群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

『屍者の13月』第2話感想 ~三真同月令の力

第2話 陰陽仙君 48P

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第1話に続きページ数があります。設定説明とキャラ描写の回です。

人類の敵である屍者、その王である不屍王は殺せるが消し去ることができない存在だそうです。ただ殺しただけでは復活してしまうので、消し去るためには三真同月令に選ばれた3人の時代の違う人間が、それぞれの時間軸で同時に不屍王を倒す必要があります。現在・過去・未来で同時というのは奇妙に聞こえますが、同月令は一度時間軸を越えて同期するとそのまま同期を切り替えることができなくなるようなのでこういう表現になるのでしょう。

高皓光はなかなか良いキャラです。口が悪かったり真理に触れて悟ったふうなことを考えたりしても、まだ俗っぽい子供で師匠や兄弟弟子思いなところに好感が持てます。師匠も良いキャラで好きですね。「同月記」という紛らわしいタイトルの本をエロ本と気付かないまま読み上げてしまうギャグも面白いです。内容が王さんと3人の真剣勝負ということで若干本題とリンクしているのもバカバカしくて好きです。前回に引き続いて清朝の三真法門のやり取りはアットホームでいい感じです。姉弟子の苗青青は癒やし系ですし、黄二果もコメディリリーフとして期待が持てます。黄二果が一人息子なのに「二」の字が入っているのは、中国では家ごとでなく親戚ごとに生まれ順の数字を名前に入れる伝統があるからでしょう。この時代が同月令によって現代と位置づけられているからにはメインの舞台となるはずです。

南北朝の姜明子はイカれたキャラです。説明が長い回の分インパクトのあるギャグをという理由なのでしょうが、清朝の三真法門を侮辱するわ、女体化するわとヒドいです。中華風で女体化といえば自分は『らんま1/2』がまず思い浮かぶのですが、本場中国的には映画化もされた『秘曲 笑傲江湖』の東方不敗のほうが有名でしょうか。ただし特に原作だと女体化とは少々違うのですが。

姜明子は自分に素直に従おうとしない光にお手並み拝見を兼ねて嫌がらせを仕掛けてきたりと実にいけ好かないです。今のところ嫌なやつでしかない姜明子にこの先好感が持てるようになる展開があるのか、それとも第1話冒頭のように敵対する展開になるのかが気になります。

現代の3人目の選ばれし者である「彼」の出番も引き続いてありました。どうやら彼は光が祖師である姜明子の日記を読もうとしたように、祖師となった光の遺した日記を読もうとしているようです。内容に興味が惹きつけられます。

TVアニメ「群青のマグメル Blu-ray BOX」2020年4月1日発売

TVアニメ「群青のマグメル Blu-ray BOX」が本日2020年4月1日に発売します。

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屍者の13月第1話感想 ~闇の中の光たち

本日3/31から『少年ジャンプ+』にて第年秒先生の「屍者の13月」の連載がスタートしました。

「屍者の13月」は、中国では「日月同错」というタイトルで2019/09/17からテンセント社の『腾讯动漫』にて連載中です。中国の漫画で一般的な左から右へ読み進めるフルカラー形式です。

 

第:『マグメル』をやりながら、新しい連載も企画していて、それは中国文化が入った作品になると思うので、機会があればぜひ読んでもらいたいです。

第年秒×佐々木亮介(a flood of circle)対談

 上記の「群青のマグメル」連載中の対談でも語っていたとおりに、「日月同错」の連載のスケジュールはかなり以前から決まっていました。しかし期間内に「群青のマグメル」の連載が完結できないためにさしあたって第二部完(日本語版では第一部完)とし、最終章である第三部の連載は後日に行うと決まったようです。中国では「拾又之国」の著作権を巡ってトラブルもありましたがこの連載中断には直接の影響はなく、現在は解決しているため、心配する必要は全くありません。

「群青のマグメル」と「屍者の13月」のスケジュール調整が最終的にどうなるのかは現在のところ未発表です。とりあえず私は現在連載されている「屍者の13月」を楽しむことにします。既に中国の『腾讯动漫』で掲載された分は読んでしまいましたが、ネタバレしないように気をつけて感想を書いていきます。

「屍者の13月」は退魔アクションものです。中国伝統のキョンシー(殭屍)と道士がモチーフになっているようです。作中で言及された「宿命」も、中国の修仙もの・道士ものでは欠かせない要素である天命思想を意識しているのでしょう。ただ独自設定も入っていて、かなり漫画的にデフォルメされているので、前提となる知識がなくとも楽しめるようになっています。

第1話は堅実にまとまっていてこの先に期待が持てる内容です。最低限の設定説明をしつつキャラクターのドラマにしっかりフォーカスがあたっています。師匠に対して散々な口を利きいていた悪ガキの高皓光が無事に師匠孝行を果たせたシーンでは胸が熱くなりました。むしろ自分の年からすると、立派になった高皓光の姿に感涙する師匠の方へ感情移入してしまうところもありました。

この作品の主な舞台は西暦525年の南北朝時代、西暦1906年の清代末期、西暦2019年の現代という3つの時代です。三真同月令という名で、亀の腹側の甲羅に似た形状をした術具に時代を繋ぐ力があるようです。4P目で西暦525年の姜明子が眺めていたトンネル状の巨石は、30P目で西暦1906年の高皓光たちが家に帰る途中にあったトンネル状の巨石と同じものです。高皓光たちが住んでいる施設こそが過去の姜明子が作ろうとしていた第三法府なのでしょう。この巨石は、法屍者を無事に倒した高皓光を前にした師匠が新たな夜明けを実感するという印象深い場面の舞台にもなっています。師匠の言うとおりに高皓光は彼らの“光”となれるのでしょうか?最後の2P分では西暦2019年の三真同月令の描写もありました。この3つの時代がどのように絡み合っていくかが楽しみです。

