『屍者の13月』第8話感想 ~死の呪縛
第8話 千年の神通力 32P
2020/08/13 三眼と白小小の会話に関する内容を修正
とうとう1906年の黒山村の事件で新たな死者が出てしまいました。しかも高皓光たちの目の前で白小小が村人を何人も殺害してしまいました。
屍者との契約
黒山村でもその隣村でも、誰かが三眼に生贄を捧げると約束したせいで村人全員が逃げ場を失ってしまいました。日本語版だと改変されていますが、中文版だと第6話でも村長が「更何况上尸大人神通广大,供养他的村子有三个,这一年来就没听说哪个人能活着逃离的!」(直訳:まして大屍仙さまの神通力は広大だ。お祀りしている3つの村で、この一年生きて逃げられた人間なぞ聞いたこともない!)と語っています。今回も中文版では白小小の父親が大屍仙さまの神通力からは身を隠せないと語っています。しかも第5話で村長が語ったところによれば、白小小の父親が希望を持っていた法師は高皓光たちが来る以前にも数人が殺されてしまいました。
おそらく黒山村では村長を中心に約束が交わされたのでしょう。中文版だとよりわかりやすいのですが、第7話で三眼は周囲のいくつかの村には法屍者の存在に気づいた年寄りがいて、家族を巻き添えにしないため、わざわざ自分に声をかけてきたと言っています。第5話で村長は村を外敵から守るためともっともらしいことを言っていましたが、第7話で三眼が語ったことを参考にすれば自分の身内だけを守ろうとする身勝手さをうかがわせていたはずです。ただ、村に閉じ込められたままでは安心も何もあったものではありません。村長も動乱の世が終わった辺りで三眼が法師に退治されることを期待していた可能性はあります。第6話で村長は白小小の次の生贄についてのろくな考えがなかったせいで高皓光にやり込められてしまい、長期的な展望があったようには見えません。しかし村長も黒山村も三眼から見限られ、三眼が白小小に力を授けたために村長も黒山村も滅びようとしています。
ですが、結局のところこれらはただの推測です。三眼と黒山村の約束にまつわる新たな情報は今回ほとんど出ていません。おそらく現在の白小小にとっては、誰が直接交渉し、誰が村の皆殺しを避けるために大人しくしていただけだったのか、そういった区別は一切意味のない精神状態に追い込まれているのでしょう。
屍者の呪縛
白小小は受け取った神通力の新たな主になるために、自らの口で三眼へ自害するよう伝えます。そして新たな主になるよう自ら誘導した三眼は、二度と蘇らないことを覚悟の上で自害します。誘導を受けた上とはいえ、自分自身で他者を害する覚悟を決めた白小小の凛々しさには惹きつけられました。一方、「自害しろ」と言われた三眼は強い衝撃を受けたようです。三眼は自分でそう導いたものの、思いのほか鋭い態度で自分の死を突きつけられハッとさせられたのでしょうか。もしくは計画通りにことが進んで歓喜したのでしょうか。いずれにせよ白小小の決意は三眼を圧倒しました。しかし口では負けたといいつつも、満更でもない様子で滅んでいく三眼の姿には美学があります。法屍者は不死だからこそ、目先の生死よりも美学を優先する者がいるのでしょう。このやり取りはどちらも格好良かったです。なお日本語版では前回の三眼の発言が責任逃れをしたような印象になっているため三眼の誘導との間で食い違いが生じ、つじつまを合わせるなら三眼があえて憎まれ口を叩いて誘導したと解釈するしかない状況です。一見ロマンティックで白小小を思いやっているように見えながらも、ナルシシスティックで大量殺人が白小小にもたらす悪影響を考えない矛盾した選択です。そうした矛盾がかけがえのない個性となるキャラも多いですが、良くも悪くも先を見越した計画を立てない三眼のキャラとは合致しません。しかし中文版の前回ではきちんと三眼が自分を消滅させるように言葉で促しています。高慢で場当たり的な選択ながらも、モットーを守ることに対する信念を感じます。
