群青のマグメル ~情報収集と感想

『群青のマグメル』と第年秒先生を非公式に応援

群青のマグメル第47話感想 ~神につくられた女

2017/11/12 翻訳について下部に追記

第47話 襲来 20P

追記 原題:未知的诞生 (直訳:未知の誕生)

まず今回の本筋に触れる前に2P目の台詞で気になった点に触れさせていただきます。「ご主人 ~ 殺し合ってます!」という部分についてです。

現代日本語で「ご主人」が雇主・上司を示す言葉として使用されるのはかなり特殊な場合に限られ、日本語版の『群青のマグメル』ではゼロのヨウに対する呼称として、彼女の独特で子供っぽい言葉遣いを特徴付ける要素のひとつとして用いられています。そのため文字だけを読むとこの発言をしたのはゼロに思えるのですが、フキダシの種類がゼロの通信を表すものとは異なっている点やフキダシの発言者を示す尾部の伸びている方向、報告に対しルシスとアミルが振り返っていると思しい反応をしていることから、本来の発言者は2P5コマ目の手前側にいる神明阿の部下だと考えるのが妥当です。

実はヨウのゼロからの「ご主人」という呼ばれ方も神明阿の「若様」も、中文版ではどちらも「少爷」という同一の単語なのです。これは正体が誰であれラスボスであることがほぼ確定的な神明阿の「少爷」と、主人公であるヨウとをあえて同じ言葉で表すことで鮮烈に対比する意味合いが大きいと考えられます。とはいえ日本語版では訳し分けていたのですから、神明阿の「若様」に対して使われた「少爷」がいきなり「ご主人」と翻訳されると混乱が生じてしまいます。この場面の本来の意図は部下から「少爷」つまり「若様」と呼ばれているのがルシスでもアミルでもおかしくないという状況を読者に提示することにあったはずです。神明阿の部下からの若様に対する報告が、ゼロからのヨウに対する報告と取り違えられたために誤訳が起きたのかもしれません。もしくは神明阿の「若様」という呼称を廃止して「少爷」を全て「ご主人」と訳すことに変更された可能性もあります。「少爷」の意味は若様・坊っちゃん・ボンボンであるのですが。

それでは本筋の感想に入ります。

冒頭で神明阿の秘儀への攻撃があり、前回決意を固めたヨウの妨害かと思いきや、実際は第三者の乱入ということでまずは読者の期待が透かされテンションがリセットされます。ヨウも高めていた気勢をそがれてしまいます。ヨウが海底で感じた気配とは端末である深淵喰らいを通じて漏れた原皇ティトールのものだったのですね。

乱入者である原皇の猛獣と探検家たちの闘いの場面は無数対無数のまさに地獄絵図という凄惨さです。読者の視点の基準になるヨウからはまだ他人事の惨事ながらも、描写の鋭さに話の緊張感が徐々に高まっていきます。続いて秘儀の場へ舞台が戻り、ヨウの目前でティトールの端末対ルシスというバトルが発生します。クエスタ甲種からの攻撃に対してこともなげにそれを防げるだけの構造物をつくりだせることからルシスの構造者としての腕はかなりのものであるようです。12Pは構造物の横のラインと落下物の縦のラインのレイアウトが見事で丸々1Pの縦横比が活かしきられています。静的ながらもスケールの大きさにある種の荘厳ささえ感じさせられます。

これを好機にヨウが秘儀へ乱入し、滞りのない流れでテンションが盛り上げられたところでいよいよ今回のクライマックスがやって来るのです。手初めの愛用の剣の投擲からして、防がれることを見越してくくりつけていた煙幕弾による撹乱が本命だというのがヨウらしいトリッキーぶりで面白いですね。この煙幕弾は第44話で用意していたものの全部または一部で、その時は私は煙幕弾という呼び方で原始的なものを想像していたのですが、普通は発煙弾と呼ばれる現代兵器であるようです。ヨウがガスマスクを持っていたのは単に正体を隠すためだけでなくここで麻酔入りの煙幕弾を使うためだったというのがよく練られていると感じます。前回の続きで原皇の乱入がないままに実行してもある程度有効性が見込めそうな策ですが、混乱に乗じられればなおさら効果的でしょう。ヨウが広間に身を晒しての16Pの構図は遠近感やアングルが躍動的であるだけでなく、ヨウ・完全構造力の渦・神明阿の当主たち・攻撃を防いでるルシスたちという位置関係がわかりやすく示されてもいて漫画のコマとしての完成度が高いです。これに続く遍く左手の攻撃のコマも迫力があります。しかし攻撃の届く直前に完全構造力による構造が完成してしまうのですが、その正体が人間、少なくとも人型の何かというのには度肝を抜かれました。完全構造力による人間の構造が出てくること自体は予想していましたが、このタイミングでくるとは思いもよりませんでした。ヨウがすごく懐かしい感覚を抱いたということにも強く興味を惹かれます。もしヨウの知る拾因が完全構造力でつくられた存在ならばそのことを示しているのかもしれませんが、ヨウの知らない血縁者がモデルの可能性もあります。この女性のモデルとは誰なのでしょうか。あるいはモデルのいない完全に新しくつくりだされた人間なのでしょうか。ならば彼女は神の座を奪わんとする神明阿一族の新たなイヴ、あるいは新たなリリスなのかもしれません。