最初の2P分は、まだ意味はわかりませんがこの先の展開の布石になっているはずです。中国の伝統的な影絵芝居である皮影戯が元になっていて格好いい画作りです。この共闘するというより相争っているような3人と、3つの時代の3人の主人公たちはどのような関係があるのでしょうか。「竹ひごで操られる人形にすぎない」という言葉と、27~29Pの高皓光と師匠の会話で出た「宿命」という言葉、71Pで姜明子が独白した「宿命に終止符をうつ――!」という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。これからの展開から目が離せません。

群青のマグメル第92話感想 ~未来へつづく

第92話 “また…”後編 89P

中文版では第二部の最終回です。日本語版では中文版でいう第一部と第二部の区切りがないので、今回で第一部完という扱いになっています。

中国で『群青のマグメル(拾又之国)』の条漫版を配信している『快看漫画』にて、最終章である第三部が予定されているというアナウンスがありました。日本で最終章の配信が予定されているかどうかのアナウンスはいまのところありません。公式の続報が出次第このサイトでもお伝えしたいです。

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前後編の後編にあたる回です。今回だけでも89Pと部の最終話にふさわしいボリュームです。前編で終わったバトルの後始末が中心となる内容ですが、思わぬ真相の発覚やドラマの進展があって興味深く読み進められました。謎が整理されたことで未解明の部分やこれから取るべき対策も明確になり、次の展開がますます楽しみになりました。

整理したい伏線が大量にあるのですが、長文になりすぎてしまうため、今回の感想では軽く触れるだけにしておきます。後で改めて伏線についてまとめます。

神明阿部隊の今後

まず前回打ち倒した黒獄小隊の生き残りの顛末が語られました。生き残りの脅威と追跡のコストを天秤にかけ、追跡をひとまず捨て置いたことは、確かに真類にとって賢明な判断でしょう。とはいえ、生き残り全員がやすやすと生還できたわけではなく、安全圏に出るために犠牲を払ってでも困難を乗り越えていくことになりました。いかにも探検漫画らしくてドラマチックな展開です。間男であるバールが、寝取った人妻とお腹の子供の未来を本来の夫であるボーガンに託し、囮となるべく死にに行くシーンにはグッとしました。バールの提案にボーガンが言葉でなく黙って拳を握ることで応えたというのも渋くて素敵です。次のページではその拳でボーガンが小さくガッツポーズを決めているという身も蓋もないオチがつくのですが、それも込みで心に残る場面です。

本当に生き残れた5人は未来予知の構造の使用後に衰弱しきっていた瞬とも合流を果たし、行動の悪どさの割にかなり甘い結末を迎えています。ただ手段の悪どさの点ではヨウたちも相当なものであり、善悪に線を引ききらないことがこの漫画の作風でもあります。今後の彼ら、少なくともボーガンはマグメルから手を引いたほうが身のためですが、それを彼らが望むかはわからず、それが許される立場かも不明です。今後の身の振り方が気になります。

黒獄小隊隊員ながらも第4要塞に配属されて蚊帳の外に置かれていたリーたち3人は、黒獄小隊と第4要塞が壊滅されたリベンジに燃えている様子です。

エスタの巣から生還した5人、瞬、第4要塞の3人、フェルミオン、隊長の合計11名が現在の黒獄小隊の生き残りです。

リーたちに対し、同じく第4要塞に配属された一徒たち4人は、背を向けつつ冷めた視線を送っています。襲撃を受ける中で、戦闘でなくあくまで探検を望んでいたことや最上位の構造者との圧倒的な実力差を自覚したため、神明阿についていけないと感じたのかも知れません。こちらも今後の動向が楽しみです。

神明阿ルシスと神明阿アミルの野望の行方

黒獄小隊副隊長であるカーフェの死の知らせは、現代の神明阿一族の筆頭である神明阿アミルとルシスの下にも届きました。彼らが控えめながらも確かな無念さを滲ませているのにジンとします。

また、前回の回想でカーフェが「若様」と呼び、左側頭部に目玉のような紋章があり、カーフェが死んだら自分の目に玉ねぎを押し当てると言っていた人物は、ルシスだと確定しました。詳細に猫写されて気付きましたが、左側頭部の模様はルシスの現実構造の紋章を2つ合わせた形になっていますね。さらに左の手のひらに神明阿一族の家紋がある「若様」もルシスだと確定しました。ルシスはダーナの繭編で「若様」と呼ばれていた男性とも同一人物のはずです。ルシスを指していた「若様」は中国語でも同じ意味の「少爷」であり、ルシスが神明阿一族の現当主か次期当主、あるいは現当主の息子であるのは間違いないです。

一方で、日本語版ではアミルも「若様」と呼ばれていますが、中文版ではアミルは「少爷」とは呼ばれておらず、「长官」あるいは「阁下」と呼ばれています。つまりアミルは現当主でも次期当主でもないはずですが、神明阿直属の軍隊で高い地位に就いていることは明らかです。

ここで気になるのが黒獄小隊隊長の正体です。ティトールは謎の人物である隊長の正体をルシスと推察していますが、確定的な証拠はありません。むしろ今までに出たアミルとルシスの情報からすると、若様であるルシスの補佐役が黒獄小隊隊長であるアミルだと考えたほうが自然な気がします。ただし、神明阿一族当主はマグメルで直々に部隊を率いるのが通例でもあるため、ルシスが若様でありながら黒獄小隊隊長の座に就いている可能性もあります。その場合、アミルはルシスの暴走を防ぎ身命を守るために、黒獄小隊隊長と同等以上の立場、たとえば全軍を統括するような立場に就いているのかもしれません。