しかし三眼が信じる美学や摂理とは、弱肉強食や復讐の連鎖を前提とした邪悪なものです。三眼は自分が直接人間を加虐することにこそ消極的ですが、囲い込んだ人間たちがお互いを追いつめ合うことも当然だと思っています。3つの村の様子は神通力でずっと監視されており、自分の食らう生贄が強制的に選び出された人間であることも三眼は漏れなく把握していました。ここで白小小に力を貸したことも、あくまで恩人である白大の子孫を食べてしまった借りを白家に返すためです。復讐に導かれたことによって白小小という女性の将来がどうなってしまうかは全く想像できていません。第6話でも語っていたように三眼は苗木を植えてどれが一番大きく育つか見守るのが趣味なのです。同じく長く見守った白家にもそれに似た感情を持っているようですが、反面それが三眼の持てる愛着の限界でもあります。愛着の対象である木も自分も村から離れることはできません。
三眼は西暦525年では屍疫で村人から搾取し、村を出た白大も傀儡で追い続けていた姑息な法屍者です。この時に自害したのも姜明子からの拷問を受けるのを恐れてのことです。
西暦1906年でも隣村の逃げようとした村人を一家全員殺害しました。さらに高皓光たちが小小を助けようとした際は激怒し、村人全員を人質に高皓光たちを連行するよう小小へ命令しています。元人間の法屍者ながら、三眼という自称以外の本名などを忘れてしまった点からうかがえるように、人間らしい情緒は消え去っています。自分自身がシュミレーションゲームのプレイヤーのような超越的な地位にあることを疑わず、強大な力で場当たり的に行動し、周囲を搾取しながらもそれが摂理とうそぶく。持てる愛着も遠くから見守るか相手の本来の生を壊すほどに自分の側に巻き込むか。自分から人間に譲ってやるかたちでは死ねるが、強大な仙人に主導権を握られるかたちでは死にたくない。そんな自己中心性を感じます。
また、小小も神通力を手に入れたときこそ格好良さを感じましたが、その力で手近な人間を殺してしまったことが残念です。村長をまだ殺していない点からしても本当に手当たり次第な印象です。三眼に加えて村長ら首謀者を殺害しただけならやむを得ない面は大きいですし、村を出て皓光たちの仲間になる展開にも期待が持てたはずでした。
先祖の呪縛
白小小は三眼の狙い通りに千年前の先祖の白大と自分を重ねました。
冒頭の白小小が父親と母親の会話を覗き見ているシーンは一瞬三眼から授けられた記憶かと勘違いしそうになりましたが、そうすると三眼は父親の記憶を持ったまま母親を食べてさらには白小小まで食べようとしたことになるので違いますね。あくまで、白小小は父親や母親を追い詰めた先祖の借り、つまり白大の罪が本当かどうかを確かめたかったという心情を説明するために挿入された回想シーンです。
千年前に白大が三眼に復讐を頼んだ経緯は、後味の悪い昔話としてはある程度納得行くものです。しかし小小が西暦1906年時点での個々人の罪を精査せず、村人たち全員の殺害を決めてしまったことにはやるせない気持ちになります。千年前の村人が悪人だったから現在の村人もすべて悪であるという理論は暴論です。しかし、千年前に白家が村の悪人だったから現在の白家は村のために借りを返さねばならない、先にそう強要してきたのは村長たちです。異を唱えなかった人も含めて、小小が村人を皆殺しにしたいと思ったのは当然です。ですが思うことと実行することはやはり別です。まだ村長が生き残ってしまっていますが、できれば自分の未来のためにも白小小にはこれ以上罪を犯してほしくありません。村人たち白小小の手を汚さないかたちで罰を受けてほしいです。
死んだ知識の呪縛
高皓光が小小のために「君にそんなことしてほしくない……」と涙してくれたことは嬉しかったです。しかし村人を全員この世から消したいほど怒りを感じていることには複雑な思いがします。