日本語版の『群青のマグメル』では現実世界と繋がる組織名や地名は大部分がぼかされていますが、『群青のマグメル』の中文版もとい『拾又之国』の舞台は「聖洲」という異郷と接触した現実世界なのです。神明阿一族の神そして信仰については明言されてはいませんが、神明阿アススの構造の紋章は完全に十字架であり、第45話15P3コマ目での若い頃の回想の背景にも十字架に見える装飾があります。また現在は加齢のため判別しにくくなってはいますが、彫りの深い顔立ちで回想の視覚効果でなければ淡い色の頭髪だったこともわかります。またその他細かい描写などから、彼らの信仰がアブラハムの宗教に属することが推察できます。これらの詳細についてはいずれ機会を改めてまとめてみたいと思います。例を挙げるなら、フルネームは判明していないものの神明阿一族の中核の1人であることは確実なルシスも見るからにコーカソイド系であり、彼の構造の紋章は直線を上に弧を下に見ると羽を広げた天使の図様によく似ています。12Pの最下段の構造物のように直線を下に見ると落ちる天使となります。

翻訳について追記

2P目で日本語版では「ご主人!」になっていた箇所は、中文版ではやはり「少爷!」でした。この「少爷」が示しているのは神明阿の「若様」で間違いありません。

また19・20Pの擬神構造を前にしてのヨウの独白は、日本語版では

「え… なんだ?」

「なんだこの……」

「凄く懐かしい感覚は…」

 と、終始ぼんやりした「凄く懐かしい感覚」に戸惑っている印象ですが、中文版では

「这? 什么?」

「等等! 这个……」

「这个熟悉的感觉是?」

「これ? なんだ?」

「待て! この……」

「このよく知ってる感じは?」

と、最初は戸惑うもののすぐに具体的な「熟悉的感觉(よく知ってる感じ・馴染んだ感覚)」の正体に気がついたことが読み取れます。中文版の流れならば、第48話の後半でヨウが具体的な知識を持った上での思索をしている「あれ」が擬神構造のことだと引っかかり無く理解できます。

群青のマグメル第46話感想 ~ネズミの命

第46話 秘儀 20P

追記 原題:生与神明 (直訳:生と神)

神明阿一族の内情に切り込んでいく回です。ヨウの神明阿一族の建造物への侵入シークエンスは、前回倒した壱八獄中隊の隊長を利用するだけでなく、ロープで体を操作するアイディアや不自然な動きをカバーするための酒など小技に気が利いていて唸らされます。ヨウが探そうとしていたパスとは通行証のことではなく通行権を持つ人間自体のことだったのですね。本当にリアルかどうかはともかくリアリティを感じられる描写が積み重ねられ、緊張感が伝わってきます。

潜入中のヨウはいわゆる「ネズミ」そのものなのですが、その最中にほど近くでルシスがネズミを嬲り殺しているというのはなかなか背筋の寒くなる演出です。命というものの素晴らしさを讃えつつも、命の構造への好奇心のために生物を苦しめるのになんの感慨も抱いていない様子には真性のサイコを感じます。生命の抽象的で形而上学的な面には興味があっても、意思を持つ個々の具体的な生命体には関心がないのがよくわかる口振りです。ルシスはもともと神明阿関係者の中では軽妙なキャラ性でかなり目立つ人物でしたが、ここに来てその軽さに寒々しい軽薄さが加わり、より興味深い人物となってきました。命を含めた全てを構造したいという願いにも剥き出しのエゴを感じます。神明阿が一族全体として聖心を狙う動機である500年前に与えられた「責任」についての詳細はまだわかりませんが、ルシス個人の動機には生命を自らの手で理解し構造できるようになることにその一端がありそうです。拾因の言うように聖心が暴かれることで世界が滅び命が死に絶えたとしても、ルシスの欲望にとっては全ての再構造の場としてむしろ好ましいのかもしれません。それは一族の目指す「世界の永久の掌握」を歪んだ形で叶える方法のようにも思えます。まるでラスボスの野望です。

そんなルシスの欲望や行動に不愉快さを明確に示すのがアミルです。もともと計画の具体的な立案や部下と信頼関係を築いている描写など職務面での真面目さの伝わる人物でしたが、価値観そのものも思いのほかまともであるようです。分別のある大人として描かれている人物だと感じられます。特に『群青のマグメル』という作品で重要なテーマのひとつである「夢と欲望の相克」について、アミルが理知的な持論を述べたことには驚かされました。そんな彼が聖心を暴き神の座を奪う計画に加わっている動機とは何なのでしょう。一族の関係者としての責任以外にも何か個人的な理由があるのでしょうか。

そしてルシスとアミルの関係とは何なのでしょうか。少なくとも日本語版では名前を呼び捨てにし合える関係ではあるようです。相手の核心に近い部分の欠点を理解し合い、釘を刺し合うことさえもある程度許容し合える仲でもあるようです。親しさがあるのかどうかは微妙なところですが、かなり対等に近い立場であることはうかがえます。アミルが一族の「若様」であるのなら、ルシスはあえて手元に置いた食えない副官であるのかもしれません。しかし中文版では実はアミルと確実に判別できる人物が「若様」と呼ばれている場面は存在しないのです。「若様」の左の手の平にある神明阿直系の家紋がアミルの手の平に確認できる場面も存在しません。一方でルシスは彼の顔が確認できる場面ではいつも手袋をしているのです。疑惑は膨らむばかりです。謎は確証を持てないが故に人を惹きつけてやまないのだと強く感ざるをえません。