空想之国の時間軸

そしてこの場面の同時刻、マグメル深部にもルシスと全く同じ外見をした神明阿一族が1人います。彼は日本語版では「クソ神明阿アミル(現在はクソ神明阿ルシスに修正済み)」と呼ばれ「クソ神明阿」に感心したことになっていますが、中文版では「未神明阿路斜眼」と呼ばれ「路斜眼」に感心しています。路西斯がルシスの中文版の表記であり、斜眼とは斜視・流し目・横目という意味なので、「未神明阿路斜眼」はいつも横目を走らせている神明阿ルシスの中文版でのあだ名だと考えるべきです。こちらの神明阿ルシスは第三のヨウと同じ時空間の住人であるルシスのようです。この時空間には構造者がヨウ・ゼロ・ルシスの3人しかいないそうですし、ルシスも構造能力の知識がほぼ無いようです。この時空間のマグメルで大きな戦争が無かったのは、いつもの時空間以上に構造能力者が希少だからかもしれません。

今回だけでなく第53話でも第三のヨウの特訓に付き合っていたのはこの神明阿ルシスですね。闘う理由さえなければヨウとルシスは変人同士馬が合いそうですし、少爷(ご主人)と少爷(若様)同士でもあり、友人になれそうです。3人の意地の悪い掛け合いは面白いです。一緒にピクニックしているのも楽しそうです。

『群青のマグメル』は手段の点では敵も味方も同じく凶悪なので、時空間の条件さえ異なれば手を組む相手が変わるということを描くのも、善悪を相対化する話の内容に合っています。ただしだからこそいつもの時空間の神明阿ルシスは絶対的な敵ということになるのでしょう。拾因曰く野望を達成されると世界が滅んでしまうそうなので、いつもの時空間の神明阿一族は何があろうと阻止する必要があります。

第三のゼロによれば、彼らの居る時空間とは、世界という独立して存在するものでなく、「ダーナの繭」という自然現象と同列に存在するもののようです。ダーナの繭は中文版では「空想之国(空想生态国・空想国)」であり、『群青のマグメル』の中文版での原題は『拾又之国』なので、複数の時空間が同時に存在する世界観の謎の根幹がダーナの繭・空想之国にあることは間違いないでしょう。以前の説明ではダーナの繭・空想之国は長くて数ヶ月で自然消滅するとされていましたが、マグメルは空間も時間軸も歪められている場所です。ダーナの繭・空想之国の内部では宇宙の始まりから終わりまで経過したのに外ではほとんど時間が経過していないようなことだって起きるのかもしれません。拾因が他の自分の使う現実構造と神の見えざる手を理解した後で、いつものヨウと第三のヨウの構造能力を目覚めさせたらしい点について考えると、時空間同士の時間軸がループしていることにもなります。これも時間軸の狂いの表れということなのでしょうか。

ダーナの繭・空想之国の構造者はマグメルだといいます。ダーナの繭編ではあくまでマグメルの深部に大量に存在する構造力が自然構造を起こすことの比喩として扱われていましたが、マグメルの意識が女神のかたちで実在すると証明された現在からすれば、そのままの意味で捉えるべきかもしれません。聖国真類の創世神話によれば、世界そのものがマグメルの意識である女神の幻想から構造されているというのも意味深です。世界のすべてが女神の空想かつ幻想であるダーナの繭・空想之国なのかもしれません。

いまのところ、いつもの時空間の女神は構造されて最初に見た人間であるヨウに特別の関心があるようです。この関心は今後の展開に関わってきそうです。

同盟締結に向けて

一方で、いつもの時空間のヨウたちは聖心祭で強者会入りをかけたトーナメントを観戦しています。闘技場のクー、観客席のヨウ・ティトール・ゼロ(体)・トトと、主人公側の第二部でのメンバーが久しぶりにみんな揃っているのを見れて嬉しいです。クーとトワの対峙は両者ともにいかにもな不遜ぶりが面白いです。トワは同盟に強硬に反対する以上負けて強者会から脱落することが明白な損な役回りですが、その分黒獄小隊追跡の際に憎めない面もあるところを見せてくれています。堂々としている反面わかりやすい性格なので、後腐れの心配なく打ち負かせるのがいいですね。観客席でクーの人気ぶりにヨウが焼きもちを焼いて、ティトールがからかい、トトが真面目なこと言って2人からイジられる、という一連のやり取りは実に和みます。シンクロしたリアクションをとっているティトールの本体と端末のゼロも可愛いです。Wティトールには不思議なお得感があります。人質として簡素な服を着せられているのも、今までの格好から落差があって楽しいです。ティトールが現在の罪と体と記憶を背負ったまま生き続けることを決意してくれて本当に良かったと思いました。

ヨウとティトールの贖罪

ヨウとティトールの会話は息の合いっぷりが楽しい一方で、両者ともに内心では相手の真意を探り合いつつも、ちゃんと信用し合ってもいるという複雑な駆け引きが行われています。痺れる会話劇です。ヨウのティトールへの評価と照らし合わせて、拾因の時空間のティトールは元原皇だが退いていたために同行者になったという仮説に確信が持てただけでなく、実はそれすらも神明阿と聖国真類を潰し合わせる策略だった可能性が濃厚になり、唸らされました。結果としては拾因の時空間のティトールは敵も味方も自分さえも全滅し、策士策に溺れる結末になってしまったわけですが、それでも利己的な策士であるティトールらしい図太さが感じられて面白いです。多少は殊勝な面もあるとわかったからこそ、根底の図太さが生々しく引き立っています。いつもの時空間のティトールは各勢力の力量を正しく把握できたので、利己的だからこそ、ヨウたちを裏切らないはずです。