皓光は村に着き早々村人と揉めてしまいましたし、西暦525年と西暦1906年の事件の真相を知ってなおさら黒山村全体に反感を持ってしまったようです。ただ今回村長をぶん殴った時はこちらも胸がすっとしました。
しかしいくら醜悪な村人が目立って騒ぎ立てている状況とはいっても、既に犠牲者が出てしまっています。皓光には小小を止めることに専念してほしいです。黄二果は皓光が小小を止めてくれることを期待していますし、自分も生きたまま止めてもらえたら嬉しいです。この混迷を極めた状況で、黄二果が比較的まともな言動を保ってくれていることはかなりありがたいです。今回の護符を渡しながらの会話は、第4話で護符の残り枚数について相談していた時のセリフと繋がっています。皓光が法屍者に立ち向かうつもりだったときのことを覚えてくれています。皓光がちゃんと小小を止めてくれて、間接的に三眼に一泡吹かせることになる展開を期待したいです。
姜明子はこれを修行と捉えているためか助太刀する気はないようです。ただ介入するとしても強力な護符や呪具を埋めるのがせいぜいでしょうし、皓光がやる気を出さなければ手助けのしようがないところはあります。なにより第5話での今の時系列にあたる部分の様子を見るに、この件に関しては不介入を貫くようです。第1話の描写と漫画的なお約束からすると、過去から未来の過程に介入できるのは同月令でその未来の結果を確認するまでのタイミングに限られるはずです。しかし確定的な描写はないので、同月令で見た未来に合わせる形での介入ができる可能性もあります。
お話のようにはいかない
こうした周囲の反応を見るに、皓光が前のめりの正義感で村人を憎んでいることはやはり未熟さの表れなのでしょう。中文版では村人に対して「只是现在… 以人的立场,你们当中的大多数人… 还不该死。」(直訳:ただ今は… 人としての立場から言えば、お前らの大多数は… それでも死ぬべきじゃない)と言えたように本来は助けるべき相手なのはわかっているのですが、本心ではそう思えずにいます。
第6話の村長との口喧嘩はほぼ売り言葉に買い言葉です。家畜という言葉で村の皆殺しを恐れて大人しくしていた村の人間、まして女性までを憎むのなら、小小を助ける大義名分がなくなってしまいます。
第5話から始まるこの口論の最初と最後に言った卑怯者と弱者に関する内容についてはもっともです。師匠の教えだといいますし、小小も感謝していました。しかし第5話では、殴られた小小を見て激情に駆られて村長を殴り、改めて自分の正当性を主張したのではなく、まず村長にお説教をして自分の正当性を主張し、その上で殴っています。小小を見るに見かねたというよりも、自分は他人を処罰する資格があると考えてしまい、村長に上から目線のお説教をしてしまった印象です。実際にそうだったのでしょう。皓光は正義感を持っているにしても方向が教本でも読んだように頭でっかちです。しかし現在は自分の資格について疑わざるを得ない厳しい現実に直面しています。
皓光は12歳と考えればむしろ立派です。ですが『屍者の13月』の世界は、12歳前後の子供が活躍するお約束的なバトルファンタジーの世界とは少々異なっています。世界の緻密さはお約束的なカキワリの段階にとどまっているのに、人間の悪意はやたらにドロドロしています。ある意味メタフィクション的な世界観といえるのかもしれません。
だとするなら皓光のキャラも、単に主人公的なキャラというよりは、主人公的な属性をパロディ化したキャラのなのかもしれません。お約束的なフィクションの世界なら説教で相手の心を動かす主人公はごく普通ですが、ドロドロした世界ならそう上手くはいきません。
しかし皓光は一生懸命ではあるのです。かなり意地の悪い世界観の作品ですが、少年漫画のキャラらしい性格の長所を失わず、道を切り開いていってほしいです。