また、今回は長らく謎として展開を牽引している神明阿の聖心を暴く手段のうち、完全構造力を大量に収集して使用する方法という部分に回答がもたらされました。神明阿の合構という技術がここで活かされたのはなるほどと思わされました。基本は3人が限界とされる合構を10人で行えることにも流石は神明阿直系の構造者という特別感があって良いですね。やはりエンタメではここぞという場面で原則破りがあると盛り上がります。アススをはじめとした当主たちがコールドスリープしていたのは各世代で集め尽くした完全構造力を合構するためというのも予想外かつ納得のいく理由です。アミルとルシスの命令でカーフェが手に入れた完全構造力は別の場面で使うことになるようで、そちらも楽しみです。さらに、拾因もやはり完全構造力を手に入れていたことが明らかになりました。何をするために手に入れたのか、それはもう使ってしまったのか、気になることは増えるばかりです。

今回のラストでヨウは神明阿の秘儀のさなかに切り込むことを決めるのですが、真正面から飛び込むだけではネズミとして殺されて終わるだろうことはヨウ自身が誰よりも承知しているはずです。ヨウのことですから何か奇策を用意しているのでしょう。この点については素直に次回を楽しみに待ちたいと思います。

翻訳について追記

中文版と比較した場合、日本語版の台詞の解釈について展開に直接関わる可能性がある部分が一箇所存在しました。「一族に与えられた多大な責任」が、一族に「対して」なのか一族に「よって」なのかということなのですが、中文版では「一族によってアススたちへ与えられた」ということがわかります。日本語版で誤解の余地をなくす文章にするなら「一族から与えられた」のような表記がいいかもしれません。

また、直接は展開に響かなそうな部分が中心ですが台詞の改変の多い回です。一番違いが大きいのは中文版ではルシスの思考の特異性がより赤裸々に描写されていることです。一例として6Pの「命の構造の理解など」~「モテませんよ?」の部分を抜き出すと

「妄图理解生命,并进行构造吗?」

「弥額勒迦…… 你在兜风吗?裤链*1开了哦!」

「需要我笑两声,敷衍你一下吗?」

「无趣的家伙,我的幽默感很受女孩子欢迎的。」

「生命を理解し構造しようという馬鹿げた企みか?」

「アミル…… 風を感じに来たんですか?ズボンのファスナー開いてますよ!」

「ハハとでも笑ってお前をやり過ごせばいいのか?」

「つまらないヤツ 私のユーモアは女の子にモテるんですよ」

ルシスが何をしながらこのセリフを言っているかを考えると恐ろしいものがあります。相当に癖の強い描写である一方、この突き抜け方には奇妙な魅力も感じますね。

*1:裤链は字義通りだとズボン(裤)の鎖(链)。この場合はズボンのファスナー(拉链)。

群青のマグメル第45話感想 ~心動かされる相手

2017/10/08 翻訳について下部に追記

第45話 合構 20P

追記 原題:亚伯撒斯 (直訳:アスス)

前半は戦闘パートというよりも戦闘仕立てでの神明阿の構造者たちの解説パートですね。

壱八獄中隊の構造者は人類の中での精鋭なのは間違いありませんが、3人がかりでもヨウの足元にも及びません。相手になれるのは黒獄以上の実力者だけのようで、神明阿一族が巨大組織ではあってもこと戦闘に限るならヨウたちにも勝算が見いだせないわけではなさそうです。

合構についての説明は、今までの描写から推測しつつも言葉として確認しておきたかった内容を簡潔に抑えていて、バトルものとしてワクワクします。また、説明の回想でヨウ・ゼロ・クーの3人が火鍋子を囲んでいるですのが、こういうちょっとした日常描写にいい味わいが出ているのがみんなキャラが立っていることの強みです。ビルの屋上で鍋をやっているというだけでもなんだか楽しそうなのですが、クーだけが二段重ねのブロックらしきものの上に座っているのが余計に面白いです。クーは高いところが好きですからね。あるいは聖国真類には食事中に地べたに座るのを好まない習慣があるのかもしれません。

ヨウは壱八獄中隊の構造者を手早く格好良く倒すのですが、その後にやるのがよりによって財布のかっぱらいです。ヒドイです。正義を自分の都合のいいように解釈して利用しているのがさらにヒドイです。間違ってもコイツは正義の味方じゃないな。ただ、ヨウは社会正義・一般常識からは完全に外れた人物ではあっても、ヤクザなりの仁義というか無頼漢なりの筋というかがあるのは今までもちゃんと描写されています。常にどこかしら逸脱しつつも情があるところがピーキーな魅力であり、そんな人物を主人公としているのが『群青のマグメル』という作品の面白味です。またヨウの人物像を考える上で踏まえておきたいのが後悔に満ちた拾因の姿です。拾因はほぼ間違いなくゼロとクーを、あるいはビックトー親子とティトールをも失ったヨウなのです。飄々とし何にも縛られないようにふるまいながらも、血の繋がらない家族を失ったことでどれだけ彼の心が揺さぶられ、そして避けられぬ死に臨む決断に至ったのか、それは現在のところただ想像することしかできません。それでもなおさら、私は拾因がそう望んだようにヨウがヨウ自身として幸せになることを願いたくなってしまうのです。

