群青のマグメル ~情報収集と感想

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群青のマグメル第54話感想 ~人間と感情

第54話 冷静には 20P

追記 原題:巨人的怒火 (直訳:巨人の怒火)

途中で偽りの決着まで挟み長らく続いた対神明阿アスス戦ですが、おそらく今回こそが本当のクライマックスでしょう。とうとうヨウとアススの激闘に決着がついたようであり、アススの抱える欠落が逆説的に示す人間性の理解という主題にも一定の落とし所が見えてきました。

まず戦闘においてヨウは神明阿の配下の放つ電撃を海水の飛沫で分散させつつ相手に返しつつ更に風の刃など物ともしない強さを発揮し、ごく当たり前のこととして2人を惨殺します。手骨構造への対応でも努めて感情を抑えて冷静に効率的に対処している様子が印象づけられ、明らかに禍々しく異常な事態が進行しているはずなのにそのことよりも繰り出される攻防の手数の多さの方に意識が向いていくようになっています。アススが最終攻撃のために構造した水球でも、人物たちとの位置関係の把握しやすいレイアウトにより自然に伝わる巨大感、内部のうごめく様子と多数の十字架の紋様が醸し出す不気味さなどの静謐さの強調された重々しい演出により、迫力はありながらもむしろテンションは押さえつけられ続けます。こうしたフラストレーションを一気に開放するのが17Pでのヨウの感情の激しい噴出と、続く見開きでの一閃のダイナミックさです。背後で巨大手装を構造し、自身の巨変を解いて手装に追い抜かせてウォーターカッターを撃破させ、残骸をくぐり抜けてから再び自身を巨変しアススを攻撃するという戦術も、能力を活用しきっています。流石のアススにも致死的な傷を与えられたと期待していい展開のはずです。

ただ、状況解決の目処がたつ程に意識せざるを得なくなるのが、どうしても円満には落ち着きようがない現状の結末の行方です。身体の一部を欠損するほどの大怪我を負ったこと、かけがえのない家族であるゼロを失ったこと、いずれもヨウという人間のかたちを根本から壊す傷となりかねないものです。今回の理性のうちに行った敵の殺害も理性を脱ぎ捨てて本能的な情動に身を委ねた攻撃も、ヨウにとっては人間と見なせない神明阿一族を始末するためとはいえ、ヨウ自身をますます人間の枠の外に追いやってしまうのではないかと不安になるところがあります。

感情を理解できないがゆえに人間を超越できた神明阿アススと、自制しきれないほどに溢れる感情を内に秘めるがゆえに人間離れするヨウ、2人は対照的であると同時にいびつに似通ってもいます。

後悔、絶望、憤怒、悲哀、そうした愛する人が亡くなった時に湧き上がるべき情動とはかつてのアススが妻の殺害時に抱くことを期待し、しかし抱くことのできなかった感情そのものです。己の方が殺害される側に追いやられつつあるさなか、相手のヨウの姿にそうした感情をアススが見出そうとしているのは、まさに運命の皮肉というほかないでしょう。あるいはそれらの思いに言葉の上だけでも考え至り、自分の欠落を自覚しながら心残りと言ってもいい何かを滲ませたのは、彼自身が死を突きつけられることで暗い情動を自覚しつつあるが故なのでしょうか。またこの心残りは、直接的には(おそらく感情の)無理解を指摘する女性の発言と繋がっているもののように演出されています。この女性は下側を一本結びした髪型からアススの妻でまず間違いないはずです。人間性を持たないと自認するアススにとってさえ、自身の感情の無理解によりもたらされたと考えているらしい妻との隔たりには、多少なりとも感じるところがあるようです。もしかしたらそれが妻を殺害した直接的なきっかけであるのかもしれません。ただアススが隔たりを意識していたとしても、アススを自分の命よりも大切だと語ったという妻にとっては、果たして隔たりは存在していたのでしょうか。妻がもし多少の違いなど自分が包み込めるものと感じていたのなら、実はそんなもの意識していなかったのかもしれません。彼女も自らの生死には関わらずに、アススがどこに行ってもそばにいるつもりだったと推察するのならなおさらです。だとしたらアススの欠落を指摘する言葉の真意とは、そしてアススに殺害される際に抱いた感情とはどんなものだったのでしょうか?また、動く心などないと自認しつつも妻に対して揺れる何かが確かに存在するアススは、自らの死を前にして何を理解するのでしょうか?あるいは何も理解できないのでしょうか?いずれにせよ人間としての神明阿アススについての結論がこの先で出されるはずです。

人間性、即ち人間と感情について焦点を置いたこのエピソードがどう決着するのかが、今後の『群青のマグメル』の方向性を決定する上で重要な部分になるのは間違いありません。今はただ次回の更新日である2月20日を待つのみです。