先代原皇が聖国真類を裏切った経緯とその後の死についても、表向きの記録とは異なる真相が明らかになり、とても興味深かったです。先代原皇から娘のように可愛がられて力をつけながらも、一族を全滅させられた恨みを忘れず、得た力で先代原皇を一族ごと滅ぼして復讐を果たした、というティトールの過去は強烈です。先代原皇の記憶を覗いて優しさが本物だったと知ったことも、先代原皇が遺言でもティトールを直接責めずに自分が悪かったと口にしたことも、なおさらにティトールを救いがたい存在にしています。本当に悪かったのは誰かという自問自答で、ティトールの端末化の能力や、一人称の変化がギミックとして活かされているのが面白いです。ちなみに日本語版では中文版からティトールの一人称が改変されているので、一人称の変化の流れもアレンジされてるのですが、ちゃんと日本語版なりに意味が通じるように調整していて素晴らしいです。

そんな救いがたいティトールを、ヨウが警戒しつつも確かに信用すると決断したことには胸が熱くなりました。ティトールにとっても自分にとっても、もう仲間を失わないことが過去を償いやり直すための最後の機会だとヨウは信じています。これがダーナの繭編の最終話で拾因が呟いていたと判明した「贖罪」という言葉の意味ではないでしょうか。拾因はダーナの繭・空想之国だけでなくマグメルの各地に因果限界を遺しています。これらはヨウたちの未来のためにきっと何か役立つのでしょう。

『群青のマグメル』の未来

また、未来はこの漫画の登場人物全てにも訪れます。最後のシーンでこれまでに登場した人物のほとんどの出番があり、活躍の有無は置いておくとして、彼らにも未来があることを示してくれたことで温かい気持ちになれました。人界でティトールの端末と出会った青年にも前半部分と合わせてそれなりの区切りが用意されていて嬉しいです。ムダジはまだ捕らえられたままですが生還の可能性は残っているはずです。田伝親父やエミリアといった久しく登場がなかった面々も元気そうです。

ティトールが人界で描いた絵本の最後には「つづく」と記されていました。ティトールもヨウたちも『拾又之国』も、まだまだ未来はつづいていくはずです。そしてできれば『群青のマグメル』もつづくと信じたいです。

群青のマグメル第91話感想 ~再会と別れ

第91話 “また…”前編 65P

今回のサブタイトルは「“また…”前編」となっており、前後篇あるいは前中後編の前編のようです。それでも65Pとボリュームのある回です。
ヨウたちと黒獄小隊戦の決着がつきます。それに伴い各所に散っていたヨウたちと同盟相手が合流し、ストーリーが一区切りを迎えます。

記憶の拾因との邂逅

前回でヨウの記憶を覗いた際にティトールが垣間見て、生存を決心するきっかけとなった光景の詳細が明かされました。それは3人目のヨウの記憶であり、彼らや3人目のティトールが平凡で幸せな日常を過ごしている記憶です。理屈で予想できた内容でも、絵としてその光景を見せられると感慨もひとしおで、戦略目的は達成したにもかかわらず無謀な戦いを続けていたティトールが気持ちを変えるに至った理由がよくわかりました。また拾因も、自分の世界で仲間だったティトールとの縁からこちらのティトールを彼なりに気にかけていたとわかり、しみじみとしました。打算や羨み、そして希望とともに遺した言葉を拾因がティトールに伝えられたことは、2人にとって確かな救いだったと感じます。

平凡に暮らしているという第3のティトールとは違って、拾因の世界のティトールはいつもの世界のティトールとよく似ていたそうです。拾因の世界のティトールもヨウ(拾因)・ミュフェ・クーの反応を見る限りでは有名人だったようですし、原皇を継ぐまでや継いでからしばらくの経緯はほとんど同じなのかもしれません。だとすると、ヨウが大人になった頃に聖国真類とその他のエリンたちが一丸となって人類と全面戦争するに至ったこと、ティトールの本体が1人でマグメルで暇をしていたこと、ヨウと出会い人界に避難してきたことなどの点から、あちらのティトールはエリンたちが勢力を越えて同盟を組むにあたって原皇の地位を追われていた可能性が考えられます。

再戦の予感

ティトールは神明阿アッシュ・ハーマ・ヘクスから逃れるため、ヨウの因果限界を利用します。能力の成長が足りず小さすぎて使えなかったものの、実は神明阿アススとの戦いで既に因果限界にも目覚めていたのだそうです。確かに回想のとおりに第71話でヨウはティトールに「君の役に立つかもしれない物が二つある」と言っていましたね。ティトールの幻想構造でヨウの能力と記憶を利用可能にし、因果限界の小ささを補うために神の見えざる手で巨大化し、さらにティトールが体を捨てて首だけになり、因果限界を通ってヨウたちの元に到達して体を完全構造力で再生する、というアイディアにはなるほどと唸らされました。複数のシステムを組み合わせて思わぬ利用法を見せてくれる面白さは、ゲームで仕様の盲点を突いたコンボや裏技を知った瞬間の快感に通じるものがあります。

ちなみに、11Pでティトールがアッシュ・ハーマ・ヘクスに対して言った「バーイ」は、中文版では「回见。」です。「回见」は日本語の「またね」に相当する別れの挨拶で、近いうちの再会を約束するニュアンスが強い言葉です。ティトールはこの場こそ退いたものの、再戦して3人に借りを返したい気持ちがありそうです。また、今回のサブタイトルの“また…”も、中文版では「回见」です。