そして後半は神明阿アススとトトの対話パートです。

トトは実の父と共有した夢を大切にするだけでなく、その夢に基づいて見ず知らずの相手の幸せにさえ喜びそのために行動できる心を持っています。トトはマグメルで幾度となく危険に巻き込まれ、人間から強盗にあう描写さえ何度もあり、彼女の言葉は決して世間知らずな綺麗事ではないのです。

そんなトトに対して、神明阿アススはトトのように良い人間だった妻を殺害した過去を告白します。アススの妻は性格や表情の印象だけでなくいわゆるアホ毛までトトと印象が重なるように造形されています。アススは特別な人間ではあっても血の繋がらない家族にすぎない妻を殺しても何ら心動かされることはなかったと語ります。強さを得た対価に心が動かなくなり、血の繋がる家族としか繋がり得ないとも。そしてそれらは彼の中では真実なのでしょう。ただ、そんなことを初対面のトトに告白してしまったのは、妻の面影のある女性と出会って彼の中の何かが揺らいだからに他ならないのではないでしょうか。

ヨウ、トト、神明阿アスス、この3者の「家族」に対する思いがどう絡み合っていくのかが、今から楽しみです。

それにしても神明阿アミルと神明阿アススは顔が全く似ていませんね。アミルの小さな瞳孔が実線で囲まれた目と、アススの眉頭の太いカマボコ型の眉と彫りの深い目鼻立ちは、特に違いが大きいように感じます。

実は『群青のマグメル』にはアススと同じ瞳と眉を持った人物がもう1人登場しています。

左の手の甲に神明阿直系の家紋を刻んでいるアススに対し、左の手の平に神明阿直系の家紋を刻んでいる彼が本当は誰なのか、私ももう一度詳しく考えてみる必要がありそうです。

 

今回ちょっとだけ気になってしまったのが神明阿アススの台詞の「動かぬ心~対価なのだろうなぁ」です。文脈上絶対勘違いしようがないとはいえ、ここの文字だけを見た場合は逆の意味に捉えられかねないと思います。

あと書き忘れの追加を。前回トトが脱臼したのは左腕となっていましたが、前回暴漢に引っ張られたのも今回痛がって抑えていたのも右腕であり、誤植でしょう。

 

翻訳について追記

日本語版で

「だが実行してみたらなんてことはなかった」

「殺す前も殺した後も鼓動が乱れすらしなかった ただの1つも……な」

「動かぬ心それこそが…」

「強い力と引き換えに儂が神に差し出した対価なのだろうなぁ」

と翻訳されている部分は、動かぬ心を対価として差し出した、つまり妻を殺した後で強くなり今は心が動くようになったと読めかねないと上でも軽く触れさせていただきました。

中文版では

「可我连心速都没有变化,」

「杀她之前和之后,没有任何改变。」

「这大概便是……」

「获得了强大力量,而付给神明的代价吧。」

であり、直訳すると

「だが胸の鼓動の変化さえ儂には現れず」

「殺す前と後とで いかなる変化も現れはしなかった」

「おそらくそれこそが……」

「強さを得るために神へ支払った代償だったのだな」

となります。

中文版ではそれ(=妻を殺すことで現れるべき心の変化)を神へ支払った、つまり当時は既に強くなっており今に至るまでずっと心に変化が現れることはないという内容が引っかかり無く読み取れます。

また

「神明阿直系の家紋!?」

 となっている部分は

 「未神明阿直系家族的斑纹!」

 であり、「斑纹」という言葉のニュアンスを考えるに、上祖様の左の手の甲や若様の左の手の平のあの模様は、刺青などの人工的に刻まれたものでなく、一族の直系だけに生まれつき備わっている特殊なアザのようなものなのかもしれません。

群青のマグメル第44話感想 ~殺る気

第44話 潜入 20P

追記 原題:十八狱中队 (直訳:壱八獄中隊)

扉絵は並んで進むヨウたち5人と遠くの後ろ姿の神明阿アミルという構図がいずれ訪れる激突を予感させるものになっていて、新編の開幕にふさわしいものになっています。白系のスーツと床に落ちた黒い影の対比もバッチリ決まり、クールな中にも力強い印象があります。アオリ文の「我行我素」もいい味を出してますね。中国語の四文字熟語には欧文系の厨二感とはまた違った厨二感があっていいものです。意味は「自分のやり方を貫く・我が道を行く」となります。

扉絵を見る限りではミュフェはクーに付き添って人界にやって来るようです。デュケは性格から考えてもマグメルに残ってそちらの現状を伝える役割となりそうです。

今回は潜入編の導入ということで嵐の前の静けさを感じさせる回ではあるのですが、ヒリヒリとする不穏感の強さに期待が煽られます。

まず海底からの侵入という刺激的なシチュエーションを静謐かつ空間的なレイアウトによる演出が見事に盛り立てています。その最中にヨウが察知した深い闇の向こうにある何か、それがこの先の展開にどう関わってくるのか今から楽しみになります。距離的にはだいぶ離れていますが、島の地下に建造物があることと併せて考えると、もしかしたら巨大海底遺跡があるかもしれないと言った想像が膨らみワクワクします。

