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『屍者の13月』第9話感想 ~罪の所在

第9話 千年の恨みを断つ 32P

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白小小が黒山村の大人たちを皆殺しにしてしまい、白小小自身も村の子供たちから親の仇として刺し貫かれました。

村人たちの罪

白小小が大量虐殺を行ってしまったことは残念ですが、彼女の経緯を考えれば彼女自身の意思で殺戮を止めることは不可能です。だから白小小の未来のためにもできれば高皓光に止めてほしかったです。

高皓光は村人を獣と感じる心を改め、自分に他人を断罪する資格がないと気付いて、一旦は村人を救おうと思ってくれました。しかしいざ白小小と向き合うと何もできず、みすみす村人の殺害を許してしまいます。白小小と出会い命を助けたのも高皓光ですし、この場で唯一白小小を止められたのも高皓光です。それだけに悔いの残る展開となりました。

高皓光が決断から逃げたことで正しい道がなくなり、この惨劇を招いてしまったことを姜明子も責めています。高皓光の行動に期待していただけに、なおさら失望が大きいようです。ここで姜明子が高皓光に対して思った「避けなかったのはわざとか? それとも無意識か? いや──… その両方か──…」「決断することから逃げた時点で その先に正しき道などない!!!!」「いいだろう… ならば自分の運命に向き合えるように 傍観者の立場で最後まで見届けるがいい」という日本語版の独白は、中間部分が捉え方の難しい文章です。しかし中文版だと「内心的冲突,令你逃避了这如何都是错的选择。」です。高皓光が内心の葛藤のあまりに、白小小の操作能力を避けずに体の自由を奪わせて、選択から逃げてしまったことを咎める独白だとわかります。また眼前ではかつて同じく逃げた人間たちが最悪の末路をたどっています。道義的に正しい選択が明らかな場合でも、知人や身内への情が絡むと正しい方を選べないことは珍しくありません。高皓光は、村人は罪人ながらも大部分が死なねばならない程ではなく、無実の人間がいる可能性もあることに気付きながらも、何もすることができませんでした。

罪人の運命

姜明子の狙いはあくまで高皓光の成長です。最終的に不屍王を打倒し屍者を根絶することが全てで、そのためには手段を選ばないつもりのようです。また高位の仙人である姜明子は彼独特の価値観を持っており、それに従い高皓光や村人たちを安易に救うことを避けたのでしょう。

この惨劇の原因は白小小を助けた高皓光や高皓光を空中移動させた姜明子にもあるといえなくもないですが、姜明子の術はあくまで対象をどこか危険な場所に連れて行くというものです。場所の選択は自動的で、姜明子が三眼を優先度の高い敵に位置付けたタイミングも、高皓光を移動させてから同月令による通信が回復するまでの狭間です。最初から意図的に黒山村へ連れて行こうとしたわけではありません。こうした諸々もひっくるめて「運命に操られている」ということなのでしょう。運命・宿命により高皓光が不屍王を打倒するための道筋が整っているのですから、見ようによってはメタ的な設定です。黒山村で虐殺を目撃することは高皓光にとって必須の成長イベントにあたるようです。一方で、姜明子は人間を操る残酷な運命から抜け出したがっています。

しかし運命により同月令から選ばれたとはいえ、高皓光はつい最近まで全く自覚がなかった上に、まだ12歳です。それを鑑みれば、いきなり数百人の死の責任を背負わせることはあまりにも酷です。12歳の主人公が活躍するオカルトバトル漫画のリアリティだと、連載開始すぐにここまでドロドロした展開になることはなかなかありません。あえて狙ったのでしょうが難しいバランスです。

無罪の子どもたち

白小小は両親や先祖の仇を取りました。しかし阿毛の叫びにより、自らも子供たちにとっての両親の仇となってしまったことに気付きます。阿毛たちは間違いなく村人であり、かつ現在の生贄事件においては無罪でもある存在です。村の大人たちと子供たちがきれいに区分されすぎていて、中間の若者や歩きのおぼつかないような乳幼児などがいないのは少々形式的に感じます。しかし対比をわかりやすくするためには仕方のない部分かもしれません。

子どもたちの怒りを目の当たりにし、白小小は我に返ります。このときの白小小の回想はどの時期のものなのか明確ではありませんが、おそらく村が平和だった時のものだけでなく、ここ1年のものも含まれているはずです。子どもたちの外見が全く変わっていませんし、阿毛はつい先程も白小小に遊んでもらおうとしていました。村の大人たちが白家を生贄として迫害するようになった中、何も知らずになついてくれる子どもたちは白小小にとってかけがえのない存在だったはずです。第6話でも白小小は子どもたちのことを気にかけていました。

それだけに子どもの手を血に染めるかたちでの決着には割り切れないものを感じます。ただ子供たちは紛れもなく親を自らの手で殺害した犯人を討ったのですし、清朝末の価値観からすれば問題は少ないのかもしれません。1年に渡り追い詰められた結果とはいえ、必要以上に村人を殺害してしまった白小小とは違う、救いのある未来が待っていてほしいです。

罪の発端の所在

しかし子どもがこの狭い村で1年間何一つ事情を知らなかったとは驚きです。子どもが1人でも知ればあっという間に全員に知れ渡りますし、大人たちは子供たちの前でよほど何事もないように振る舞っていたのでしょう。普通だったら子どもたちにも白家の罪を吹き込むはずです。流石に無理筋で白家に生贄を強いている自覚があり、後ろめたさで口を閉ざしていたのかもしれません。

さらにいえば白家の罪は童謡として伝承されていたはずです。しかし当の子どもたちが白家の罪を意識していません。千年の間に童謡はすっかり廃れていたようですし、事件のこともほとんどの村人にとって知識として一応知るだけのものになっていた可能性はあります。それでも村長が自分の家族を安全圏に置くためにも、大部分の村人に自分たちは無関係だから見て見ぬ振りをすれば安全だと思わせるためにも、白家はうってつけの生贄だったのでしょう。

今回の冒頭で高皓光は千年前の事件がなかったら、この悲劇の連鎖はなかったと考えます。しかし白大と無関係な2つの村でも生贄にされてしまった人間がいます。先祖の悪い噂に限らず、つけ込まれる隙のない真に潔白な人間など存在しません。三眼の性格からして、どの時代のどの地域で活動したとしても、無造作な搾取によって幾度人間の内部対立を引き起こそうが食人そのものには何の反省もしないでしょう。

あるいは人の悪性がこの事件の元凶といえなくもありませんが、生き物が生まれ持った悪性を制御して生きていくためには制度や環境の整備が欠かせません。屍者が人間を食べることは自然の摂理だと嘯く屍者がおり、摂理の中で強いられた因果応報によって大量虐殺が生み出されるのなら、その摂理を変えるしかありません。屍者を根絶するためには、第1話で師匠が言っていたように、屍者を生み出すという不屍王を倒す必要があります。

ただこの手の敵に知能のある作品では、敵の事情が明らかになるにつれ皆殺しを回避する方向へ動くようになる場合も多いです。思わず同情してしまう法屍者もいるかもしれません。何にせよ最終的にうまい落とし所は見つけてほしいです。