第53話の回想を再び回想するコマもあります。ここで触れている摂理とは構造者は現実構造か幻想構造のどちらかにしか目覚めず、他人を完全には理解できないのと同じく他人の構造を理解することもできないという原則です。ヨウは摂理の超越によって別の世界の自分たちとその自分たちの構造を断片的ながら理解し、3つの構造能力を使用しているのです。描写から推測するに、主人公であるヨウが現実構造者であり、拾因こと黒い瞳のヨウが幻想構造である因果限界の本来の構造者であり、第3のヨウと思われる少年が幻想構造である神の見えざる手の本来の構造者のようです。ただし、摂理を超越する方法そのものについては未だに明確にはなっていません。「それ」を理解することが摂理を超える方法であり、一見は簡単そうに思える方法のようですが、この「それ」とはなんなのでしょうか。

仲間たちの合流

完全構造力で傷を治したティトールとヨウ、クーの3人がそろい、黒獄小隊に立ち向かいます。宙を舞う生首が因果限界を越えてきた瞬間の黒獄小隊の驚愕ぶりが面白く、満を持しての逆転劇が始まるワクワクを感じさせてくれました。19Pでヨウとティトールがそれぞれぺろっと舌を出しているのも楽しいです。再生を果たし五体満足なティトールの見開きは起死回生の嬉しさと全裸の嬉しさが噛み合って抜群の相乗効果です。3人が黒獄小隊の面々を殺害していく描写の容赦のなさには痺れるばかりです。散々苦しめられた借りが返せる爽快感がある一方で、主人公のヨウたちも敵の黒獄小隊も目的はともかく取れる手段は同じ暴力に過ぎないということを包み隠すことなくさらけ出してくれます。黒獄小隊にとってはティトールもクーも巨人化したヨウも化け物でしかないという真実が絵によって語られ尽くしています。

カーフェが地下に潜ろうとしたその時にリヴの死亡により幻想構造の空間が解かれ、ヨウたちが解放されます。カーフェを追跡していたラーストとトワ、さらに地下からモグラ型の生物に乗って追跡していたサイとミュフェたちも加わり、聖国真類の救出隊とヨウたちが合流を果たすシーンにはテンションが上りました。ヨウが望み、ティトールも同意した聖国真類とフォウル国の同盟が遂に現実のものとなろうとしていて、胸が熱くなります。流れで本体を人質に差し出す条件を飲むことが決定的になり不服そうなティトールも可愛いです。また、黒獄小隊に利用された山行類の子供たちが空間から出たところもちゃんと描かれているのが嬉しいです。気絶したまま激しい戦闘に巻き込まれて心配だったのですが、さすがエリンだけあって大丈夫そうです。

再会を期さず

黒獄小隊は追い詰められ、自分の構造を駆使してもこの場の全員が生き残るのは不可能な状況だとカーフェは判断します。ここでカーフェが同僚を見捨てて逃げそうな演出が一旦なされ、「さよならです 同僚の皆さん」という内心の独白まで書かれながら、次の瞬間カーフェが自分の命を捨てて同僚たちを助けるといういい意味で驚く展開になるのが心憎いです。同僚たちの心からの悲しみや、その上でカーフェの選択を受け入れようとする覚悟が伝わってくるのにも、彼らの戦闘部隊としての結束の強さを感じました。「貴方達に負けて 光栄ですよ」という最期の言葉も格好が良いです。そんなカーフェをラーストが名を覚える価値のある相手と判断してくれたことが嬉しいです。ラーストの誇り高い戦士としての株もグッと上がりました。

この「さよならです」は中文版では「再见了」です。「再见」は字義上では再会を約束する言葉ですが、中国語では最も一般的な別れの挨拶でもあるため、字義から離れて再会を意図しない状況でも普通に使うそうです。だからカーフェのこの「再见了」は「さよなら」というプレーンな別れの挨拶で訳すのが適切なのでしょう。「回见」と「再见」は字義はほぼ同じですし、使い分けを意識しない場合がほとんどだそうですが、わずかにニュアンスが異なることもあるというのが面白いです。なお、再会できないことを明確に意図する別れの挨拶には「永別了」がありますが、死別のニュアンスさえ含む強い言葉なのであまり使わないようです。第39話の回想でクーがヨウに告げた「さらばだ」が、中文版では「永別了。」です。

この場面でカーフェは敵に情報が漏れるのを防ぐために体内に仕込んでいた毒で自決するという定番ながらいかにもプロらしい行動を取っています。54Pで毒のカプセルを噛む瞬間がさり気なく描かれているのが丁寧です。脳死することで誰にも奪わせなかった記憶、それを最期にカーフェは垣間見ていて、内容が色々な意味で面白かったです。まずカーフェは少年のうちから既に「若様」のために様々に働いてきたことがわかりました。神明阿一族の紋章のネックレスをしているカーフェが、複数いるという一族の血を引く強力な構造者の中に含まれているのか定かではありませんが、おそらく生まれからして神明阿一族と縁深かったのでしょう。若様と一緒にゲームで遊んでいただけでなく、ちょっとした駆け引きを含んだ会話も打ち解けたものです。もしカーフェが死んだらという話題で、若様が神明阿一族らしく感情を通わせきれないはずの自分なりの悼み方を考えるだけでなく、人間らしくカーフェと心を通わせ合うはずの仲間たちにも言及していることに、確かな心遣いを感じました。カーフェが彼なりの絆と信念に基づいて黒獄小隊副隊長として行動していたと確信できます。若様が一族に代々伝わる服装をしているのに対してカーフェが今どきの服装をしているのも良いですね。