また静かな中にも当たり前のように暴力がひしめき殺意さえもありふれている空気感の描写が緊張を高めてくれます。トトがガラの悪い探検家チームに取り囲まれる場面はコミカルな演出をされてはいるものの結構シャレになっていない危険さです。それに周囲が取り立てて騒ぎ立てる訳でもない様子も、カタギの人間ではない探検家という存在を改めて感じさせてくれます。そして一転して探検家たちが直前まで弱者と思い込んでいた老人に文字通り瞬殺され、むき出しの惨事が突きつけられます。私は前回素性が判明したばかりの神明阿の上祖がいきなり探検家に混じっているとは想定していなかったこともあり、この不意打ちにはいろいろな意味で驚かされました。地位のある老人ということでてっきり腰の重いキャラだと思っていたのですが想像以上に行動派ですね。弱い老人の演技をする茶目っ気やトトに対して友好的に接する点と大勢の探検家の四肢を飛び散らせて平然としている点の落差が思考の読めなさを生んでいて、次の行動が気になるキャラです。

一方でヨウは神明阿の役付きの構造者からパスを奪うため、招待を受けただけの探検家も含めて片端から構造者を昏倒させていきます。少年漫画の主人公らしからぬダーティな手段ではありますが、乱闘を当然のこととする空気感とスマートに事を運べるわけではないという状況の提示が、反則の優越よりも生命に肉薄するスリリングさを際立たせているのが興味深いです。ヨウの挑発を受けた役付きの構造者たちが反抗分子の報告よりも売られた喧嘩を買うことを優先するあたりのチンピラ感もなかなかの暴力性です。ラストのコマは四者のポージングも構図も格好良く仕上がっていてドキドキさせられます。元より無法の側に身を置いていたとは言え、日常を送っていた拾人館にしばしの別れを告げたヨウが、人間同士の陰謀と暴力の世界に踏み込もうとしている一瞬が切り取られたコマです。

今回は潜入ということでヨウの衣装替えも行われているのですが、空気感に合わせて装備も今までのイメージを大きく崩さないままよりリアル調のものになっているのが面白いです。上半身の黒い服・帽子・手袋という服装にマスクが加わることで、拾因やあちらのヨウを彷彿とさせる取り合わせになっているのにもニヤリとさせられます。

群青のマグメル第43話感想 ~線引の決め方

2017/09/24 下部に翻訳と内容について追記

第43話 1ダースと少しの安息 20P

追記 原題:倒计日 (直訳:カウントダウン)

ヨウのゼロとの世界旅行での会話を通じて、共に旅をした拾因へのヨウの思いが形になって表されます。ヨウの初めての友達であり師であったという拾因。別れを予感させる陰を纏っていたという拾因。ヨウにとっても思いを言葉にすることで改めて自らの気持ちを探りつつ自覚していくところがあるように思えます。

そして拾因の死に気持ちの整理をつけた上で、拾因の生きた意味である彼の願いを受け継いでいくと明言します。実際に世界を見て回りつつ発した「世界を救う」という言葉にはヨウの決意の重さを感じます。思いを決めた時の、成すことと成せないことを定めた時の、爽やかさと淡い寂寥感のあるシーンです。ここでこれほどヨウが線引をきちんと出来ているからには、実体を持った拾因との再会はもう無いものと思った方がいいでしょう。

また、ヨウは人類の統治者である神明阿一族への敵対を決断したからには、ゼロと別れてこれまでの生活を続けることを諦めるつもりだったようです。あるいは生きぬくことそのものを。かつての拾因も同じ決断をしたのかもしれません。しかしここではゼロの方がヨウを諦めませんでした。ゼロの発言はご主人様に付き従いたいと見えるのか少爷(坊っちゃん)を守りたいと見えるのかで読者にとってニュアンスが随分と変わってきますね。ゼロとしては自分は大人でヨウを守れるつもりのようです。ですがヨウと読者にはそう言われるほどにゼロの幼気さがしみてしまいます。だからこそヨウはゼロを守り共に生きぬくことへの決意を新たにするのです。大勝負に臨んでのこの前向きな決意には、かつて避けられなったはずの破滅的な結末とは全く異なる結末へたどり着くことへの希望を強く感じました。

一方でクーは任務失敗の罰により男女3人素っ裸でバラエティ番組の熱湯風呂氷風呂めいたものに入れられつつ、ヨウは自分に利用されているだけだという笑撃の発言を繰り出します。逆では?という点は置いておくとしても、この期に及んでもクーがヨウときちんと一線を引けていると考えているらしいことに微笑ましくなってしまいます。傍から見ると不適切な馴れ合いという段階さえ明らかに超えているのですが、クーの性格を考えるにミュフェを誤魔化しただけでなく半ば以上本気で言ってるのでしょう。クーにとってヨウとの接触で自分は既に十分に得をしているのだから、自分達の行く末にまでは巻き込みたくはないというのはまだ変わらないようです。その上で情報を得るためというお題目を唱えつつ、ヨウの神明阿への潜入に加わるつもりなのが面白いですね。罰が終わってから人界へ向かうとするとやや遅れての合流となるのでしょうか。

