月の顔も描写しなくてはいけなくなり、寓意性が薄れてしまいます。

演出面では冒頭と最後の大樹の上から月が海を眺めるシーンの構図が素晴らしいのはもちろんですが、私が一番惹きつけられたのは二想が大樹の切り株を眺める中盤の場面です。11Pはほとんど動きや台詞が無いページで二想の大げさな感情表現もないのですが、構図やコマ運びの上手さと中文版では沈んだ色使いとで月と遊んだ大樹が既に無くなっていることの思いがけなさと過ぎた年月の大きさを知った焦りが見事に表現されています。特に2コマ目は手前に切り株がアップで配置されて広さの強調された空間にぽつんと取り残された二想の寄る辺なさが心に残ります。大樹からの眺めは二想と月の想いのシンボルとなるものであり、この場面でそれが消失していることは2人の想いの消失さえも予感させるものです。だからこそ最後に別の樹で二想がこの眺めをそのままに復活させることが、長い年月を経て表面上は変わってしまった二想と月であっても2人の想いだけはそのままに再び通い合うことを導くのです。29Pの台詞も中文版だと風景より月が美しいというより、この風景の中に月がいてこそ最高に美しい眺めになるといったニュアンスです。

『追想フラグメント』は第年秒先生の異色作のようでありながら、一方で幼馴染との別れと再会、自分の知らない自分、入れ替わりといった先生の好むモチーフもきっちりと取り入れられています。そしてバトル漫画でも十分に活かされている先生の心情演出の上手さに気が付くきっかけともなりうる作品であり、先生の魅力を様々な角度から確認できます。

以下に全体の流れと関係なく私が注目した点を箇条書きにしました。

  • 中国では日本の学校制服に当たるものが学校指定のジャージとなります*5。7Pなどで二想が着ているのがそれで、中校服を着ているのを見て二想は自分が中学生になったとわかったのです。
  • 二想から何度も胸を揉まれている人は胖哥(でっかい兄貴の意*6)と呼ばれていて、近所の不良少年のボスであったようです。7Pの二想が顔を怪我をしているのは誰かに殴られたためだと示唆されており、胖哥をはじめとしてこの頃から既に一想の交友関係は不良化しつつありました。
  • 24Pで胖哥が照れているのはこれから自分の両親を頼むとも言われたのをプロポーズと勘違いしたからです。二想には可哀想ですが、一想は一想でヤクザとして成り上がったり胖哥のような舎弟がいたりと読者から見る分には面白そうな人生を送っていますね。

*1:中国語のerの発音はェ゛ァー(そり舌)の方が近いのですがやや人名にはそぐわないので慣習的な表記であるアルの方にしました。

*2:以下に簡易感想時の時の文をそのまま載せます。「4回目は最後の希望だと思って人質まで取った。二想の5回目は4回目が脳の銃撃で中断されたことも重なって発生したイレギュラー。6回目の発生に賭けて5回目を再び中断させるために飛び降りた。」

*3:隣の家の引っ越しは2回目の出現の2年前ですが、二想は中文版では1回目と2回目は3、4年程度時間が飛んだと感じています。また両親は隣の家の月の話をされた時に若干訝しげな反応をし、隣の家が引っ越したとは言っても月については触れていません。そして月は二想の近くにいたことが描写されているので、実は月は引っ越しておらず隣の家の人間でもない可能性があります。

*4:白黒版だとややわかりにくですがカラー版だと最後は月も明確に白髪になっています。

*5:近年はおしゃれな制服を採用する学校も出つつあるようです。

*6:中国語ではドラえもんジャイアンは胖虎と訳されます。