ところでこの顔立ちがぼかされている「若様」とは誰なのでしょう。ダーナの繭編において「若様」と呼ばれていた人物は左の手の平に神明阿一族の紋章がありましたが、今回の「若様」は左の手の平の描写がありません。それどころか左側頭部に神明阿一族のものに似た模様が浮かんでいます。この模様はブレで判別しにくいだけで神明阿一族の紋章なのか、それとも別の紋章なのかが気になります。強いてより近いものを探すならカーフェの構造の紋章も神明阿一族の紋章を崩したようなデザインであり、この「若様」の左側頭部の模様とよく似てるかもしれませんね。この「若様」とダーナの繭編の若様がもし同一人物なら紋章が2箇所ある特別な体質の可能性がありますし、別人ならこの「若様」は当主の跡目争いで退いたかつての第一候補の可能性があります。神明阿アミルはもちろんルシスも神明阿一族と思しい描写が多く、カーフェの回想は2人の正体を考えるにあたって重要な材料になりそうです。2人のどちらかが次期あるいは現当主でもう片方が黒獄小隊隊長であることは確定的なものの、それ以外はまだほとんど不明なのです。

群青のマグメル第90話感想 ~さざなみの広がり

第90話 そして物語は 102P

ページ数も内容も盛りだくさんな回です。静的な演出で陰惨なティトールの過去が語られた前回から一転して、今回はテンションの駆け上がるようなバトルと現状打破が中心となります。また前回は火がティトールの心情を表すモチーフとして扱われていましたが、今回は水にフォーカスがあたっています。

最初の波紋

ティトールは人界で自伝的な内容の絵本を人間の男性に読んでもらって意見を求めます。この男性による絵本の主人公評はそのままティトールの客観的な評価と考えてもうなずけるもので、興味深く読めました。それを静かに聞いているティトールの様子のしおらしさにも惹きつけられます。半生を振り返って本を描くという行動から察せるとおりにティトールが死を覚悟していたことも明示され、客観的には褒められた人格ではないのをわかっているからこそ、彼女の肩を持ちたくなる気持ちが強まりました。

ティトールが過去を思い出しつつ水切りをするシーンのノスタルジーにも胸を打たれます。マグメルに住むエリンの前世類にも水切りで遊ぶ風習があるというのは彼女たちの生活をぐっと身近に感じさせてくれました。「…遠くへ進めば進むほど 最初の波紋は綺麗に消える」という言葉からは、性根こそ変わらずとも、幼い頃の生活とは全く隔たった場所に至ったティトールの悲哀を感じます。もちろんそれは彼女なりに前へ進んだ結果でもあるのですが。

定石ですが、話の冒頭で今回を通じて使うモチーフに具体的なエピソードを示してくれたのは嬉しいですね。モチーフによる隠喩はややもすると観念的になりやすいだけに、こうしたひと手間によってちゃんと地に足のついた実感のある描写として受け止められました。

水の龍と刃

ティトールの本体は若返った神明阿の当主と戦闘を繰り広げます。第88話では神明阿ヘクスが完成度1万%の水を構造した瞬間から時間が飛んでティトールの首が飛んだ瞬間に移っていて、その間の攻防が今回で明かされました。死を覚悟したティトールが部下に部隊の解散を告げた場面には、第71話で彼女が語った初代原皇の最期が思い起こされました。その時の「聞いてて思ったけど 君 先代と結構似てるね 同じ結末にならなきゃいいけど」というヨウの言葉もです。

ティトールと当主たちの戦闘には息を呑む迫力があります。ヘクス視点での水の龍と刃という大技が連発される臨場感あふれるパートと、冷めきったティトールの視点による戦いに身を置きつつも一歩引いた寂しげな緊張感の漂うパートが交互に描かれていて、トーンの対比に心を掴まれました。同時進行する人界での会話の場面や、第88話でも描かれた場面が効果的に挿入されているのにも見ごたえがあります。現在の多方面で展開する複雑な状況がティトールを核に収束していく予感が高まります。

バトルでは見開きによる演出が贅沢に連発されていて、いずれも素晴らしい迫力です。静かに水切りの波紋が消えていく様子と、血や水や地下空間壁面のブレが連続しながら場面が切り替わる様子にそれぞれ1Pずつ費やしているのもかなり思い切った印象深いページの使い方です。直前のティトールの左手と右足が切断された見開きの衝撃の余韻に十分に浸ったまま、彼女の絶望の深さが心に刻まれるのを感じました。

流れの外で

この錯綜した状況の中、良い意味で明確に邪悪なカーフェと、人質救出という大義名分がはっきりした強者会による追跡アクションは、余計なことを考えずに楽しめてスッキリできます。カーフェの癖のある言動はいちいち面白いです。敵に対して信念は尊重しつつも生死については容赦しない作品であり、カーフェが彼らしさを保ちつつ相応の報いを受けるだろう展開が信頼できるので、なおさらに安心して敵の邪悪さを面白がれます。子連れクエスタ達の群れに榴弾を打ち込む一部始終のの清々しいクズさがイカしてます。第38話で手に入れた完全構造力がちゃんと活用されたのも嬉しいポイントです。
ここで挿入されるクエスタの巣についてのうんちくがいかにもファンタジー探検ものらしくて興味がそそられます。間に解説パートが挟まっていても、テンポが一定に保たれているのでアクションシーンで高まったテンションが途切れることがありません。映像的な演出を眺める楽しさと、文章を読んで理解を深める楽しさの両立がしやすい漫画の長所が引き出されているのを感じます。解説をそれだけで終わらせずに直後の展開と絡めているのも流石です。