マグメル深部の聖国真類の社会の一端が描写されていますが、居住地の規模的にも上層部の合議の様子からも、ステレオタイプな未開の部族ではない国家然とした印象を受けます。むしろ発展し巨大化した組織にありがちな腰の重さが心配になってしまうほどです。任務を失敗した者に罰を与えつつも必要以上の問責はせず、成果については評価するということからも、治世は現在のところ大きな滞り無く行われているようです。族長を含めた強者会の6人は、多少外見がリファインされてはいますが第32話で車座になっていたあの6人でしょう。

他方で神明阿一族が装置の中から目覚めさせた老人たちの描写もあります。500年前の神明阿一族の上祖だという彼らがどう展開に関わってくるのかはまだ読めませんが、いかにも中華の老人キャラ風な只者ではない雰囲気を纏っていて気分が盛り上がります。首領格らしい1人以外も顔の個性がしっかり描き分けられているのが逆に共通して目が死んでいる点を際立たせていておどろおどろしいです。

私が今回出た情報で一番気になっているのが拾因の明かした聖心を暴けば世界が滅ぶという言葉です。もちろんこれはヨウの一番の敵が神明阿一族だと確定させこの先の展開の指針を示す上で重要です。原皇の役割をヨウVS神明阿一族の構図にちょっかいを出す第三者ポジションと見なせることになり完全な三つ巴よりは勢力関係が把握しやすくもなりました。しかしむしろ私が引っかかっているのは、拾因の言葉が実際に世界が滅んだのを見たことがあるような迫真性を持っている点です。拾因の世界がやはり誰かが聖心を暴いたせいで滅んでいるのなら、「世界の敵」である拾因はそれにどう関わっているのでしょうか?

 

追記と翻訳について

日本語版では「もしあの人にあったら ずっと守ってやってくれないか」となっている台詞は、

中文版では「若遇到那个人,就一直守护下去。」であり、

やはり第31話の日本語版で「もしあの人を見つけたら その時は頼むよ」となっている台詞と同じ中国語の文章から、異なる言い回しで翻訳されたものだとわかりました。

また「共に生きて共に死ぬ」という部分は「一起生,一起死」であり、中文版では第2話の「一緒に生きて一緒に死ぬ」と同じ表現であり、ゼロの発言はこの時の会話を意識したものだと確認できました。

4142・43話は第234話でテーマの一つとなった「一起(一緒に・共に)」という言葉が再び取り上げられ、ヨウと拾因・ゼロとヨウ・クリクスと彼の幻想の家族という関係と、クリクスと彼の現実の家族・ゼロと主様という関係の対比を改めて明確化して、「家族」の形について問い直す内容となっています。

これ以外にも第2・3・4話では人知を超えたマグメルの宝としての実、拾人者としてのプロ意識、怪物よりも怪物である人間とそれ以上に怪物であるヨウなど多くの点で重要なモチーフの再提示が行われています。さらに「家族殺し」や「夢と欲望の相克」という現在焦点となっている題材も既に示されていて、『群青のマグメル』の主題が初期から一貫していることを深く感じました。最初にこの3話を読んだときは日本語版では内容を掴みづらかったこともあり取っ付きにくい内容だと感じる部分もあったのですが、今読むと話の本筋に入る前の導入の時点でテーマを凝縮して強く提示しておこうという意図があったのだとわかります。

ところで、私は今回の日本語版を読んだ時点では聖心が誰かに暴かれれば無条件に世界が滅ぶという内容だと思っていたのですが、中文版を読む限りではどちらかと言うと聖心を暴こうとする人間が現れたらその人間が世界を滅ぼしてしまうだろうという内容であるようです。もしかしたら黒い瞳のヨウは聖心を暴いた何者かによって元々の世界を滅ぼされた後、どうにか生き残って自らも聖心の力を手に入れ、並行世界への移動か数百年かけての世界の復興に力を利用したのかもしれません。

群青のマグメル第42話感想 ~拾人者の歩む道

2017/08/27 翻訳について下部に追記

第42話 出会い 24P

追記 原題:又零之刻 (直訳:ヨウとゼロの時間・軌跡)

 

『群青のマグメル』第4巻が7/4(火)に発売されました

www.shonenjump.com

 

 ゼロの過去は「超能力者・超人の悲哀もの」として必要な要素が的確かつ王道的に押さえられていて、短いながらも胸に迫る描写となっています。揺るぎない表現力と積み重ねられたゼロというキャクターに対する愛着とが、定石的であるが故のストレートな切れ味を高めています。6P1コマ目の天井と設備の描く曲線の悪夢的な効果と7P1コマ目の表情が示す闇はとりわけ強い印象を残します。また読者にとっては当然となりつつあった構造者というものがやはり異端の存在であることが再提示されます。

こうした酷薄で弱肉強食な『群青のマグメル』の空気感の中で活きるのがヨウの空気の読まなさです。どんな状況でもどんな出自の相手でも普段と何の変わりもなく接せるという常人離れしたヨウのマイペースさは、単に身体能力や構造力が高いこと以上に今回だけでなく今までも多くの相手の救いとなってきました。こうした資質こそが優れた拾人者の能力でもあるのでしょう。ヨウを慕い続けたゼロとの想いが理解できるようになった時に、私たちもヨウという人物の魅力を改めて感じることが出来ます。そしてヨウに拾われたことがゼロへの救いであったように、ヨウにとってもゼロを拾ったことは拾人者へ進むことを決意させる最終的なきっかけとなり人生の転機となったのです。ヨウの初めての拾人者としての仕事の相手こそがゼロでした。

その一方で改めて描写されているのが、ヨウの強さと価値観の恐ろしささえ抱かせるほどの人並み外れぶりです。ゼロに死を感じさせた強大な怪物を本能的に従わさせる程に強力で、無情な大人を一切の呵責無く打ち倒す、そんな12歳前後の少年であったヨウ。普通ならばやっと小学校を卒業したかどうかの年齢らしい顔立ちの幼さと、敵と見なした相手へ向ける態度と眼差しの冷淡なまでの老成。今回の乾ききった眼差しと「人を人として扱わない奴は… もう人とは呼べないね」という台詞で思い出されるのが、第4話でクリクスの兄と対峙した時の姿です。その時にヨウは皮肉にもクリクスの兄から「本当に人間か!?」と毒づかれてもいました。今回は意図的に殺害するほどには激怒していないでしょうが、ヨウは彼が必要だと判断した時には我を忘れずとも人を殺す判断ができます。できてしまうのです。ヨウは拾因に出会う前には既に人を殺したことがあったのかもしれません。いつもは明るく振る舞うヨウだけに、ふと覗かせる深淵には心から肝が冷える心地がします。そして物悲しくもさせられます。ただ、ヨウへ向けられる「人間離れ」しているという評価とは、逆説的に彼が紛れもなく人間だということを物語ってもいます。本当の怪物にはわざわざ人間でないと見なす必要などありません。拾因が最後に拾った人間こそが、最後の拾人者としての仕事の相手こそがヨウでした。

最後の場面でヨウは5年前にゼロと出会ったときと同じように2人でこの先へと続く道を進んでいきます。ヨウにとっては5年前だけでなくそのさらに5年前、拾因と出会って共に歩むことになった時を思い起こさせられるような道のりであるのかもしれません。ゼロにとっては5年前よりもむしろ一時的に先取りした5年後と本当の5年後が気になる道のりであるようです。そして2人に未来があるならば、ヨウが主人公として彼の素質を十二分に発揮していけるのならば、この先も「5年後」は何度でも訪れて何度でも共に踏み越えていけるはずです。

 

今回少々勿体無いのが日本語版だとゼロのヨウへの呼び方が「ご主人」になってることで「主様」からの変化があまり意味のないものになってしまっていることです。中文版での呼び方は「少爷(坊ちゃん・ボンボン)」なので、単なる主従関係・隷属関係から開放されたことがはっきりしてるはずです。お金持ちっぽくて好ましいというヨウの言い分もよりしっくりきますね。

 

翻訳について

中文版の『拾又之国』の第42話を確認しました。

ゼロが虐待を受けた「主様」は中文版では「主人」です。中国語の「主人」は物体・家畜の所有主という意味合いが強く、作中でもゼロが「财产(財産)」扱いされていることが幾度か明言されています。

ゼロが忠誠を誓うべきとされた「未来の主」である神明阿一族を表すのは中文版では「未来的主人」・「真正的主人」です。

そして中文版ではゼロが「新主人」と見なしたヨウにそれを断わられ「少爷」と呼ぶように提案されることで主人・所有主がいなくなり、「零号」でなく「阿零」と呼ばれて1人の人間としての自由を手に入れるという流れになっています。それが日本語版ではヨウが「ご主人」と呼ばれていることで伝わりにくくなっているのは残念です。

また、中文版で「找到你…… 然后…… 就一直守护你哟……。」、日本語版で「君をみつけて… ずっと守ってって…」となっている台詞は中文版の第31話の「若遇到那个人,就一直守护下去。」を受けたものだとわかりました。

この第31話の台詞は日本語版では「もしあの人を見つけたら その時は頼むよ」となっています。しかし第43話の「もしあの人にあったら ずっと守ってやってくれないか」と元になる中文はおそらく同じでしょう。

前に出た台詞を伏線として活かすという面ではやや問題がありますが、新しい訳の方がより適切なニュアンスなので仕方がない面が大きいと思います。今となっては第31話での翻訳が悔やまれるばかりです。

群青のマグメル第41話感想 ~未来へ向かうために

第41話 バカンス 20P

追記 原題:去度个假吧 (直訳:休暇を過ごしに行きましょう)

2017/07/18 微修正

『群青のマグメル』第4巻が7/4(火)に発売されました

www.shonenjump.com

 

第34話から休載の間もずっと心配させられていたクーたち聖国真類の未来が前回でひとまず希望を持てる状態になったことで、今回は展開の進行に一息ついてのバカンスとゼロの掘り下げへの導入の回です。

まずこれまでの展開への区切りとして一旦トトと別れるのですが、その際のトトの言葉は再開後からだけでなく今までの『群青のマグメル』のストーリー全体の総括になっています。