また、激怒した親クエスタ達の威圧感には眼を見張るものがあり、1人で牽制できると冷静に判断したラーストの実力者ぶりも頼もしくて好印象です。

合流する3人の運命

本筋とも言えるヨウのパートでは、第87話に引き続いて黒獄小隊の攻撃を凌ぐ決死の状況が描かれます。ティトール以外に協力を頼める相手がいない中、どうにか危機を脱しようとしていたヨウがいよいよ本当の絶体絶命に陥ったところで、意識を取り戻したクーが助太刀に入った瞬間にはシビレました。ここでヨウが死ぬはずがない展開とはいえ、絶望感が最大限に高まったところでのすかさずの起死回生はひたすらに気持ちがいいです。

数十秒の隙があればヨウには取れる策があるらしいこと、カーフェに追手が迫っているとい付いたこと、リヴが倒れれば泡沫の遊びの空間が消えることなど、クリアすべき条件が明確になり、いよいよ逆転まであと一歩です。時間を稼ぐためにクーが極限出力で黒獄小隊と構造の応酬を繰り広げるシーンは、見開きの迫力もあり本当に格好いいです。この間にヨウがティトールに体を奪わせたことが、どう作戦として活かされるのかが楽しみです。

さざなみは消えず

ヨウの体をティトールに奪わせて記憶を見せるという提案は、第59話でもヨウの側から持ちかけられていました。その時ティトールは嫌な感じがして提案を一旦退けています。なぜヨウは体を奪われても問題ないと判断したのか、ティトールの抱いた嫌な感じの正体とは何か、その答えが今回明かされました。

ヨウはティトールに記憶を見せることで彼女の一族の存在を証明でき、彼女の考え方を変えられると信じているようです。現在のヨウは拾因こと第33・34話の黒い瞳のヨウの記憶も持っており、そちらのティトールは原皇の地位に就かなかったか退いていたかしていてヨウの仲間になりました。対して、こちらのティトールは現在の生き方に絶望を感じつつも、第66話のとおりに積み上げてきた自分から変わることを恐れてもいます。
ヨウの言うティトールが前世類の最後の1人でないと証明するということが具体的にどういう意味なのかはまだ不明です。ヨウのモノローグからするとこの世界に前世類の生き残りがいるという意味ではなさそうなので、せめて別の世界では前世類が存続していることを教えて希望を持ってもらいたいのかもしれません。この世界にはいないけれどもこの世にはいるということになるのでしょうか。黒い瞳のヨウの世界のティトールは原皇ではなさそうな点から、あちらでは前世類の生き残りがいたか虐殺自体が無かったかの可能性を考えましたが、ヨウのモノローグによればあちらのティトールも孤独だったようなのでやはり生き残りはいないはずです。第一あちらは世界自体が既に滅んでいます。そうすると生き残りがいるのは、第3のヨウによって存在が示唆されている第3の世界で暮らしている前世類なのではないでしょうか。

ちなみに第71話の日本語版で

「その頃のアタシは青春真っ盛りのピチピチの若者で 一族と一緒に暮らしてた」

となっている部分は中文版では

「那时朕在自己这一族类,还处于未成年的状态。」

です。「在」には複数の意味があるのですがこの場合は「その頃のアタシは自分の一族では まだ未成年の状態だった」と解釈するのが適当だと思われます。

具体的なことはまだ不明瞭ながらも、ヨウの記憶を覗いたティトールが孤独を癒やされ未来に希望を抱けるようになったシーンには胸が熱くなりました。ティトールとそれに通じるヨウの孤独そのものはこれまで丁寧に描写されてきたからでしょう。また、仲間に置いていかれて孤独に苦しみつつも別の自分達の未来を垣間見ることで生まれたティトールの希望とは、拾因の抱いていた希望と似通うものでもあります。この場面でティトールが宿った瞬間のヨウの目が拾因を彷彿とさせる眼光になっているのは面白い演出です。ただし希望のために死へ臨んだ拾因とは違い、ティトールは自分の物語にそれらしいだけの結末を迎えることをやめて、希望のために貪欲に生きると決意してくれたようです。

拾因がヨウに託した希望は、ヨウだけではすぐ消えるさざなみ程度の変化しか起こせなかったかもしれません。しかしゼロやクー、ティトールなど多くの仲間たちと変化を波及させ合うことでこれまで多くの予定調和を破壊する波乱を引き起こし、そして乗り越えてきました。

第88話でティトールの首が切断されていたのも何らかの勝算がある上で自分で行ったことだとわかりました。ティトールは首だけになっても即死しそうにはないので、完全に死ぬまでの間に完全構造力で体を再生できれば問題なく戦えるはずです。体を新しくして傷の完全回復を図るのかもしれませんし、それ以上の意味があるのかもしれません。とにかく次回が待ち遠しいです。

群青のマグメル第89話感想 ~父親の存在と両義性

第89話 生の意味 22P

ティトールの首が切断される衝撃的な幕引きの前回でしたが、今回は時間をさかのぼり、絵本というかたちで描き終えていた彼女の過去が明かされます。以前に描かれた絵本では隠蔽や改変されていた真相、彼女の一族である前世類が壊滅した事件の顛末があらわになりました。

全編を通じてベタによるシルエットを中心とした絵作りが施された回です。早描きの絵本という設定に沿った、明暗の単純化と大胆な画面構成の画作りにはグラフィカルな美しさがあります。