トトがここでマグメルの冒険へのロマンと希望を語ってくれたことには、改めて目を覚まさせられる思いがしました。最近の展開では神明阿をはじめとした欲望や陰謀絡みでの征服戦争のためのマグメル探検がクローズアップされ、私の関心もそちらへ向きがちでした。しかし未知への憧れと挑戦とはやはりロマンが溢れるものであり、少年漫画が追うべき夢の形でもあるのです。

また、今回の救助に感謝するだけでなく、ヨウの拾人者という生き方そのものを肯定する見方を示してくれたことにもジンとします。ヨウは人界ではどの権力の庇護も受けず、マグメルに関わるほとんどの人間が選ぶ探検家ではなく、ましてマグメルで生まれた原住者でもなく、どこからも独立して孤立しているようにさえ見える時がありました。ヨウ自身が第8話で自分の生き方を「賢い人間にはなれそうにない」と自嘲気味に評したのも彼をより寂しげに感じさせました。ですがそれは一面的な捉え方に過ぎなかったのです。拾人者の仕事とはマグメルで失われかけた命を人界の家族の下へ帰還させることであり、マグメルへ挑みたいという冒険者のロマンそのものを絶やさないようにすることです。マグメルと人界の双方に関わり、繋がりを守ることこそが現在のヨウが選んだ生き方なのです。これまでだけでなくこれからもそうあるために、ヨウは今彼自身が全貌の見えない相手へ挑もうとしています。そんな時に同じくロマンの支えになることを選んだ人間から応援され、別れてからふと見上げて気付いた空の広さ。それは何もかもを包み込んでくれるようなものだったのではないでしょうか。

その先に待ち受けているお楽しみが今回のメインイベント、未来を先取りした姿のゼロとのバカンスデートです。画的にはまるで高校生同士のデートのようで、青春映画的なムードに溢れています。成長後のゼロの外見年齢は15、6歳。スレンダーな体付きではありますが、涼やかな目元はむしろ肉体以上に大人びた印象を与えます。すらりと伸び、程よく肉の付いた太腿が眩しいです。日本の学校の制服風のコーディネートは女子高生の印象を強く読者に植え付け、児童どころかコマによっては幼児に見えていたゼロのイメージを一変させてくれます。特にトレードマークだった子供っぽい猫耳カチューシャをシャクヤク風の花飾りに置き換えているのが効果的です。一方で色は違うものの、プリーツスカート・丈が短くて手元が隠れるほど袖が長い上着・首元のタイというコーディネートが黒い瞳のヨウと共にいたゼロとほぼ同じなのがニヤリとできていいですね。

ヨウにとってもこの成長は衝撃だったようでなかなか面白いリアクションを取っています。あからさまにヨウを異性として意識しているゼロとは違い、ヨウのほうはゼロを純粋に家族だと見なしていそうですが、もしかしたらこの件で少しは見え方が変わってくるのかもしれません。ただ周囲から色恋を向けられてもひたすら朴念仁なヨウなので、たとえ関係が変わるとしても終盤の終盤でのことにはなりそうですが。

そして話の焦点はこれまでほとんど未解明だったゼロの過去へと移っていきます。ゼロの実年齢が11歳であることと、5年前に拾因からの依頼によってヨウが研究所らしい人工島から救出したことが判明しました。ゼロは年齢こそ見た目通りの子供でいいようですが、やはり「ただの」子供ではないようです。おそらく成長は普通にできているのでサイボーグなどの類ではなさそうですが、例えばデザイナーズベイビーであるとか身体に改造を施されているとか特殊な英才教育を受けたとか、何らかの研究の対象となっていたようです。

また私がゼロについて気になっていたことのひとつに、黒い瞳のヨウと共にいたゼロよりも見た目は幼いはずのこちらのゼロのほうがマグメルの冒険や財宝に対する態度をはじめとして大人びた言動をすることがあったのですが、それはヨウの違いから生じた影響によるところが大きいようだとわかりました。まず、拾因への憧れからヨウの拾人者という仕事への自負がより強くなったことがゼロの価値観にも反映されているようです。またこちらのヨウは保護者が得られたことでかなり弟気質な部分が出ていて、そんなヨウと支え合ってきたことでこちらのゼロはこましゃくれた世話焼きの妹的な性格になったと推察できます。さらに、黒い瞳のヨウとゼロの出会いはほぼ不明ではあるものの、拾因の依頼がないことからそのゼロは研究所の外に出られた時期が遅くて精神的な成長の機会が少なかった可能性もあります。ここで2人のゼロの違いが念押しされたのは、オーフィスの病死が明言されたのと合わせて、主要人物が皆二重に存在していることのヒントを改めて強く示すためでしょう。

ゼロについて今私がちょっと気になっているのが拾因が自分で救出しなかった点です。これから共に生きていくことになるヨウに助けさせたかっただけかもしれませんが、何か別の事情もあるかもしれません。

他方で、ゼロの研究との直接的な関連は不明ですが、神明阿によるマナナンバスティオンでの人体実験の描写があります。この装置は第32話に出てきたものと同一のものです。長身の実の保存装置と連続して描写されることでコールドスリープの解除実験であるのが示唆されていますが、目を覚ました老人たちの正体とは何なのでしょうかね。