ティトールと父親の裏切り

以前にティトールが描いた絵本では、前世類は侵略者に蹂躙された単なる無辜の被害者とされていました。しかし侵略者とされた一軍の正体は前世類の臣従していた初代原皇の軍であり、前世類の長老やティトールの父親らが独立を画策してフォウル国を裏切ったために滅ぼされたと判明します。また、ティトールの父親らは数千年ぶりに表れた構造者であるティトールの能力を強力にするため、原皇軍の仕業と偽ってティトールの友達である子どもたちを殺害してさえいました。一族の無力さと古く屈辱的な運命が受け入れられないという心情は理解できるのですが、ティトールの父親の行動は統治者の側からは容認し得ないものでしょう。親子の信頼関係を前提としているとはいえ、幼いティトールに背負わせようとしていた責務は明らかに過大ですし、一族のためという大義名分を掲げながらその未来の担い手である子どもたちを犠牲にしてもいます。以前の絵本の内容が真実そのものではないことは予想の範疇でしたが、その上を行く強烈な真相です。

ティトールが敵と教えられていた初代原皇を端末で確認した際、目が合い声を掛けてきた原皇と友達になってしまったのも、彼女の寂しさを思えば無理からぬことでしょう。初代原皇の、皇にも関わらずランチを手ずからつくる所帯じみた振る舞いや、ランチをティトールに普通と言われ作り直すような子供っぽいプライドの高さが面白いです。歳や立場の差は大きくとも彼とティトールがすぐに意気投合できたのにも納得がいきます。新たに知った広い世界がどれだけティトールに魅力的だったのかもよく伝ってきます。それだけに、ティトールが秘密にしていた父親の所業を原皇に打ち明けたのもごく自然な心の動きだと感じました。ただし結果的にその相談は密告となり、前世類は原皇軍に滅ぼされます。ティトールが意図せず一族を裏切るかたちになってしまったのは悲劇的です。

暖かい火と焼き尽くす火

ティトールはかつて『生きるためだけには生きない』という貪生花の花言葉を語り合った際に、父親から焚き火のような暖かさを感じていたようです。しかしその暖かい火は、父親が友達を殺害して初代原皇に罪をなすりつけた時に、彼女の心から消えてしまっています。

彼女が暖かい焚き火の安らぎをまた感じられるようになったのが、敵である初代原皇と友達となってから、端末を通じて、というのは皮肉な表現です。さらに初代原皇の火とは、ただ暖かいばかりでなく、裏切り者や敵の全てを焼き尽くす苛烈さも持つものだったという皮肉が貫かれています。裏切り者である前世類の里は原皇軍の放った火に包まれます。

そしてティトールが父親の暖かさを再確認したのもこの里を焼く炎の中です。裏切り者となじり「お前の父はもういない」と言って攻撃しながらも、ティトールの父親は自分を殺すように仕向けることでティトールの命を助けます。子供たちさえ犠牲にした彼は客観的にはとても尊敬できるような相手ではありませんが、ティトールにとっては彼がかつての「父親のままだった」と感じられたのは確かな救いとなったと思いたいです。

ティトールと彼女の父親の関係は、子供と利用する保護者と言う点で、クリクスと彼の兄や、ゼロと研究所の主様の関係と似ています。また、ティトールと初代原皇の関係は、子供と新たな世界を見せた新しい仲間と言う点で、ヨウと拾因、ゼロとヨウ、クリクスとヨウの関係と似ています。ただしこれらの善悪の線引ができるような関係と、ティトールと父親と初代原皇の関係は、ティトールの父親が彼女を利用しつつ愛情も持あるという二面性を抱えていた点で決定的に異なっています。

「自分たちのため」の矛盾

父親を殺害し初代原皇に臣従して命を長らえたティトールは、生きるためだけに生きるのではなく、「自分たちのため」に生きることを誓います。確かに原皇である現在のティトールは自由気儘に振る舞えるだけの力を手に入れています。前世類は基本的には弱い種族ですが、寿命はもとから長いので、構造者としての鍛錬と経験の積み重ねによりティトールは最強の生物の座にまでたどり着けたのでしょう。

ただしこの「自分たち」が指すのは、ティトール個人でなくあくまでティトールも含む前世類という種族のことです。もはや唯一の生き残りでしかなくとも、父親の最期の頼みに従って、前世類の運命を切り開くために現在のティトールは生きているといえます。ティトールの父親は強者から従わされる屈辱を幾度も説きながらも、父親の立場からティトールを自分の命令に従わせ続けてきました。その度にティトールは「承知しました 父上」と言い、友達が殺害された時さえも、そして父の最期の時にも、同じ言葉を返しています。他者に従わないという命令に従わなくてはならない矛盾をティトールは背負っていることになります。

また、初代原皇の夢である天下統一も同じく矛盾をはらむものでした。かたや独立かたや多種族の協調と選んだ手法は正反対ながら、どちらも目的は「自分たち」の平和と自由意志の尊重という理想を実現することでしたが、やはりどちらも「自分たち」の枠を越える裏切りや敵に対しては一切を排除するしかないという現実にぶつかっていました。夢を目指す戦争の末に彼の一族ごと滅んだ初代原皇に対しては、ティトールはかつての部下として自惚れ屋と否定的に語っています。冷たいようですが客観的な判断ができているともいえ、実の父親とよりはまっとうな関係が築けたと見ることもできそうです。しかし血縁はないながら原皇の後継者となっている点からしても、やはり複雑な愛着を抱えてはいるのでしょう。

ティトールと父親と初代原皇の関係は、全員が明確な善人でも悪人でもないからこその解決しがたい問題を無数に抱えています。少年漫画としては複雑で爽快感に欠ける要素とはいえ、主人公と一定の距離がある同盟相手の背景ですし、1話で過不足なくまとめられているので、適度な深みになっていると感じました。そもそも『群青のマグメル』自体が社会正義よりも個々人の生き様を重視するアウトロー的な作風です。過去が判明した以上、ティトールで重要になるのはこれから何をするのかという点です。生存は絶望的な状況ですが、もし助からないとしても彼女なりの成果や結論は残してほしいところです。